第九十八章 駆け引き
第九十八章 駆け引き
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黄金に輝く砂浜。陽炎のように浮かぶ宮殿。
ぎらぎらと熱した砂漠の地。暑い日差しは容赦なく、季節を通り越してきたような道程は身体に思いの外苦労を要したようだ。軽いめまいを覚えつつ、スーはウィルらとともに支配者の居場所を目指す。
取次はもう手配してくれているようで、いつの間にと驚くと同時にさすがはウィルだと目を見張る。
ついたら、すぐにでも援軍を頼むのだろう。戦争は避けられればそれに越したことはないが、万が一のために、最悪の事態に備えることも必須なのだ。
心配は、オーウェン率いるカスパルニアの部隊よりもはやくシラヴィンド王に会えるかどうかということだ。計算でいけば、ウィルたちのほうが三日はやくお目にかかれるはずである。
今現在、スーに身分はない。だからこそ、願いをかなえてもらうにはお眼鏡にかなう必要がある。ウィルだけを頼りに、指をくわえて成り行きを見守るのはもういやなのだ。
馬とはちがう、ラクダというはじめて見る動物にのり、とうとうスーたちはシラヴィンドの宮殿へとたどり着いた。
金の砂地はさらさらと風に揺られ滑るように舞う。ゆらゆらと熱さにぼやける景色のなか忽然と現れたその宮殿には目を見張るばかり。
オアシス……まさしくそれだ。
暑さで顔がほてり、頭がぼうっとする。さすがのウィルも、額の汗を拭って息をついた。
カインなどは舌を出してへばり、「俺たちゃ海の男だ」なんてぶつぶつつぶやく始末だ。ダリーからすこししおれた林檎をもらい、スーはわずかな緊張を押し殺して待つ。
やがて案内されたのは、サテン製の敷物がひかれた一室。謁見の間である。
奥にベールで覆われた王の席があり、その横にはずらりと大臣と思わしき人々が厳格な雰囲気を保ちつつ腰をおろしていた。椅子はなく、床に敷き物を敷いて座すのが習わしらしい。
部屋へ通されたのはスーとウィルのみ。ふたりは王座に向かうように準備されていた敷物の上へ腰をおろす。スーはウィルにならい、片膝を立てて頭を垂れた。
シャラン、と鈴のような音が鳴る――シラヴィンド王のお出ましだった。
ウィルから聞いた話によれば、王は女性らしい。わざと難しい言葉で問いかけてきたり、からかいの言葉が多いが、根はやさしい人だと言っていた。けれど、どうやら、彼自身は苦手らしいとスーは勘くぐったのだが。
「久しいな、ウィル?」
高い女の人の声。スーは黙って頭をさげたまま、耳だけをフル活動させた。
「お久しぶりです、女王陛下」
「堅苦しいのはなしでよいぞ。しかし、わらわには尋ねたいことがある」
台詞は実に友好的なのに、なぜか一線引かれた気分になる声音だ。ウィルもそう感じ取ったのだろう。隣でじりりと佇まいを直した気配がした。
「カスパルニアは戦争でもするのか?ベルバーニとメディルサが手を組んだとか……周りの小国はすべてベルバーニ側へついているらしいが?」
それに、と女王はウィルに口をひらく暇さえ与えず言い募る。
「そなたの弟君は、軍隊を率いてわらわの国を脅かそうとしているようだ」
ベールの向こうから、冷ややかな視線を感じた。
女王とウィルの関係は詳しくは知らない。ただ、ドロテアから聞いた話も思い出し合わせてみれば、女王はその地位を手にする以前にウィルとは顔見知りであるらしい。砂漠の国でレオを巻き込みいざこざがあったと聞いている。彼女の発言からしても、すくなくとも女王はウィルがフィリップ王子であるという秘密を知っているのだ。
わずかな沈黙のあと、ウィルは静かに口をひらいた。
「それはアルティニオス王子の真意ではございません」
「それではなにか?下っ端が勝手に粗相をしでかしたと?そなたの弟君は家臣をまとめることもできんのか。無能な」
「恐れながら、王子は無能などではございません。彼には彼の考えがあるはず。臣下を泳がせ試しているのだと思います」
女王の皮肉にも即否と応え、ウィルは下げたままの頭をすこしだけあげた。
「カスパルニアは大国です。父王の時代の悪しき風習を一掃するためにも心血を注ぎましょう。柔な覚悟では到底できない……」
「ソティリオ王はたしかに恐怖で支配していたが、それが悪しきことだと言えるのか?あまい考えの能無し王子が、なめられ寝首をかかれなどしたら笑い物だ」
わざと女王は鼻で笑った。その言い草にかちんときたのはスーだけではない。むしろ、ウィルのなにかがぶちりと切れたらしい。
「アルーはそんな愚か者ではない!」
完璧に頭を下げることをやめ、ムキになってウィルは言い放った。
めずらしく声を荒げたウィルに、スーはぎょっとして肩を縮ませる。シラヴィンドの家臣らも驚いたのか中腰になり目を光らせる者まで出はじめた。
しかし、女王はからからと声をあげて笑う。あきらかに――からかいだった。
なるほど、スーはウィルが女王を苦手とするわけがわかった気がした。
(……あら?)
思わず顔をあげてしまい、あわてて頭を下げる。シラヴィンドでは、王の御前では顔をあげてはいけないのが常らしいと感じとっていたからだ。
だが、先ほどベールの向こうをチラと目にしたとき、ふたつの影があったことに驚く。女王と、その隣にいたのはだれだったのだろう……?
「本題に入ろうか」
次の瞬間、ぴりりと張り詰めた空気。スーの思考も自然と断たれ、再び緊張の汗をかく。
「カスパルニア側につけ、ということだろう、ウィル」
女王は揶揄するように言葉を紡ぐ。
「だが、価値があるのか。カスパルニアを助けてやろうと思えるだけの価値が……その国に、その王子にあるのか?」
声は淡々と響く。
ウィルがすぐさま口をひらこうとしたが、それを遮るように彼女は再び言う。
「まぁ、よい。カスパルニアは大国であるし、そなたは顔なじみ……王子には興味がある」
言ってから、ベールの内側で女王が笑う声がした。
「……おや、そなたは不満のようであるな」
頭をさげたまま、スーはハッとする。『そなた』というのが自分を指しているとわかったからだ。
笑い声とともに、からかいを含んだ声音が響く。
「案ずるな。わらわの興味に特別な意味はない」
「いえ……そんな……」
スーは困惑でそれ以上なにも言えなくなった。女王が『王子に興味がある』と言った瞬間、無意識に眉根が寄ってしまったことに気づいたし、もやもやと胸にすっきりしないものがたまったのも事実だ。
(――ヤキモチ……?まさか)
なんと心の器の小さいことか。独占欲の強いことか。恥ずかしさに顔に熱が集まる。
無心にぴかぴかの床を見つめながら、スーはパニックの頭でなにを言えばいいのか考えるが、どうしようもない。
女王はふいに声をひそめ、思案するように唸った。
「そういえば……赤毛の……そなたの話は聞いているぞ」
しかし、彼女の言葉は余計にスーを驚かせてしまうだけで助けにはならない。
「フィリップの母君の故郷はそなたの祖国なのだろう?いわば――滅びの国の生き残り、か」
なにをどこまで彼女は知っているのだろう。途端にスーは寒気を感じた。隣にウィルが――フィリップがいなければ不安に苛まれどうしようもなかっただろう。
「失われた王族の末裔か。その瞳を見てみたい」
近くに、と女王は命じる。スーはつられるようにベールに近づき、頭を垂れた。
どく、どく、と心臓は落ち着かなげに脈打つ。
しばらく無遠慮な視線をひしひしと感じたが、無言で堪える。やがて女王は強く見すえたまま口をひらいた。
「いいだろう。わらわを納得させてみよ」
凜とした声が響く。
「はっきり言おう。わらわは今のカスパルニアへ手を貸すほど無利益なことはせん。大国と言えど現状は彼の国には痛いものだ。見捨てるのが定石……だが、興味はある――」
淡々と連ねられる言葉にスーは拳を握る。
今のカスパルニアへ手を貸す――それは無利益だ、と彼女は言った。見捨てられてもおかしくはない、と。
たしかにそうなのかもしれない。利益もなく、孤立無援になりつつある国へ味方するはずもない。たとえフィリップの知り合いだと言っても……いや、彼女は『ウィル』と呼んだのだから、もはやカスパルニアへ手を貸す義理もなにもないのだ。
「どうして無関係のそなたがカスパルニアを救いたいと動くのかはわからなくもない。だからわらわは『お情け』でチャンスをやろう……価値を示せば、よろこんでシラヴィンドは手を差し出そう」
スーはしばし黙り、女王の言葉を反芻する。
国のことはよくわからない。交渉などできるわけがない。けれど、スーにだってわかる。
自分次第で女王の意向が決まる。『スー』が試されている。
だからウィルも先程から口を挟まないし、なにより女王はヒントをくれているのではないか?
国とは実に面倒なものであると思う。舞踏会でも、貴族はだれよりきらびやかに飾り立て目立とうとするし、大臣は権力に蔓延るし、些細なことで戦にまで発展する。
手を貸す、と女王は言った。『お情け』をくれるということ――つまり今、カスパルニアとシラヴィンドは対等ではない。
それなのに、女王は『スー次第』で『手を貸す』か決めると言うのだ。それこそ、国の参謀でもなんでもないスーの言動ひとつで国の命運を決めてやると言われている。
(冗談じゃないわ――)
くつり、とスーは口元だけで笑った。
「お言葉ですが女王さま」
口をひらき一気に声を出す。震えなど微塵もない、はっきりとした声音が出た。
ぴりりと空気が張り詰めるのがわかる。背後に控える大臣らがひゅっと息を呑むのが聞こえた。
「わたしはただの娘でございます。カスパルニアの使者ではありません。ですから、わたくしめの言葉を受け入れてくださったとしても『カスパルニア王国がシラヴィンド国へ借りをつくる』ことはできぬかと」
「ふぅん……では、わらわには得がないではないか」
感心したような、けれどどこかおもしろがっているような声で女王が問いかける。
スーは頭を下げたまま、ベールの向こうに向かって口の端をあげた。よくアルが『仮面をつけて』交渉するときの笑みだな、なんて思う。
「そうでしょうか?わたしには、シラヴィンド国はカスパルニア側へ自らつくことで有益になると思いますが……失礼を承知で口にしてもよろしいでしょうか?」
「……つづけよ」
「女王さまは、シラヴィンド国が周りの国から蛮族の国だと嘲弄されているのをご存知ですか?」
スーの言葉に、周囲の家臣らが愚弄されたと沸き立つ。
「よく耳にするよ。たしかにわらわの国はここ数年内戦に明け暮れていたから否定はしない。けれど今に訂正させてみせるわ」
「では、これはチャンスではないでしょうか」
スーはすこしだけ視線をあげる。ベールのなかで人影が揺れた。
とくり、と心臓が鳴る。喉の渇きを潤すため、唾を飲み込み目をとじた。
(大丈夫……後ろには兄さまがいてくれる……わたしには、できる)
目をあけて、唇を湿らせた。
(アルさまの隣にいたいなら、絶対に――)
「チャンス?」
女王の声に真剣みが帯びた。もはやからかう色はない。
「はい。もしもメディルサやベルバーニ側につけば、シラヴィンドはその他大勢の国の一部。野蛮な国も形ばかり参戦したとなるでしょう。カスパルニアが援助を求めてきてそれに従ったとしても、蛮族の力を借りたに過ぎません。けれど――」
思い切って顔をあげた。失礼にあたるのかもしれなかったが、たとえベールに隠れていたとしても、まっすぐに相手を見て話したかった。
「もし、シラヴィンド国が率先しカスパルニアとともに戦ってくだされば、それは先を見据えての布陣となりましょう。シラヴィンドは野蛮な民の集まりなどではなく、未来を見て参戦したのだと……わかりますか?」
うまく言葉が紡げているだろうか。自信はない。それでもスーは声をあげる。
「カスパルニアが孤立無援となればたしかに負けるかもしれませんが、それでも相手とて無傷ではすみません。カスパルニアは意地で勝ちにきます……きっと」
アルさまは、兄さまとの国を滅ぼしたくはないだろうから……スーは心のなかでつぶやき、再び声に出して進言した。
「シラヴィンドがカスパルニアへつくことで戦の結果は未知数。よい牽制になり、あわよくば硬直状態のすえ血を流すことなく、刃を交えることなく終わるかもしれません。シラヴィンドは戦いを好む野蛮な国という印象を払拭するいい機会です」
「なるほどな。たしかに、戦いは未知数になるやもしれない……シラヴィンドは戦争の引き金を邪魔するわけね」
「それに、カスパルニアが勝てば、シラヴィンドは自ら手を差し延べたという好印象が残ります。カスパルニアは決して邪険にしません……すくなくとも、次期国王はそういう方です」
「……ベルバーニ側へついて勝利を得たとて、その他大勢で終わる、というわけか……ふふ」
言った――言い切った、はずだ。
じわりと汗ばむ掌を握りしめ、スーは再び頭をさげる。唐突に持ち前の心配性が不安に拍車をかけて襲いかかる。
と、そのとき、すぐ近くで気配がした。
さらさらと流れ、世界を逸していたベールがめくり上げられ、細い足首が、つづいて身体がのぞく。
瞳はきれいなトパーズ。クリーム色の髪はやはり神秘を隠すようにベールでやんわりと包まれている。衣装は裾の広がった紅色のもので、首から胸元へかけてはなめらかな肌がむき出しにされている。
ベールのなかから現れた女性。凜とした強さのある女性だ。女王という言葉が彼女を指し示すに相応しいというのがよくわかる。高飛車ではないし、身分をひけらかしているわけでもないのに、堂々とした態度と勝ち気な顔立ちが威圧的な雰囲気を彼女のものとして漂わせている。
「そなたが、スゥか」
「いや、スーだ」
声をかけられあわてて頭を下げたまま「はい」と答えようとすれば、口をひらく前に聞き覚えのある声がした。女王の「スゥ」という僅かな発音のちがいを正したその声音に、スーは思わず状況も忘れ頭をあげてしまった。
ばっちりと、ワインレッドと琥珀の双眸と目があう。女王につづいてベールから現れた声の主は、ニヤリと口角をあげた。
「久しぶりだな、スー嬢」
メディルサ大軍帝国第一王子レオンハルトが、そこにいた。