第九十五章 放浪の旅路
第九十五章 放浪の旅路
†▼▽▼▽▼▽†
身体が心に追いつき、心が身体に追いついたころ、スーはユリウスとともに出立した。
黒髪の騎士の格好をした裏切り者がいる――その情報をもってきたのはイライジャ老師であった。穏やかなまなざしで「密書が届いたのじゃ」と言うなり告げられた情報に、スーもユリウスも目を回したくなった。
黒髪、騎士、それは――ランスロット?
衝撃に言葉をなくしたスーたちに、老師はさらに深刻な状況を告げる。
ベルバーニとの戦、砂漠の国への出兵、メディルサとの不和……現在カスパルニアを取り巻く状況はお世辞にも穏やかとは言い難い。
これからどうすればいいのか皆目わからない。けれど気持ちだけは急くほどにまっすぐだった。今にも走り出しそうなくらい、方向ははっきりしているのだ。
「わたし、たしかめたい」
手段もなにもかもないのに。気持ちだけは強く響く。
本当にランスロットが裏切ったのか。カスパルニアは滅んでしまうのか。そしてアルは――。
(わたしは決めたんだから)
アルさまの、そばにいたいのだと。そのために動きたいのだと。
今自分ひとりには力はない。ならば。
「ユリウス、わたしを助けてください」
手を伸ばして助力を乞おう。あなたのそばにいるために。
そんなわけで、今、スーたちは国境を越え、旅をしている。
目指すは――ベルバーニ。
戦がはじまるといってもすぐではあるまい。不穏な気配が立ち込めてからでは国への行き来は無謀。行くなら今しかない。それに、スーにはしなければならぬことがあった。
シャルロ姫の最期を、伝えること。
たくさん考えた。考えて、まずはこれだと思いついた。
無謀なのかもしれない。国王に会ってその事実を伝えようなどと馬鹿げているのかもしれない。それで戦争などなくなればいいなどと、阿呆だと言われればそれまでだ。
(でも、彼女の最期を見たのはわたしなのだ)
なれば伝えようと、そう思ったのだ。
ユリウスは、文句もなく承諾してくれた。
†+†+†+†+
獣道を避けて、それでも人通りのすくない道を選んでふたりは進んだ。ユリウスはスーのことを考えて容易い道を選んでくれているようだが、それは彼にとって『容易い』わけであり、スーには酷である。
けれど、以前ひとりきりでアルを捜しに歩いたよりは楽である。心持ちが全然ちがう。馬に乗って――もちろん、ユリウスの後ろに、ではあるが――進む行程も、ランスロットの早馬を経験したスーにとってはつらいうちに入らなかった。
やはり長時間歩けば足腰も悲鳴をあげるし、乗馬は臀部が悲しいことになるものの、許容範囲内というものだ。今は時間も惜しい。最短距離で進みたい。だから余計な気回しはいらないと、スーは宣言した――してから道のりはさらに険しくなり、若干後悔したのだが。
ともかく、ベルバーニの国境に入ったころには、心身ともに疲れ果ててはいたものの、心の核だけは異様に鍛え上げられたような気分のスーだった。
「明日、王都へ入る」
宿屋で肉を貪るように食しながらユリウスは告げた。緊張の色をにじませ、スーは頷く。
「王に面会できる確率はゼロに近い。作戦もなにもないが……」
チラと赤毛の少女を盗み見、青年は軽くため息をついた。
「ま、情報は集めてやるよ。シャルロ姫は第二王女だったんだろう?」
「そのはずです……」
スーは言い淀む。シャルロ姫は最期、自分の名を『エナーシャ』と言っていた。そしてエナーシャとはベルバーニの第一王女であると。
では、シャルロとは何者なのか……?
「最悪はタレこみかなにかで噂を広めて、向こうから迎えにきてもらうしかねぇだろうなァ」
その場合は助けてやるかな、と気楽にユリウスは笑う。ごくりと生唾を飲み込み怯えるスーを励ましてくれたのは明白だった。
情けないなと思いつつ、スーはいちばん手っ取り早いその『方法』しかないだろうと心のなかでは理解していた。
不審者でもなんでも、『シャルロ姫の最期を知っている』と言えばうまく『捕まる』ことができるかもしれない。警備の厳重な城へ侵入するよりよほど効率的で確実に『入り込める』作戦である。
……身の危険に構えないことが難点ではあるが。
翌日、スーはひとり『荒馬亭』という酒屋にいた。
ここは昼間から酒を浴びるほど飲みたい男たちの集う場所で、そこにいるだけで情報が舞い込むのだ。ユリウスの指示のもと、ここで聞き耳をたてているというわけであるが、スーのような少女がひとりでいても絡んでくる人物はいない。
スーと別れる間際、ユリウスがきちんと辺りににらみを利かせなおかつ亭主に金を握らせたことが原因なのだが、彼女自身はそれを知る由もない。
ともかく、スーはよくきく耳を集中させ、情報を集めることで手いっぱいであった。
わかったことは、やはり不穏な気配があるということ。ベルバーニは兵士として傭兵を集めているらしい。国民には徴兵令も近々出されるそうな。
人々は戦への不安と、それからわずかな国王への同情であふれていた。
ベルバーニ国王にはひとりの息子とふたりの娘がいた。ずっと男児にはめぐまれなかったが、姫はそれはそれはうつくしく育ち、国民のだれもがあこがれていたという。ひとり息子はまだ齢三つの幼児である。
第一王女として育った姫は、数年前に病でひっそりと息を引き取ったという。他国へ嫁ぐという噂もあったが、それもすっかり消え失せた。国民たちは嘆き悲しみ王をいたわった。なにしろ、そのころ王には『ひとり娘』しかいなかったという認識が常だったのだから。
しかし、第一王女崩御の報せとともに、第二王女の存在が明らかとなった。言い分はなんでも、他の国から命を狙われたり王位継承の争いに発展させないために、隠していたというわけである。
王の隠し子――さらにその第二王女の容姿に、国民は震えた。
瞳の色こそちがえど、彼女は亡くなったはずの第一王女にそっくりだったのだ。
かくして、きらびやかに現れたうつくしき王女シャルロは、国民に受け入れられていった。
数年後、ベルバーニに待望の男児が誕生し、齢三つになったころ、めでたくカスパルニアへ嫁ぐことが決まったシャルロ。最中、彼女の命が奪われるなどだれが考えよう?
ふたりの娘を失った国王に、国民はひどく同情したのだった。
夕方になって戻ってきたユリウス。彼の持ち帰ってきた情報を付け加えると、いろいろな穴は埋まった。
第一王女の名はエナーシャ。かつて噂にあった嫁ぎ先は、カスパルニア。
当時そんな第一王女の亡骸と第二王女を連れ帰ってきたのは、ひとりの男。ひょろりとし、言葉巧みで、しかし強烈な印象を残しながらもその容貌は人々の記憶には残らずぼんやりとしている。
まるで、魔法のように、記憶には霞みがかっている。
そのころからだろう。外見からはわからないが、城のなかではまことしやかにささやかれている。
王は、変わってしまったようだ。エナーシャ姫を失い、変わってしまったようだ。
まるで傀儡のよう――シャルロ姫の人形のようだ、と。
†+†+†+†+
夜、スーはこんがらがる頭でベッドに入ったものの、目は冴えて寝付くことができなかった。ひとりで夜の街に出ることも憚られ、とりあえずと窓辺の月や星空をながめる。
エナーシャとは、ベルバーニの第一王女の名。第二王女であるはずのシャルロは、自身を『エナーシャ』だと言った。
エナーシャの死とともに現れたシャルロ。そして連れてきた謎の男。
ひっかかりはある。『瞳の色こそちがえど』、容姿はそっくり、瓜二つ。
(カスパルニアへシャルロさまを連れてきたのは、ヌイストさんだった……)
はっきりと見えてきた。いや、見えた。
証拠はないが、確信はある。
理由は知れない。だが、エナーシャとシャルロは同一人物。そしてこの策謀に、ヌイストが関わっている。
以前、ヌイストは言っていたはずだ。なにかを魔術で為すにはそれなりの『代償』がいるのだと。
フィリップを助けたときは彼の瞳。レオの命を助けたときはヌイストの寿命。では、シャルロは?
最期、彼女は死ぬことを受け入れていたようだった。今思えば、とても安らかな表情をしていた。
(わたしにはわからないけれど、きっとヌイストさんとなにかあったんだわ)
いったん目をとじ、静かに息をはく。そしてゆっくりと目をあけ――。
「ッ――!」
ぐい、と口をふさがれた。正直ありがたかった。そうでもなければ、悲鳴をあげていただろう。
目の前に、たったいま頭のなかで考えていた当の本人――ヌイストがいたのだから。
「どうもコンバンワ!お久しぶりですネ」
ケタケタときれいに声をあげて笑ったヌイストは、かけていたモノクルをすいとあげてスーに顔を近づける。いったいどこから現れたのだとか、なにをするつもりなのかだとか、スーは聞きたいことがたくさんあるのに頭が回らず、口をぱくぱくさせて彼を見やる。
ワインレッドの瞳が、チリっと怪しく光った。
「ね、言ったでしょう。『次に会うときは別の国で』って」
くいと引かれスーはベッドへ投げ出される。非難する間もなくヌイストはその上にまたがった。
「いいですね、そのカオ。すごーくそそりますヨ?」
にっこりと笑ったヌイストに頬を包み込まれる形で顔を固定され、視線をはずすことができない。
遅まきながら動き出した頭で彼の言葉を反芻する。たしかに、言われた。カスパルニア城を追い出されるとき、いや、アルから「いらない」と言われる直前に、まるで予言者でもあるかのようにヌイストは告げたのだ。たしかに、『また会いましょう。――いつか、別の国で』と言ったのだ。
そしてその通り、スーはそれきり彼と直接カスパルニアで顔をあわせていない。
だが。
「ちがい、ます」
考えるよりも先に口は動いていた。
「あなたとは……一度、カスパルニアで再会、しました」
言葉にしてから、ああそうだとスーは確信した。ずっと胸にあった違和感。『知っている』という違和感。
挑戦的なまなざしで、スーはヌイストを見やった。
「ユリウスとわたしを襲ったのは、あなたですね」
一度目を見開いてから、すぐにヌイストはくすりと笑うと、答える代わりにスーの赤毛を愛おしそうにひと撫でした。
「ワタシからのプレゼントは気に入っていただけましたか。だーい好きな王子サマの『記憶』は、いかがでした?」
それから、と青年は付け加える。
「『忠告』も受け取っていますよね。そのうえで、アナタはここへ来たんですよね?」
忠告――不思議なことにはっきりと、それが頭によみがえった。
仮面の男たちが残した、『忠告』。
「離れるなら用無し」
「近づくなら覚悟を持って」
「まだまだ最終曲には程遠い」
声は歌うように、楽しそうに。
「オマエには」
「滅びのつづきを」
「担ってもらおう」
響きは直接耳に語りかけてくる。
「あの人が愛したのは」
「わたしの憎らしい人」
「オマエが執着するのは」
「いったいだれだ?」
やがて反響するように。
「あなたが、ワタシの心を惑わす」
(わたしが、アナタの心を、惑わす?)
思い出し、一番に訝しむ。最後のひとことだけは『忠告』ではない。あれはぽつりと、思わずつぶやかれた言葉であるとスーは感じていた。
まるで呪文のような、脈絡のない文章のようにも思える忠告。ただまとめればはっきりとわかることがある。
――離れるなら用無し、近づくなら覚悟を持って。
――滅びのつづきを担ってもらおう。
――執着するのは、いったいだれだ?
相変わらず飽きることなく少女の頬を撫でるようにさわるヌイストを見上げ、スーは声をあげた。
「わたしは、たぶん、まだよくわかっていません」
「ソーデスカ?」
ピエロのように愉快に声をたてる青年に動じることなく、スーはつづける。
「でも、『その人』の滅びになるつもりも、ありません」
わからないことばかりだけれど。直感でしかないけれど。
「慕情を執着と呼び、自ら遠ざけ寂しさをまぎらわせて笑うだけのあなたに、覚悟なんて問う資格はありません」
言った瞬間、頬に鋭い痛みが走った。殴られたのだ、と理解したときには、すでにヌイストの手つきが恐ろしいほどやさしいものとなってスーの頬に触れていた。
けれどスーは、臆することなく再びワインレッドの瞳を見つめる。
「また、図星ですか」
「……小ウサギがめったなことで牙をむくもんじゃありませんよ」
「それならあなたは悪魔気どりの小虫以下です」
スーにしてはめずらしいことだった。ここまで他人をわざとコケにした言い方をしたことがあっただろうか。
ぴくり、とヌイストの動かぬ表情がかすかに歪み、途端に笑顔が消え去った。
ぞわりと悪寒が背筋から這い上がる。ヌイストに身体ごと拘束されている現状、怖くないとは言えない。本心は蛇ににらまれた蛙のようなものだ。
けれど、震えて怯えたくなかった。引きさがりたくなかった。負けたくなかった。
しばし、無言にふたりはにらみあった。
「……いいでしょう。もうすこしだけ野放しにしてあげますヨ」
やがて、あきらめたかのように表情を笑みに戻しながら――それでも眼には言いようのない妖しい光を残しながら、ヌイストは口をひらいた。
「けれど、ベルバーニ国王へは会わせてあげませんからネ?」
スーは今度こそ、震えた。ここまで来て、あきらめられるわけがない。
「あなたは……ヌイストさんは、敵、なんですか」
ん~、とすこしばかり考える素振りをしてから、彼は口をひらく。
「憶えていますか。あなたが城ではじめて、矢を射られかけられたときのことを――」
「なにを」
「あれ、実はワタシなんですよネー」
もちろん、刺客とか毒とかはクリスくんでしたよ?――と肩をすくめるヌイスト。「でも、あの矢だけは趣向ちがったでショー」とケラケラ笑い出す始末。
スーはゾッとした。城で矢を射かけられたといえば、ランスロットと初対面を果たしたときだとすぐに思い出せる。幸運にも避けることができて、アル王子から「軍師にむいているのでは」と思われたときのことだ。
「まぁ、いろんな仕業は全部クリスくんが背負ってくれましたけどね。敵かどうかは、ご想像にお任せします、とでも言っておきまショウ」
動揺を隠すこともできない少女に気をよくしたのか、ヌイストはようやっとスーの上から退き、ベッドに腰かけて笑った。
「物事うまくいかないものですよ。そのほうが愉しいでショウ?」
ケラケラと声をたてて、青年はスーの額に手をかざした。
「な、なにを――」
「心配いりませんよ。ごゆっくり、眠ってください」
すてきな夢がみれるといいですね、なんて心にもないことを言いながら、ヌイストは起き上がろうとしたスーを強い力でベッドへ押し戻し、目を細める。
「じゃ、サヨウナラ。次に目を覚ましたときはベルバーニじゃないので、憶えておいてくだサイネ?」
くすり、と青年が笑ったような気がした。
スーは睡魔に襲われるまま、抵抗する術もなく夢のなかへと誘われる。
とろとろと溶けだした意識のなか、ヌイストを思った。
彼の真意がわからない。どんなに接しても、雲をつかむようなものだ。
(わたし、どうなるんだろう)
どうすればいいんだろう、と、いつも頭にある果てしない問いかけを繰り返し、スーの意識は深く深く沈んでいった。