第九十四章 会議と秘策
第九十四章 会議と秘策
†▼▽▼▽▼▽†
びくびく怯える者、これを好機と盛んに吠える者、困惑に戦く者、実に様々な顔ぶれである。
会議は早朝からはじまり、夜遅くまでつづいた。議題ははやくも国と国との衝突――戦争である。
騎士一名と、そして未来の王妃とされていたベルバーニの姫の死亡は重臣たちを揺さぶるには大きすぎる荒波だった。
事件の真相は、死亡したふたりは正体不明の刺客に殺されたこととなった。刺客は捕えるも自害してしまい情報はない、ということになっている。
だがしかし、だれに殺されたとてベルバーニの姫が死んだことに変わりはない。シャルロ姫の凶報はすぐにでもベルバーニへ伝わるだろう。
婚約はしたが、まだ王妃という地位についていなかった彼女のその身分は『ベルバーニ』のもの。姫を殺された、となれば戦争の原因に仕立て上げることもたやすいはずだ。責任問題は、重くカスパルニアへのしかかる。
「迎え撃ちましょう!」
そう声高に叫ぶのはオーウェンだ。メディルサもベルバーニもまとめて潰して従属させようとしている一派である。
「現在はまだ時を見よう」
と悠長なことを言う者もいれば、
「今すぐ謝罪を!」
なんて腑抜けたことを申す者もいる。
一度はカスパルニアを狙ったベルバーニだ。これ幸いと仕掛けてくることは明白だろう。謝罪をすればすぐにつけ込まれこちらが侵略されてもおかしくはない。
また、時を待とうとしたとてすぐにでも動きはくる。なにも対策しないのは間抜けというものだ。
戦、と言ったとて、前回はメディルサの援軍があってこそだ。こちらにはもはや脅しとなる素材はないのに。
ひとしきりこうだ、ああだ、と発言したあとで、オーウェンが我に策ありと立ち上がった。
「砂漠の国はいかがでしょう!」
「砂漠の国?」
アルをはじめ多くの者が顔をしかめるなか、巻き毛の大臣は気にしたふうもなくつづける。
「海の向こうの蛮族の国です。最近落ち着いたという情報がありますが、それまでは争いの絶えぬ国であったとか。奴らを従わせ、兵にするのです」
「彼国の民は数が多いですからなぁ」
なんの理由もなく、気弱なルファーネ大臣がぽつりとつぶやく。そのとおり、とオーウェンはさらにまくしたてるようにつづけた。
「奴らを駒にすれば数は互角……いえ、我が国を合わせればそれ以上。やすやすと勝てるでしょうな」
もっとも、我がカスパルニアの兵士だけでも充分ですが、となんの根拠もなしにオーウェン大臣は自信ありげに言い切り、周りの大臣たちは羨望と称賛のまなざしを向けた。
アルはくい、と口端をあげて――ついに、堪え切れず笑い出した。
「ア、アル王子……?」
初老の大臣が恐る恐る、と声をかける。ひとしきり笑ったあとで、アルは美貌の面を傾げた。
「ああ、すまない。……いや、さすがだな」
くく、と喉で笑ってから、王子は思わずだれもが見惚れるブルーの瞳をオーウェンへと向けた。
「では大臣、貴殿の腕で彼国を味方につけよ。さすれば戦に足踏みする者もいまい」
「御意に」
軽く頭を下げたオーウェンは満足げに笑った。
周囲の大臣たちは目を白黒させる。今まで対立こそすれ、意見の一致など到底ありえなかったふたりが――王子がオーウェンの意見を呑んだのだ。笑顔で賛同したように見えたのだ。
「ではこれにて、本日は解散」
やや気遅れしたようにルファーネが告げたことで、人々はぱらぱらとその場をあとにした。
†+†+†+†+
廊下を無言で、無表情で歩く。その後をクリスがつづいた。
側近へ戻ったとて、議会の末席にも置いてもらえない彼は、しかし会議の内容を聞ける位置にきちんと待機していたのだった。
アルは自室へ入るなり、先ほどの哄笑が嘘のように眉間にしわを寄せた。
「馬鹿か」
つぶやき、額を押さえる。頭が痛い。
砂漠の国を従属させる?そんな暇があると思うのか。そんな力があると本気で信じているのか。
馬鹿馬鹿しい、それ以外に言葉がない。
たとえ従えたとて、反乱にあうのがオチではないのか。なんの見返りもなく協力してくれるほどその国はお人好しの集まりなのか?
「くそっ」
悪態をついてみたとて、現状が変わるわけではない。されどつかずにはいられない。
アルの先ほどの大笑は、あきれの笑いだった。
役立たずしかいない。そして、そんな人材しか集まらない自分は、どれほど愚かなのか。
ふいに感じた気配に振り返れば、困惑に瞳を揺らすクリスがいた。なにか言いたげに口をひらいては、言葉にできないのか声を呑み込む。
アルはしばし辛抱強く待ってみた。打開策も浮かばぬ今、頭のなかでなにか考えることすら忌ま忌ましかった。
「……なんだ」
仕方なしに、アルは尋ねた。クリスは一瞬目を見開いたが、すぐに真剣なまなざしでアルを見つめ返す。
「発言をお許しください」
「いいだろう」
失って気づくとはこういうことなのかもしれない。
たしかにルドルフは『悪い大臣』であったが、同時に『使える大臣』でもあった。他国の情勢も内部の繋がりもすべて把握し操っていた。もちろん、彼の欠点は彼以外に仕える逸材を根絶やしにしたことにあるのだが。
そしてクリス。彼に以前のような発言権があったなら。なんのやましいこともなく、潔白の身の上で声高に『王子の側近』と呼べたなら。議会でもその頭脳を惜しみなく使わせたのに。
今の政権を操る人間にいちばん辟易しているのは、もしかしたらクリスなのかもしれない。
「先に真相を解明するのがいちばんかと思います。……第一騎士はよくも悪くもカスパルニアの兵の士気にかかわります」
「……つづけよ」
「まずは、ランスロットが裏切り者か否かを知るのが得策かと。彼の真意も含めて」
赤い瞳を見つめる。アルはしばし、考えることを放棄した。
(その真相を知りたくないと言ったら……俺は本当に、王へはなれぬだろうな)
自嘲的な笑みを隠し、アルは頷いた。
「裏切り者でなかった場合は?」
「即刻国へ帰還していただき、兵の統率に努めるのがよろしいかと。メディルサ国との交渉に使われてもよろしいかもしれません」
武力を重んじるメディルサの国柄だからこそ、ランスロットの特技や人柄は好印象だろう。あとはベルバーニを相手取ればいいだけ。ランスロットはたしかに、カスパルニア兵のあこがれの的といってもいい。彼の父アーサーも快く協力に応じてくれるだろう。
「……では、もし、裏切り者であったなら……?」
「すぐさま刺客を放つのがよいでしょう」
クリスは即答した。その声に感情はない。
「メディルサと関係を保つにしても敵対するにしても、シャルロ姫がお亡くなりになった今、ベルバーニを敵に回すことは絶対です。もし第一騎士が裏切り向こうの味方になるのであれば、こちらには必ずや害となりましょう」
たしかに士気が落ちるのは必須。こちらの軍事状況も相手にただ漏れであろう。
アルは視線をはずし、かすかに頷いた。
†+†+†+†+
その夜、アルは秘かにリオルネを呼んだ。
「裏切り者の正体を知りたい」
王子は少年を見つめた。天真爛漫な、されど賢い少年だ。きっと悟ってくれただろう。
結局、アルはクリスの進言を受け入れた。しかし、他の大臣には話さずに。
オーウェンが砂漠の国の『協力』を得られたことに越したことはないし、なによりクリスの提案を開示することで邪魔が入るのを恐れたのだ。
よって、城の者を使うより、近しい外部に依頼したほうがはやいし安全である。
裏切り者がいる。
いつだってそうだ。味方なんていやしない。
みなが個人の利益や権力のためだけに群がってくるのをアルはひしひしと感じていた。昔からそうだ。
それでもよかった。無頓着でいられたころは。王への道を狙いながらもそれが夢物語であると思っていたころは。
必死で不安をしまい込んで拒絶の壁で周りを囲って自身を守ってきたのだ。
揺るぎたくはなかったから。
「公爵家で密偵を頼めるか」
アルは静かに問いかけた。少年にとっては断れぬことと知っていながら。
「ご命令とあらば、謹んで」
リオルネは恭しくお辞儀した。それに静かに頷いて返し、アルは思う。
この少年も、自分と同じ。はやくに大人にならねばならぬ境遇を背負ったのだと。
(だけど、こいつと『僕』はちがうな……)
かすかに口端に浮かべた笑みが自嘲的であったのを知るのは、だれもいない。
まだ幼さの残る目の前の少年には、さぞかし重荷であろう。父が病に倒れている今、なおさらだ。
アルはせめてもと、彼にクリスをつけることにしていた。
この話をしたとき、クリスは渋った。もちろん、リオルネのそばにいて護ってやることに異存はない。しかし、自分が離れることでアルの周囲を無防備にすることを恐れたのかもしれない。
おかしなことだ、と笑ってやる。以前はこの命を狙ったくせに、と。
「僕の心は、今も昔も変わってはいません」
意地悪く笑ったアルに、クリスはばつが悪そうにしながらも告げた。
ルドルフにあこがれがあったのは事実。リオルネを王位につかせたかったのも事実。
されどその根底はゆるぎない。平穏を望んだだけだと。
「孤児のいる国に……戦で親や居場所を失うこどもたちのいる国にしてほしくなかった。昔のあなたは、そういう意味でだれより危うかった……権力も名声もいらぬと言いながら、『王』という立場だけに固執していたから」
遠い景色をながめるように目を細め、クリスはかすかに含み笑った。
「今のあなたは、さらに危ういけれど」
「ではなぜ、協力する気になったんだ」
さぁ?とクリスは首をすくめる。案外腹に黒いものを住まわせているものだとアルは皮肉りたい衝動に駆られたのだが。
「僕は結構、この国が好きなんです。リオルネさまやベロニカ姉さまと出会えた、この国が」
その国が平和で穏やかであればいいと願うのは当然でしょう?――最後にそれだけを言うと、クリスは戯れが過ぎましたね、と礼をして部屋を後にした。
ひとりきりの部屋で、アルはしばし沈黙を守った。
たゆたう深海のなかのように、暗闇だけがひっそりとアルを包み込んでいる。
やはりクリスは、女騎士ベロニカと顔見知りであったのか。血のつながりはないだろうが、「姉」と呼ぶところからもその親密さはうかがえる。
もしかすれば、クリスはアルを恨んでいたのかもしれない。腕を失ったベロニカを城から追放した王子を。それが原因ではないだろうが、以前謀反を起こすに至った一因なのかもしれないと、ひそかに考える。
(それも今ではどうでもいいことだ)
なんだかんだで、クリスはこちら側につくだろう。リオルネがカスパルニアにいるのだから。そしてリオルネ自身は、あの無垢な少年自身は、決してアルを裏切らないだろう。そんな『非道』を、あの少年がするわけがないのだから。




