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王国の花名  作者: 詠城カンナ
第三部 『花畑編』 【Ⅱ albus war-白い罪と戦争-】
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第九十一章 ナイトメア


第九十一章 ナイトメア



†▼▽▼▽▼▽†



 どれくらいもったのか、スーにはわからなかった。ただ、凄まじいことだけはわかった。

 セルジュの剣は、容赦がなかった。デジルもそれなりに戦えるとはいっても、比べ物にならない。力でどんどん押してゆき、疲れを知らない。動きも読ませぬ刃が、彼女を襲っている。

 彼らしくない、とスーは思う。荒々しい。人間業じゃない。やはり、彼自身が自分の意志で剣を振るっているわけではないのだ。

 歯を食いしばるセルジュ。額には汗すら浮かんでいなかった。

 終わりはあっけなかった。

 一瞬、ほんの一瞬デジルの動きが鈍ったその瞬間を逃さず、セルジュの剣はデジルの身体を貫いた。

「デジルさっ……!」

 言葉が出なかった。ハラハラと見ているだけしかできなかった。もどかしかった。でも、どこかで大丈夫だと思っていた。

 こんなにあっけなく、デジルが血を噴いて倒れるなど、想像もできなかった。

「あっ……あぁ……」

 恐怖に膝が笑う。腰が抜けて、その場に尻もちをついた。

 感情の見えない顔で、剣についた血を拭うこともせずセルジュが近づいてくる。

 銀のきらめきが、振りあがった。

(い、いや……だれか……)

 反抗することも、逃げることもできない。

 ふと視界に入ったセルジュの瞳。きれいなコバルトブルーが、苦しみに歪んで見えた。

「せ……セルジュさ……ん」

「やっと呼んでくれたね、スー」

 場違いなほど、きれいに笑った。先ほどまでの苦痛の表情など一切なくして。

 わけもわからず、見上げる。少年は、いまだ剣を振り上げたままだ。


「名前。やっと呼んでくれた」


 再度そう言ったセルジュ。そういえば、はじめて彼の名前を口にしたかもしれない。でも、それは彼が自分を『赤毛ちゃん』だなんて呼ぶからだ。だから意地で名前を呼ばなかったわけで……。

 そのとき唐突に、またカタカタとセルジュの剣をもつ腕が震え出す。

「っ、限界みたいだ。悪いんだけど、逃げてくれる?」

 アル王子はまだ来ないし、大ピンチだしね、と彼はまた笑った。

「あ、あの」

「ほら、もう震えはないでしょ。ちゃんと逃げてよね」

 あくまで軽い調子でセルジュはつづけた。言われてみれば、あまりのセルジュの陽気さに震えもとまっている。

 まさか、彼はこのためにあえて飄々としたのか?

「一度血を吸ったからおとなしかったけど、また暴れ出しそうなんだ……はやく」

 鋭い声で叱責され、スーは拳を握った。

 泣きたい。けれど、今はだめだ。

 どんな想いでセルジュがいるのかとか、デジルがどうなったとか。

(今は考えちゃいけない。人を呼んで、セルジュさんをとめてもらわなくちゃ)

 それが自分にできることだ。

 しかしこのとき、自分の愚鈍さを常々呪う。

(こ、腰が抜け……て……)

 恐怖が再度押し寄せる。なんで、こんなときに。

「まさか」

 セルジュも思わず顔を曇らせる。振り上げた腕は、激しい震えをともなっていた。

「馬鹿が」

 つぶやいたのは、だれか。

 銀のきらめきが、その凶器が、無情にも振りおろされる――。



「ステラティーナ!」








†+†+†+†+


 ガラスの割れる音がこだました。

「うっ……」

 砕けた破片が足元に散らばる。よろけた拍子に手をつき、皮膚を切ってしまったようだ。ぴりりとした痛みに眉根を寄せる。

 久々だ――この痛みは、苦しみは、いつぶりだろう?

 彼は目眩が消えるのをやり過ごし、深く息を吸った。

 最近は、ここ数十年は失敗もしなかったし、若さに余る行為もしていなかった。うまくやっていた。

 だから、この痛みは本当に久しぶりだったのだ。

 ぐるぐると視界が回り吐き気を催す。心臓がどくどくと脈打ち、鳩尾の辺りにも鋭い、焼けるような痛みが走った。

「どうやら……駒が壊れたみたいデスねェ……?」

 つぶやきは小さく、けれど響いた。

 額に浮かべた汗をぬぐい、男は笑う。

 人形も壊れたし、駒も使えなくなった。ということは、物語シナリオはうまくいっているのだろうか?

 駒から、記憶が漏れ出た気配を感じる。けれど彼はどうこうすることなく、切れて流れた手からの血を舐めとり、ただ、愉快そうに笑みを浮かべるだけだった。










†+†+†+†+


 これは夢か、とスーはまどろんだ。いや、ちがう、と即座に否定する。

 揺れるコバルトブルーの瞳とかち合う。そして視界に、きれいな月色の髪が見えた。

 以前体験したときのような、ふわりと浮く感覚。頭のなかで声がしたような気がする。

 『記憶を見せてあげる』

 場面はやがて、『例の記憶』へと移り変わる。

 そう、アルやユリウスの記憶を垣間見たときと同じような現象が起こっていた。見開かれたコバルトブルーに、吸い込まれるように。




 記憶のなかのアルは焦っていた。今よりすこしだけ幼さの残る顔の王子は、その冷たい瞳に驚愕と戸惑いと悲しみを浮かべていたのだ。

 突如、セルジュが暴れ出した。かたかたと震え出す腕を止めることができず、いきなり剣を振るう。

 その日、その瞬間まで彼らは談笑していた。

 セルジュが女騎士のベロニカに訓練をつけてもらい、それを見たグレイクとロイが「ユリウスがヤキモチをやくなぁ」と笑っていた。その場に偶然居合わせたアルも成り行きで訓練を観戦し、自分も混ざりたいな、などとぼんやり思っていたのだ。

 そんなとき、唐突にセルジュの様子が変わる。

「セルジュ?」

 問いかけたベロニカ。次の瞬間には、「え」という驚愕の声とともに利き腕を切り落とされていた。

 愕然としたのは彼女だけではない。突然の凶行に、グレイクもロイもアルも、そしてセルジュ本人ですら目を見開き硬直した。

 ドサリ、と倒れたベロニカ。引きつった声でロイが制止の声をかけるも、セルジュは勢いのままに彼にも襲いかかる。

 必死で「やめろ」と説得するが、セルジュは「身体が勝手に動く」と泣きそうな顔で言うのだ。彼が冗談にもならない、こんな行為をする人間ではないことくらいわかる。

 グレイクとふたりがかりでなんとか止めようとするが、敵意のない人間を、しかも仲間を傷つけることができず、油断した隙にロイも切りつけられていた。

 とどめを刺そうと振り上げた剣をグレイクが受け止める。彼らは戸惑いつつも、焦っていた。なにが起こっているのか理解できなかった。

 セルジュは「助けて」と言う。身体の自由が利かないのは真実だ。

 アルはどうすることもできず、その場の地獄絵図を見るしかない。セルジュの動きは、まったく彼らしくないのだ。動きに意図が見えず、しかし的確に殺しにくる剣だ。一撃で大きなダメージを負わせる、そんな魔術のような剣だ。

 信じられないことに、その動きは人間を遙かにうわまっていた。セルジュより腕の立つはずのグレイクが歯が立たないほどに。

 そのとき、アルは悲鳴を聞いた。セルジュの、心の悲鳴を。

 折れる――そう思った。このままでは、セルジュの心が折れる、と。

 グレイクが切り伏せられたと同時にアルの剣がセルジュのそれを受けた。

「セルジュ……」

 やめろ、とは言えなかった。彼がしたくてしている行為ではないことくらい、わかっていたから。

 今にも泣きそうな表情で、少年はコバルトブルーの瞳を大きく見開く。

「王子、お願いだよ」

 かすれる声でセルジュは言う。剣は重く、そして機械のごとき動きでアルを襲う。


「僕にこれ以上、大好きな人を傷つけさせないで」


 声は必死だった。痛切だった。

 アルは思わず顔を歪める。びくりと動揺し、その隙に剣をはらわれ切っ先をそらされた。

 しまったと思ったときにはすでに遅い。鋭い刃が、アルの身体めがけて突き刺さる――。

 頭に、声が響いた。気のせいだったのかもしれない。


『あの人の瞳を、傷つけられない。殺せない。あの人の瞳に死を宿らせるなんて無理だ』


 たしかに、その声はそう言った。

 気づけば、アルはセルジュを刺していた。防衛本能とでも言うのだろうか。切りかかる少年の動きが奇妙に一瞬とまった隙に、アルの剣が彼の身体を貫いていたのだ。

 ずるずるとくず折れる少年。アルは、妙に冷めた気持ちで――否、震えるほどの恐怖に苛まれながら剣を引き抜き、自身の手を見やった。

「……ふ、ぅ」

 赤だ。仲間の血で汚れた、赤だ。

 どうして――。

「な、なに……してんだ……?」

 ふり返れば、オレンジ頭の男が立ち尽くしてこちらを見ていた。




 月夜。黒髪の騎士は、遠くの空を見上げる主に声をかけた。

「アル……」

 言外に、よかったのかと尋ねている。黙って悪者になり、ユリウスを牢から出したことを。

 アルはランスロットの気持ちを知ってか知らずか、空を見上げたままつぶやいた。

「あいつはもう二度とこない、と」

 よかった、と王子はつづけた。表情は見えない。声にも感情がこもっていない。ランスロットは顔をしかめる。

「もう、だれもいらないんだ……『仲良しごっこで命をかける』なんて、おかしいだろ?」

 振り向きざま、アルは口元に笑みを浮かべた。ランスロットが思わず押し黙るほど、痛々しげな笑みだった。


 それからしばし、グレイクとロイは養生ということで騎士の任から遠のくことになる。ベロニカは利き手を失い、騎士という位置にいることはかなわなくなったため、イライジャとともに城を去った。そして、セルジュも。

 事の次第はあの場に居合わせた者だけしか知らない。セルジュは「兄貴に顔向けできないよ」とだけ言い残し、死ぬ覚悟をしていた。けれどそれをランスロットは許さず、ひっそりと少年は城を去ったのである。まるで、最初からそこにいなかったかのように。


 これが事の結末。遙か彼方の過ちの、記憶のすべて。










†+†+†+†+


 記憶がだぶる――。

 スーは、唐突に現実に引き戻された。瞬間、血なまぐさい臭いに包まれた。

 目の前に、アルティニオス王子の背があった。夜の光を受けて、彼のブロンドの髪はきれいに映える。

 しかし、その彼の持つ銀が、てらてらと血で濡れていた。

(……アルさま……)

 殺されそうになったスーをかばった。かばって、彼は仲間を、刺したのだ。

 その事実が、遅らせながらもスーに突き付けられる。自分は助かった。代わりに、セルジュが傷ついた。そして、アルの心も。


 ぐふ、と血を吐き、がくりと膝が地につく。少年は幾許か震え、やがて剣を刺して身体を支えつつ息をこぼす。

 額からは玉のような汗が浮かび、顔は青白く血の気がない。口の端についた血をぬぐい、セルジュは視線をあげた。

 ばちりと目があう。たまらず、スーは嗚咽をもらした。

 近づいてくれるなと彼は言う。傍らに立つアルの背中が痛々しい。

 セルジュはスーから目をそらし、アルに向き直った。

「……殿下、気に病むことは……ございま、せん」

 浅い息の間にセルジュは言葉を紡ぐ。

 スーにはアルの表情が見えない。しかし、その背は震えていた。

「僕は……やっと呪縛から解放され、る……」

 うつらうつらする視線。ぼんやりとセルジュはアルティニオスを見上げ、微笑した。

「ありがとう、アル」


 少年の身体が、地に臥した。二度と、動くことはなかった。






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