第八十九章 もえる眼
第八十九章 もえる眼
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乱れた呼吸を整える。
周りを見渡せば、見なれた場所だ。王宮の庭園内だった。
今の季節、花を咲かせるものはない。空から降り注ぐ白を一身に受けて染まっているだけだ。
仮面をはずし、額に浮かぶ汗を手の甲でぬぐう。すぐにでも叫びだしたいような、そんな気分だった。
ふと、足音がした。
「コンバンハ、スー?」
ぎくりと肩を縮ませ、しかし拳をつくってスーは振り返った。
そこには自分と同じ緑の瞳……。
「シャルロさま……」
にっこり人形のようにきれいに笑みを浮かべる彼女がいた。
シャルロは今宵もうつくしく着飾っていた。淡い水色のドレスに、葡萄色のブローチを胸につけている。髪には赤い造花のバラとアネモネをさし、とても愛らしい。
仮面をもっていないところを見ると、どうやら広間からやってきたのではないらしい。
スーは息を整えるために深呼吸し、いくらかまなざしに力を込めて彼女を見つめた。
「どうしてここに……?」
「あなたの気持ちを知りたくて」
怪訝そうに尋ねたスーに、シャルロは即答する。
「それから、いらない人形は退場ってことかしら」
ふふ、と含み笑う彼女は、スーと同じ緑の瞳を細めて奇妙なことを言う。
人形、とはなにをさすのか。まるでヌイストのようなことをしゃべる彼女に、スーは動揺を隠せずにいた。
シャルロはしばらく黙ってスーを見つめていたが、やがて語りかけるように言葉を発した。
「わたくしはね、本当はシャルロではないのよ」
なんとも唐突で突拍子のない言葉だ。スーは思わずきょとんとほうける。
「そもそも、シャルロという人間は存在しないの」
にっこりと笑むシャルロ。緑の瞳に感情は見えない。
「それでは――それでは、あなたはなんなのですか」
「わたくし?そうねぇ、わたくしの前の名前はエナーシャ。ベルバーニの第一王女よ」
わけもわからず愕然とする少女に、姫はさらに深い笑みを向けた。
「シャルロは、ただのお人形よ」
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空にはいつしか小さく星がきらめいている。天からちらちらと降り積もる雪は、明かりに照らされ光の粒のようにきらきらとはじけている。
広間から思わず駆け出してきたことも、その場が王宮の庭園であることも忘れ、スーは立ち尽くしていた。
スーには、シャルロの言っていることがいまいちわからない。彼女の本当の名前はエナーシャだというが、なぜ偽る必要があったのだろう。不可解極まりないが、しかし、すべてヌイストに結びついているような気がする。
なにしろ、シャルロを妃にと推薦したのはヌイストなのだから。
しばし無言で見つめあっていたふたりだったが、ふいに雪がやんだかと思うと、シャルロが口を切った。驚いたでしょう、と。
「わたくしとあなたの瞳が同じだったから……びっくりしたでしょう?」
くすくすと楽しげに声をもらし、少女はつづける。
「あなたは絶望したはずよ。だって身分がちがうもの……同じ緑の瞳なら、わたくしのほうが彼の隣にふさわしい!」
一歩一歩近づいてくるシャルロ姫。スーは途端に逃げ出したい衝動に駆られた。
「彼にとってあなたの価値はその瞳だけなのよ?彼の大切な兄さまとそっくりな瞳だけなの……最初からそうだったでしょう?」
自分と同じ緑がこちらを見つめる。ついにスーの目の前にきたシャルロは、相変わらずきれいに笑みを浮かべていた。
「だからあなたは身を引いた……彼に拒絶されたから。彼にふさわしくはないから」
かわいそうね、とその唇から紡がれる言葉に、たまらずスーは震えた。
たしかにシャルロ姫の言うことは正しいのだ。じくりじくりとスーの古傷をえぐるように責め立てる。
(逃げた――わたしは、アルさまから逃げたんだ)
拒絶されるのが堪えられなかった。出てきた欲望は、彼女を弱くさせたのだ。
アルにとって自分の価値が『緑の瞳』だということは知っている。いやというほどわかっている。
ただ、もうたくさんだと思ったのも事実。過去と決別したのなら、その青い瞳にスー自身を映してほしかった。
そ、と頬に冷たい感触が走る。シャルロがスーの両頬を包むように手ではさんでいた。
近づく瞳から目がそらせなくなり、スーは思わず奥歯を噛みしめた。
「やっぱりその瞳は滅びを示すのよ……呪われた子」
なにを、言っているのだろう、この人は。
しばしスーは動くことができなかった。まばたきをすることすら忘れ、ひたすらに彼女を見つめる。
自分と同じ緑の瞳が見つめ返してくる。底知れぬ色。同じなのに、まったくちがうような錯覚を覚える。
鏡のなかで見つめ返す緑のようだ。スーの心のなかを暴こうとするようだ。
吐露したくはない感情までがあふれ出しそうで怖かった。
シャルロは満足げにほほえむと、さらにつづける。
「よくって?滅びに魅入られる、それは人間のさだめ」
この緑の瞳は滅びなのか。呪いなのか。
だからフィリップは存在を消さねばならなかったのか。母親たちも死なねばならなかったのか。滅びに魅入られた国だから、王子は次々死んでいったのか。
「人は禁忌に手を出す生き物なのよ。愚かなことよ」
だからスーはひとりなのか。親もなく、フィリップさえ失い、シルヴィやローザと過ごすこともかなわぬのか。だから自分は、アルのそばにいることができなかったのか。
「あなたには元王族といういらない肩書がある。王子の召使だという自負がある。だからあきらめきれないのね」
理不尽な考えだとわかっているのに、まるで呪文のようにスーの頭に響いてくる。
「滅びは滅びらしく、消えてしまえばいいのよ。そうすれば、アル王子を惑わすこともないのに」
あなたは邪魔でしかないの――そうシャルロの口が言葉を紡いだ。
優柔不断なのだと思う。アルのそばにいたい、本当を知りたいと思いながら、自分が傷つくことを恐れた。アルの心に潜む闇に向き合おうとしただろうか?生半可な気持ちで近づいたのではないか?
彼の闇は凶暴で、そしてとても寂しい。周りを巻き込み深くまで根付いている。
知っていたはずだ。近づけば、傷つくと。それでも根気強く付き合わなければ、きっと手に入れることはできない。
そうか、とスーは感づく。
アルはきっと敏感だ。拒絶することで無意識に試すのだ。拒むことで自分を護るのだ。だから、スーの戸惑いも怯えも彼の繊細な心は察知してしまうのだ。
もし、この瞳が滅びというのなら、たしかに自分はアル王子を惑わせているのかもしれない。彼の兄と同じ瞳は、すくなくともアルにとっては特別なはずだから。
けれど、なれば――。
「わたしは、誇りを持ちます」
答えた声は、思いの外しっかりしていた。それに勇気づけられ、さらにつづける。
「この瞳が、アルさまと出会わせてくれた。滅びた国の最後の証なら、わたしはよろこんで受け入れる」
「彼が、あなた自身を見てくれなくても?」
「それは瞳とは関係ないですから」
同じ瞳だから、シャルロはアルの妃に選ばれたのか?緑の瞳をもっていたから堂々とアルと接していたのか?
答えは否だ。
たしかに瞳は滅びを示していた。誇りであり支えであったはずのそれは、いつしかスー自身を劣等感で蝕み嫉妬に狂わせていた。
けれど、ならば、今からは。気づくことができた、今からは。
(わたしは瞳を理由にアルさまを居場所に選んだりなんかしない)
自分自身を、見てもらいたい――その気持ちを認めよう。
きゅっと拳を握って見つめ返すと、シャルロ姫は「そう」とつぶやき、一歩後退した。
「シャルロ姫さま……?」
どこか違和感を覚え、思わずスーは声をかけた。すこしだけ距離をとったシャルロは、顔をあげて――笑った。
それは、今まででいちばんうつくしい笑みだった。人形のように整った笑みしか見たことがなかったのが嘘のように。
口角をあげ、目を細め、柔らかくほほえむ――スーは今、シャルロという人の笑顔をはじめて見たのだと悟った。
「わたしとあなたはちがうわ」
笑みを浮かべたまま彼女は口をひらく。
「でも知っていて。わたしは、愛していたの。心から愛する人と同じくらい、自分のことも愛していたの――死ぬのが怖かったの」
なにを言っているのかわからなかった。シャルロの話には脈絡がない。けれど、真剣に聞かなくてはならない気がして、スーはじっと見つめて耳を傾けていた。
「すこしだけ時間を延ばして、ようやくわかったわ。わたしはもう、充分なんだってこと。永く生きるために生きたいんじゃないの」
永遠のように果てしない時間を生きることは幸せではない。限られた時を、自分の悔いなく生きることが幸せなのだ――シャルロはそう言って笑みを濃くした。
「あなたはもう、見つけられたのね」
ふと、聞き取れないほど小さな――けれどスーには届いていたのだが――声でシャルロはつぶやく。うつむき、そして――。
「シャ、シャルロさまっ!」
スーは悲鳴にならない悲鳴をあげた。ぞわりと背筋に悪寒が走り、鳥肌がたつ。
少女の瞳が、燃えていた。
なにが起こったのか、どうなっているのか、スーにはまったくわからない。なんなのだという困惑とどうにかしなければという焦りでパニックを起こす。
シャルロが顔をあげたかと思うと、その眼に炎が灯り、一気に燃えはじめたのだ。赤々と激しい火をたたえ、なぜか眼ばかりを焼く。まるで瞳から火が生み出されたようだ。それなのに彼女は悲鳴をあげることすらせず、卒倒しそうなスーに見えぬ目を向けほほえむ。
「だいじょう、ぶ。平気。へい、きよ」
痛くはないの、これは魔法だから――終わりの魔法だから、とシャルロはつぶやく。その声は落ち着き、そしてよろこびにあふれていた。
「いいの。もう怖くないわ。わたしには会いたい人たちがいるから。幸せだから」
いつまでも、いつまでも、残酷な罪を焼き打ち、もえる眼……。
城へ助けを呼びにいくべきか、手当はいらぬのかと尋ねても、シャルロにはすでにスーの声が聞こえていない。燃えたままの瞳を愛おしげに手で覆い、姫は口をひらいた。
「ああ、やっと会える――」
燃えていたはずの炎が消え、顔から手を離し、少女が眼をひらく――その瞳は、きれいな淡い水色だった。
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(そ、んな……これはどういうこと……)
へたりと力が抜け、その場にしゃがみ込む。目の前ではひとりの少女の亡骸が転がっていた。
ひとつ最期にきれいにほほえんで、眠るように倒れたシャルロ。そのまま息を引き取るなど、だれが考えられよう?
「シャルロさま」
揺すってみても、心臓は動かない。ただ口元は柔らかく、笑んでいる。
スーは震える手で瞼を閉じさせた。水色の瞳が、目に焼きつく。
あの炎はなんだったのか知れないが、彼女の瞳を焼いていたわけではないのかもしれない。そのあとから現れた水色の淡い瞳が、彼女の――エナーシャの本当の瞳なのかもしれない。
(いや、なぜ。どうすれば……)
スーの頭には、ヌイストが思い浮かぶ。
眼、そして人形――すべてキーワードが彼にたどりつくのだ。
(それに、ヌイストさんなら……)
以前のレオのように、彼女を生き返らせてくれるかもしれない。
とにかく、はやく彼を捜さなければ――。
「お嬢ちゃん、逃げるよ」
瞬間、ぐいと腕を引かれて、身体が傾く。気づけばほとんど引きづられるようにして連れていかれていた。
「デジルさん……!」
「はやく走って。今に衛兵がやってくるよ」
スーを引く彼女の肩には、赤毛の猿がせわしなく動きながらなんとかのっている。様々なことが一度に起こり過ぎてついていけない頭のなかで、しかしスーは直感していた。
なにか、おかしい。おかしい方向へ動いているのだ。
スーの足取りがしっかりしたのを確認し、デジルは肩を抱くようにしてさらに足をはやめた。
「まったく厄介なんだから。捕まりたくなかったら、姫さまの死を悲しむのはあとにしな」
ズキリ、とスーの心臓が悲鳴をあげて否定する。まだ、まだシャルロが死んだわけでは……。
だけど。
剣呑な雰囲気が辺りに充満していることくらい、わかる。おかしい。やはり、これは。
スーの顔をちらと盗み見たデジルは、肯定するがごとく眉間にしわを寄せた。
「はめられたね」
だれに、とは聞けなかった。
茂みから現れたひとりの少年。デジルとスーは警戒しながら足をとめる。
「動かないでね」
セルジュが、無表情のままそう言った。
こんにちは。
ここでいったん区切ります。
―niger puppet―
編、ありがとうございました!
まだ推敲とかあまい段階です。
とりあえず時間がとれないため投稿だけしてしまいました……(汗
すみません。
では、今後もよろしくお願いします。