第八十八章 仮面、仮面、仮面……
第八十八章 仮面、仮面、仮面……
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(う、わ)
久々に感じる王宮ならではの雰囲気というものがある。商人たちのように大きな声をあげる者もなければ、なりふりかまわず心情を吐露する表現も見えない。
厳かで優美、陰険な駆け引き、あらゆる仮面をかぶり自らを隠し、反対にどれだけ自分を価値あるものに見せられるか――それが貴族の、一種の特徴のように思われる。
仮面舞踏会はスーの記憶にあるように、今回もきらびやかであった。
光に反射して輝くシャンデリア、ぴかぴかの大理石、色とりどりの軽食に、あふれんばかりの人、人、人……。いろいろな香の香水、きらめく宝石の数々、目眩がするほど鮮やかなドレス……そして仮面。
戸惑ってしまうのは仕方のないことだ。いつものスーなら躊躇し、ぐだぐだとその場で踏み出せずに会場の雰囲気に呑まれるかもしれない。ただ、今回はすこしわけがちがう。みなと同じように微笑を浮かべた仮面をつけ、加えて黒髪の鬘をかぶっている。まるで自分ではないかのような出で立ちなのだ。それはかなり、スーの心を強く支えているのだが。
仮面には何種類かある。目元ばかりを覆うもの、顔全体を隠すもの、顔の片方だけを隠すもの、様々だ。
今回スーが選んだのは顔全体を覆うもので、完璧にスーだとわかる人間はいないのではないかと思われる。
しばらくの間、隅のほうでなるべく背景に馴染むようにと念を唱えながら人々を観察する。
扇を口元にあてて高らかに笑う女の人、出された料理に舌をならす男、熱っぽいまなざしをすれ違う人々に送る娘、それから中央で踊る人。
夢のなかのような、そんな空間だ。
(わたしとはちがう世界の人たち)
きらめくライトの下で、なんの躊躇もなく華やかに輝ける。
アルだってそうだ。彼は王子さまなのだから。
どうして仮面舞踏会に参加しようとしたのか。アルがセルジュを傷つけていないと立証したかったというよりも、自分の心を探れば簡単に答えは出てくる。ずっと認めるのが怖くて、認めてしまうことで拒絶されることを恐れていたから。
一目でいい。一目、見たい。
そうして、自分の気持ちをたしかめてみたい。
そんな想いが、ふつふつとスーの胸にはわいていた。
――と、そのとき。
スーは見つけてしまった。仮面をつけた彼の姿が会場に現れるなり、すぐにわかってしまった。
(アルさま……)
きらきら輝くブロンドの髪は濃紺の衣装によく映えている。目元だけを隠した白い仮面。その仮面の目からは水色の涙の雫がこぼれている。
(どう、しよう)
わけもなく心臓が早鐘をうつ。見える口元にうっすら笑みを浮かべた王子は、それがつくりものの笑みであるにも関わらず人を引き付ける魅力がある。
会場にいる客人それぞれが彼の登場に目を奪われた。仮面をしていようと、アルティニオス王子の存在感は希薄になどならないのだ。
もっとそばに行きたい、彼の『ほんとう』が知りたい、そのためにやってきたのだ――けれど。
(や、やっぱりだめ!)
顔を隠していても、どうしても近づけなかった。
†+†+†+†+
人々が思い思いにダンスを踊る。アルはやはり人に囲まれていたが、妃の存在があってか、ダンスを申し込む娘はいなかった。
一方スーはなんとか近くまでやってきたものの、一歩が踏み出せないでいた。
(やっぱり帰ろう……一度城を追い出されたんだもの……)
アルは終始笑顔だ。スーがいないからどうこう変わるものでもない。
いったい自分はなにをしにきたのか。セルジュたちを襲ったのはアルではないと証明したかった。そして自分の心を知りたかった。だが、それはあまりに突発的だ。
(わたしは、馬鹿だ)
ただ悲しくなるだけだ。変装しているのに、気づいてほしいなどと……。
踵をかえし、その場をあとにしようとした。そのとき。
(ええっ)
ダンスを踊っていた人と軽く肩がぶつかった。その拍子に、あろうことかスーはバランスを崩し、自分の身体が傾いていくのをスローモーションで感じていた。
あせりと驚きで頭が真っ白になる。そして――想像どおり、彼女は転んだ。
ちょうど王子の目の前で。
(う、そ)
一拍の沈黙のあと、クスクスとした笑い声が響く。やだ、かわいそうなどと哀れみのかけらもない声がつづき、スーは顔を真っ赤にさせてうつむいた。
大失態だ。恥ずかしくて顔から火が出そう。穴があったら入りたいと切実に思う。
(もう、本当にわたしのばかっ)
よりにもよってアル王子の目の前で転ばなくてもいいのに――スーはうらめしい気持ちで自身の不運を呪った。
「……大丈夫ですか」
びくり、とスーは肩を縮めた。まさか彼から声がかかるとは思っていなかったのに。
いっそ知らぬふりをしてくれていれば……。
声など出せやしない。今は黒髪に仮面をつけているとはいっても、もしかすれば声でばれてしまうかもしれない。
目の前に手を差し出されたが、スーは「大丈夫です」の意味を込めて首を振った。
――だが――
(うわぁっ)
「怪我はありませんか?」
ひどくやさしい声。王子はおまむろに少女の腕をつかみ、立ち上がらせてくれたのだ。
勝手にすみません、と謝る彼に、スーはまた激しく首を振る。
やけに丁寧に扱われる。気を遣って声をかけてくれる。
慣れていない彼のそんな行為に、スーの頭はすでに許容範囲を超えていた。
驚異の美貌をもつ王子がこんな笑みを向けてくれる――貴族の娘が勘違いしたり、無駄に騒ぎ立てる気持ちがわかった気がした。
ふと音楽がやみ、次にゆっくりとした、けれど軽やかな別の曲が流れる。
(この、曲は……)
「では、無礼ついでに一曲踊っていただけませんか」
スーがほうけている間に去る機を逃し、なんと王子から誘いを受けてしまった。
「でもっ」
あわてて声をあげる。声は仮面でくぐもっていた。
アル王子は首を振り、やや自嘲的に笑った。
「今夜はなぜか、踊りたい気分だ……」
(アルさま……)
耳に届く音楽。この曲に覚えがある。はじめて彼と踊った曲だ。
なんの運命の悪戯か、ふたりは奇しくも再びこの曲を踊る。
†+†+†+†+
「一曲、踊っていただけませんか」
再度ダンスを申し込む王子。その調子は、まるではじめて会ったときのよう。仮面をかぶって本心を隠し、だれにでもやさしく、そしてだれにでも壊せない壁をつくって。
にこやかな笑みを浮かべてこちらに手を差し出すアルティニオス王子に、スーは戸惑いつつも頷く。
気がつけば、スーは彼の手に自らの手を重ねていた。
(大丈夫――わたしだってバレていないわ)
今は赤毛でもない。顔には仮面をつけている。
ふわりと、身体が舞う。なめらかな曲にのせて、王子とともに足は踊る。
まるで、ふたりだけの世界のように……。
(前も、こんなことがあったわ)
スーは踊りながら、ふと思い出す。舞踏会で、アルに連れられ踊ったのだ。
言うまでもなく周囲からは厳しい視線が飛んできた。今思えば、あれは一種の意地悪だったのかもしれない。
それでも……楽しかった。心は曲とともに高ぶり、跳ねた。
そして今もそれは変わらない。やはり気分が高揚とし、仮面の下で自然と笑みがこぼれた。
しばらくは夢中で曲に身を任せていた。
ふたりの姿は目立っていた。踊りながら、会場のみなが目を奪われる。
華麗な容姿のアル王子はさることながら、彼の柔らかいうつくしさを引き出す彼女はだれだと、相手の娘を気にする視線もすくなくない。
そんな周囲に気づかず、スーは楽しくなってきて思わず口元に笑みを浮かべた。
――と、ふいに視線を感じてそちらを向く。視線の先にはアルの顔があり、しっかりと目を合わせてしまった。スーはあわてたが今さらだし、なにより仮面をかぶっているのだから意味がない。
それでも、なぜかキツイくらいに視線をよこすアルに、スーはとうとう堪えられなくなった。
「あ、あの……なにか?」
「え?あ、いや、すまない」
見つめすぎていたことを自覚したのだろう。王子は苦笑をもらし、肩をすくめるそぶりをした。スーの問は結局ごまかされてしまったのだが。
楽曲がまた変わった。けれどアルは相手を変える気がないのか、くいと少女の腰を引いて、肩を抱く。密着する形となり、急激にスーの顔に熱が集まった。
(ち、近い)
内心は大慌て。変な汗でぐっしょりだ。
どうして離してくれないの、と混乱し王子を見上げたスーは、心なしか不満げなまなざしになったのだろう。口元に微苦笑を浮かべたアルが口をひらく。
「ごめん、もう一曲」
了解の意味を込め、スーは頷いた。
ぴったりとくっついた身体から熱がもれる。心臓の鼓動ははやくて、今にも腰が抜けそうなくらい恥ずかしい。
それなのに、別のところでスーはいやに冷静な自分に気づいた。
(アルさまは、わたしだって気づいていない。見知らぬ人にも、こうやって『笑顔』を見せる)
もちろん、偽りの笑みを。
取り繕う必要などないのに。自分はそんなものがほしいわけじゃないのだ。
(そう、これは全部まがいもの。全部全部、アルさまの嘘――)
それなのに。
(どうして、いつもの『偽りの仮面』とはちがうと思うのかしら)
いつもの、貴族の娘に見せる『王子』の姿ではなく。スーに見せる『アル』でもない。
今のアル王子はどこかちがう。
(すごく、寂しそう――)
今すぐ抱きしめて、手をぬくもりであたためて。
そうして、『大丈夫』と、『わたしはここにいるから』と伝えたい。
そんな衝動に駆られ、スーは無意識に奥歯を噛みしめ自分を律した。
曲も終盤にさしかかる。
あれから会話もなく、ただ音楽に身を任せ揺れていたふたりだったが、ふいにアルが口を切った。
「君は――」
見上げる。一回ひくりと口元を歪め、しかしすぐに彼はつづけた。
「いや、きれいな黒髪だな、と」
「……ありがとうございます」
スーの内心は複雑だけれど、なんとかなめらかに応答できた。
「……花は好きか」
それで会話は終わりかと思ったころ、また王子が言葉を落とす。腰にある彼の手に力が込められた気がして、スーはあわてて首を傾げた。
「は、な?」
「そう、なんの花が好き……?」
はな、は。
ふっと思考は遙か彼方を駆け巡る。月夜、暗闇、うつくしい金色、ガラスのような青、香りが鼻をくすぐる――金色のロケット。
「ラベンダー」
気づけば、ぼそりとこぼしていた。なにも考えず口をついて出た。出てから、たしかにその花に愛着があるのだと気づく。
「ラ、ベンダー……?」
一拍、彼の動きが止まる。ちょうど曲も終わった。タイミングからして、王子がスーの答えに動揺したのかダンスを終えるためにとまったのか微妙なところだったが、スーは途端にはたと気取る。
すべてがスーの目前でゆっくりと流れていた。
ダンスを終えパートナーと別れる人々。次の曲にいくために楽譜をめくる音楽隊の人々、それから微動だにしない王子。彼は力を失ったかのようで、スーはゆっくりと身体を離す。
周囲のざわめきを雑音とし、少女の耳はたしかに彼の声をひろっていた。
「ステラティーナ」
声は震えをもって響く。尋ねたようだが、声音には確信が込められていた。そしてその確信に戸惑っていた。
一歩後退る。逃げなくちゃ、という警鐘が一気に押し寄せてきた。
彼の腕がわずかに上がり、こちらに伸ばされかけた――その手が触れられる前に、スーはぱっと身体を翻し駆け出す。
後ろから引きとめるような声がする。けれどもう、構ってなどいられない。
耳がじんじんする。心臓が早鐘をうつ。
(どうして、どうして、どうして!)
会場を抜け、がむしゃらに走る。外へ出た途端、夜の空気が一気に肺にたまる。
(どうして気づいたの)
そのまま足をゆるめず、どこへ向かっているのかもわからないまま走った。
(どうして……わたしは……)
ようやっと歩をとめたのは、頬の熱をありありと実感したからだ。
どうして、と口に出してつぶやく。
名を、呼ばれた。それが、ひたすらに。
(どうして、うれしかったんだろう……)
答えのわかっている問いを、スーは意味もなく繰り返していた。
とうとうここまできたなぁ、と笑。
仮面舞踏会が書きたくて書きたくて仕方がなかったのに、
あまりじっくり書けなかった…自分の力量のなさになきたくなります(ぁ
あまあまにしたかったのに
カラぶった感じが否めない…←
追記:誤字修正。いつもいつもすみませんっ。