第七十ニ章 陥れられた召使
第七十ニ章 陥れられた召使
†▼▽▼▽▼▽†
目をあけると、そこには水色の空。
そういえば、はじめて王宮にあがったときも、こんな空だった……スーはゆっくりと深呼吸し、天を仰いだまま目をとじる。
(だけれど今わたしは、あのときとは真逆なんだ)
泣くまい。というよりは、涙さえ出ない。自分が感じているのが悲しみなのか怒りなのか、はたまた安堵なのか、はかりかねているのだから。
スーはモヤモヤを払拭するように頭を振ると、目をあけた。
相変わらず、空は、色を為している。
冷たくなった指先に息を吹きかけて、歩き出す。
(これから、どうすればいいの……?)
背後にそびえるカスパルニアの城を後にして、一包みの荷物を背負い、少女は城下街へと姿を消した。
それは、去ること三日前の出来事――。
アル王子がメディルサに宣戦布告した、という噂が広まっていた。大臣たちのなかには、アルを次期国王とは認められないとする不服の声もあるのだとか。とにもかくにも、城は険悪な雰囲気に包まれていた。
なにより、特に波紋を呼んだのは――スーにとってはすべての噂の元凶としか思えないのだが――シャルロ姫のことであった。みな彼女が正妃であるから声高には言えないが、それでも噂せずにはいられない。
フィリップの時代からいた、彼を慕っていた人物は気づいた――彼女の瞳が、あの亡国の王族のものであると。実際、スーはフィリップの右腕であった男・アーサーに、「あの姫の正体はなんなのだ」と聞かれたくらいだ。もちろん、スーだってそんなことわかりはしなかったが。
そしてもうひとつ、彼女には大きな要因があった――シャルロ姫は、ベルバーニ出身だったのだ。それも、ベルバーニの第ニ王女。
ベルバーニといえば、先にルドルフたちと手を組み、カスパルニアを陥れようとしていた国だ。だが、実際攻撃される前に相手が退いたため、衝突はなかったのだが。和睦のために姫を差し出すことはよくあることだ。今回もヌイストを通じて、正式にベルバーニの国王より申し入れがあったらしい。
ここでカスパルニアの人たちの意見が二分する。『ベルバーニはこちらを攻めようとした国だ、裏切られるかもしれないその国の姫を正妃になどできない』または『ベルバーニの軍力は欲しい。地の利もよく、豊かで国力もあるし、大きな力となるだろう』という意見。
アルはどう考えているのか。それは噂にも聞こえてこなかった。
(どう、思ったのかしら)
スーは気になって仕方がない。アルは、なにを感じたのか。
スーの祖国を売ったラーモンド家と手を組んでいたベルバーニ。その国の姫を妻に迎えることを。そして、スーと同じ、緑の瞳を見て――なにを思ったのだろう。
(なにも、感じなかったんだろうな)
当たり前のことだと知っている。たかが召使に、王子が心を乱すわけなどないのだ。
(それに、もう……)
スーはこの日、『アル王子の召使』から『シャルロ姫の侍女』へと変わったのだった。
(もう、わたしにはアルさまとの繋がりはないんだわ)
胸に手をあてる。首にかけた金のロケットを、ぎゅっと握りしめた。
†+†+†+†+
スーはシャルロの侍女として、彼女の部屋に控えていた。
花嫁としてお披露目されてから、城の者たちはこぞってシャルロに取り入ろうとしているようだ。意見のなかには『彼女を正妃にするべきではない』というものもあったのはたしかだが、しかし、シャルロは確実に『重宝すべき人間』であることもまた事実なのだ。品のない下仕えに言わせれば、『夫の手綱は女が握るもの』らしい。現金な彼らは、だから、彼女に気に入られようとしている。
大臣たちもそれは同じだ。オーウェンなど、お披露目パーティの翌日からは毎日シャルロへ顔を出すようにしている。それも、決してアルと鉢合わせにならないように。
オーウェンがシャルロを手駒にと考えていることは明らかだ。彼女を使い、アルを思いのままに操りたいのであろう。しかし、またシャルロ姫とて馬鹿ではない。スーが見る限り、彼女は聡明で、愛らしい笑顔の裏にはだれにも侵入を許しはしない壁があった。
シャルロはオーウェンの言葉に気をよくしているふりをしながら、逆に彼から上手く情報を引き出している。その姿をはじめて目にしたとき、スーは鳥肌がたったものだ。
大臣は「今日もお美しいシャルロさま」、「アル王子とお似合いで」などといつものようにシャルロを褒め称える。シャルロは柔らかい笑顔でお礼を言う。
「まあ、うれしいわ。あなたっていつも親切で素敵な方。ああ、けれど……最近、アルさまはお忙しいみたいね」
すこし眉をひそめ、心配だわ、とつぶやくシャルロ。オーウェンは大丈夫です、と自信たっぷりに胸を張る。
「以前お聞きした……ええっと、メディルサ大軍帝国でしたかしら?その国に宣戦布告したとか……」
「なあに。心配には及びませんよ。ただ、メディルサの王子が我が王子と会見しましてね。詳しくは言えないのですが……向こうの王が横暴なお方らしい」
「戦争などにならないかしら?」
「シャルロさまはわかってらっしゃらない!戦など起こっても、我らに負けはないでしょう。まだ未開拓の地もあります……海の向こうには砂漠の国もあるのだとか。力をつける前に潰して、領土を広げるには、戦はよい方法なのですよ」
終始心配そうに歪められていたシャルロの表情も、次にはパッと明るくなる。
「それならよかったわ。わたくし、カスパルニアが戦争で負けるだなんて、思いませんもの」
オーウェンが部屋を出ていって、しばらくしてから。ぽつりと、シャルロはつぶやく。
「戦に負けぬなど……どこからそんなバカみたいな自信がわくのかしら」
スーはただ、聞いていた。部屋の隅で、すべて。
暗雲が、城を覆いはじめたような気がした。
†+†+†+†+
その日も、スーはシャルロの部屋へ行こうと身支度を整えていた。髪を邪魔にならぬようにひとつに結い、首にかけたペンダントを見えないように服の内に入れて、部屋を出る。
静かだ。
廊下は少女の歩く靴音だけが響いている。それだけだ。
――ふいに、スーの足音に重なって、もうひとつ、コツ、と音がした。ぎょっとする間もなく、振り返ったスーにほほえみかけるヌイストが、そこにいた。
相変わらず、ワインレッドの瞳はなにを考えているのかわからない。口の端をきゅっと引き上げ、首をちょこんと傾げて口をひらく――その動作が、ふとだれかと重なった――。
「おやおや。かわいそうなスーお嬢さん」
スーがなにか思いつくまえに、答えるまえに、ヌイストはつづける。
「ひとりぼっちの気分は、どーですかぁ?」
ドキリとした。
そう。今、自分はひとりなのだ。
(けれど、心細いだなんて、言えない)
残ると決めたのは自分。居場所を、たとえつくれなくとも求めたのは自分。
スーは意を決したように、顔をあげてヌイストの顔を見上げる。
モノクルをくいとあげ、うれしそうに目を細めるドクター・ヌイスト。
思えば、最初から彼は不思議な人間だった。そしていまだ、彼の正体もきちんとわかるわけではない。魔術師とは、もともとそういう生き物なのだろうか?
スーは、自分が無意識に彼に対して苦手意識があったことを、瞬間的に理解した。アルにシャルロを妃にと勧めたのは目の前のこの男だ。『あなたは勝てるのでしょうか』と言って不敵に笑ったのは彼だ。
わけがわからなかった。けれど同時に、いやな予感は胸をしめていた。だから、苦手だった。
(どうしてこの人は、わたしに構うのかしら)
彼には話の脈絡がない場合が多い。今の言動だとて、まるでヌイスト自身がスーを独りに追いやったかのようだ。
いやだ、と思う。この人に、自分の気持ちを――寂しいと感じてしまう自分を――見透かされたくはなかった。
「……あなたも本当は寂しいのでしょう?」
なにも考えず口から出た言葉は、しかし、的を得ていた。声に出した途端、スーはそう感じた。
(そうか。この人は寂しいのだ。わたしと、一緒で――)
ワインレッドの瞳はかすかに揺れる。ヌイストは、ゆっくりと唇を、再度引き上げる。そこにきれいな孤を描き、首をちょこんと傾けた。
「ああ、きっと図星なのでしょう。ワタシは今すぐ、あなたを殺したくて仕方がなくなりました」
今度は少女の緑色の瞳が揺れる。戸惑い、不安、恐怖――。
さっと少女の白い手を引き上げ、ヌイストはそこにキスを落とした。
「あなたはとってもオモシロイ。こんな感情は、久々です」
目を見開いたまま動けずにいるスーをよそに、ケタケタと声をたてて笑うと、彼はそのままくるりと踵を返した。
(ああ、そんな)
愕然とした。スーは震え出すのを止めることができない。指先が氷のように冷たくなり、身を縮ませる。
たしかに、ヌイストを怒らせてしまったのだ。
ひらひらと手を振り、こちらをふり返った男の顔は、きれいな笑みで飾られていた。
「また会いましょう。――いつか、別の国で」
†+†+†+†+
ヌイストから意味深な言葉を渡されたスーは、しばらく恐怖から動けなかった。はやくシャルロのものへ行かなければと思うのに、足はすくんでしまう。
やっとのことで、シャルロの部屋へとつづく道を歩みはじめても、先ほどから震えは止まらなかった。怖くて、泣きたくて、たまらなかった。
(どうしよう……いやだ……ひとりはイヤ――)
目に涙が溜まりそうになったそのとき、金色が見えた。今、スーにとってほっとするような、いや、むしろ急き立てられるような、そんな色――アル王子の姿をとらえた。
途端に黒い恐怖はさっと吹き飛ぶ。
(アルさま――)
けれど、すぐに気分は沈んだ。アルがいたのは、シャルロの部屋の前であった。
彼もスーと同様に彼女のもとへやってきたのだろう。呆然とするスーに気づき、アルもこちらを見る。
久しぶりに、彼と目があった瞬間だった。
そんなことすらうれしくて、舞い上がりそうになる自分をなんとか諌め、軽くお辞儀をする。
「……なにをしていた」
頭上からふってきた声は、冷たい。怒りをはらんだ声だ。
「侍女が来ないと連絡が入った……部屋にもいないし――」
そこでアルは言葉を切る。なぜか声は震えているようだ。怒りか、それとも。
「侍女の仕事もまともに勤まらず、迷惑をかけるだけなら、この仕事から外すぞ」
スーは、顔をあげることができなかった。否、あげたくないのだ。
あの青い瞳がどんな色で自分を見おろしているかなど、知りたくない。彼はスーを切るとき、いとも簡単に切り捨てるのだろう。『明日からシャルロの侍女だ』という言葉さえ、アル本人からもらったわけではなかった。それなのに。
(捨てられる――)
いやだ。それだけは。
「……おい、どうし――」
「アルさまは」
主の言葉を遮り、スーは口を切った。視線は足元に向けたまま。それが無礼に値するとわかっていても。
「アルさまは、いらないのですか。わたしはもう、いらないんですか」
そんなことはない、必要だ――そう言ってほしかった。偽りでもいい。今、このときだけでもいい。なにを言っているんだ、と呆れてくれたっていい。鼻で笑って罵られても、また「俺の召使になれ」と言ってほしい。
ひとりは寂しい。いらないと言われることは、どんなことよりつらい。
だから――
「いらない」
答えは単純だ。
スーは顔をあげる。青い瞳は、苛立ちを映していた。
「おまえがいると、腹が立つ」
堰を切ったように、アルは言葉をつづける。
「乱される。感情がおかしい。だから、もういらない」
――こんな想いを、するくらいなら。
「三日猶予をやる。そのうちに、さっさと出ていけ」
シャルロ姫の部屋へ、アルは姿を消す。少女はただ、立ち尽くす。
自分がなにを言われたのか、半分も理解できない。ただ、わかったことは――
(わたし、捨てられたんだ)
城を出ていけ、と。解雇されたということだけは、理解できた。
いつもありがとうございます!
ここで、ひとつ宣伝を。
2月7日に、HPをすこしリニューアルして公開します!
PC用と携帯用で、新しく本館をたてまして……
その際には、『活動報告』にてお知らせします。
なろうでは公開していない記念小説や拍手小説なども新たに公開する予定ですし、
王国の花名関連では、パス付ですが、おふざけ小説みたいな『逆転もしも』などもリンクして繋げます。
王国学園編と題しまして、不良のアルくんやら生徒会長のウルフォンなどなど、いろいろ遊ばせています笑
是非、遊びにいらしてください!
では、2月7日に、お暇つぶしにでもどうぞv




