第六十四章 忘れたい過去
第六十四章 忘れたい過去
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夢をみた。
いや、これは過去だ。過去の記憶だ。
アルは怯えていた。ランスロット以外の人間と剣を交えるのははじめてだったから。
「大丈夫、アルはうまくなったよ」
黒髪の少年は、軽く笑って励ましてくれた。だが、アルはふるふると首を振る。
競技場に立つ、三人の人物が自分を待っている。あきらかに自分より年上で強そうな男がふたりと、立会人のような少年だ。
「無理だよ。勝てるわけないじゃないか!僕はおまえにだって勝てないのに……」
すると少年は、眉をひそめて応える。
「当たり前だろ!俺はおまえの第一騎士なんだから!俺がおまえより弱かったら、護れないじゃないか」
う、と言葉につまり、アルは小さい手をぎゅっと握りあわせ、唇を噛む。
ランスロットはやれやれと肩をすくめると、幼いアルの手をやさしく包み込んだ。
「負けてもいいから、がんばってみろよ。なにもせずに逃げるなんて、臆病者と一緒だ。それともアルは、まだ弱虫だと言われたいのか?」
アルは騎士を見上げた。唇は白くなるほど噛まれている。
やがてアルは、首を横に振った。
「よし、じゃあ、とっておきを教えてやる」
ランスロットは満足げに笑うと、こそっとアルの耳へ口を寄せた。
「いいか?おまえが対戦するロイは、たしかにおまえより年上だ。だけどひょろっこいから、力がない。その分、鋭い突きをしてくるだろう」
アルはぶるりと震える。それなら無理だ。自分自身だって充分、非力な部類に入るのに。
「だが、おまえのほうが素早さがある。まだアルはチビだし、それを生かして相手の懐に飛び込め」
チビという言葉にいささか引っかかったが、アルはとりあえず気にしないことにした。
「で、次はグレイクだ。あいつには勝てないと思う。だけど可能性はある……奴は見るからに大きいだろう?力もあるし、剣の腕前もかなりのものだ」
ランスロットは深く頷きながらつづける。
「そこでおまえにできること――それは、演技だ!弱いと見せかけ、油断したところを狙え!」
そう言ってにっこり笑う騎士を見て、アルは殺されると思った。作戦とは言い難い彼の『とっておき』は、アルにとって恐怖を倍増させるものでしかない。
もうあきらめよう。あきらめて腹をくくり、勝負どうこうより、とりあえず生き延びよう……そんなふうに考えはじめたアルに構わず、ランスロットはつづける。
「で、最後に戦うのが、ユリウスだ」
アルはランスロットに示されたほうを見た。ユリウスという少年はちょうどアルと同じような歳ころで、背は小さく小柄だ。オレンジ色の髪が目立つ。勝気な顔つきだが、どこかおどおどしており、騎士には到底思えない。
アルは目を見開いた。まさか、彼とも戦うとは考えていなかった。彼はお付きの人間かとばかり思っていたのだ。
「あいつはたしか、商人の息子だったな……一見弱そうだ。というか、実際弱い。だけど俺は、奴がいずれいちばん強くなるだろうと思う」
アルはランスロットを見上げた。彼はユリウスをながめながら、うれしそうに目を輝かせている。
ごくんと生唾を飲み込み、アルは改めて第一騎士のすごさを知った。
ランスロットの言葉はただの勘かもしれない。実際、本当のことにはならないのかもしれない。けれどアルには、彼を疑うということは頭になかった。
ランスロットはすごい。こいつがそばにいてくれれば、きっと僕も強くなれる――幼いアルは、わくわくした気持ちでそう感じたのだった。
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金属の切っ先が互いにはじかれ、ぶつかり、響きわたる。
目に見えんばかりの火花を散らしながら、ひとりは余裕の笑みを浮かべ、ひとりは眉間に激しく皺を寄せて剣を交じらせている。
「オラオラ!どうした?俺に負けるのが怖いのかよ」
「ハ!ただの馬鹿力に言われたくないね」
言うや否や、少年はその小柄な体格に似合わず、鋭く切れのある剣をさっと一振りし、相手の髪をハラリとかすらせる。
攻撃をよけたオレンジ髪の少年は、フンと鼻で笑うと、すぐに激しい肘撃ちをみぞうちへ食らわせ、そのまま休みを与えずに剣をひねって突き立てる――が、小柄な少年はにやりと笑むと、すべての攻撃をかわして払いのける。
「くたばれガキ!」
オレンジ色の髪の少年は、自分の身体より若干大きめな剣を震い、撃ちこもうとする。
「そこまで!」
しかし、その剣は相手に届くまえに、鋭い声によって遮られてしまった。
「なんだよ!止めるなよ!いいところだったのに!」
犬のように吠え、オレンジ髪の少年は声の主をにらみつける。
「これ以上やる意味がない。ユリウス……おまえ、また力にばかり任せていただろう」
声の主、ランスロットは、冷ややかに告げる。また、ユリウスと呼ばれた少年はさらに顔をしかめた。
「うるさいなあ!騎士見習いでもない、牧師の息子になんか、負けてられっかよ!」
「アンタは商人の息子だろ。すぐ頭に血が上るから、兄貴は怒ってるんだよーっだ」
べーっと舌を出し、ふんわりした黒髪の小柄な少年がランスロットの背後にまわって口をひらく。
(……だれだ?)
アルは城の柱の陰からその様子をのぞいていた。
ランスロットは最近、騎士見習いの少年たちの稽古をつけているらしい。アルもまたに混ぜてもらい、大勢のなかで剣を振るうことには慣れたものの、まだよく馴染めずにいた。
ふとランスロットのあとをつけてみれば、見知った顔の少年がいて、彼が見知らぬ少年と決闘をしていたものだから、ついつい目を奪われて見ていたというわけだ。
目立つオレンジ色の髪の少年――ユリウスは、アルがはじめて検で勝った相手でもあった。
同じ日に対戦したグレイクやロイには尽く惨敗してしまったが、歳ころの同じユリウスとは引き分けの延長戦へと持ち込み、なんとか勝てたのである。
そんなわけで、それからアルはすこしずつ剣の腕に自信が持てたのわけだが、負けたユリウスは屈辱だと言わんばかりに悔しがった。
彼はそれから人が変わったように剣に励み、今では昔のように対戦前におどおどすることなく、逆に自分から闘いを挑むまでに勇ましくなっていた。
「うるせぇ餓鬼だな。おまえは俺よりチビなんだから、黙ってろよ」
「え?それ、身体の年齢的な意味?それとも精神年齢的な意味?後者だったら僕のほうがマシに思えるんだけど」
「なにをこの減らず口!だいたいおまえは――あ!」
新顔の少年と飽きずに口論していたユリウスであったが、ふと目の端に金色をとらえ、パッと顔を輝かせた。
「王子!」
厳めしい顔つきの彼が笑うと、口元から八重歯がのぞき、途端に愛嬌のある表情になる。
アルは目ざとく見つけたユリウスに肩をすくめながら姿を現した。
「アル、おまえ、舞踏会の準備じゃなかったのか」
ランスロットが振り向きざまに問いかけると、アルはさらに肩をすくめた。つまり、面倒だから抜けてきたというわけだ。
やれやれと第一騎士がうなだれるのも構わず、八重歯を惜しみなくさらしながら、少年はアルに挑発的なまなざしを向けた。
「なあ王子さま。仮面つけて可愛い姉ちゃんと踊るより、俺と楽しい楽しい決闘でもしないかい?」
ニヤリと笑うユリウスは、古臭い口説き文句をかます男のようだが、アルは気にすることなく差し出された剣をつかむ。王子はもちろん、色恋求めて舞踏会に想いを馳せるより、むさ苦しい男たちのなかで剣をぶつけ合って汗を流すほうが好ましかった。
「――王子さまって、噂と随分ちがうんだねェ」
ユリウスとアルの決闘をながめていたランスロットに、黒髪の――先ほどユリウスと口論していた――少年が尋ねる。
「兄貴も知っているだろう?王宮はじまって以来の出来損ない……兄弟王子のなかでいちばんの愚弟」
まるで猫のようにランスロットの腕に頬を寄せて、少年はつづける。
「姿ばかりは母親に生き写しで眉目麗しく、されど頭が悪くて覇気もない。王族たる素質なし……っていうのが数年前までの噂。最近はちがうみたいだけど」
コバルトブルーのたれ目がちな眼をくりくり動かし、少年はあまえるように喉を鳴らす。
「しかし近年、王子は剣術の腕をあげ、文武両道に励んでおられる。彼の容姿には磨きがかかり、だれもが目を引くうつくしさ。だけれど瞳は感情がないが如く凍り、その容姿すら呪われた子供のように気味悪い……ってさ」
最近の噂とやらとつらつらと述べ、少年は満足したように笑った。愛らしい瞳をぱちくりさせ、彼は「それで実際はどうなの?」と首を傾げてくる。
しかしランスロットは知っている。この少年の見た目に騙されてはいけないのだ。純情無垢そうに装ってあまえてくる少年の性格を知っている騎士は、ふう、と深くため息をついた。
「……俺にその攻撃はきかないぞ、セルジュ」
そしてガシガシと頭を撫でてやり、応じる。
「そうだな……おまえも王宮の騎士になるつもりなら、おまえ自身で見極めるべきじゃないか?」
やさしく笑って言うランスロットに、セルジュは「ちぇっ」と舌打ちして、それでもどこか満足気に口角を引き上げた。
勝負の行方がついたようだ。
どちらも肩で息をするほど呼吸を乱している。アルの場合そんな姿を見せるのは、ランスロット以外にはめずらしいことだ。ユリウスはがくりと尻をつき、空を仰いで吠える。
「だー!もう!また負けた!」
ぐしゃぐしゃと髪をかきまわし、顔を歪める。そんな彼を一瞥し、そのまま自分の荒れた呼吸をなんとか整えようと細く長く息をはいたアルは、ふと怪訝な顔をした。
ユリウスもセルジュも、そんな王子の姿にきょとんと首を傾げるが、どうやらランスロットだけは意味に気づいたらしい。めずらしくくすりと苦笑する。
「……疲れた。帰る」
バツが悪そうにそう言ったあとで、アルはたっぷりとランスロットをにらみつけると、さっさと城へと踵をかえしてしまった。
舌うちしてユリウスは「勝ち逃げかよ」とぼやき、セルジュはなにか考え深気にしている。ランスロットに言わせれば、アルは呼吸が乱れるのを忘れるほど夢中にユリウスと剣を交えていた自分自身に驚いていたのだろう。
「くそー。なんで俺は……牧師の息子にも馬鹿にされるし……」
「僕は才能があるからね。元・商人の息子には器用な真似ができないのさ」
べ、と舌を出すと、黒髪の少年はあどけなさがまだ消えない顔でにっこりと笑う。今日会ったばかりだというのに、ユリウスを挑発するのがとても楽しいらしい。
「ユリウス、おまえはもうすこしカッとなるクセをなくせばいいんだ」
「へいへい。ランスロットなんか俺と同じくらいの歳なのにさ。そうやって俺の師匠になれるほど強ぇんだからなあ。あーあ。世の中って不公平」
「おまえらしくもない。それに俺は、おまえより年上。おまえはアルと同い年だろ?」
「ひとつ上」
ぽつりとつぶやくように答えたあとで、ふう、とユリウスは息をはき、自分の頭をガシガシたたく。
「こんなんじゃ、なにも護れねぇな……せめて王子より強くならなきゃ、な」
ランスロットはこちらを見上げる少年に目を細めると、手を差し出して、彼が立ち上がるのを助けた。
「――ユリウスは、強くなる。力もあるし、冷静さを失わなければ、器用な剣術だってできる。おまえがよくずる賢いという小道具を使った罠や攻撃だって、立派な戦術だ。相手の判断力を鈍らせたり、ときには自分の命を救ってくれることもあるんだから……視野を広く持てよ」
「それ、自分で学んだワケ?」
「……父の受け売りだ」
ユリウスはくっくっと笑うと、ふっきれたようにぐんと伸びをする。もう日は暮れようと、赤く燃えて沈みはじめている。
それまで黙っていたセルジュは、ひとり納得したように大きく頷くと、いきなり駆け出した。びっくりするランスロットとユリウスをしり目に、彼はすこし離れたところで振りかえると、大きく手を振って叫んだ。
「僕、考えてみるよ!王宮の騎士見習いになるかどうか!」
にっこりと愛らしい笑みを浮かべたまま、彼は足を再度進める。
「アル王子が十五になる前には、たぶん、ユリウスなんかに負けてないからね――」
黄昏。ゆるやかに時は過ぎていく。
セルジュの背めがけて「ふざけるな」と声を荒らげながらも、ユリウスの表情はどこか楽しそうだ。ランスロットも暮れゆく天を仰ぎ、ほほえんでいる。
城の窓から、そんな三人の様子を始終ながめていたのは、ブロンドの髪の王子。夕焼けの光に、金色が赤く染まって、きらきらと光っている。
ゆるやかに、ゆるやかに。ふとしたやさしい時は過ぎていく。
ゆるやかに、過ぎ去っていった――。
このお話のつづきとして、
つどいし夜の宴の譚(短編集)のなかの、【黄昏の少年たち】があります。
こちらも読んでいただけると幸いです。
よろしくお願いします。