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王国の花名  作者: 詠城カンナ
第二部 『海賊編』
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第五十九章 屋敷での日々



第五十九章 屋敷での日々




†▼▽▼▽▼▽†



 大きめのケースに衣服や生活必需品を詰め込み終わり、スーは額の汗をぬぐう。やっとできた。

 ケースふたつにできるだけ多く収納でき、スー個人は満足だ。これでしばらくは間に合うだろう。

 今、少女は屋敷で暮らす準備を行っていた。どれくらいドロテアが滞在するのかはわからないが、それでもしばらくはかかるだろうと思い、スーは彼女につきっきりで生活するつもりだった。もちろん、ドロテアの許す範囲でだが。

 そのためにも、しばらくの間は城内へ戻ってくることはないだろう。同じカスパルニア城の敷地内とはいっても、屋敷は外れにある。いちいち城の自室へ戻ってくるのも一苦労だ。だからスーは居住を移す気持ちで準備をしていたというわけである。

(でも、なにをすればいいのかしら)

 妊娠の経験などもちろんないスーは、なにが必要なのか皆目わからない。しかし、ウィルによればアルが内密に産婆を雇ってくれたらしい。城付きの人間ではウィルもドロテアもなにかと気を遣うだろうと、国民のなかから優秀な人材を内密に選んだのだとか。

 とにかく、自分は乳母がくるまでは精一杯ドロテアの役にたとうと決意するスーであった。



「おい、準備できたか」

 ふいにノックもなしに部屋の扉が開かれ、ガタイのいい男がぬっと現れた。

「あっ、はい」

「じゃあ運ぶぜ。お嬢ちゃんじゃ、無理だろ」

 フンと鼻をならして気合いを入れたカインは、到底ひとりでは運べそうになかったふたつの衣装ケースを軽々と脇に抱える。そうしてそのままズカズカと歩き出した。

 ぽかんと口をあけていたスーは、あわてて彼を追う。馬鹿力とはこのことだと確信した。

「それにしてもよ、お嬢ちゃんがいてくれて心強いぜ」

 少女がひょこひょこと歩いてきて、自分の隣までくるのを待ってから、カインは口を切った。

「ドロテアも女だからなあ。俺たちじゃ、気づいてやれないことも多いからな。しっかり頼むぜ」

「はい!」

 スーはにこっと微笑する。期待には大いに応えたい。

 カインはそんな少女を穏やかなまなざしでながめてから、視線を前方へと戻し、どこかぼんやりとして言った。

「……ウィルとドロテアの子供ガキか。レオも知ったら、腰抜かすだろうな」

「驚きそうですね」

 スーもレオの驚愕する顔を想像し、クスクス声をもらす。レオは驚くだろう。そして必ず、よろこぶだろう。お祭り騒ぎにするかもしれない。

「おめでたいですね……本当に」

 暗いことがあった。王子暗殺を目論んでいたのが大臣と側近で。しかも、大臣は計画を立てたのはアル王子の母親がはじめだと言っていた。つまりそれは、フィリップに刺客を差し向けたのはアルの母親ということになる。

 そんな、まだ解決もしていない暗い出来事や問題の最中――この知らせはすくなくとも人々によろこびを運んできた。新しい命、それは無条件で感嘆に値する。

 すこしずつ、明るい未来に近づいていく……そんな兆しにも思え、スーはさらにうれしかった。

「はじめてレオが俺たちと会ったときはな……あいつ、今よりずっと女に見境なくて」

 カインが唐突に笑いながら語り出す。思い出し笑いなのか、苦しそうに笑い声を必死で堪えているようだ。

「一目見た瞬間、ドロテアを口説きにかかってよ。で、ウィルに即、肘鉄食らってたな。いや~、あれは傑作傑作!」

「……はあ」

 ついつい間抜けな返事をしたあとで、これまたついついカインの話を想像してしまった。

 目を光らせ、あの強気なドロテアに甘い台詞で口説く若きレオ。そこにドロテアがなにも言う間もなく、あの穏やかでやさしいウィルの肘がすばやい動きで鋼鉄のごとくレオの頭にのめり込む。涙目で呻くレオ。害虫を排除したウィル。そしてきっとドロテアは飽きれ顔なのだろう……そんな光景が容易に想像できてしまい、スーは思わず吹き出した。


(兄さまって本当にドロテアさんのことを好きなんだな)

 うれしいような、けれど羨ましくすこしばかり寂しいような気持ちで、スーは思う。

(大切にされているんだな)

 そう、ドロテアは大切にされている。海賊たちからも、港町の女たちからも慕われ、そしてウィルという男性から愛されている。

 もしかすれば、人はドロテアやウィルたちを不幸だと言うのかもしれない。もしウィルが第一王子であったならば、彼はさまざまな権力や栄光を手に入れただろう。ドロテアとは結ばれることはなかったかもしれないが、もしふたりが愛を貫き通したなら、彼女は王妃になれるはずだった。それなのに、今では第一王子は海賊に身を落とし、恋人もその子供も王族の血を持ちながらそれを語ることは許されない――悲劇だ。不幸だ。かわいそうだ、と。

 だがどうだろう。彼らは実に伸び伸びとし、充実し、幸せそうだ。彼らに不幸は似合わない。どこでもしたたかに、そして最愛の人の隣で生きていく至上最高の幸福を手に入れたのだ。

 スーには彼らが羨ましかった。





†+†+†+†+


 屋敷ではスーにも個室が与えられた。ドロテアの隣の部屋で、それなりの広さがある。ベッドも丸い小テーブルも全身を映す楕円形の鏡もあり、しかもバルコニー付きだ。

 定期的に清掃していたとはいっても、しばらく人が使うことがなかった屋敷の部屋は埃くささがある。スーはベッドへダイブして、その硬い雰囲気に慣れようと目をとじた。

 今日からしばらくここが自分の居場所だ。

(……さて、準備しちゃいましょう)

 ぐんと伸びをして起き上がると、スーはさっそく荷物を詰め込んだケースの整理に取り掛かった。

 今回は得になにも考えず、急いであるものを詰めてきた。エプロンドレスや動きやすい侍女の衣装まである。

 スーはあまり派手な色は好まない。髪が燃えるような赤であるため、いつもすこし暗めな色や薄い色の、髪の色を刺激しないような色を選んでいる。

(シルヴィやローザは、わたしを着飾らせたがったけれど……あら?)

 そこでふいに、感触のちがう布を発見した。見れば、それは脱獄時に着ていたマントだった。あわてて収納してきたため、必要ないマントまで紛れ込んでいたらしい。

 マントなんて使わないのに、と思いながら、つい懐かしくなって取り出す。牢屋にとじこめられ、男装し、海賊船に乗り――実に波瀾万丈な冒険を繰り広げてきたように思う。まるで遠い昔のことのようだ。

(……でも、他になにか大切なものが……あっ)

 思い出した。唐突に、スーは思い出した。思い出したと同時に、マントから滑るように固いなにかが落ちてきた――金色のロケットだ。


「……アルさまのロケット……!」


 愕然とする。今まで、自分はすっかりと忘れていたのだ。アルに返さなければならないのに。

 たしかに、あまりに多くのことがありすぎて、頭からロケットのことなど吹っ飛んでいたのは事実だ。 いつも首からさげていたのだが、船の上では潮のにおいもきつく、また強風でラベンダーの香がすぐに散ってしまうため、懐へ隠し持つようにしていたのだ。

 いつか再会したらアルへ返そう――そう思っていた。だが、海賊船では当人が現れるし、死んだと思っていた兄が現れるしで、ロケットどころではなかった。それにすぐに城での陰謀があきらかになり、スーはすっかり忘れていたのだ。

 それにしても、だ。こんなに大切なもののことを今まで忘れていたなど、言語道断。自分でも信じられない。

(わたしったら、なんてことを……アルさまにお返ししなければ……)

 掌で冷たく光るロケットに目を落とし、スーの気分は沈む。

(それに、なぜアル王子はわたしにこのロケットを預けたのかしら……)

 大切そうだったことは確かだ。大事そうに握りしめていたのを見たことがあるし、いつも彼の近くではラベンダーの香が漂っていた。

 スーは金色のロケットから放たれる懐かしい香をかぎ、目をとじる。

 故郷の香。自分にはない、失われた帰るべき場所。どんなに願っても、二度と手に入らない、戻らないもの――。

 なぜか唐突に泣きたくなった。もう無駄に泣きはしないと決めたはずなのに、と思いながらも、涙ぐむのを止めることは叶わない。

 最近の自分は変だ。なにか心のなかで、シコリのような暗いものが居座っているのだ。

 そして連動するように、様々な不安が膨張して襲ってくる。

(なんだろう。このモヤモヤはなんだろう。いつからだろう?)

 落ちる涙を手の甲でぐいぐい拭いながら、スーは考えていた。

 いったいなにが、自分をこんなに困惑させているのだろう――と。






†+†+†+†+


 ここにきて、いくぶん海賊たちには時間ができたようだった。城でもそろそろ混乱から抜け出し、動きはじめたということだろう。新たな人材が採用され、民たちは住家へ戻り、また以前のカスパルニアのように働き出そうとしているということだ。

 もちろん、国の情勢はスーが思うほど生温いものではなかったのだが、とにもかくにも、ウィルたちの力を借りなくてもいいくらいには起動しはじめたようだ。

 屋敷へ移って、スーは驚くほどのんびりとした時間を過ごしていた。ドロテアの調子もよく、なるたけ穏やかに過ごさせてやろうとしているのか、海賊たちもとりわけ静かである。とりとめてスーがやらなければならぬこともないので、スーは日々ドロテアと話をして過ごしていたというわけだ。

 この日も例外ではなく、スーはドロテアの部屋で会話を楽しんでいた。

「ティティはね、ウィルが怪我しているところを見つけたのよ」

 ドロテアが肩にのった小猿に手をやりながら、くすくすと笑う。

 話は昔の出来事が多く、スーはこうしてウィルとの埋められなかった時間を物語のように聞いていた。

「このコ、赤毛でしょ?」

 ふいに悪戯っぽいまなざしをスーへ向けて、ドロテアは尋ねる。そしてスーが猿を見つめてこくんと頷くと、くすくす笑いを再開した。

「ウィルが最初、ティティのこと、なんて呼んでいたかわかる?」

「……いえ」

 なんだろうと訝る少女を、ドロテアは満足そうにながめる。そうして小猿の頭をかりかりかいてやり、懐かしそうに目を細めると口をひらいた。

「『スー』よ」

 ドロテアの声は、穏やかだった。彼女の目はなんとなくおもしろがっているように見えるのは気のせいではないだろうが。

「か……からかわないでください!」

「本当のことよ?ウィルったら、ティティの赤毛を懐かしいって言ってね……あまりに大事そうに呼ぶものだから、軽く嫉妬しちゃったわ」

「……そ、そうなんですか」

 言わずもがな、スーの心境は複雑だ。自分のことを考えてくれていたことはよろこぶべきことだし、本当にうれしい。だが。

「まるで『どこかのだれかさん』みたいよね。めったに会えない人を想って、ペットに名前をつけるなんて……」

 くすくす笑いながらドロテアはそう付け加える。

 すこし考えてから、スーの頭のなかに青い翼をはためかせたうつくしい鳥と、同時に両手を大きく広げて「あ~に~う~え~」と辺りに花を散らしながら駆け寄ってくるウルフォン王子が思い浮かんだ。たしか、彼のペットの名は『レオン』だ。

 スーは身震いし、赤毛猿の丸々した目を見つめながら、やはりウィルがこの小猿を自分と同じ名前で呼んでいたことを手放しによろこべはしないと思った。

「……ずっと思ってたんだけれど、首にかかっているのはだれかからの贈り物?」

 ふいにドロテアが言う。スーは彼女に示された、自分の首にかかる金色のロケットに目を落とし、曖昧に頷いた。

 屋敷にきてから、スーはこのロケットを身につけるようにしていた。アルに会ったとき、いつでも返せるように……。



「なんだか今日は蒸し暑いわね」

 スーがもじもじと視線を泳がせたので、ドロテアは話題を変えるべくそう言って軽く伸びをした。スーは急いで部屋の窓をあけて、風通しをよくする。

 空はわずかに曇っている。遠くから灰色の厚い雲が迫っているのが見えた。

「……ねえ、アルさまって、どんな方?」

 明日は大雨だろうか、などと考えていたスーは、一瞬彼女の言っていることが理解できなかった。あわてて我にかえり、ドロテアを振り向く。

 彼女の瞳は深い紫色だ。穏やかで深く、海の宝石のような色。亜麻色の髪によく映えていた。

 このときの彼女の眼は、いつになく鋭かった。瞬間にスーは、彼女はずっとこの話題――今から話そうとしていること――をしたかったのだと、直感する。

「もしもの話よ?」

 スーが言い淀んでいると思ったのだろう。ドロテアは目をふせて、わずかに笑みをもらして口を切った。

「もしもフィリップ王子さまがご健在であったならば……きっと彼は、わたしのために行動をとると思うの」

「それはどういう……」

「彼は国よりも、心をとるということよ」

 今度はスーの目をじっと見つめてドロテアは言った。

(たぶん、ドロテアさんの言葉は正しいわ。兄さまはやさしいから、人の心をなによりも大切に思うはずだもの)

 スーは誇らしい気持ちで思うのだ。フィリップならば、すばらしい王になっただろう、だれもが認める王に――

「でもそれは、決して王としては相応しくない行動なの……フィリップ王子という人は、ひどく王さまに向いていない方なのよ」

 ぎょっとして、スーはまじまじとドロテアを見つめてしまった。彼女が愛するフィリップを悪く言うはずがない。それなのにどうしてそんなことを口にするのだろう。

 亜麻色の髪をはらい、麗しの女海賊はニッと笑った。

「彼もそれがわかってる――だからウィルは、アル王子さまに『もう王位を継ぐ気はない』と言ったのよ」

 少女は混乱した。兄とも慕ったフィリップ王子は、最良の王ではなかったのか?やさしい、すばらしい王になれる人物ではなかったのか?

 眉間にシワを寄せて、一生懸命考え込んでいる少女を見て、ドロテアは穏やかに告げた。

「王さまってね、やさしいだけじゃだめなのよ。時には非情な選択をしなくちゃいけない」

 一旦言葉を切り、ドロテアはふと遠くを見つめるような顔でつづける。

「たとえそれが、恋人の知人であったとしても……罪人ならば、裁かなくてはいけない……死刑であっても、その宣告を下さなければならない」

 ハッとして、スーは目を見開く。ドロテアの言わんとしていることが、ようやっと理解できたのだ。

 今回の反逆に関わった罪人たちのなかには、スーの親しいと思っていた人間もいる。そしてたぶん、ドロテアにも。

 詳しくは聞かなかった。けれどドロテアにとって、どんな意味であれ、デジルという人が大きな存在であったのはたしかなのだろう。殺されそうになったのに、今でもその気持ちは変わらないのだろう。

「フィリップさまならね、あたしの昔馴染みであるデジルをなにかの方法で逃がしちゃうと思うの。たぶん、あたしがそれを望んでいるから……」

 だから彼は、王には向いていなかった。

(でも、アルさまは……)

 クリスはどうなるのだろう。そして、リオルネは。

 アルはどうするのだろう。彼は正しいと知れば、どんなに非情な選択もとれるのだろうか。

 無言でうつむいた少女に、ドロテアはさみしそうな笑みを見せて、そのままつぶやいた。

「あたしには、なにもできないのよね。どんな経緯があれ、デジルは王子さまを殺そうとしたんだから……わがままは言えないわ」

「ドロテアさん……」

「……ごめんね、変なことを話してしまって」

「いえ……」


 空気は重い。どうにかしようと思うが、沈んだ気分はすぐにはよくなかってくれる気配などない。

 するとドロテアが、スーを元気づけるようにふと明るい声を発した。

「そうだわ!今日ウィルは非番よ。もしよかったら、彼を訪ねてみてくれないかしら」

 ウィル、という名前に、スーは胸を高鳴らせる。そしてやはり自分は彼を慕っているのだと実感し、心のうちで苦笑した。

「夜にはここにきてくれるって言ってたけれど。せっかくなんだから、スーもウィルとの時間を楽しめばいいわ。ふたりきりで話したいこともあるでしょ?」

「でも……」

「せっかくアル王子さまがくれた時間よ?今存分にあまえないで、どうするのよ」

 ドロテアはにこにこしながら、亜麻色の髪を振った。

「あたしのことは気にしないで。赤ちゃんだって今すぐに生まれるわけではないのだし……ウィルだって、本当はあなたともっと話したいはずよ」

 スーは顔がほころんでしまうのが止められなかった。うれしい。ウィルと話せる。話したい。もっともっと、そばにいたい。

 あまえすぎるのはだめだ。それはわかっている。ただ、スーは自分のたったひとりの家族として、せめてもうすこしだけ、そばにいたいのだ。

 いずれ彼は城を離れ、海賊として生きていくだろう。それまでは、もうすこしだけ。

「遠慮なんかしちゃだめよ?言っておくけれど、ウィルはペットにあなたの名前をつけたがるほど、妹想いなんですからね」

 悪戯っ子のように舌を出して笑うドロテアに、小猿のティティもキャッキャッと笑いながら手をあげて応えた。

 スーの心は決まった。あまえさせてもらおう、すこしだけ。

 ウィルと話せる――それだけで、暗く沈んでいた気分はきれいさっぱり吹き飛んでいた。





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