第五十六章 道化師の埋葬
第五十六章 道化師の埋葬
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窓からこぼれるようにさしていた光も、いつのまにか消え失せていたようだ。薄い暗闇になりつつある部屋は静寂を守り、時だけが刻々と過ぎていく。やがて永遠とも思える時間が過ぎてから、ようやっと重々しい口をひらいたアルは、実に簡潔に言葉を紡いだ。
「貴公はメディルサの王になれ」
短い言葉、されどそこに込められた想いは深いものだとわかる。アルはにらむように目をあける。
「な、なにを……」
「俺はこの国の王になる」
ややうろたえを見せるウルフォンに対し、アルは動揺することなくきっぱりと言い切る。
ウルフォンはそんなアルをじっと見つめかえした。
そうして、なにか言おうと彼が口をひらいたその瞬間、ドアをノックする音が聞こえ、ウルフォンの声が発せられることはなかった。
「アルさま、ウィルさまがお越しです」
代わりに、外からランスロットの声がする。アルはわずかに眉をひそめたが、すぐに応じて部屋に通すよう命じた。
現れたウィルの表情は硬い。彼には似つかわしくない難しい顔をして、一瞬のためらいの後、部屋に入ってくる。
「話があるんだ」
「今すぐにですか」
「早急に、だ」
アルの表情からも感情は読めない。ウィルと同じくらい硬い表情なのはたしかだが。
アルがウルフォンに頷き、話を聞くという意思を見せたことを確認すると、ウィルは前置きも早々に口を切った。
「僕はレオほどではないけれど、『彼』の気配を感じることができる……まだドクターはこの城にいるはずだ」
彼の言葉に、アルは顔をしかめ、ウルフォンはあからさまに憎々しげに唇を噛んだ。
「……それは、まだなにかしら仕掛けてくるということか?」
「その可能性もある。けれど僕はもしかすればレオは――」
「あの男は信用できない!」
途端、ウィルの言葉を遮ってウルフォンが吠えた。
「聞けば、人を操って兄上を殺したのはヌイストであるというではありませんか!」
「その可能性がある、ということだ。真実はまだわからない」
ウィルが諭すように後半口調を和らげたが、ウルフォンは頭を振ってうつむく。
「僕は……僕は……」
「あいつの能力は未知数だ。どこに潜んでいるのかもわからない、か。奴の真意も、謎のままだ」
アルはぐっと考え込むように顔を歪める。
うなだれ、辛抱しているかのようにぎゅっと拳を握りしめている兄を亡くした憐れな弟王子を盗み見てから、ウィルはふいに声を発した。
「あなたは、うれしくないのですか」
我が耳を疑ったのはなにも問われた本人ばかりではないだろう。視線はあくまでレオに向けたまま、ウィルはさらにつづける。
「レオがいなくなれば、もはやあなたの王の地位は確実……城の人間の確執もなくなるでしょう?」
ウルフォンが目を見開き、ぎょっとして声をあげた。
「なぜそれを……!」
「どうであろうと、彼もあなたも王子です。たとえレオやあなたにその気がなくとも、後見人たちは権力を求めすくなからず争うでしょう。王族とは、そういうものです」
しれっと言い放ち、ウィルはそのまま死んでいる男の傍らに膝をつくと、そっと彼の頬に触れる。
「王の血をひくとは、国を治めるとは、そういうこと……自分の想いに関わらず人に使われることがある。利用されることがある」
驚愕に震え、ひとつ後退りする王子を尻目に、ウィルは淡々とつづけた。
「でも、争う相手がいなくなれば、あなたは無益な争いに苦しまずに済む。国はやがてあなたのものになる……だからウルフォン王子、あなたは――」
――兄上が死んでうれしいでしょう?
ウィルは最後、かすかに笑みを浮かべてそう言った。瞬間、スーに震えが走る。
(ちがう。こんなの、わたしの知ってる兄さまじゃ――)
「兄さまじゃない」
スーの心理を代弁したわけではあるまいが、しかし、タイミングもぴったりに声をあげたのはアルだった。彼は腰にさした剣の柄に手をかけ、レオの額に触れているウィルをにらみつけている。
「貴様、だれだ」
アルは吠える。するとウィルは、ふいに愉快そうに笑うと、懐からモノクルを取り出しおもむろにかけた。その瞬間、男の瞳の色は藍色からワインレッドに変わる。
かすかに頬をざわめかす、どこからともなく吹く風を感じ、思わず身を強張らせたスーは、一瞬のうちに起こった男の変貌を目の当たりにして、しばし面食らった。微弱な風は男を包み込んだかと思うと、彼の髪をさかなでた後にはウィルの面影もむなしく、まったくの別人が現れる。
(だれ……?)
はじめ、スーはレオの魂が形を為したのだと思った。理由はただひとつ、現れた男の瞳はレオのそれと同じ色をしていたからだ。だが、すぐにちがうと感じ取り、それではだれだと頭を捻ったところ、ハッと思い出す――。
(クリスさんを操ってレオさまを殺したとされる人……そして、かつて兄さまの命を救った人――)
彼は、大広間では華麗とも呼べる大々的な登場をし、ルドルフ大臣とも繋がりがあったようだ。それに、スー自身は覚えていないが、自分は彼になにやら魔術をかけられて気を失ったらしい。
スーは気づかれないように深呼吸をした。
「Dr.ヌイスト」
小さく威嚇の意味を込めてつぶやいたアルに、男は満足そうな笑みを見せた。
「いかにも」
その声はもはやウィルのものではない。この場にいるはずのない者の声。
男は今にも飛び掛からんとするウルフォンに向かって肩をすくめる。
「最初に言っておきましょう。ワタシは今、『あなたたちの敵ではありません』」
「では、味方だと?」
剣に手をかけ、ただにらむだけのウルフォンに代わって、すばやくアルが尋ねた。ヌイストはモノクルをくいっとあげ、今度はアルに目を戻す。
「そーですねぇ。そういうわけじゃ、ありませんけどねー」
いやに間延びのした口調で告げると、ヌイストはふいに息のない骸に目を落とした。
「呆気ない……実に、簡単だ」
「兄上に触るな!」
男がすっと手を伸ばしたのを見るや否や、ウルフォンは物凄い剣幕で飛び掛かる。だが、彼の動きは魔術師の奇妙な手の動きで容易に止められてしまった。
「人の話は聞くもんですよぅ?おバカな王子さま」
ケタケタと笑いながら、ヌイストは見せつけるようにレオの額に指を這わせる。
こんなにも不可思議なことを目の当たりにするのははじめてだ。動きを奪われたウルフォンを見て、スーは恐ろしさを感じるとともにわずかな好奇心が顔を出してくるのを覚える。
ヌイストはレオの瞼に手をそえ、しばし黙り込んだ。表情はよくわからないが、彼が危害を加えるつもりがないことはなんとなく感じとれたので、スーはそのまま様子をうかがうことにした。
実際、ドクターと呼ばれるこの人物を改めて目の前にして思うのは、彼がレオを殺すはずなどないということだ。どうしてそう思うのかスー自身にもわからなかったが。
ヌイストとレオの関係はきちんと知っているわけではないが、『命を救った者と救われた者』の関係だけではない気がする。なぜレオはヌイストと同じ瞳をしているのか――以前ウィルの話では、ドクターは眼をコレクションするという奇妙な趣味をもっているらしい。ウィルもそのおかげで、視力のある藍色の眼を手に入れ、またスーと同じ緑の眼を失ったわけだが。
ということは、レオの瞳はまちがいなくヌイストから受け取ったものなのだろう。
レオとアルの母親は同じ。レオとウルフォンの父親は同じ。されど、彼らは瞳や髪色に似通ったところがない。アルはたしか、うるわしき美貌の持ち主である母親の遺伝を受け継ぎ、ブロンドの髪に青い瞳をしている。ウルフォンも母親似なのだろう。『ル』の家系の特徴的外見の要素はほとんど受け継がれていないのかもしれない。彼らが親戚関係というのは、一見嘘のようにさえ思える。強いて言うなら、レオとウルフォンには左右対称の目の下にホクロがあるのだが。
(でもわたしは、レオさまとアルさまは似ているって思ったわ……)
ふと思い出して、スーは苦悶に表情を歪める。
(あの笑い方が……嘘偽りで本当を隠してしまう、あの笑い方が似ているって、そう思ったのよ)
レオと出会ってからそう月日は経っていない。けれど幾度か、アルと重ねて見てしまったことはあった。
ふたりとも、どこか孤独――そんな気がした。
そして、この人も。
「あなたはまだ追っているのでしょう?」
唐突にヌイストはレオに語りかけた。
「苦しむなら、いっそ死んだほうが幸せだ……ワタシだって、あなたがいないほうが……どれだけ楽になれるか……」
でも、と彼は言葉を落とす。その声音はとても寂し気だった。
「ワタシもあの人を追っている……まだ、満足はできない。呪縛からはそうそう逃れられそうにありませんね」
後半はあきらめたような言い方であった。けれどどこか、うれしそうだとスーは思った。
ヌイストはふっと軽く息をはいてレオから手を離すと、今までの神妙な雰囲気を一気に壊してにっこり笑い、告げた。
「それでは、レオンハルト王子を埋葬しちゃいましょう」
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朝日が心地よい。先程までは空を燃え上がらせるほどの朱だった太陽は、今は落ち着きを取り戻して柔らかく光をふりそそいでいる。空気は澄んで、肺いっぱいに冷たい新鮮な酸素が入ってくる。眠気など吹き飛んでしまう。
遠くの山々は深い緑で覆われ、付近を鷹と思われる鳥が優雅に孤を描いて舞っている。昨夜降った雨のせいでわずかに湿った草を踏み分け、一行は思わず空を仰いだ。
「う~ん。やっぱり自然はいいですねー。埋葬日和です」
実に場違いな口調であることは言うまでもない。この男はレオ以上になにを言っても無駄な人物であるのだとさっそく理解しているスーは、構わずに尋ねた。
「あの、本当にレオさんは……」
「ああ、もちろん。おバカなお嬢さんは黙って見ててくださいねー」
にっこり笑みを絶やさずにそう答えたヌイストは、背後の荷馬車から棺をおろしている騎士の働きぶりをながめながら、ぐんと伸びをした。
一方、確実に自分は馬鹿にされたであろうと解したスーであったが、どうしようもない。口をとじ、おとなしく引き下がって行方を見守ることとした。
一行がやってきたのは、城の背後にそびえる山々を前にした丘である。この比較的小さいわけではない丘まで、朝日も昇り切らぬ早朝から城を抜けてやってきたのだ。獣道が多く、あまり整備されているとは言えない道に馬車を走らせ、なんとか到着したというわけだ。
太陽は白い光を自ら放ち、完全に気持ちのいい朝になった。ようやっとその光を浴びた棺は、まるで宝箱のようにさえ見えてしまう。
スーは変な気分だった。
今、彼らがやろうとしていることは『埋葬』なのだ。ヌイストが「レオンハルトの墓場にはあの丘がふさわしい」と断言し、この場所が選ばれたのだが、なるほど朝日をさんさんに浴びる丘は清々しいものだ。
「兄上……」
棺のそばでぽつりと声をもらしたウルフォンは、今や悲しみに暮れてはいない。まだどこか不安そうな面持ちはあるものの、これまでの乱れっぷりを思えばかなりよくなったと言える。また、ヌイストに対する彼の態度も、かなり変わっていたのだが。
そう、今まさしく行われようとしているのは『埋葬』。されど、この場にいる者に悲しみや悲嘆の面持ちは微塵もない。あえていうなら、不安と興味、そして期待であろう。
それもそのはず、昨日突然現れたドクター・ヌイストの発言により、レオンハルト王子の埋葬は実行されるのだから。
普通なら、ウルフォンはこのことに逆上してもおかしくはない。実際、ヌイストが「レオを埋葬する」と言ったときは額に血管を浮き上がらせるほど怒っていたし、アルもこめかみを押さえ、意味がわからないと唸っていた。しかし、真相を聞いたとき、王子たちは警戒するとともに期待したのだ。この人ならば、不可能を可能にする、と。
準備は着々と行われていった。
掘られた穴は、わずか一メートルにも及ばないもので、棺を埋めるにはあきらかに小さすぎだ。それでもヌイストは騎士の掘った穴を満足げに見やり、笑みをたたえている。
「上出来です。仕事のできる部下は好きですよー」
「アンタの配下についた覚えはない」
ヌイストの好意的な視線を一刀両断し、冷たく剣のように鋭いまなざしでランスロットは男をにらみつけた。
ヌイストはやれやれと肩をすくめながらも、どこかうれしそうであったが。
「それではハジメマス。みなさんお下がりくださーい」
再びスーは変な気分になった。心臓が音をたてる。
そんな少女のことなんかお構いなしに、これから楽しいショーのはじまりだ、と言わんばかりの調子で、男はバッと手をあげた。スーはランスロットが彼を信用できないのも無理はないなと思う。
本当はランスロットに城を任せ、ヌイストとアル、ウルフォン、そしてなぜかスーだけでレオの埋葬に行くつもりであったのだが、それを騎士は断固拒否した。自分は城をどうこうできる権利や能力は持ち合わせていない、あるのは王子の御身を守ることだけだと進言し、代わりの者に城を任せてついてきたというわけである。アルはたしかに、ヌイストを信用しているわけではないだろう。しかし、どこか絶対的な自信があり、それが油断しているように見えても仕方がないな、とスーは思った。
棺から離れ、皆はヌイストの一挙一動に精神を集中させていた。これから行われるすべては、不可思議なことであるのはまちがいない。スーもドクターを見つめる――そうして、先程からずっと感じていた変な気持ちを遠くへ押しやった。
男が、言うなれば非常にわくわくした面持ちで懐から取り出したのは、人の形をしたものであった。白い毛糸でできているのか、その作りはよくわからないが、ただ白い手足を伸ばしただけのシンプルで飾り気のない人形である。
「アハハ。あからさまに顔に出るんですね。大丈夫ですよー。ちゃんとできますって」
ふいにヌイストはウルフォンを見て声をあげて笑った。
「この人形はいわゆる死人の身代わり。こいつを彼の代わりに埋葬して、冥界へ送りつけてやろうって魂胆です」
クスクスと笑い、男はモノクルをくいとあげて今度はアルに目をやる。
「それで――あなたの心は変わりませんか?」
相変わらず笑みを浮かべたままであったが、スーはヌイストが笑っていないことに気づいていた。
まるで彼は道化師だ――笑顔の仮面、その物腰柔らかい雰囲気で周りを惑わせ、そして容易に自身のテリトリーへと誘ってゆく。彼の『本当』もまた、厚い仮面の下で冷え冷えとしているのだろう。アルといい勝負だ、と思ってしまったのは、スーだけの秘密だが。
アルはしばしジッとヌイストを見つめかえし、なにも言わなかった。同時に、スーの心臓が一気に悲鳴をあげる。喉はカラカラに渇いていたが、そのことにすら気づかず、少女は王子から目が離せなくなっていた。
やがて、アルは明るいガラス玉のような眼をふいとふせ、口をひらく。
「いまさら、だろう」
王子の答えに、ドクターは満足そうに目を細めて顎に手をやった。品定めでもするように。
そして召使は……スーは、言いようのない焦燥感と絶望感に苛まれていた。その感情の示す意味もわからず、ただ必死で押し殺すことだけを考えながら。
ウルフォンは彼らのやり取りをきょとんとして、ランスロットは訝しげに顔をしかめて見ていた。それもそのはずで、彼らは知らないのだ。これから払う『代償』を。
白い人形を掘られた穴へ落とし、何事か呪文を唱えて作業している――おそらくあれが魔術なのだろうか――ヌイストをぼんやりながめながら、スーは悲鳴をあげた心臓を抑えるように、胸の前で強く手を組んだ。
今すぐ、叫びたい。どうして。わからない。
スーは逃れられない蔓に搦め捕られ、決して抜け出せそうにない奈落を思い浮かべ、ぐっと奥歯を噛みしめる。
「さあ――この屍はワタシのものだ……目を覚まして……」
ヌイストが目を見開き、喜々としてつぶやく。
人形を穴へ、土をかぶせて埋めていく。着々と、着々と。
スーが心中穏やかではないのをよそに、道化師は埋葬を着々と進めていった。




