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王国の花名  作者: 詠城カンナ
第二部 『海賊編』
55/150

第五十五章 生まれと死の真実

第五十五章 生まれと死の真実




†▼▽▼▽▼▽†



 赤みがかった黒髪が宙を舞う。ゆっくりと、静かに、そして音もなく倒れていく。その場にいた者は動きもせず、しばし見入るようにしていた。

 そんな静寂を破ったのは、アル王子であった。

「ランスロット!」

 主の声にすばやく反応した騎士は、すぐさま銃を持つ男に向き直る。しかし、彼はすでに気を失っていた。とりあえず拘束し、武器を遠くへと蹴やる。

 他の者は撃たれたレオの周りに駆け集まり、声の限りに叫んでいた。

「レオ!」

「しっかりしろ!」

(レオさん……そんな……)

 スーは肩で息をしながら、彼の横に膝をつき、その血の気の引いた頬に触れる。命のともしびが消えるように、彼の体温が徐々に冷たさを増しているようでゾッとした。

「どいて」

 ドロテアがすぐに脈を測り出す。手首、首筋に触れ、撃たれた箇所の止血を試みた。

「医者を。それからきれいな布と――とにかく、はやく!」

 彼女の声は震えていた。今にも泣き出しそうなその表情は、まるでレオの容体を物語っているかのようだった。

 貴族らとともに避難していたカスパルニアの専属医師らが呼び戻された。薬師など、とにかく医術に関する者はすべて召集された。しかし、もはやだれの目にもあきらかであった。

 メディルサ大軍帝国第一王子・レオンハルトの死――それは変えようのない、事実であるのだから。



 彼の亡骸を囲み、みなはそれぞれ悲しみに暮れ、悲痛な表情でいる。ある者は涙を流し、ある者は硬い表情でじっと足元を見つめ、ある者は信じられないとばかりに唖然としている。

 ウィルは耐えられない、とばかりに視線を外し、ひとり部屋をあとにした。レオが死ぬなんて、よくわからない。どういうことなのか、まったく理解できない……。

 しかし、廊下を歩いている最中、ハッとして、なにかを探すようにきょろきょろと辺りを見回した。だが、すぐにウィルはあきらめのため息をこぼす。『彼』は見つかるはずもない。なぜなら、レオを撃ったのはおそらく、『彼』自身なのだから。

 クリスは拘束から逃れられないはずだった。大臣もそうだ。それなのに、まるで魔法のごとく――実際そうなのだろうが――自由の身となり、手に武器を持って王子たちを襲ってきた。そして、レオの命を奪った引き金を引いたのは、クリスだ。

 だが。

「あいつ、だよな」

 ひとり、レオのそばを外れて部屋のバルコニーへやってきたウィルのあとを、カインがそっとつけてきたようだった。思いつめるように遠くをながめていたウィルに、彼は唐突に話しかけた。それは問いという形ではあったが、声には断定の響きがにじみ出ている。

 ウィルは彼の姿を見とめ、そっと頷いた。

「ああ。たぶん――あのレオを撃った男は、直後に気を失っていただろう?」

 肯定の意味を込め、カインは頷いた。

「操られていた可能性が高い。彼は……ヌイストは、今回僕に『敵だ』と布告していたから」

「わからない野郎だ!」

 カインが拳に力を込め、怒鳴った。

「おまえを……フィリップ王子の命を助けてくれたのは、ヌイストだった。なのに、どうしてあいつは……」

 カインの想いは、過去へと飛躍する。昔、『貴族』という『王族』の息子・フィリップを城の領域から助け出すのを手伝ってくれたのは、他でもないヌイストだった。当時、海賊船の医師を担当していた彼は、その驚くほど強大な魔術でフィリップの命を救ったのだ。フィリップを船長とし、彼がウィルと名乗るようになってから、ヌイストはお役御免とばかりに船をおりたのだった。

 あのときは、仲間だと思っていた。奇妙な術は使うが、それはウィルを助けるために行使したものだ。忌み嫌う理由もない。本人自体も極めて普通とは言い難いが、それは海賊には関係ないことで、すくなくとも、カインたちはヌイストを仲間だと思っていた。

「あいつ、レオの命を救ったこともあるんだろう?」

 ぐっと握った拳に力を込め、さらにカインは歯を食いしばるようにして声を絞り出す。

「それなのに、なんで……あいつは、レオの苦しみをわかっていたんじゃないのかよ!」

 カインの叫びは、痛切だった。

 ウィルは眉間にしわをよせ、なるべく声がかすれないように注意しながら、言った。

「だからこそ――レオを殺したかったんじゃないのかな」








†+†+†+†+


 レオの葬式はもちろん、彼の祖国で行われることとなる。しかし、他国の危機に手を差し伸べてくれた、勇敢な王子として、カスパルニアでも葬儀に似た、追悼式のようなものをすることになった。

 彼の心臓が動くのをやめてから、まだ一日しか経っていない。そのせいか、実感はわかず、ただ、時間ばかりがのろのろと過ぎていった。

 レオと関わった多くの者たちは、悲しみに暮れるというよりは、むしろ信じられないといった気持ちのほうが強かった。実際、城の混乱や貴族たちの安全確保、民の召集への準備などに取り掛からねばならず、自分の任務にまっとうしている者たちはレオの死への実感など考えられなかった。いや、考えたくなかったのかもしれない。忙しさはこのとき、不幸にも幸いだったのだ。

 そして、なにより彼の死を受け入れがたいのは、弟王子のウルフォンであろうことは、だれの目にもあきらかであった。ウルフォンはわめいたかと思えば、次の瞬間には彫像のようにだんまりを決め込み、動かなくなる。声をかけても反応を見せず、時折ただ兄の名をつぶやくだけだった。そして彼はついに、母国へ兄の死を報せることを拒んだ。

 スーはそんな彼を見ていられなかった。棺に入った冷たいレオのそばで、見るからにボロボロになったウルフォンに目をやることなど、どうしてできよう。

 そうして三日経ても、ウルフォンの状態は変わらなかった。食事もわずかしか摂らず、スーはウルフォンまでもが死んでしまうのではないかと心配であった。

 アルの命により、レオの遺体は人払いされた部屋で安置されている。スーはそこに籠りっきりになっているウルフォンのもとへ、食事を届けにやってきた。


「嘘みたいなんだ」


 訪問者の呼びかけを待たず、後ろ姿のままこぼすように彼の口からもれた声は、ひどく頼りなかった。スーはじっと次の言葉を待つ。

 ウルフォンは組んだ自身の手をじっと見つめたまま、祈るようにつぶやいた。

「兄上はいつでも、僕の遥か上を翔けていた人だから……僕は兄上の悲しみも寂しさも知ってた。わかってた」

 震える声音。スーは彼が泣いているのを知り、退出しようか迷ったが、途切れることない彼の声に、耳を傾けずにはいられなかった。

「本当は兄上、僕のことをきらいでもいいはずなんだ。憎みあって、王位を争うことだってできたはずだもの……それでも兄上は僕にやさしかったんだ」

 金になれなかったような、くすんだ茶色の髪を揺らし、彼は狼とも羊ともとれぬ、そんな態度で嘆いていた。ただひとりの、弟として。


 レオンハルト・ル・ル・メディルサ――その名を聞いて、もちろん驚きはしたものの、どこか納得してしまった自分がいたことに、スーは気づいていた。彼の父親はメディルサの国王。母親はルの名を受け継ぐ者――つまり、メディルサ国王の血縁関係。そしてその女性は、たったひとりしかいない。

 濃い『ル』の血。彼の母親は『彼』と同じなのだ。スーはそれに気づいた。そしてたぶん、アル王子も。

「兄上は『ル』の称号を名乗る必要などなかった……聡明で剣術の腕もあるし、なにより人を惹きつける人だったから……本当なら、だれもが兄上を次期国王にと望むはずだったのに……」

 せきを切ったように、ウルフォンはしゃくりあげながら話し出す。もし、こんな彼の姿を他者が見れば、うんざりするだろう。一国の王子が、なにを大泣きしているのだ、と。しかし、スーはそんな無粋なことは思わない。

(悲しみは抑えることが難しい……すくなくともウルフォンさまは、黙ることで衝動を抑えようとしておられた)

 自分のまえでこれほどまでに気を許してくれた……スーはなんとなくそれがわかり、うれしくもあった。

「自ら『ル』の名を名乗ることで、わざと奇怪な行動をとることで、兄上は家臣たちからの信頼を失って……僕に王位を……でも、僕は……」

 まだこの人は、乗り越えることができないのだ、とスーは思った。ウルフォンはコンプレックスの塊を自身に抱いている。それはちょっとしたことでは取り除けない、根深い呪縛にも似た劣等感。そして大きすぎる、兄への敬愛。

 このままでは、彼は王になることすら拒むのではないかと、スーは思わずにはいられなかった。

(王族のご兄弟って、みんなこうなのかしら……)

 ふいにスーは思う。アルも、フィリップも、レオもウルフォンも、深く深く、人の心を考えているように見える。それは幻だろうか?スーの勝手な思い込みだろうか。

(もうすこし、お互いにわがままでいい気がするのに……)

 他者のためを思いすぎるがゆえ、自身が傷つく。うまく愛情を表現できない彼らは……なんていとおしく、儚いのだろうと、頭の隅で少女は思うのだった。


 ややあって、落ち着きを取り戻したのだろう。ウルフォンは深く息を吐くと、涙をぬぐった。

「……アル王子を呼んでくれ。兄上のこと、話したい」

「承知しました」

 スーはちょこんとお辞儀し、彼の命に従う。

 だれだって、大切な人を失ったときの悲しみは計り知れないほど大きい。いくら年をとろうと、そのときに受ける衝撃は変わらないのだと思う。

(でも、わたしだって信じられない。レオさんが死んだっていう、そういう確証が持てない……)

 悲しい、と思うことが、まだスーにはできなかった。彼が死んだということは、それほど急な変化だったのは事実。レオとの付き合いはまだ日が浅い。それなのに、もう何年も交流した友人のような気持ちはあった。

(信じられない。実感がない。よく、わからない)

 固まってしまったような心。感情を忘れてしまったような心。もし、悲しみを受け入れてしまえば、レオの死が真実であると決められる気がして、いやだったのかもしれない。

 スーは目をとじ、オッドアイの青年を思い浮かべた。







†+†+†+†+


 部屋にはレオの亡骸、アルとレオ、そしてなぜがスーがいた。部屋の外にはランスロットが見張りを兼ねて待機している他、近くに他の者はいない。

 今から語られるのは極秘事項と言っても過言ではないのだろう。だが、そこにどうして自分までもが加わっているのか、到底スーには理解できなかった。出ていこうとしたスーをアルは引きとめ、またウルフォンもそれを拒否することはしなかったのだ。

 仕方なく、スーは部屋の片隅で、空気のような存在になろうと努めていることに決めた。

「兄は、あなたに本当の名を語りました。だから僕は、もう話すことができない兄の代わりに、あなたに真実を告げようと思います」

 覚悟を決めたかのように、ウルフォンが低い声で告げた。アルは今まで以上に硬い無表情でこくりと頷く。

 ウルフォン王子が語ったのは、レオンハルトの出生の秘密であった。


 それは、アルの母親、ナイリスがカスパルニアへ嫁ぐ数年前に遡る。メディルサは当時小国で、名も実力もそれほど知られてはいないころだ。

 そのころのメディルサ国王には、ふたりの子供がいた。ひとりは世継ぎとなる王子。そしてもうひとりは妹姫のナイリスである。

 年ごろになった彼らは、いつか互いに惹かれあい、やがてナイリスはひとりの子供を身ごもった――それがレオンハルトだ。

 国王は激怒し、生まれてくる子供を殺そうとした。しかし、それはナイリスが政略結婚としてカスパルニアへ嫁ぐという条件を呑むことでなんとか食い止められ、赤子はひとり、メディルサに残ることとなった。メディルサではナイリスは流産し――もちろんカスパルニア側にはなにも知らされていなかったのだが――、城に残った子供は兄王子が遠い血族の令嬢との間にできた赤ん坊ということにされた。


「では……」

「そう。あなたと兄の母親は同一人物です。兄はもっとも濃い『ル』の血を受け継いでいる」

 アルのつぶやきに、ウルフォンは深く頷いて応じた。彼の瞳が、わずかに鋭く揺れる。

「兄は国で、『異端児』と呼ばれていました」

 深く息を吸い込み、泣き虫の面影も見せず、王子はつづける。

「アル王子、あなたに会うことは、兄にとってすくなからず恐怖だったはずです。けれど兄は会うことを選び、あなたに手を貸すことを望みました。それはきっと――兄としての気持ちもあったと思うのです」


 スーはアルの後ろ姿を見つめる。今、彼がなにを考え、思っているかなど、到底スーにはわかりっこない。けれど、ブロンドの髪をした、異様なうつくしさをもつ少年――彼はどこか孤独で、いつも冷たさを抱えていたことだけはわかる。

 フィリップという兄の面影を追い、彼自身でさえ気づかない本当の気持ちを言葉の端々に散りばめて、それなのに他者を完全には受け入れずに拒絶する。自ら孤独を望んでは、自ら傷つきを悲嘆している。

 そんな彼は今、この話を聞き、なにを思ったのか――わからないことに、スーはじれったさを覚えた。

(アルさまとレオさまのお母さまは同じ……おふたりは父親のちがうご兄弟なのだわ)

 そこでふいに、スーは顔をしかめた。アルの母親は、はたしてどんな人物なのだろう。彼が父親を憎んでいるきらいがあることは知っているが、母親はどうなのだろう。

(わたしには関係ないこと……知らなくてもいいこと……なのに、どうして解りたいと思ってしまうのだろう)

 でしゃばってはいけない、とスーは自分へ言い聞かせ、いつまでも、そのうつくしい金色を見つめていた。





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