第五十四章 異端な男の死
第五十四章 異端な男の死
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いつの間にか、空には厚い雲がたれ込めていた。灰色に陰った雲は、空の清々しい色を覆い隠すかのように、一面に広がっていく。
カスパルニア城の真上にも、それは例外なく覆っていた。遠くでは雷鳴が轟き、ごろごろという雷の唸りが聞こえてくる。
広間は、いやに静かだった。
「おまえが……元凶だ……」
荒い息を吐きながら、大臣はニタニタと笑う。いつのまにか彼を拘束していた縄は解かれ、自由となった男の手には黒く光るものが握られていた。
「すべては陰謀だ!アル王子の陰謀だ!わたしはアル王子の母君に頼まれたのだ……すべての元凶は、そこにいる王子だ!」
興奮気味にそう叫び、ルドルフはカチャリと黒い武器を鳴らす。
しかし、それに応じたのはアルではなく、レオだった。あきらかに動揺しているアルをかばうかのように、彼は顔を歪めて口をひらく。
「死んだ人間になにも問うことはできない。今さら王子の母君の真意をどうこう言うことはできない……ただ確かなのは、おまえが反逆者だということだよ」
「うるさい!黙れ黙れ!」
カッと目を見開き、ルドルフはぼさぼさになった白い髭を揺らした。そしていっそう、アルへ向ける武器に力を込める。
「あれは銃です!なぜ、こんな武器がここに……」
ウルフォンは目を見開いて口をひらく。拳銃は近年ようやく異国から輸入し、製造できるようになった代物で、メディルサでもめずらしい武器である。大臣はなぜ、その武器を手にしているのか、そしてなぜ、彼は拘束から自由の身となったのか、あまりの唐突な出来事に、その場にいた人々はみな驚きに固まることしかできない。
だがしかし、レオだけはちがったようだ。キッと眉根を厳しくさせ、唸った。
「いるんだろう、ヌイスト!」
彼の言葉に、さもおもしろそうに応える声が、頭上からふってきた。みなが見上げると、ちょうど二階から広間を見下ろせるように作られていた露台の手すりに、身体を預けてひとりの男が笑みを浮かべていた。そして彼は、大臣の手に握られている武器と同じものを、アル王子の足元にも落とす。
「ワタシはやさしいですから、チャンスをあげましょう。真の権力者になりたいなら、一対一で戦えばいいではないですか」
「そうだ。さあ、アル王子、それを受け取りなさい!」
声に、大臣もニタニタ笑いながら言う。そして一発、再度、威嚇射撃を発した。
「もっとも、あなたに扱えれば、の話ですがね」
黒く光るその武器は、王子の心臓を狙っていた。
レオはオッドアイの瞳を苦しげに歪め、ヌイストに向かって声を荒らげる。
「これのどこが公平だ!いったい目的はなんだ」
青年の問いに、彼は一瞬笑うのをやめた。しかし、すぐににっこりとほほ笑むと、まるで天からの傍観者のように、階下にいる人間たちを見下ろして応えた。
「ワタシは享楽を求める――ゆえに、ただかわいい人形劇が観たいだけなんですよ」
男の笑みは、とても柔らかだ。なのに、どうしてだろう。同時に言いようのない震えを伴う恐怖を感じさせる。まるで子供を笑わせる道化師のようだ。一見愉快な道化の笑みも、ちがう観点から見れば奇妙な空恐ろしいものに変わる。笑っている道化師の、その仮面の下にはどんな黒い感情がひそんでいるかなんて、だれにもわからない……まるでヌイストの笑顔は、そのもののようであった。
男は本気だ。本気でアルを殺そうとしている。自身の手を下さず、直接命を奪うことは他者にさせて。
レオはそれを悟ると、瞬時に行動に移した。大臣がいまだ武器を手にしていない王子に銃口を向け、撃つ――その前に、レオは舌うちをしたかと思うや否や、電光石火のごとく、ナイフを大臣の腕めがけて投げつけた。
見事命中したナイフのおかげで、大臣の射撃はアルを逃す。しかし、レオは休むことなく、転がるようにヌイストを狙える位置に移動すると、アルに向かって吠えた。
「かせ」
アルも迷うことなく、足元の拳銃をレオに投げる。なんとも華麗な動きで素早く武器を手にしたレオは、すぐさま銃口をヌイストへと向けた。
だが――。
ヌイストの瞳が、果てしない恐怖に見開かれるのを見た――死を前にして、はじめて人らしい感情を露わしたのではないことは、レオにはわかっていた。彼はヌイストを殺そうとしたわけではない。逃げられるよう、足に傷を負わせるのが目的だった。そしてそれも、かなり確率の低い賭けであった。レオにはヌイストという男が、底知れない人物であるということは痛いほどわかっていたのだから。
だから、そんな人物が自分に銃口を向けられただけで、恐怖するはずなどない。おかしい――そう感じた直後、レオは首筋に冷たい殺気を感じた。
「レオさん!」
銃声と同時に響いたのは、少女の声だった。スーの悲鳴のようなその叫びが聞こえたかと思うや否や、うっと息が詰まった。
激しい衝撃を胸に受け、レオは軽く飛ぶように後方へと倒れてしまった。
「そ……そんな……」
赤が舞う。花びらを散らすように、鮮血が飛び散っていく。ゆっくりと、弧を描くようにレオの身体は床へと落ちていった。
広間は静寂に包まれる。いつまでもいつまでも、鈍い銃の音の余韻が響きわたっていた。
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自由奔放、というのが彼にはぴったりであった。片方ずつ目の色が異なり、また身につける衣装も異国風味だったためか、周りからはどこか異質な存在に思われていた。
彼――レオがドクターこと、魔術師・ヌイストと出会ったのは、生まれて間もないころだった。身体が弱く、衰弱した魂は、今にも天に昇らんとしていたそうだ。それを救ったのが、ヌイストの魔力である。
ヌイストはレオの身体と魂を救う代わりに、彼のうつくしい髪色と両目の色を奪った。以来、メディルサ第一王子・レオンハルトの風体は“異端”と呼ばれることとなる。
それから何度か、レオはヌイストと会ったが、いつでもヌイストの奇妙さは異様で、そして彼はいつでも姿かたちを変えていた。男は他者からいただいた皮膚で若返り、容姿を変え、他者から奪った寿命で生きながらえ、そうして過ごしているのだと知ったときも、レオは驚かなかった。
レオの片目の色はヌイスト自身から分け与えられたものだった。そのせいか、レオは彼の気配には敏感である。数年前、商人に化けているのをレオが発見したときも、ヌイストはけらけらと笑いながら、ネタばらしをしたものだ。
「ええ、そうですよ。バレてしまいましたかー。今回は若い皮膚が手に入ったもんだから、身体中を改造してみたんですけれどね。ほら、以前の僕とは別人でしょう?」
うれしそうにそう話す男に、レオもため息がこぼれる。人によっては、彼の魔力に脅威を感じて遠巻きにする輩も多いが、レオはちがった。どちらかといえば同志に近いような、そんな気さえしていた。
ひとつは、ヌイストの目の色を片方もらったことにあるのかもしれない。そしてもうひとつは、彼の“異端”さは自分と同じものであるような、そんな親近感を覚えたからだった。
しかし、たしかに恐怖も感じていたのだ。本能的なところで、レオは察知していたのだろう……ヌイストは決して自分を見ていないのだと。自分のうしろにある、だれかを見ているのだと。そうして愉快そうに、ほくそ笑んでいるのだと。
彼はなにを望んでいるのだろう、と幼いころはよく考えていた。そしてにこやかな笑みを見るたび、その裏に隠された真意に傷ついていた。
異端であるがゆえに、異端の苦しみがわかり、異端であるがゆえに、同じものを求める……それゆえに、たったひとつの共通点すら、極上のよろこびであるのだから。
自分の出生の秘密を知ったとき、レオはやっと本当の自分が見えた気がした。そして教えてくれたのは他でもないヌイストであった。
城のなかはひどく寂しい。弟王子も義理の母もよくしてくれる。だが、だからこそ、いっそう苦しみは深いのかもしれない。
レオは城を飛び出し、外交という名目で他国へと旅に出た。ウィルたちとは砂漠の国で出会ったのだ。
そんな旅をつづけ、しばらくして、彼の耳にメディルサの情報が入ってきた。なんでも祖国の第二王子は、なめられたもので、臆病だと噂されかけていたのだ。だが――ややあって、その噂はたちまち消え失せる。代わりに、メディルサの王子は、放浪者の兄王子とちがって、冷徹至極で狼のように非情である、大軍帝国にふさわしい王子だという噂が広がっていた。尾ひれがついて広まったものの、その噂の根源を流したのは他でもないレオであるということは、本人だけの秘密であるのだが。
不甲斐ない弟を心配し、真の実力を示してほしいというひそかな願いを込めた、そんな行為であったことは本人も無自覚であるのだろう。
自分は愛されている――レオはそれを知っていた。無邪気な笑顔で飛びついてくる弟を見るたび、思い知らされるほどに。けれど決して、真っ向から受け入れることは容易ではなかった。
なぜ、愛されるのだろう?自分のような人間が、なぜ?
そう考えると、ヌイストを見るのはうれしい反面怖かったのだ。同種だと感じる反面、自分は彼にすら必要とされているのだと――自分ではない、自分の『存在』が価値であるのだと知っていたから。
ヌイストは決して、自分を殺したりはしない。むしろ、いつまでも生かそうとする――それがレオにはわかっていた。
だから、後方を油断したのだろう。ヌイストだけに集中していた彼は、背後に迫る銃に気づかなかったのだ。
クリスの手に握られた銃口から、わずかに煙があがっている。胸を一直線に突き抜けた玉は、レオの臓器をえぐっていった。
「レオさん!」
「おい!しっかりしろ!」
「レオ!」
かすむ視界、遠のく聴力……その最中、レオの眼はヌイストをとらえていた。ひどく悲しみに暮れた、そんな、男の顔を。