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王国の花名  作者: 詠城カンナ
第二部 『海賊編』
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第五十二章 激動


第五十二章 激動



†▼▽▼▽▼▽†



 ひとまずスーを安全な場所――こちらの本陣として設けた部屋――に届け、海賊たちに彼女を任せ、自分は兵士の服装に着替えると、アルは大広間へと足をはやめた。

 貴族たちは大方逃げだせたようだ。あの大臣がなにをたくらんでいるのかわからないが、無関係な人間を巻き添えにしたとて、なんの意も解さないのであろう。

 そこまで考え、アルはふいに自嘲的な笑みをもらす。

 自分だって、同じだ。別に貴族たちがどうなろうが関係ない。だが――

(兄上がいたから)

 そうだ。今、この場にはフィリップがいる。だから自然と自分は、彼の考えそうなことを、彼のしそうな行動をとってしまうのだ。馬鹿らしいと思い、そんな自分に気づいたことで、アルはいっそう、どうしようもない、苛立ちとも悲しみともつかない、疲労に似ているような感覚を覚えた。



 大広間は、臨戦態勢であった。

 ルドルフ大臣を数名の兵士が守るようにして固まり、そのわきに捕らえられたウィルとドロテアがいる。会場に貴族の姿はなく、ただきらびやかなマントをはおったひとりの男が、大勢の兵士に囲まれるようにして立ち、剣をその手に握っていた。

 ルドルフは余裕の笑みを浮かべ、囲われたか弱い羊を見るようにして口をひらく。

「さあ、戯言もここまででしょう。ウルフォン王子、あなたはこれを国際問題とされたいのですか」

 くつくつと笑いながら、さらに大臣はつづける。

「この不法侵入者が、あなたの兄上だと、そう言うのですか?」

「そうだ」

 アルはそっと扉の陰から、その様子をうかがっていた。兵士に扮装した彼は、音もなく彼らに混ざる。兵士の服装は緑を基調とした制服で、肩のところにカスパルニアの黄金に輝く王冠を象った紋章と文字が刻まれている。それを身につけた人間たちが、大広間にゴミのように集まっている。

 ウルフォンはたったひとり囲まれながらも、その鋭い視線を大臣へ向けたまま言った。

「そこのふたりは、僕の友人だ。ひとりは兄とさえ慕っている……だから僕は兄と呼んだんだ」

「ほう、ほう……わたしはてっきり、この囚人がメディルサの第一王子さまかと……彼の方は噂では、死んだとか、漂浪しているとか……用なしの王子だと聞きましたが?」

「黙れこの下郎が!」

 ウルフォンは凄む。こんなに険悪な彼の表情を見るのははじめてだ。ルドルフも思わず「ひっ」と悲鳴をもらし、ひるんでしまっている。その様子を見て、アルはほくそ笑んだ。

 さて、それにしてもどうしたものか。先にこの場に向かったはずのレオはなにをしているのか……。アルが眉間にしわをよせたそのとき、なんとも拍子抜けな、すっ頓狂な声がした。


「お呼びですか~アルジぃ」


 変に間延びした声で、そいつはにこやかに場の中央に進み出た。

(あいつ……)

 アルがさらに顔をしかめたのと、ルドルフがちょっと眉根をひそめたのはほぼ同時であった。だが、大臣のほうはすぐにニヤニヤとした笑みをもらし、まるで古き友人にするように、男の肩に手を置いた。

「やあ、ヌイスト君。君、仕事はちゃんとしたんだろうね?」

 その問いかけに、男は手をパタパタ振って、笑って答える。

「いやだなぁ。主、これはショーでしょう?ワタシの好きなようにさせてくれる約束でショウ?」

「そ、それはそうだが……」

 男はワインレッドの双眼を細め、有無を言わせぬ表情で大臣を見る。笑っているのに、目は相手をひどく脅す。

「煩い人ですねぇ。いいから、主こそ、自分の仕事をしてくださいよ」

「わ、わたしは言われたとおり、このふたりを捕まえたが……」

 ひとつに束ねた灰色の髪をいじりながら、男は大臣の言葉を軽く笑った。そうして、捕らえられているウィルとドロテアに目を向けると、おもしろそうに微苦笑をもらした。

 まずい、とアルは額を抑える。道理で、レオが動けなかったはずだ――またもやあの男を目にしようとは。

「ワタシが言ったのは、このふたりは敵だということ。そして、あなたが仰天するだろうということ」

 男――ヌイストと呼ばれた彼は、捕虜であるウィルの顎に指をのせ、ニタリと笑った。

「この方は――フィリップ王子ではありませんかな?」





†+†+†+†+


『この方はフィリップ王子ではありませんかな?』

 ――男の言葉に、大広間は沈黙した。だれもなにも喋らず、海の底のような静けさが漂う。そして次の瞬間、人々は爆発したように声をあげはじめた。

 カスパルニアの兵士たちはそれぞれに互いの顔を見、声を発し、もっとよく捕虜を見ようと首を伸ばす。大臣は信じられないとばかりに目を見開き、ヌイストはケラケラと笑っている。

 だが、その刹那、男の笑顔は崩れた。そしてその場も、一気に膠着状態へともつれ込んだのだった。

 いつの間に縄から抜け出したのだろう――縛られていたはずのドロテアが、見張りの兵士を地に伏せ、ヌイストに攻撃をしかけたのである。だが彼女の攻撃は相手を傷つけることを意図したものではなく、ただウィルとの距離をとらせたかっただけらしい。そのため、ヌイストはやすやすと彼女の振ったナイフを避けた。

 ドロテアはすぐさまウィルの縄を解き、武器としては小さいが、それでも充分なナイフを大臣に向けたまま、声をあげた。

「動かないで!」

 ルドルフはナイフを突き付けられ、悲鳴をもらす。大臣をあっさり人質に取られてしまった兵士たちは、顔を真っ赤にして動けずにいた。

(まったく、女というものは……)

 アルは感心と呆れの入り混じった気持ちで軽く笑う。女というものは、好いた相手のピンチには悉く敏感なものだ。そして思わぬ力を発揮する。

 案の定、ウィルは呼吸を乱し、遠目からでもわかるほど具合が悪そうだ。だが、それでも立ち上がると、まっすぐにヌイストの方を見やる。

「……お久しぶりですね。まさか、あなたがここにいるとは」

 ウィルの声かけに、ヌイストはクスクスと含み笑うと、肩をすくめた応じた。

「言ったでしょう?ワタシは気まぐれな男ですから。それにしても、ご気性の荒い恋人をお持ちのようだ」

「どういうつもりだ」

 まるで雑談のごとく話をする男とは打って変わって、ウィルはひどく真剣な面持ちで問う。

 男は自身の灰色の髪を指先ではじくと、ふいに手を広げて言った。

「安心してください。今ワタシは、全力であなた方の敵ですから」

 そう言うなり、彼はおもむろに懐からモノクルを取り出し、さっと片目にかけた。くいくいと手を動かしていたが、やがてきちんとかかると、ふっと笑みをもらして――まっすぐに、アルを見つめた。

 王子はぎくりとする。まさか、兵士にまぎれているにも関わらず、男は容易に自分を見つけ出したというのだろうか。ありえないと思いながらも、本能は察する――ヌイストはたしかに、自分を見つけている。

 彼はそっと口をひらく。まるで、愉快なショータイムの狼煙のように。


「本当にかわいそうですね。懲りないあなたの、愚かな人形ドールは」


(なにを……)

 はじめは意味がわからなかった。ヌイストがなにを言っているのか。たしかに彼はアルに向けて言葉を発していたが、その意味するところがつかめず、アルは眉根を寄せる――がそのとき、解した。兵士の並ぶ列が突如乱れ、その群集のなかからひとりの兵士が――あきらかに不格好で子供に鎧を着せたような兵士が――飛び出してきたのだ。

(あのばか)

 女はああいうイキモノなのだろうか。それともあの少女が異例なだけなのか。

 アルはため息やら舌打ちやらを一気にしてしまいたい衝動に駆られる。とりあえず思うのは、これ以上状況が変な方向に動いてほしくはないということだ。

(たしかにあいつは軍師にはむいていない)

 かつて、少女の耳のよさを知り、ランスロットに提案したことを思い出して、アルは小さくため息をこぼす。


 あきらかに大きすぎる甲冑をかぶったまま、彼女はウィルたちの前までくると、バッと大きく手をひらき、彼らを庇う動作をとった。

 ルドルフ大臣はかすかに眉根を寄せる。

「なんだ貴様は。カスパルニアの兵士が、その侵入者を庇うというのか。こいつらがアル王子を亡き者にしたに決まっている!」

 兵士はなにか言う。しかし、それは甲冑をかぶっているため、硬い金属に包まれてよく聞こえなかった。それでも大臣はそれを反抗と受け取り、自分がドロテアからナイフを向けられていることすら忘れて声を発した。

「殺せ!今すぐ、この兵士を――」


「そこまでだ」


 声を響かせる。出ていく気などなかったのに、気がつけば自分が声を発していた。アルは内心肩をすくめ、それでもスタスタと兵士たちの間をかき分け歩いていく。途中、大きすぎる鎧を着た兵士――おそらくスーであろう――が振りかえり、近づいてなにか言いたそうにしたが、アルは「下がれ」とただ一言発し、大臣の前に立つ。

「何事だ!おまえもこの兵士と同じように――!」

 ルドルフは目の前の兵士が兜を脱ぎ捨てるのを見て、途端言葉を失った。兵士だと思っていた男が、王子であったからだ。

 だがしかし、大臣はすぐに吠えた。

「こ、こいつはアル王子の偽物だ!はやくこいつをひっ捕らえろ!」

「口を慎めルドルフ大臣」

 今度はアルが声を出す。大臣の命により動こうとしていた兵士も、思わず足を止めてしまった。

 彼の声には、逆らわせないなにかがある。人から恐れられていたり、うつくしいと誉められていたり、またはどこか軽蔑されていたり、アル王子にはいろいろな面があった。だが、やはりどんな彼も人を寄せ付けず、そして他の者にはない、なにかがあった。

 近衛兵らが頼りにならないと察すると、大臣はだんだんと顔色をなくす。傍らのヌイストに目を止めると、あらん限りの声で叫んだ。

「こ、殺せ!こいつを――」

 しかし、当の彼は首をふるふるし、両手をあげてかすかに笑った。

「メディルサの大群が近づいてきてマスねー。多勢に無勢だ。あなたの負けですよ、大臣」

「メディルサ……?」

 ルドルフは一瞬ぽかんとした。やがてその目をウルフォンに止めると、憎々しげに眉根を寄せる。

 もはや、彼になす術はなかった。

「ルドルフ大臣、おとなしく降伏したらどうだ」

 アルはぎろりと男をにらみながら、一歩近づく。ドロテアたちは一歩下がり、彼と大臣が対人できるよう場をあけた。

 青い目をふっと細め、王子は口をひらく。

「これでやっと我慢しなくていいんだね」

 そうして、顔をさらに近づけ、大臣にしか届かないくらいの声の大きさで言った。

「おまえがいつか、俺を裏切るんじゃないかと思ってた。だっておまえ、父さまにそっくりの眼で僕を見るから」

「あ、アル王子……」

 ルドルフはにっこり笑う王子を見つめ、ついにまずいと感じたのだろう。きょろきょろと辺りを見回し、もはや彼を王子と認めるしかないと知った大臣は、あわててアルに言い訳をした。

「わ、わたしは悪くありません!」

「なにを今更――」

「これはあなたのお母上が計画したことです!はじめに王子暗殺を計画したのは、あなたの――」

「ルドルフ大臣!」

 ルドルフが必死で言葉を連ねていた最中、突如大きな荒々しい声が広間に響いた。バンと大きな音をたてて扉をあけ、ひとりの男が顔を怒らせながら広間へ入ってきた。

 大臣は自分の言葉が彼に遮られてしまったことも構わず、これ幸いと顔を輝かせる。新たに現れた人物は、かつてフィリップ王子の右腕とまで謳われた第一騎士、アーサーであった。

「これはなんの騒ぎですか!貴族たちが侵入者に誘導され逃げているが、これはどういう――」

 そこまで言って、アーサーはハッとしていかつい顔を止めた。興奮して周りが見えていないようだったが、やっとこの場が取り込み中であると――というよりは大臣がピンチなのだと――気づいたらしい。彼は自分のあるまじき失態に、幾分顔をしかめた。

「アーサー!この男を殺せ!」

 騎士の登場に力を取り戻した大臣は、チャンスとばかりに叫んだ。

「貴公の裏切り者の息子が絡んでいるのだ。はやくこのアル王子の偽物を殺せ!」

 言われ、アーサーはアルに目を止める。ようやっと冷静になり、その場の雰囲気が呑みこめたらしい。腰にさした鞘から剣を抜きさり、なぜか動こうとしない王子に近づいていく。

 アルは、じっとして、動かなかった。なにも聞こえず、なにも見えてはいなかった。ただ、大臣の言葉が頭のなかで反芻し、おもしろいくらい震えを誘う。

(母さまはやっぱり、兄さまの母上を殺したんだ……)

 その日の記憶がよみがえる。口の端に冷たい笑みを浮かべ、アルの頭をなでた母親の姿が目に浮かぶ。目に正気の色はなかった。けれどなぜか、解放されたような、安堵した笑みを見せていた。それがアルにはなぜか、冷たい笑みに見えたのだけれど。


(母さま――)


「やめろアーサー!」

 突然声が轟く。彼がそんな凄まじい声を出すところを、ドロテアはめったに聞いたことがなかった。

 あきらかに正気ではない、ルドルフの言葉によって戸惑っているアルに剣を向けようとしたアーサーに、ウィルが鋭い一声を浴びせたのだった。その声にぴくりと反応した騎士は、わずかに身体を傾け、声の主に目をやる。

 瞬間、男は唖然として動けなくなった。

 頼りの騎士も使いものにならないのだと悟り、ルドルフは顔を真っ赤にして癇癪を起こす。そしてあらん限りの声を振り絞り、地団太を踏んで叫んだ。

「兵よ!今すぐこいつらを殺せ!この役立たずどもが!貴様らの家族がどうなってもいいのか!」

 大臣の最後の言葉は、カスパルニアの兵にはこたえたらしい。みな最初は戸惑いながらも、その目に殺意を芽生えさせていた。

 ウィルは眼に鋭い光をはらませたまま、今度は肩で息をするほどうろたえている弟に声をあげる。


「アルティニオス!」


 そこでやっとアル王子は正気を取り戻す。ハッと息をとめ、額の汗をぬぐった。

 声をあげ、兵士たちが切りかかってくるのが見える。彼らのなかに知らない顔を見たアルは、兵士はすべてがカスパルニアの連中でないことを悟った。大臣は近衛兵のなかにも傭兵を雇い、誘導させていたにちがいない。

「アル王子!」

 振り返れば、ウルフォンがいた。彼から剣を受け取り、アルも戦闘状態に入る。

 ここまできてしまった。カスパルニアは、果たして元に戻れるのだろうか……?


(どうにでもできるさ――王になれば)


 アルはふっと一回、深く呼吸をして整えると、目をひらき、兵士の波に駆け込んでいった。





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