第五十一章 奇妙な男。王への道
第五十一章 奇妙な男。王への道
†▼▽▼▽▼▽†
意識を失ったスーを腕に抱き、アルは男をにらみつける。話には聞いていたが、やはり只者ではない。不思議な魔術を使う、この男がいちばん厄介なのだ。
ルドルフを求めて二階へあがり、廊下を歩いていたころ。後ろにスーの気配を感じながら、注意は怠らなかったはずだ。たが、暗闇を歩いているうちに、ふと思い出されてきた過去に捕まり、すこしの間、アルはスーのことなどすっかり忘れて道を進んでいた。
スーがはぐれたと気がついたとき、自分の情けなさを呪った。レオに小言を言われながらも、道を戻って彼女を探す。
まったく、こんなときにまで足手まといだと思いながらも、どうしてレオはスーを自分たちと行動をともにさせたのだろうかと訝る。はじめ、なんにも思わなかったが、よくよく考えれば、なんの能力もないスーは、ドロテアやウィルたちとともに広間に置いてきたほうがよかったのではないか。わざわざこちらに連れてくる意味があったのだろうか。現にこうして、足手まといになっているというのに――。
「君さ、もっとやさしくした方がいいよ、ホント」
耳元でそう言われ、アルはぎょっとして振り向く。ともにスーを捜して歩いていたレオだったが、思いの外、すぐ後ろについていたらしい。
「煩い。黙れ」
ふんと鼻をならし、アルは構わず歩く。他の人間に、自身の人格をどうこう言われたくはなかった。
レオはハッと息をつくと、こぼすようにつづけた。
「どうでもいいけどさ。君もあの子の主なら、もうちょっと見てやんなきゃ。かわいそうだよ」
「どこが」
「たぶんね、あの子は君が思っているより、ずっと我がままなんだよ」
アルは眉間にしわを寄せ、足を止めた。
あの大人しい少女が、我がままだって?
「でも、あの子は結構賢いでしょ?だから、自分を殺せちゃうんだなあ」
くすくすと笑い、レオはアルの横を通り過ぎていく。苛々して、アルも男を追いながら声をあげた。
「どういう意味だ、それは」
「言葉通りさ」
ぐっと額を押される。突然振り返ったレオが、アルの額に指をあてて、小さく笑ったのだ。しかし、その両違いの眼だけは、異様な光を帯びて、アルを脅すようににらんでいた。
「もしかすれば、狙われるのは君よりあの子かもしれない――あいつが、この城にいる」
「あいつ?」
ああ、と頷き、レオは再び足を動かす。やがて自嘲めいた笑みを浮かべて、そっと言った。
「そう、あいつの気配が、ぷんぷんしている……」
それからアルは、レオの言う『あいつ』のことを聞いた。くれぐれも、スーを『あいつ』に近づけてはいけないと言われていた。
それなのに。
(この様だ。まったく……いやになる)
アルはスーを抱く腕に力を込め、どうしたものかと思案する。果たして、自分はこれから、無事に生きていられるのだろうか?
目の前に現れたのは、ひとりの細身の男だ。ひょろりと背が高く、風が吹けば飛ばされてしまいそうなほど華奢に見える。男は灰色の髪をひとつに軽く束ねており、薄茶色のマントをはおっているという格好だ。だが、なにより目をひいたのは男の瞳――ワインレッドの瞳だった。
アルは剣を抜き、片腕にスーを抱いたまま後退する。すると男は進めていた足を止め、静かに笑った。
「かわいそうですね」
「……なんのつもりだ、貴様」
どいつもこいつも、スーを『かわいそう』だなどと口にして、まったくばかげている……アルは心中で舌打ちしながらも、顔を歪めて剣の切っ先を男の心臓へ向けた。相手に武器はない、それなのに、この圧倒的な力を見せつけられているような感触は、なんだ。
くすくすと笑い声をたてて男は肩をすくめる。かわいそうだと口にしながら、その眼に憐みの色はない。
「あなたも、そこのお嬢さんも、本当にかわいそうだなあ」
「黙れ」
どうすればいいのだろう。徐々に背中にいやな汗が流れていく。心臓はおもしろいくらいにバクバクと脈打っている。今までに、こんな経験はない。はじめての圧倒的な力を前に、なす術もなくうな垂れてやる気はさらさらないが、しかし、どうすればいいというのだろう。
男は足を止め、じっくりと品定めするようにアルとスーに視線を滑らせる。やがて、口角をくいっとあげると、そのまま一歩後退した。
「いいでしょう、まだ、あなた方に手出しはしません。でも、いずれは……」
「待て!」
目がかすむのか、それとも男の姿がかすんでいるのか。彼が姿を消そうとしていることを悟り、アルはあわてて声をあげる。
「こいつになにをした!元に戻して――」
「大丈夫ですよお。ちょっと心をのぞきましたが、今はただ眠っているだけですから」
微笑したまま、彼はそっとスーを指差してそう応える。アルのあわてた姿がさぞ愉快だったのか、その笑みは崩れることがない。
「興味がありますから、またいずれ。あなたのお兄さんにも、よろしくお伝えください」
「待て――!」
次の瞬間、まばたきをしたその一瞬で、男の姿は消え失せていた。影に溶け込んだように、不気味なほど自然に。
アルは震えを認めぬため、舌打ちをして自身を奮い立たせる。奇怪な男に、身の毛のよだつものを感じた。
(あれが敵か)
漠然と戦慄する。あれが、敵についたのかと思うと、勝てる気がしない。
レオは彼が敵だとは言わなかったが、しかし、味方であるとは到底思えない。もしかすれば傍観者を決め込んでいるのかもしれないが、もはやその線に期待するよりは、最初から敵であると計算しておいたほうがいいだろう。これ以上落ち込みたくはない。
(俺が王になるのも簡単ではないな……)
気を失っている少女を抱きかかえ、アルは立ち上がる。彼女の豊かな髪が手にこすれて、くすぐったい。
(――邪魔が多すぎるよ)
腕のなかの少女は、無垢だ。なんの汚れも知らないような顔をして、安心しきって自分に身を委ねている。
アルは突如、笑いたいような、泣きたいような、不思議な感覚に襲われた。
(前に進むのが怖い)
レオの顔、ウィルの顔が頭をよぎる。そしてその隅に、薄くぼやけた母親の顔が浮かんできて、思わず頭を振った。
自分が憎いのは父親だ。母と自分を見なかった男だ。そして元凶のフィリップだ。
きっと彼は自分を恨んでいる。だから、自分だって憎しみを抱いていいのだ。そういう運命なのだ。
レオのことは、今考えるべきではない……アルはひとり、自身へ言い聞かせ、軽く息をはいた。
負けるわけにはいかないのだ。
(僕は王さまになるよ……母さま――)
ぐっと腕に力を込め、アルは一歩、足を進めた。
†+†+†+†+
先に攻撃をしかけてきたのは、ルドルフ大臣のほうであったらしい。
それは数分前、レオとともにスーを見失ったことに気がつき、彼女を捜索していたころ、突如階下から騒がしい声があがった。それから間もなく、ランスロットがやってきて、状況を簡単に説明してくれたのだ。
どうやら、二階にいるのはリオルネとクリスらしく、ルドルフ大臣は大広間へ姿を現したらしい。そしてすぐに一階の出入り口を封鎖すると、「このなかに敵が混ざっています」と声高らかに告げたのだそうだ。
アルたちの様子を知ろうと、ちょうど大広間に居合わせたランスロットは、ウィルとドロテアが捕らえられたのを目にし、急いでアルたちに告げようとやってきたというわけだ。
「今、彼らの見張りはカインたちにさせています。大臣たちの思惑は、アル王子を亡き者にすることでしょうから、すぐに捕まった彼らが傷つけられる可能性はないかと」
ランスロットの報告に、緊迫した空気が流れる。アルは頷き、レオを見やった。肩をすくめ、オッドアイをした青年は口をひらく。
「誘いにのることはないよ。ウィルが第一王子だという事実は、おそらくバレないだろうし。彼らは君が思っているほど、馬鹿じゃないさ。それより……貴族たちはさぞパニック状態だろうなあ」
くすくすと笑うレオに、ランスロットは幾分冷めた目を向けた。
「笑い事ではありませんよ。なぜ彼らがアル王子の味方だとバレてしまったのか皆目わかりませんし……なにより、なにを勘違いされたのか、あなたの弟君は「兄上を返さなければすぐにでも貴様を殺してやる」と叫んで、大広間の中央を陣取りましたよ」
「へ」
ぎょっとレオの目が見開かれる。開いた口がふさがらない状態だ。
そんな彼に追い打ちをかけるように、ランスロットはつづけた。
「ウルフォンさまの力はたしかに欲しいです。……が、幾分、あなたに執着しすぎでは?」
「それは俺の監視下じゃない」
フンと鼻をならし、レオは我関せずとそっぽを向く。それから仕返しのように顔を歪ませ、ランスロットに言った。
「ところで君は、自分の仕事はしてきたワケ?」
「できる限りのことはいたしました」
「あ、そ」
おもしろくなさそうに唇を突き出し、今度はレオがアルを見やった。
アルは口の端を引き上げ、小馬鹿にしたような笑みを浮かべる。
「どうする。役者はそろったわけだけど。大臣たちは僕をご指名のようだし……万一、うちの救いようのない脳なし大臣が、あなたの弟君を傷つけでもしたら、きっと国が絡んでくるでしょうね」
「それは、今更、だろ?」
ニヤッと口角を引き上げ、レオはぐんと伸びをした。アルも仕方がないというように、首を回す。
「じゃ、穏便には進まないということで。海賊たちの出番だな――ランスロット」
「はっ」
アルの声かけに、鳶色の目をした騎士は軽く一礼すると、風のごとく走り去った。
その背が見えなくなるまで見送ったあとで、アルは琥珀色とワインレッドの瞳に合図した。
レオと別れ、アルはスーを捜す。人の気配――というより、彼女の声――が聞こえる部屋を見つけると、戸惑うことなく煙幕玉を転がした。そしてほぼ同時に、階下からも大きな爆発音が聞こえる。煙幕が徐々に上がり、部屋を満たすと、クリスとリオルネが出てくるのを甲冑の影に隠れてやり過ごし、そして彼女を迎えにいったというわけだ。
出入口を封鎖されているため、貴族たちは二階へ避難してきた。必要なのは、ルドルフ大臣含めた、この陰謀に関わっている人間だ。海賊たちはそれぞれ与えられた配置につき、用のない貴族たちを二階から外へ逃がす作業に徹する。いらぬ犠牲者をつくらぬためだ。
失敗はできない。すべては、王になるために。
奇妙な男の姿を見失い、アルはスーを抱いて歩を進めていく。
(本当は、もう、王位などいらないと思った)
アルは暗闇に浮かぶ光を探すように、空を仰ぐ。
あの日――スーを、かつての拷問部屋に連れていった日。なにもかにもがいやになって、もう、彼女すらいらないと思った日。
気絶させた少女を抱えて自室へ戻ると、ランスロットがやってきた。そしてアルは、その知らせに食いついた。
「あの女性の乗った船が、港にいる」――はじめてそう情報をもらったとき、はじめは無関係を決め込んだ。もう、兄の亡霊になど関わりたくはない、と。しかし、その日に彼から、『状況が変わった――明日の朝、日が完全に昇る前に、彼らは出発する』と告げられたとき……唐突に、突き動かされていたのだ。
ランスロットを信用していいという確信もない。それに今城を抜ければ、一国の王子が無断で城を抜ければ、どうなるかくらいわかっていた。策略する大臣に利用されるのがオチなことくらい、よく考えればわかったはずなのに。
なのに自分は、行くことを選んだ。かつて兄王子の恋する相手と言われた彼女に、会おうと決めた。会って、真実を知ろうと。自殺なのか、他殺なのか――自分が彼を、死に追いやったのかどうかを。
だがしかし、どうだろう。会ってみて、予想外なことが多々起こった。
突き放したはずの召使が、なぜか自分を追いかけてきた。そして、死んだはずであった兄は、生きていた――。
彼はたしかに死にそうにはなったが、決して自殺をしたわけではない……それを知れた。
(だけど。なぜだ)
ぐっと奥歯を噛みしめる。
なぜか、晴れない心。ずっとくすぶる、胸の奥のわだかまり。
その意味が、原因がわからなくて、そしてやはり、まだ自分は消せていないのだと――その烙印を、印を、過去を、清算できていないのだと、強く実感した。
(王に、ならなければ)
突然現れた、名もなき恐怖に、その奈落の穴に引きずり込まれぬように。
HP「王様の書斎」などでキャラとの会話企画などやっています。
素敵イラストもありますので、是非!
いつも読んでいただき、本当にありがとうございます。
読者様のお陰で、こうして書きすすめられております。
皆さまに、心からの感謝を。
次回の更新も、よろしくお願いします。