第四十九章 潜入捜査
第四十九章 潜入捜査
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「アーノルド坊っちゃん、お待ちください」
執事服を着たレオが、颯爽と飛び出し、にこやかに言った。公の場で騒ぎを起こすわけにもいかないアルは、ぴくぴくと頬を引きつらせ、眉を歪ませながら、いたって平静を装って応える。
「ああ、君はたしか、レオンだね?鳥と同じ名前の、レオンだろう?」
「いやですな坊っちゃん。わたくしはレオでございます」
「いい加減になさい、ふたりとも。……それで、大臣たちはどこにいるの?」
ドロテアはぴしゃりとふたりを黙らせてから、ワインを飲み干すふりをして尋ねる。
大広間では、盛大なパーティーがひらかれていた。色とりどりの食事は鮮やかで、空腹をリアルに感じてしまう。きらきら光るシャンデリアも、その光に反射する貴族たちの宝石やドレスもまぶしいくらいだ。集められた公爵家などの貴族と呼ばれるものの類の者たちは、それぞれに料理やダンスを楽しんでいた。
しかし、肝心のルドルフ大臣やクリス、リオルネの姿は見えない。行き場をなくしたスーたちは、とりあえず貴族にまざって食事をしながら、今後の動きを話しあっていた。
「どうやら、二階の小広間にいるらしい。さっき、どこかの伯爵と衛兵が話していた。たぶん、あの衛兵はもとから城にいた人間だと思う……だから坊っちゃん、あんまり目立たないでくださいね」
「大丈夫だろう。髪色も隠せているし」
「ですがね、ウィリアム公爵!帽子だけでは限度がありますよ」
いちいち熱を入れて役を演じきるレオに、スーは呆れを通り越して感激さえしていた。それに、アーノルド坊っちゃんと呼ばれて顔をしかめるアルを見るのは、思いの外快感であったのだ。
(いけないわ。笑っているところを見られたら、アルさまになんて言われるか……)
たちまちぞっとし、スーは姿勢を正して、口をひらいた。
「じゃあ、手分けをして行きますか……?なにかあったとき、みんな一緒では危ないです」
「お、なかなか言うじゃないか。じゃあ、貴族令嬢とウィリアム公爵はここで残って、動向を探って。貴族のうちにも、なんか情報持ってる人間がいるかもしれないからね」
骨付き肉を頬張りながら、上機嫌でレオは言い、つづける。
「で、スー嬢ちゃんとアーノルド坊っちゃんは俺と、上に行って話をつけてくる」
スーは勢いよく頷くと、緊張に目を見開く。自分になにができるかわからないか、できることはやらねばならない。足手まといにはなりたくない、と強く覚悟を決めた。
「はい、わかりました!」
「……だれが坊っちゃんだ」
アルはフンと鼻をならして不機嫌そうに顔をしかめぼやいたが、他に反論はないようだ。そのままさっそく、スタスタと歩き出す。そのあとを、スーとレオはあわてて追う。
(わたしも、がんばるんだ……だれも傷ついてほしくなんかないんだから!)
希望をひめた胸の前で、スーは拳をかたく握った。
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大広間とは打って変わって、二階はとても静かで人気がまったくといっていいほどなかった。見張りの衛兵の姿をときたま見かけたが、その直後には、レオによって床に気を失って伸せられていた。
今回も手早く見張りの首筋を打ち、気絶させると、レオは滑るように先へと進んでいく。暗闇のなかを、まるでレオには明かりがついているときと同じような動きで動いている。ここはカスパルニア王宮だ。レオがこの城へ足を運んだことは果たしてあっただろうか。どうして見なれた土地のように、まるで自分の庭のように勝手を知っているのだろうか。
やはり、スーには彼がメディルサの第一王子であるとは到底思えなかった。例外でもなければ、彼がメディルサの次期国王なのだろうか?
(王さまというよりは、盗賊に向いていると思うのに)
失礼なこととはわかっていても、そう思わずにはいられない。身軽な動きや、的確な行動力や洞察力は、どうやって身につけられたのだろう。
また、アルも薄暗いなかにしてはよく動けていた。それはもちろん、この城はアルの住んでいたところであるのだから、暗闇だとてどこになにがあるかぐらいはわかるだろう。それに、彼は普段明かりのない部屋を好んで生活していた――むしろ、暗闇は彼の有利に働いているといってもいいかもしれない。
対して、スーの足は非常にのろまであった。城で過ごしたとはいえ、まだまだ期間は短い。甲冑に驚いたり、燭台にぶつかりそうになったりと、とてもアルやレオのようにはやくは動けなかった。
はじめこそ、彼らはスーが追いつくのを待っていたが、しばらくすると、もはや待つ意味なしと判断したのか、彼女を置いてさっさと足を進めてしまった。もちろん、先行く敵はすべて片づけているからスーに危害はないとは言っても、ひとりで歩く心細さに代えられるものはない。
(さっそく足手まといじゃない)
贅沢は言えまい。せめて彼らとともに行動して遅れを食うよりは、ひとり不安な暗闇を歩いたほうがましだと考え、スーはゆっくりと足を運ぶ。
(アルさまも、レオさんも……なんだかんだで、似ているんだ)
見捨てられたわけではない。危ない場所に置き去りにされたわけではない。けれど、遅い者は置いていくその行動力――というのだろうか、そういう同じ決断力を持つ彼らに、そしてひとり情けないまま歩いている自分に、スーは苦笑いした。
二階の小広間へ向かっていたはずだった。だが、考え事をしていたからであろうか。暗闇で前が見えにくかったためであろうか。とにかく――スーはアルやレオを見失った。
突然、まったくのひとりぼっちになってしまい、額に脂汗がにじむ。まさか、こんなところでこんなヘマをしようとは、自分自身思いもしなかった。とりあえず、足音はないか、人の気配はないかと神経を耳へ集中させて歩を進めていく。すると、やや行ったところで、右手側の部屋からなにか物音を聞いた。
よかった――一気に安堵がわきおこり、スーは忍び足も忘れ、勢いもよく部屋の扉をあけた。
「スー!」
入った直後、後悔していいのか、よろこんでいいのか、一瞬戸惑ってしまった。ここは小広間ではない、個人の一室のようだ――だが、そこにいたのは、次期国王としてルドルフ大臣たちに推されているリオルネであったのだ。
「リ、リオルネさま……」
ぎくりとしたものの、幸い部屋には少年ひとりだけであるらしい。スーはあわてて扉を用心深く閉めると、深呼吸して彼を見た。
リオルネは深い紺色のマントをはおり、緋色の椅子に腰かけていた。プラチナブロンドの髪はきちんと整えられ、前髪が横に流されている様は、以前の彼よりも幾分大人びて見える。やや緊張した面持ちで身体が固くなっているようだったが、リオルネに変わりはない。
ほっと胸をなでおろし、彼に近づこうとしたスーであったが、その瞬間、リオルネはバッと立ち上がり、目に疑いの色を浮かべてこちらを見る。びっくりして、スーは足を止めてしまった。
「リオルネさま、あの……」
「よるなっ!」
怯えたようなまなざしをこちらに向けている。以前の彼の無邪気な表情は微塵も見えない。あきらかに敵を前にしたようなその行動に、スーはショックを受けた。
「わ、わたしはなにもしません。どうか、話を聞いてください」
ぐっと堪えてなんとかそう言葉を紡ぐと、少年はひくひくと口の端を引きつらせて応えた。
「話?そうやって、僕を油断させるつもりなんだろう」
「そんな!」
「ランスロットだって、僕の命を狙ってたんだ……スーも、僕を殺しにきたの……?」
最後の問いは、消えそうな声であった。苦しそうに、喘いで言う少年に、スーはどうしていいかわからず、ただ言葉を探って口をぱくぱくさせる。
なんと言えばいいのだろう?
リオルネはとても興奮していた。怯えと不安が一気に最高潮に達したのだろう。目を大きく見開き、こちらから決して目を離そうとはしない。
あの無邪気で、すこし高飛車な少年はどこへいってしまったのだろう。まるで王さまのようにスーに命じて、天真爛漫で、けれどやさしさを持ったあの少年は。
(騙されているんだ。きっとルドルフ大臣たちは、リオルネさまを洗脳して……)
クリスのことが大好きだ、と言ったリオルネを思い出す。大好きな、信頼すべき人から騙されているなんてわかったら、一体彼はどうするのだろう。たまらない。傷つくに決まっているのに。
スーには言えなかった。大好きだと尊敬していた人物が、実は悪事を企む連中だなんて、そんなことを、この無垢な少年にどうして言えよう?
スーは迷った。そしてこの迷いが、まさか命取りになろうとは思いもしなかった。
「殿下!」
突然声があがる。振り向けば、手に剣を持ったクリスが立っていた。鋭いまなざしでこちらを見、もうかつての彼のやさしい笑みなど思い浮かべることもできそうにない。うなだれ、スーは唇を噛みしめる。
「クリスさん、どうして……」
「あなたが裏切り者の側にたつからですよ」
まばたきひとつせず、彼はじりじりと少女との距離をつめる。その手に光る、人をも殺してしまえる武器に、スーは怯えた。
「あなただってわかっているはずです……欲望にまみれた王宮――そんなもの、消えてしまえばいい。民の幸せを、王族は願いもしない。ただ権力に焦がれ、他者を蹴落とすことに精を出す愚か者ばかり。それが正しいと言うのですか?」
スーは一歩後退しながら、ぐっと堪える。正しいとは、思わない。だが、それを言えばルドルフの方が権力の力に魅了され、溺れているように見えるのに。
クリスはひと呼吸置いて、つづけた。
「ルドルフさまはおっしゃられた――ともに、新たな王国を築こうと。だれもが幸せを望める国をつくろうと。……たどれば同じ血をひくリオルネ殿下にだって、権力を手にする権利があるでしょう?」
とうとう、手を伸ばせば触れられる距離になった。クリスが手を動かしたとき、咄嗟にスーは肩を縮める。
だが、予想外なことに、クリスは剣でスーを傷つけることはなく、そっとその凶器を鞘におさめたのだ。
驚いて目を見張る少女に、彼はゆっくりと笑みを見せる。
「あなたは賢い人です。わかるでしょう、この王国が、欲望にまみれて汚れていることが」
そっと差し出された手を見つめ、スーは生唾を呑み込む。
わかる――この王宮は、なんて私欲に埋もれた国なのだろうと、日々思ってきた。権力に媚び、爵位で人を見て、下の者を同じ人間とは思わないような扱い。
くだらない、と思ってきた。その姿を見るたび、嫌気がさした。
(クリスさんの理想はわかるわ。でも、ルドルフ大臣を味方だなんて思えない)
なにより、スーを召使だと小馬鹿にしたのは大臣なのだ。スーはそれを忘れてはいない。デジルが、いちばん厄介なのはクリスだと言っていたが、それはちがうのではないだろうか。彼はただ、己の正義に忠実なだけなのではないか。従う人間をまちがっているだけなのではないか。
(もしそうだとしたら、クリスさんは味方になってくれるはずだわ)
拳をつくり、力を込める。スー自身も、自分の意志とやらに突き動かされたようだと、頭の隅で軽く苦笑した。
「クリスさん、リオルネさま」
そっと呼びかけ、スーはじっとふたりの眼を交互に見つめる。根から悪い人間なんていないのだ。きっと話し合えば、わかりあえるはずだ。
裏で自分の祖国を滅ぼした人間が関わっていると知ったとき、妙な感じがした。それは夢のなかの話のようで、いまいちピンとこない。けれど、ラベンの国が消滅してしまったのは事実だし、なんの罪のない人間たちが命を落としたことも真実だ。なぜ、ラ―モンド家はラベンの王族を滅ぼしたのかといえば、それは彼らが深い歴史に虐げられてきたからだろう。外見から王族の証を批判され、その恨みは後世にまで響いたのだろう。
恨みは恨みを買う。どこかで食い止めなければ、永遠に終わらない恨みの連鎖。
(止めなくちゃ。わたしにだって、できることはあるんだもの)
絡み合った陰謀の数々を見て、幾度そう思っただろう。そのたびに、自分になにかできたことはあっただろうか?
スーはぐっと奥歯を再度噛みしめると、口をひらいた。
「たしかに、この国には影が蠢いています。けれど、アルさまは決して……」
「欲にまみれていないとでも?」
クリスの冷ややかな声に、スーはハッとした。
リオルネを庇うように立ちながら、さっと赤い目を細め、彼は皮肉的に笑う。
「部屋を不気味なほど暗くして過ごすあの方を、みな影で嘲っているのですよ。一国の王子であるから、貴族たちは権力を手にしたいがために我が娘を妃にと叫び――まあ、王子はだれもが羨むほどのあの容姿ですから、なんの問題もないでしょうが――大臣たちは脳なしばかり。自分の地位がかわいいあまり、口答えもできないでしょうね」
「じゃあ、ルドルフ大臣はどうなのですか」
「ああ、もちろん、あのお方は別ですよ。ルドルフさまだけは、きちんと根本が見えています。アル王子には、一国を治める力量などない、と」
クリスは口の端に冷笑を浮かべ、嫌味な声を立てて言った。スーはややむっとして、ぐっと堪えてから言葉を発する。
「どうしてですか。クリスさんはわたしに、『あなたならアル王子の本当がわかる』って、おっしゃったじゃないですか。難しいお方だけれど、きっと心を開いていけると……あれは嘘だったのですか?」
そう、彼はかつて言ったのだ。スーを励ましてくれたのだ。あれは偽りの姿だったというのだろうか?
今度こそ、クリスは笑みを消した。剣を構え、そっと言葉を落とす。
「わかったでしょう?アル王子は、あなたにやさしかったですか?あなたは、アル王子を尊敬しているのですか?」
(わたしは――)
暗闇で光る、ふたつの明るすぎる青い目を脳裏に浮かべる。
あのとき、怯えが身体中を支配した。あのとき、すべてが闇に閉ざされてしまったような気がした。あのときの、自分の瞳を見つめる、あの双眼が、恐ろしかった。
そろそろはっきりさせねばなるまい。
ルドルフ大臣のやり方はまちがっている――それはわかりきったことだ。王子の暗殺など、してはならぬこと。なにより、フィリップを王座から蹴落としたのだから。
だが、どうだろう。はたして自分は、アルを王にと望んでいるのだろうか?自らの居場所のためだけに、動いているのではないか?
これは、フィリップとその敵の戦いではない。アルと、王座を狙う者との争いなのだ。
そろそろ、決めなくては。はっきりさせなくては。
(わたしが、アルさまの味方かどうかということを)