第四十七章 王子の帰還
第四十七章 王子の帰還
†▼▽▼▽▼▽†
風がやみ、不気味な空間が広がる。しんと静まりかえる港は、人影もなく、沈黙の場として恐ろしいほどさびれて見えた。
とりあえず捕虜をメディルサの衛兵に預け、彼らは船番となった海賊の数人とその場に残り、一行はカスパルニア王宮に向かうことになった。
しばり上げられた彼女が衛兵に引き渡されるとき、ふいにスーは目があった。びくっと身体を縮めたが、デジルは軽く笑みを浮かべると、通り過ぎる間際に口をひらいた。
「小娘、リアに伝えといてくれる?」
はっとして、スーはあわてて衛兵を呼びとめ、彼女の言葉を待った。デジルは相変わらず口元に笑みを浮かべながら、スーを見やる。
「――わたしはわたしの道で生きていく。やっぱり、それしかないから。それから、アンタはどうするの――?って」
「わかりました」
頷く。すると彼女はおもしろそうに声をあげた。
「最後にいいことを教えてあげる――わたしにアル王子の暗殺を依頼したのは、大臣じゃない……もう知ってんでしょ?」
ぐっと奥歯を噛みしめる。
「ええ」
少女の応えに、女はへえ、とつぶやくと、再び歩き出した。が、その間際、小さなささやきをもらす。
「そいつがいちばん、厄介だよ」
†+†+†+†+
再会にほっとしたのもつかの間、事態はいっそう深刻であることを告げられた。
それはカスパルニアの城へ向かう数時間前。港の一室で、状況や今後の動きを話しあっていたころに遡る。
城では今、もっとも大きな政権を握っているのは大臣のルドルフである。彼はアルティニオス次期国王がすでに暗殺されたと公表し、また同時に直属の第一騎士や召使が行方不明であると告げ、彼らを参考人として捜しているという。また、この状況に民に混乱が生じないよう、次期国王はいちばん近い血縁のリオルネが継ぐこととなり、戴冠式を行うという。次いで、反乱軍や暗殺組織の攻撃を避けるため、国民には一時的に住まいを離れ、なんとベルバーニ国の用意した土地で仮住まいを命じているらしい。これは官僚の策なのだとか。
「道理で、港の活気もなかったわけだ……人の姿が見えやしない。奴らは君たちの反撃を頭に入れてたってわけだね」
レオが肩をすくめ、アルとランスロットに向かって言った。ランスロットはやや表情を歪ませ、苦渋を押し殺したような声でつぶやく。
「ああ。俺が生きていることを、奴は知っていたから……民の大移動を数日でやってのけた。そしてすぐに、スーや俺に王子殺害の罪を着せた。参考人なんて言うだけで、指名手配と同等な扱いだ。あの裏切り者――」
彼がそう言うと、すぐにスーは確信した。確信などしたくなかった、信じたくなかった――けれどこの状況を見れば、言うまでもない。
民の大移動を命じた官僚とは、クリスのことであろう。
スーの悟りを確固たるものにするかのように、つづけてランスロットは話し出した。
あのとき――スーとランスロットが賊に襲われたときから、すでにクリスは敵であったのだ。賊はクリスが金で雇った連中で、ふたりを襲わせた。クリスはアル王子の行方をふたりが知っているのだと思い、どちらかを殺し、ひとりを孤独に追いやって吐かせようとしたのだ。スーを騙し、取り入ろうとしたが邪魔――おそらくレオのことであろう――が入ったため、つり橋の紐を切ってスーと邪魔者を谷底へ落とし、怪我をして弱ったランスロットの口を割ろうと試みた。
しかし、様子を見に行ってみれば、彼はひとりですでに何十人もの賊を打ちのめしているところで、とても弱らせることなどできそうにない。そう思ったクリスはひとまず油断をさせ、スーが何者かに攫われたと虚言をし、後に微量の毒で身体を動けなくさせて城へ連れ帰ったのだという。
「じゃあ、君が怪我をしたから……というのは嘘だったんだ」
眉間にしわをよせ、レオはランスロットに問う。スーとの交換条件を果たすべく、ランスロットたちの無事を確認しに行ったときのことを思い出したのだ。
「あのとき、クリスって奴は怪我人の手当てをしたら迎えにいくって言ってた――で、その直後、だれかに襲われちゃうし」
そうだ、とスーも思い出す。あのときたしか、カインに抱えられて逃げ切ったのだ。情けない苦笑が込み上げてくる。
クリスは嘘をついていた……スーを好きだと言ったのも、油断させるためだった。はじめてアル王子からのひどい扱いを受けたときも、慰めてくれたのは彼だったのに――。
(わたしを好いてくれる人なんて、本当はいないんじゃないかな)
場違いが悲しみが迫る。それはそれで、とてつもない悲劇に思えた。
「そのときちょうど、僕は城にいました」
唐突に、ウルフォンが話に入ってきた。レオにいいところを見せようと躍起になっているように見えるのは、気のせいであろうか。
「アル王子が行方不明だと聞き、自国へ戻るべきではないという直感があったんだ。もちろん、カスパルニアの人たちは噂のおかげで僕をきらっていたから、周りの目は冷たかったけれど。それで、しばらく滞在してみたら……そちらの騎士が拷問にかけられていて。でも、僕はちがうと思った――この人は、悪人には見えなかったから」
「君はそういうの、ホント得意だよね。人を観察するっていうの?嫌んなるよ」
レオは横目で弟を見ながら軽く笑う。ふふんと自慢げに鼻をならし、ウルフォンはつづけた。
「で、カスパルニアの人間の軽蔑のまなざしにも、もう飽き飽きしてきたから。どうせ嫌われるなら、とことん嫌われようと思って……騎士を連れて、城を出てきたんだ。彼は城の抜け道には詳しいみたいだったからさ」
ランスロットは無表情に近い。こういう場では、あまり崩れないのだなあと、感心してスーは彼を盗み見ていた。
(拷問されたのに、ランスロットさんは耐えたんだ)
それにしても、と思う。ウルフォンは兄の前だと、これほどまでに口達者になるのか。夢中であるのかもしれないが、それにしても変わっている、とおかしく思う。
ルドルフ大臣らは、ウルフォンが行方不明という公表はしなかった。あきらかにランスロットの脱獄を手助けたのは彼であろうが、それを公表すれば、メディルサを正式に敵にすることになる。それだけは避けたかったようだ。
情報を持ち逃げた彼らは、すぐさまアル王子へ知らせなくてはと思った。しかし、そのすべがない――。
「そこで僕は、兄上に力を借りようと鳥を飛ばしたんです!レオンは兄上を見つけて、返事がきた……そうしたら、アル王子とともにいると言うではありませんか!僕らはすぐさま港へ――」
「どうでもいいからさ、その鳥の名前、どうにかできないの?」
うざったそうにレオが口をはさんで顔をしかめると、ウルフォンはきょとんと目をまたたいた。
「レオンですか?いいえ、変えませんよ!兄上がいなくなってから、母上も悲しみのあまり――」
「ああ、もういい!わかったよ、本当に。おまえら親子は本当に……」
深くため息をつく兄に向い、ウルフォンはにこりと笑った。
「ええ、僕も、僕の母上も、兄上が大好きですから!」
話は悉く脱線していったが、スーはこの兄弟と、カスパルニアの兄弟を見比べ、どうしてここまでちがうのだろうと訝る。だが、似ているといえば似ているのかもしれない。アルもウルフォンも、意味はちがえどやり過ぎなのだから。
「でも、どうしたら……聞けば、ベルバーニの軍が向かっているというではありませんか」
やや緊張しながらも、スーは口をひらいた。重要な話がそれていたからだ。
ランスロットもハッとしたように顔をくもらせる。
「こちらには今、軍の権威がない……王宮の騎士も、ルドルフ大臣の命で動く確率が高いな。それに、アルを城へ入れる前に捕えられてしまえば元も子もない」
「ど、どうしましょう……!」
そうだ。なすすべがない。こちらには軍もなにもないのだ。たとえカスパルニアの兵士を数人こちら側に引き寄せられたとしても、ベルバーニの武装した大軍とでは、数の差で、あっという間に封じられてしまうのがオチである。
(せっかく兄さまも生きていたと知れたのに)
勝ち目などない……暗闇が、目の前を覆っていく。なにもできないのだろうか。
「わたしたちには、なにもできないの?」
「このままでは……どうしたら……」
「海賊の船員を入れても、数になるかどうか」
「あ、あのぅ……」
「油断させられないかしら?あたしが歌で侵入するとか」
「でも、そのあとが……」
「ああ、味方についてくれる大軍なんて、そんなものどこに――」
「あの……」
「ランスロットさんが何百人もいればなあ」
「無理言うな。現実的なことを考えろ」
「あ、あのっ……」
「――うるさい!」
思わず、といった感じで、スーとランスロットの声が重なって響いた。怒鳴るつもりなど毛頭なかったスーは、ふたりから一緒に怒鳴られた哀れな男を見、すぐに謝った。
けれど、気にしていられないほど切迫したこの状況で、王子もなにも考えてなどいられなかった。
怒鳴られ、再び羊のようなおどおどした様子をにじませたウルフォンは、それでも、もじもじしながら、チラチラとアルの顔をうかがう。
アルはそれに気がつくと、促すように頷いた。
「あ、あの……あるではありませんか」
彼の言葉に、一同はきょとんとする。それでも、ウルフォンは勇気を振り絞るようにして、口をひらいた。
「我が軍が――メディルサの大軍が、力をお貸ししましょう」
†+†+†+†+
最短距離で王宮へ向かうことができず、かなりの遠回りをしたために、時間を食ってしまった。というのも、戴冠式を受け、民衆以外の爵位を持った貴族たちが城へ集結する真っ最中だったため、見つからないように移動するのは一苦労であった。それに、貴族目当ての盗賊などのごろつきがはびこり、行く先々を邪魔した。
やっとのことで城の敷地目前へ迫ったのは、戴冠式の一日前であった。
「カスパルニア王宮……」
ウィルの隣にいたスーは、彼のつぶやきが耳に入ってきた。その声はどこか遠く、そして様々な色を帯びて耳へ届く。
その声音に、どんな想いがあるのか、計り知れない――カスパルニアの港に向かう船のなかで、スーはウィルがドロテアに話しているのを聞いてしまったことがある。
「僕は本当にやさしかっただろうか」
彼は悲しそうな、苦しそうな顔でそう問うていた。だれもいなくなった甲板で、海をながめながら、ふたりだけで立っていた。
ドロテアはちょっと戸惑ってから、「どうして?」と聞き返す。
「僕は『やさしい人』だと、『慕われている王子だ』なんて言ってもらえていたけれど、……そんな自覚なんてない。ただ、自己満足で……僕はだれからでも好かれる人間じゃないんだ」
泣きそうな、切羽詰まった声。ドロテアはそっと彼の肩に手をのせ、やさしくなでた。
「……まだ、苦しんでいるのでしょう?あなたも、彼も――」
「アルーは」
ドロテアの声につられるように、ウィルは口を切る。
「あいつは、僕を憎んでる……いや、きっと……きっと、自分を憎んでいる。自分を責めているんだ――その僕の『やさしさ』が、アルーを苦しめている」
スーは胸を鷲掴みにされる思いだった。フィリップが苦しんでいる――自分にはわからないアルの悲しみの真実を、知っているのだろうか?
うなだれる青年の頬に、ドロテアは軽く口づけた。
「故郷に帰るのが、怖いのね……でもあなたは、国を捨てたわけじゃないわ。大丈夫――あたしは、あなたのそばにいるから」
そのときのことを、スーは見なかったふりをしてやり過ごした。見ては、聞いては、いけなかったはずだから。
ウィルはそっと目を一度とじてから、ふっと息を吸った。そしてアルの隣へと並ぶ。
(帰ってきたんだ)
明るい青い瞳の王子と、深い緑の瞳の王子。
かつてはそうだった。けれど、今はちがう。ちがうけれど、でも、真実だ。
ふたりの王子の帰還――その姿を、太陽の光を浴びたそのふたつの背を目にして、スーは歓喜のような気持ちを抑えることができなかった。
いつもお読みくださり、誠にありがとうございます!
わかりづらい個所などございましたら、教えてください。
描写が拙かったり、ぐちゃぐちゃかな、と思うところは直しているのですが、自信がなくて・・・
第二部が予定よりも長くなりそうなため、ちょっとわけてみることにしました。
予定では、『旅立ち』ノ巻と『戦闘』ノ巻にしようかと。
加えて、第一部でも全体のタイトルをつけてみることにします。
詳しくは、また後ほど。
これからもどうぞ、よろしくお願いします。