第四十六章 ライオンとハイエナ
第四十六章 ライオンとハイエナ
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それは港に到着する数時間前のことだった。
「青い鳥が報せをもってきたんだろ?」
何気ない調子でカインがそう話しかけてきたとき、スーはしばし面喰った。というのも、彼の顔が実に神妙だったからだ。
「そうですけれど……それがなにか?」
いつものおちゃらけた様子など微塵も見せない彼に戸惑いを感じながらも尋ねると、カインはごにょごにょと口ごもったあとで言った。
「別に。あいつがいいなら、いいんだ。ただ、相手の反応も気になるだろうしなぁ」
なんのことを言っているのか、さっぱりわからない。
風を受けた帆がめいっぱい膨らんで、船は水面を滑っていく。そんな爽快なときでも、船のなかの雰囲気は怪しい。
それもそうだろう。今、カスパルニアの王国が窮地に陥っているのだから。腹心の大臣――とまでは言えないにしても――によって裏切られ、だれが味方でだれが敵なのか把握しかねる。船は今、その混沌としたど真ん中へ向かっているのだ。
それに、この船がカスパルニアへ再び向かうことは、別の意味ももつのだろう……今回はきっと、海賊たちも上陸するだろう。港にとどまらず、城へ足を進めるだろう――船長の故郷へと。
これはただ、心やさしい海賊が王子を手伝ってくれるという話ではない。元王子とその弟王子には、そして彼らを匿う海賊たちには、深い深い意味のあることなのだから。
アル王子は海賊の援助を拒んだ。だが、今度ばかりはウィルも引かないだろう。自国のために、そして数年前の決別のために、引けないだろう。
三日前、全員がそろったところで、ウィルたちが話してくれた事実。ラーモンド家はラベンの国の王族から外された人たちの子孫。そして今、王国を脅かす存在。
ドロテアが言っていた、『わたしたちは動いていた』というのは、こういうことだったのだ。たくさんの情報を集めるため、フィリップとして王宮へ戻るのではなく、ウィルとして、苦心の思いで下した決断だったのだ。
スーはそれがうれしかった。まだ彼がカスパルニアを、自分たちを大切に思っているのだと、再度実感できた。
「そういえば、スティーナ……いや、えっと、ステラータ?ん?スティファーヌ?」
「……スーでいいです。是非、そう呼んでください」
唐突に、まじめな顔で訝るカインに、スーは軽く頬を引きつらせて言う。自分がアル王子の召使であると正体を明かしても、変わらず接してくれる彼らがうれしい。さすがは、一国の王子を匿うだけある、ということだろうか。
「そうか、スー。もうすぐ、港に着く……ウィルがどうするのかわからねぇが、俺らは船長に従うし、たぶん、おまえらの助けにもなるだろう。……だが、たかだか数十人の海賊だ。戦力になるかはわからねぇ」
「いえ、とても心強いです」
それは本心だった。けれど、どうしても、大きな戦いになどなってほしくはない。それはきっと、大切なものをたくさん失うことになるから。
(戦争なんかに、ならなければいい……)
だれも傷ついてほしくない――そう願わずには、いられなかった。
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港にランスロットの姿を発見したとき、スーはなによりもまず、ほっと安堵の息をついた。生きていることは知っていたが、こうして実際に見るのと話を聞くのでは、実感が全然ちがう。
思わず顔をほころばし、スーは涙を呑み込んだ。
久しぶりの地面を足の裏に感じて、スーはわずかに感激した。揺れない地面など、遠く彼方の思い出のようだ。
落ち着いてから、盗み見るように辺りをうかがう。そろっている人物の不似合いさに、なんだかおかしくなった。
「ご無事な御身、なによりです」
すかさず、黒髪の騎士がさっと出て、アルにひざまづいた――と思った瞬間――目を疑う光景に、思わずぎょっとして見入ってしまった。アルも、ランスロットも、ウィルも、ドロテアも、その場にいたものすべてが。
明るい、金になれなかったような髮色の男が、まるで幼子が母親に抱きつくがごとくの勢いで、レオに飛びついていた。両手をバッと広げて、顔には涙と笑みを浮かべて、歪むレオのことなどお構いなしに、つんのめる勢いで抱きついた。
「あ~に~う~え~!」
涙声で、ウルフォンはレオに抱きついたまましゃくりあげる。周りが見えていないのか、もはや自分の世界へ入ってしまっている。レオは顔を引きつらせたまま、空いた両手をどうすることもできずに、宙に浮かべて目を泳がせていた。
アルも予想外の出来事であったのだろう。怪訝な顔で眉をひそめ、異物でも見るような目で彼らを見ていた。他の者はぽかんと口をあけたり、苦笑を浮かべたりして彼らを遠目から見やっている。
ひとしきり抱きしめ、感極まった涙を流し終えたあとで、ようやっとウルフォンは顔を離すと、ゆっくりと笑みを見せて言った。
「やっぱり、レオンは兄上を忘れてはいなかったのですね!よかった!無事に手紙を届けられて、本当に……」
はあ、と大きく息をつくと、すっきりしたのか、ウルフォンはニコニコしたままアルに向き直った。
「アルティニオス王子、無事でなによりです。まさか、カスパルニアの周囲を嗅ぎまわっていた海賊が味方だったなんて、思いもよりませんでしたが……」
スーはそこで思い出す。たしか、ウルフォンが城へきたときに内密に、と話をしてくれたこと――海賊が妙な動きをしている、ということ――その海賊とは、ウィルたちのことだったのだ。彼らはアル王子反抗組織と手を組み、カスパルニアの国を奪おうとしていたのではない。情報を得るため、国に近づいていたのだ。
(それにしても……ウルフォンさま……なんだかすこし、お変りになられたような……)
彼の行動や言動には、唖然とするしかない。それにしても、言葉もつっかえながら話していた彼はいずこへいったのだろう。これもこれで、彼らしいと言えば彼らしいかもしれないが。
気分が高揚しているようで、ウルフォンはスーを見つけると、手を握ってぶんぶんと振った。
「ああ、スー!よかった、無事だったんだね?」
「あ、ええ、はい」
「彼から話を聞いたときは、本当に心配していたんだ。よかった!」
彼、と言われたランスロットは、すっと立ち上がると、スーの手を引き、驚いたことに抱きしめてきた。短く、一度ぎゅっと抱きしめ、耳元で深く息をはく。おろおろと戸惑う彼女をよそに、彼は身体を離すと、一度深く笑った。
「生きていたんだな……橋から落ちたと、クリスが言っていたものだから……よかった」
「ら、ランスロットさんこそ……わたし、心配で……あ……アルさまだって……やっと見つかって……」
言いながら、スーは自分の声がかすれてくるのを止めることができなかった。鳶色の瞳を見つめてしゃべっていることもできなくなり、うつむいて、絞り出すように声を紡ぐ。
「に、兄さまも生きてて……わたし……でも、お、お城が……」
ぐちゃぐちゃだ。不安と安堵がどっと押し寄せて、自分がなにを言っているのかわからない。ただ、彼らが生きていて、またこうして姿を見れたことが、本当にうれしかった。
ランスロットはぽんぽんと何度か少女の頭をなでると、きりりと表情を改め、アルを見て口をひらいた。
「アル王子、だいたいの話はウルフォン王子から聞いております」
それからチラとウィルに目を走らせてから、繋いだ。
「まずは、互いの状況をもう一度話すのがよいと思われます。場を設けましたので、そちらで」
こくりと頷くと、アルは視線だけで合図し、ウィルもそれに従った。
カインとダリーたち海賊に船番や捕虜の見張りを任せ、一行は入口の警護は衛兵に任せ、港にあるひとつの建物に入ることとした。居酒屋のような雰囲気のそこは、広くも狭くもなく、四人ちょうどが座れる椅子が置かれている。
スーは、この王子たちの集う席に自分も立ち会っていいのかたじろいだが、アルが顎でふいと自身の隣を示したので、そのまま彼の隣に、すこし下がって立った。
ドロテアがウィルの座った席の隣に、そしてスーと反対のアルの隣にランスロットが立ち、ウルフォンとレオは順に席につくと、一瞬の沈黙が落とされた。
「まずは、この……海賊船の船長が、かつてのカスパルニア第一王子というのは、本当なのですか?」
先に口をひらいたのは、ウルフォンだった。
「兄上からの返信で、すべてを聞かされたのですが……もっとも、兄上はずっと前から彼がフィリップ王子であると知っているようでしたが」
そうだ、とウィルが頷いて応える。
「彼とは身分を互いに教えあっている。僕はたしかに、フィリップだ」
その場が再び、深い沈黙に包まれる。ランスロットが緊張するように拳を握ったのをチラと見て、スーもなんだか汗が浮かんできた。
第一王子が生きているということは、そういうことなのだ。
「……でも、ま、その話はあとだろう。今いちばん大事なのは、カスパルニア王国の現状――おまえの説明は、本当に分かりにくい」
ハン、と肩をすくめて鼻先で笑い、レオはランスロットに目を向けた。
「君が話してくれる?ウルフォンみたいな外部の人間じゃあ、言葉につまるし――」
「待て」
そのとき、ずっと口をとじていたアルが、眉根を寄せて言葉を発した。今から言うことは、聞きたくない、とでも言うように、半ば自嘲的な笑みを口の端だけにのせて、レオを見る。
レオはなんだ、と顔をしかめた。なぜ、今話を中断されなければいけないのか、まったくわからないらしい。
しかし、ハッとしたドロテアは、思わずといった調子で口に手を当てながら言った。
「あたしたち、彼らのことを話してないわ!」
つられてウィルも合点がいったのか、そうかと軽く笑って頷く。
アルはいまだなんのことだと訝るレオとウルフォンに向かって、実に苛々した様子で口を切った。
「先ほどから、ウルフォン王子はあなたのことを『兄上』と呼んでいるようだ。彼はこれでも、一国の王子――となれば、貴公の正体は、なんなのだ?」
言葉の端々に嫌みがにじみ出ている――スーはハラハラしながらも、まさしく自分が聞きたかったことをアルが代弁してくれたため、無意識に食い入ってレオとウルフォンをまじまじと見つめた。
よく見れば、似ていないこともない。ふたりには左右対称ではあるが目元にホクロがあるし、切れ長でつり目ぎみな眼の形もなんとなく似ているかもしれない。ただ、どうしてもふたりを引き離してしまうのは、ウフォンは外は狼、内は羊に見えてしまうのに対して、レオはどう見てもライオンかハイエナを思わせる。その鬣のような髪型のせいだろうか。
また、ウルフォンは地味ではないにしても、レオと比べるとどうしても印象が薄くなってしまう。それはきっと、レオのオッドアイの珍しい色合いのせいでもあるのだろう。
レオはアルに言われ、やっと納得がいったのか、目を見開いて頷いた。
「ああ、そっか。いつか話そうかと思ってたんだけれど……でも、言わなくてもいいかなーって。どうせ俺は、ウルフォンとは腹違いの兄弟だし。そんなに大事なことでもないでしょ」
(大事ですよ!)
間髪入れず、スーは心のなかで憤慨した。彼は王子だったのか。
そして同時に、もしや彼は自分がメディルサの王子であることは言いたくなかったのではないか、という確信に似たものが頭をよぎる。
まったく、自分の周りには変わりものの王子ばかりだ、とつくづく思う。やはりフィリップのような、まさに王子さまらしい王子はいないのだと、変な気持ちで悟ったのだった。
「黙っててもよかったんだけどね。こいつがはじめっから壊れて抱きついて泣いちゃうし、仕様がないよねぇ」
「……ご、ごめんなさい、兄上」
嫌味ったらしい笑みを浮かべて、レオはウルフォンの頬をつねっていじっている。ウルフォンはびくびくと肩を縮め、伏せ目がちに謝罪した。まさしく、羊をいたぶるハイエナのようなレオに、スーはだれかを重ねずにはいられなかった。
一通りいじり終わると、レオはすっと目線を改め、アルに向き直って口をひらく。
「わたしは、レオンハルト・ル・ル・メディルサ――メディルサ大軍帝国第一王子」
その時、たしかにスーは見た……アルの手が、その指先が、ぴくりと反応するのを。
「すべて厄介事が片付いたら、お話でもしましょう――」
レオの目が、細まる。この顔には見覚えがあった――アルが偽りの仮面をつけて対応するときの顔。
カスパルニアの王子は一度目を見開いてから、ゆっくりと、柔く微笑して応じる。
「ああ。僕もお聞きしたいことがあります」
ひとまずもやもやしていた疑問もなくなり、話は次へと移っていく。しかし、スーにはわかっていた。アルの変化を、見逃さなかった。
レオの正式名称を聞いたとき、あきらかに反応がおかしかった。そして今も、どこか動揺している……スーにはなぜか、それが手に取るようにわかってしまった。
名前は――王族にのみ許される、四つの連なり。自分に与えられた名・母の血統の名・父の血統の名・国の名――この順に語ることとされている。庶民は自身の名だけであったりと様々であるが、公爵や伯爵、または位の高い騎士などは、第三の名称まで語ることができる。
(アルさまは、アルティニオス・ル・ド・カスパルニア。兄さまもかつては、フィリップ・ヴェニカ・ド・カスパルニアだった……。わたしは……ステラティーナ・ヴェニカ・サン・ラベン――)
そこで、雷に打たれたような錯覚を起こす。とんでもない、大事なことに気がついてしまった。
(レオさんは……レオさんの本当の名は――レオンハルト・ル・ル・メディルサ――)
わかった。なぜ、アルが反応を示したのか。なぜ、レオは名を語ろうとしなかったのか。
周りが見えない。耳も音を拾おうとはしない。
きっとアルも今、そんな気持ちなのだろう……そう考えながら、スーは強く奥歯を噛みしめる。
レオンハルト王子――彼の両親はどちらも、同じ家系であったのだ。父がウルフォンと同じであるとすれば……。
(“ル”の名を語れる女性は、ひとりしかいない……!)
アルは今、なにを思っているのだろう。
わかりっこない問が、またいつものごとく、スーの胸に迫っていた。