第四十四章 シアワセの青い鳥のしらせ
第四十四章 シアワセの青い鳥のしらせ
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「呼び出して悪かったね」
目の前にいる青年を、まっすぐ見ることはできなかった。スーはもじもじと身体をよじり、ただ、「いえ……」とだけつぶやくように返事をした。
レオに呼ばれてやってきたのは、フィリップの――ウィル船長の部屋であった。海賊の部屋とは思えない、上品な部屋だ。ランプもほのかなオレンジでやさしく、深い緋色をベースにつくられ、飾られたそこは、どこか王宮を思わせる。
ふわふわした椅子に腰かけ、自分と向かいあって座っている青年をチラと盗み見て、スーは落ち着かな気に、そわそわと身体をゆすった。
そんな少女を見て、彼はくすりと笑う。
「よかった。来てくれないかと、ちょっと不安だった」
「どうしてですか。そんなわけ、ないのに……」
きょとんとして、スーはやっと彼を見た。眼帯で隠された眼、見えるもう一方は、深い、藍色――。
「アルーには断られたからね。会いたくないって……」
びっくりして、スーは思わず、まじまじと青年の顔を見る。そんなフィリップを傷つけるようなことを、アルがするだろうか?
スーは確信していたのだ――アルはフィリップを憎んでいるのではない。彼のことが大切で、そんな大切な人を失ってしまった悲しみから、逆の態度をとってしまっていたのだと。だから、フィリップそっくりの自分の緑色の瞳を見て、意地悪をしたのだと。
でももう、フィリップはここにいるのだ。生きているのだ。矛盾した態度をとる必要などないのに――。
「当然のことだよ」
彼は、ふっと息をつくと、声をもらす。
「僕はアルーを裏切ったようなものだ……憎まれたって当然。君にも悪いことをしたね、スー」
彼の顔が、こちらを見る。スーはそれだけで、たまらなく泣きたくなった。
「……君がスーだと名乗ったとき、信じられなかった。うれしかったけれど、反面、僕が生きていると知ったら、スーはどう思うだろうと……怖くなって、思わず『スーなんて知らない』と言ってしまったんだ」
申し訳なさそうに彼は顔を歪め、謝罪する。スーはあわてて首を振り、気にしていないことを示した。
たしかに、彼に『知らない』と言われたことはショックだった。けれど、こうして今、正面から認めて話し合えることが、なによりもうれしく、幸せである。
「彼女から――ドロテアから君の話を聞いたときも、勘違いかと思ったんだ。まさか、城にいるはずの人間がこの船にのっているなんて、俄かには信じ難い。彼女にスーのことは話していたけれど、話だけでスー本人だと特定できるはずがないと思った……でも、侮っていたな」
ふっと軽く、フィリップはほほえんだ。その表情がとてもやさしく穏やかで、スーはかつての彼を垣間見た気がした。
「彼女は……僕のかつての瞳と君の瞳の色が同じであるとわかったんだ。見ただけで……ずっと覚えていたんだな……」
息をもらし、彼は目頭を押さえる。スーもうれしさを思い出した。
この瞳の色は、特別なのだ。自分とフィリップを繋ぐ、大切な証なのだ。たとえ今、彼がこの瞳を失ってしまったとしても――わかる人間にはわかるのだ。それがなにより、うれしかった。
「あの、に、兄さまは、ドロテアさんが好きなんですか?」
言ってから、なんて自分は子供っぽいのだろうと後悔した。無粋な質問だっただろうか。
しかし、フィリップはにっこりと笑うと、ためらった後で、やさしくスーの頭をなでて口をひらいた。
「彼女はリアという名を捨てて、僕についてきてくれたんだ。そんな価値を、僕は自分に見出せなくて、つらかった……。けれど、今はちがうと思う。僕が彼女を愛している。だから、僕は負い目に感じることよりも、彼女の幸せに全力を尽くしたい」
そして、またかつてのように、柔くやさしく――憂いを含まない――笑顔で言った。
「好きなんだ……だれよりも、なによりも。心から」
(――素敵)
ほう、とスーは思わず息をもらす。こんなに彼に思われるなど、幸せではないか。ドロテアがうらやましい。
(けれど)
心に、言いようのない寂しさができる。フィリップは――彼は、ウィルとして、ドロテアと生きていくのだろう。海賊として。
つまり、アルやスーと城へ戻る気はないのだ。
たしかに、年月もたち、瞳の色もちがう人間がフィリップ王子などと、だれが信じるだろう。他人の空似として追い出されるか、悪ければ王子を語ったとして処刑されることもあり得る。
それでも、ともに生きてほしかった。ずっとそばにいたかった。
(だめだな、わたしは)
フィリップの手のぬくもりを感じながら、スーは思う。
(兄さまの影を求めるのはやめようと決意したのに。すぐに揺らいでしまう……)
彼らの幸せはどこにあるのだろう。なにもできない――そんな自分が情けなく、悔しかった。
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「アルさま、子供染みた真似はやめてください!」
劇的な変化だ――スー自身、そう思う。
「さあ!さっさとお話してきてください!いつまでもいじけているなんて、おかしいです!」
スーはシルヴィ特製の怒りポーズと、ローザ独特の呆れ顔を真似て、ぴしゃりと言い切った。
アルはぽかんと口をあけ、わが耳、目を疑うように、何度かまばたきし、肩を揺すった。
スーはフィリップと――否、ウィルと話しおわった直後、鼻息も荒く、アルの部屋へと突入した。ノックもせずに、いきなり戸を開け、そのままの勢いで唸ったのだ。これにはアルもなにも言えないようで、椅子に座ったまま、ただぱちくりと目をしばたくだけだ。
「せっかく会えたのに。アルさまだって、兄さまが好きなんでしょう?!」
「なっ、ち、ちがう!」
「ちがいません!」
きっぱりと言い、スーはさらにアルに詰め寄った。
いったいなにが、アルとフィリップに壁をもたらしているのかわからない。それを知るよしなどない。だが、わかる。このままではだめだ。これでは、ふたりとも苦しんでいるだけで、進展など望めそうにないではないか。
ウィルと話してから、スーは突き動かされるように、勇気がわいてきた。自分は、たとえウィルという名で別の人生を生きていようが、彼が苦しむ姿など見たくはないのだから。それにアルだって、きっと話したいはずだ――スーにはそんな確信があった。幸せになりたい。彼らにだって、幸せに笑ってほしいと、そう思うのだ。
そういう想いが、スーに数刻前の悲劇――アルにキスをされたこと――を一時忘れさせた。
じっとにらむように見つめていると、アルは二、三度まばたきしたあとで、ゆっくりと口をひらく。その眼は冷ややかだが、どこか笑っているようにさえ見えた。
「……おまえ、強気だよね」
思ってもみなかった言葉だ。余計なお世話だと怒鳴られるかと身構えてみたが、そうではないらしい。一か八かの賭けだった――それなのに。
アルティニオスという人物は、どこまでも自分を隠していくのだろうか。それとも、静かなる怒りを常に内に秘めているのだろうか。
(アルさまって……本当に、分かりにくい)
思わず感心してしまいそうだ。スーはなにも言えなくなり、アルを見る。
フンと鼻先で笑うと、アルは口を切った。
「愚図な召使には、もっとキビシイお仕置きが必要なのかな?」
ニヤリとほくそ笑む王子を見て、ああ、これが彼なりの『余計なお世話だ』なのだと解し、スーは言いようのない、恐怖に似た感覚を覚える。月夜、はじめてアルにキスをされた時と同じ……そして、黒い檻のある拷問部屋に連れられた時と同じ、妙な不安と緊張感をかきたて、そして悲しみや寂しさを誘う、あの感覚……。
無意識に見開かれた少女の眼を満足そうにながめてから、アルはゆっくりと口を動かした。
「いいよ、教えてやる。僕は兄上を自殺に追い込もうとしたんだ」
(――え……?)
耳がよく聞こえない。キーンと鳴り、岩で頭を殴られたような錯覚がおきる。
王子は音もなく立ちあがると、ゆっくりとした動作で少女に近づきはじめた。
「だからさ、あいつは自殺したんだと思ってた……失敗したかな?」
「な、なにを……アルさま、ご冗談はよしてください。わたしは――」
「真実さ」
ふふっと軽く笑い、アルはさらにつづける。
「どうする?あいつは生きている……僕はまた、殺そうとするかもしれないよ?」
震え出す、手。どうして自分はこの人に、この瞳に恐怖してしまうのだろう?
アルは、本当にフィリップが憎いのだろうか。……憎んでいるのだと思っていた。けれどそれは、愛情の裏返しだと思ったのに――。
青い瞳を細め、アルは少女の頬にそっと触れた。
「じゃあ、おまえが俺を殺せばいい」
ニッと口の端だけを引き上げ、彼は指先で少女の頬を撫でる。軽く触れるだけ、まるで大切な壊れ物を慈しむように。
それなのに、彼の眼には冷たいなにかがある。氷の城壁をつくって、決して内を見せようとはしない。どうしたって、見ることなどできない。
スーは自分の頬を撫でる王子の腕を取り、顔をあげて、まっすぐにその青を見つめた。
「――アルさまがわからない……」
涙が一粒、そっと頬を伝った。ぽろりとこぼれた拍子に、次から次へと流れようとするそれを止めるため、スーはぎゅっと歯を食いしばる。
他にも言いたいことがある。聞きたいことがある。それなのに、もれる嗚咽を堪えるので精一杯で、なにも言えなかった。
「……俺だって……」
ふいに落ちた言葉。それはわずかにかすれていて、少女を驚かせた。
「俺だって、わからないよ」
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ぐすっと鼻をすすり、スーはとぼとぼと歩く。赤く腫らした目ではだめだと思い、水で冷やしてから、甲板へ向かった。
どうやら作戦は失敗したらしい。アルが意地を張っているならと思い、強気で攻めたが、結果は部屋から追いやられるだけだった。加えて、たぶん、自分は彼を傷つけたのだと思い、スーは落ち込んだ。
アルの声がかすれていた。怖くて、その目が見れなかった。
いつもの恐怖ではない。もしも、自分がアルを傷つけているのだとしたら、その傷ついた目を見るのがどうしようもなく怖かった。
(アルさまは、どうして傷ついてしまうのかしら。いったい、なにが彼をそうさせているのかしら)
いつまでたってもわからない問いは、永遠に消えることがないのだろうか。笑顔になれる幸せなど、ありはしないのだろうか。スーはため息をこぼし、甲板へつづく扉を開けた。
ぶわっと風が舞う。その衝撃を顔で受け、目をとじてやり過ごす。潮の匂いが鼻をつき、風とともに舞っている。気持ちがよい。
思わず笑顔になっていると、小サルがぴょんと肩にのってきた。
「ティティ!」
スーの頬に顔をすりつけて、サルは小さく鳴いた。それがかわいくて、スーも自然と声を出して笑う。
「くすぐったいよ!ふふっ――あれ?」
ふと顔をあげると、上空を旋回する鳥が目にとまった。見れば、船のまわりをぐるぐると回り、なにかを示すように飛んでいる。
なんだろうと訝るうちに、その鳥は徐々に高度を下げてきた。
「わっ!だ、だれか!と、とと……」
スーは瞬間、言葉を失った。
(あ、青い鳥――)
鷹くらいの大きさであろう。獰猛というよりは、優美で目を惹く鳥だ。翼をぎゅっと広げ、うつくしい動作で船の端へ降り立つ姿は、どこか神々しく、上品である。水色に近いような明るい青の鳥は、おとなしく、じっとスーを見つめていた。
「きれいな鳥……こ、こんにちは……」
もしかして、幸せを運ぶ天からの遣いではないかという異様な思い込みをした少女は、屈みこんで、どきどきしながらその鳥に話しかけた。だが、背後で笑う失礼な声により我にかえると、急いで立ち上がる。
「れ、レオさん!」
「どう?鳥さんは、応えてくれた?」
「からかわないでください」
恥ずかしくて熱る頬をあおぎ、スーはぷいと顔をそらすと、再び鳥に向き直る。と、そのとき、鳥の足に手紙がくくりつけられているのが見えた。
「どこから来たのかしら……?」
そっと手を伸ばしたものの、その手紙はやすやすとレオによって奪われた。
「これは俺にだよ。……ん、やっぱり、な」
手紙の封を切り、すばやく読んだレオは、自分の黒髪をもてあそびながらニヤリと笑う。スーはわけがわからず顔をしかめるしかなかったが、次の言葉で顔は蒼白になった。
「カスパルニアの城が、大臣の手に堕ちた――アル王子は暗殺。よって次期国王は遠縁のリオルネに継承されるらしい。戴冠式は、一週間後、だそうだ」
「なんですって?!」
意味がわからない。アル王子は生きているではないか。次期国王は、彼なのに。
これらはすべて巧妙な罠だったというのか。フィリップの刺客も、王子たちの次々の死も、すべて仕組まれていた陰謀……青い鳥の運んできた報せは、幸せとはほど遠いものだ。
どうすればいいのだろう。アルと自分ふたりだけでは、どうしようもない。勝てるわけがない。権力を前に、アルだって闇に葬られてしまうのがオチだ。こんなとき、第一騎士としてランスロットならば、どうするのだろう。
(わたしは、自分の動き方がわからない……なんて役立たずな……)
幸せになるための、大切な人を幸せにするための力がほしい。
スーはつくった拳に力を込める。ただ、カスパルニアが奪われるのを、見ていることしかできなのだろうか。アルをどうすればいいのだろうか。
真っ暗だ――そう思った、そのとき。
「そろそろ疼いてくるんだよね」
ぺろりと舌を出し、レオは歩き出す。そして振り向きざま、オッドアイの眼に妖しい光をともして細めた。
「――じゃあ、行きますか」
獲物を狙うハイエナは、笑う。