第四十三章 二度目の感触
第四十三章 二度目の感触
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「なんだありゃ」
「思春期ね、仕方がないわ」
それぞれに口をそろえて言い、含み笑うふたりを見て、スーはなんと言っていいかわからず、開いた口を再びつぐむ。
ユーリの正体がアルであり、ウィルがフィリップであったという衝撃の事実を知ってから三日がたった。あれからフィリップは体調を崩し、部屋で寝ていて、面会はできていない。なんでも、暗殺されかけたときに受けた傷から毒が体内へ入り、それからというもの、身体が弱く、体調をすぐに崩すようになったという。もともと自分だけ生き残ってしまったという罪悪感から精神的にも追い詰められていた彼は、無理はできないのだ。
アルはというと、前にもまして無口になったようだ。皮肉を並べては意地悪を言っていた彼が、今では苛々した調子のままスーをにらみつけ、なにか声をかけようものなら、冷たい一瞥で一掃されてしまう。スーはわけがわからなかったし、なによりドロテアやレオが場違いな冷やかしをするので、気が気ではなかった。
今回もまた、例外ではない。アルに声をかけようと口をひらいた途端、彼は鋭いまなざしでスーをにらみ、「役立たず」と罵ったのだ。
原因もわからず、びっくりするスーをそのままにアルはひとり部屋へ去り、通りかかったレオとドロテアに笑われたというわけである。
「ワガママ王子が恋人じゃ、大変だね」
なにも言わないスーに、レオはニヤニヤとして言うと、ポンと肩をたたいた。
「こっ?!」
「コ・イ・ビ・ト。だろ?」
「ちがいます!わ、わたしは、アルさまの召使で――」
「召使かぁ~。なんてイイ響き。ご主人さまは召使になにしてもいいんでしょ?召使はなんでも言うこときかなきゃイケないんでしょ?」
頭の後ろで腕を組み、レオは快晴な空をながめてそう言った。
スーはきょとんとしながらも、頷いて答える。アルの場合、そうだろうと思い当たった。
「はい、まあ、そうですけれど……」
「そうだよね。王子も立派な男の子だもんね」
にっこりほほえんでスーに顔を向けて、レオは「恋人よりいい立場だよな、ご主人さまって」などとつぶやきながら歩き出す。事の次第に気がついた少女は、顔を耳まで真っ赤にして後を追う。
「なにを勝手に想像しているんですか!わたしはっ――」
「はいはい。わかってるよ、召使ちゃん」
なにを言っても無駄なのだ。この男にまじめに話すだけ無駄……そうはわかったものの、なかなか引きさがれるわけもない。この勘違い男をどうにかしなければ、変な噂が飛び交わないとも限らない。
スーは助けを求めるべく、亜麻色の髪を風になびかせ、おもしろそうにふたりのやり取りを見ていたドロテアに向き直った。
「うん、似ているよね、レオもアル王子さまも。手がはやそうだし」
しかし、スーの願いを聞き届けなかったドロテアは、きゃっきゃっと笑いながら、からかうようにそう言った。
「なにを。俺はあそこまで嫉妬深くはないけどね」
「でも、似てるわ」
ふふ、と軽く笑う女海賊に、レオは顔をしかめ、ぷいっとそむけて踵をかえす。最後に軽く微笑を浮かべてスーを見てから、甲板を去っていった。
なんだかんだで助けられたのだろうか。スーは怪訝な顔をして、ドロテアの隣へと歩を進めた。
風が出てきた。船はゆったりゆらゆらと揺れ、太陽はさんさんと輝く。きらきらと光の反射する水面は目に痛いほどうつくしく、どんな宝石よりも光を放っていた。
ふたり並び海をながめながら、無言で時を過ごす。カモメが遠くで鳴く声が響いていた。
「彼ね……とても苦しんでいたのよ」
唐突に、ドロテアが口を切った。なびく亜麻色の髪をはらい、かすかな笑みを浮かべてつづける。
「弟王子たちが次々に暗殺されたって知ったとき、とっても悩んで、葛藤したの。今も、苦しんでる」
スーは静かに頷いた。それは見ればわかる。やつれたとまではいかないが、やはりウィルとフィリップではどこかちがっていた。笑顔に疲れが見える。昔の、屈託ない笑顔を振りまくフィリップではない。憂い顔で、いつも苦しそうな海賊船長になったのだ。
だいたい、あの心やさしいフィリップが、弟たちの死を知って嘆かないわけがないのだ。どんなに自分を責めたことだろう……たやすく想像できる彼の苦しみに、スーは顔を歪めずにはいられなかった。
「あの人を責めないであげて。あの人はあなたを捨てたわけじゃない……国を見捨ててきたわけじゃないのよ」
ふいに、ドロテアのまなざしが、柔いものから鋭いものへと変化した。直感的に、スーはなにかあるのだと理解する。なにかとても重要な……。
「それはどういう……」
「あたしたちは、動いていたのよ」
目を見開く。ドロテアに手をぎゅっと握られ、動揺するが、その強い力を秘めた瞳に捕まり、スーは目が離せなくなった。
ややあって、ドロテアは目を細める。
「……やっぱり、あなたの瞳はまぶしいわ。あたしにも――彼にも」
ずきん、と心臓が鳴る。ドロテアの目には、懐かしみとともに苦しみが浮かんでおり、スーは責められているような錯覚を起こした。
昔から、つながりだった。この瞳の色は、自分にとって、フィリップとのつながりの証であった。しかし今、それが彼を苦しめているのだろうか。彼にとって、過去はもう、苦しみでしかないのだろうか?
きっとフィリップは、自分は弟を見殺しにしたも同然と考えているのだろう。この十年、ずっと罪の意識に苛まれてきたのだろう。
人一倍やさしい心を持った彼は、どんなに苦しんだことだろう。
(兄さまと話したい……)
泣きたくなった。不安で、つぶれてしまいそうだった。自分はもう、彼に苦しみしか与えない存在なのだろうか?
ドロテアは浅く息をつくと、柔くほほえんで、ぽんぽんとスーの頭をなでた。
「あとで話すわ。彼の体調がよくなったから、今夜にでも……それまでに、アル王子さまと仲直りしておいてね」
別にケンカをしたわけではない。一方的なのだ――そういう言葉を呑み込み、スーは軽く頷いた。どうしたって、アルとこのまま一言も言葉を交わさぬままにはできまい。
アルは王子なのだ。たったひとりの、次期国王の権威を持った人間なのだ。
(はやくお城へ帰らなくちゃ。みんなきっと心配している……)
陰謀の影を感じ、ひとり、スーは自分の不安を押し殺した。
†+†+†+†+
「おい」
思わず、ひどい悲鳴をあげそうになってしまった。
勇気を出して、アルに話しかけようと、彼の部屋の前で深呼吸をしている最中に、その彼の声が真後ろから聞こえてきたのだ。それも、彼から話しかけられた――というにはあまりにお粗末ではあるが――事実に、スーは舞い上がって、無意識に顔がゆるむ。
「あ、アルさま!あの、わたし……」
「邪魔だ、どけ」
ぐいっと腕を引かれる。笑みの形を作り上げた唇も、その一言で歪んでしまった。
いつもなら――城で過ごしていたときならば、きっと恐れて震えあがり、すぐに身を引いたことであろう。むしろ、王子と会話できないことを喜び、自分から近づこうとはしなかっただろう。
だが、今はちがう……このときばかりは、自分でも驚いたことに、スーは引き下がろうとはしなかった。
最後に別れたあのとき、たしかにアルは『助けて』と言ったのだ。それを思い出し、考えるより先に、身体が動いていた。
再び、ドアとアルの間へ身体を滑り込ませ、挑むように見上げる。アルはノブに伸ばしかけた手をそのままに、険悪な表情で少女を見やった。
「……なんのつもりだ」
王子の青い瞳が、怒りに沈むのを見た。声は低く唸り、眉根を寄せている。
途端、狼に狙われた羊になってしまったスーは、ごくりと生唾を飲み込んだ。
(でも、わたしはもう決めたんだ。アルさまの手を離さないと、決めたんだから)
思わず退いた足を元の位置へ戻し、ぐっと奥歯を噛みしめ、スーはアルを見る。意地でも退くまいと心に決めた。
「どけ」
「どきません」
アルはさらに眉根を寄せるが、スーは構わなかった。
「アルさま、ちゃんとわたしとお話をしてください。わたしの話を聞いて、アルさまも話してください」
「俺に命令するっていうの?」
あの、冷たい声がする。震えだす足をなんとかふんばり、スーは恐怖を無視してつづけた。
「今、お城は大変なんです。アルさまの勝手な行動が、多大な影響を及ぼしているんです……ランスロットさんだって、クリスさんだって……わたしだって、心配しました。お城はきっと混乱しています!すぐにでも、帰還しなければ……」
アルは応えなかった。黙り、うつむいているので表情はわからない。
どうしたのだろう。スーはすっかり不安になって、自分が勢い余ってアルを批判するようなことを言ってしまったことに後悔した。
(こんなことを言うつもりではなかったのに)
彼の気持ちはわかる。かつてフィリップの恋していたリアという女性の情報が入ったのだから、駆けつけてしまったのだろう。自分の地位すら気にせず、構わず、それくらい夢中だったのだろう。「フィリップは自殺した」と言った彼本人でさえ、信じたくはなかったのだろう。
いわば、彼と自分は同志なのだ――そう思えて仕方がなかった。ならば、もっとわかりあえるはずではないか?
スーには、そんな期待があった。どんなアルでも受け入れていこう、前よりはきっとわかりあえるはずだ、と。
しかし、無言になってしまったアル。しばし気まずい沈黙が流れた。
「あの、その……アルさまは、これからどうするおつもりですか……あの……お、お城に帰りましょう……?」
場を和らげようと、スーは口をひらいた。もしかしたら、自分はアルを傷つけてしまったのかもしれない。アルを責めるつもりなどなかったが、自分はアルの行動を「勝手」だと言いきってしまった。
まさか、落ち込んではないだろうか――苦しくなって、思わず下を向いたそのとき、アルは動いた。
くいっ、と顎を持ちあげられ、上を向かされる。わけがわからないうちに、その青い瞳に捕らわれた。そのなかにある感情を読み取ろうとするスーをよそに、彼は唸るように声を発した。
「――その眼で、見るな」
思考が止まる――もうフィリップは生きているのだ、だからアルももう、この瞳の色で自分になにか言うことはあるまい。……それなのに、なぜ今、そんなことを言うのだろう――そこまで考えて、スーの思考は止まった。
唇に触れるなにかを、意識した。
いったい、アルはなにを考えているのか。彼の心にある闇はなんなのか。
フィリップのことか。あの黒い檻のある拷問部屋での出来事か。
まだ知らないのだ。自分は、アルのことなど、知らない――彼の行動のなかにある、気持ちの欠片を見逃してはならない。
(――でも)
二度目のその感触に真っ白になった頭が、やがてハッキリと意識を取り戻してきたなかで、スーは怒っていいのやら嘆いていいのやら、わからなくなっていた。
(なぜわたしは、キスをされているの……?)
「――ンんっ」
力の入らない腕を振り、抗おうとするが、がっしりと顎は捕えられ、腕も抑えられてしまう。うつくしく儚げに見えるこの王子のどこに、こんな力があるというのだろう。スーは非難がましく、そんなことを思った。
酸素が足りなくなり、再び頭がぼうっとしてきたころ、ようやく少女の唇は解放された。
「――おまえが」
スーがぺたりと座りこむと、アルはなんでもなかったようにドアを開けながら言う。
「俺に命令なんか、するな」
音を立てて、部屋の扉は閉まる。呆然とスーはそれを見るだけで、なにも言えやしなかった。
なぜ、キスされたのか。自分は怒っていいのか。
スーは混乱して、逆に呆ける頭のまま、ぽかんとその部屋のまえでしばらく動けずにいた。
(……どうしよう)
しばらくして我に返ると、スーは立ちあがって、のろのろと歩き出す。今はうまく考えることができなかった。
「つまりさ、『おまえが俺に命令なんかするから、こんなことになるんだ』ってことでしょ?」
ばっと顔をあげると、廊下の端で、にやっと口角をあげて笑うレオがいた。手をひらひらと振って、呼んでいる。
「……のぞきなんて悪趣味ですね」
呆れかえって他に言葉も出ない。スーは軽くにらんで、通り過ぎようとした。だが、レオは構わずにニコニコ笑い、さらにつづける。
「本当になんでも言いなりなんだね。キスされて腰砕けって、そんなによかったの?」
「なっ……!」
思わず、振り向いてしまった。この男ときたら、デリカシーもなにもない。
やっと、すべてを見られていたのだと理解し、顔が熱くなった。この男は、本当に人間なのかと怪しくさえ感じる。なにも言えなくて、スーはただ涙目になって、頬をふくらませて彼をにらんだ。
ハハハ、と笑いながら、レオは少女に向かって軽く腰を折り、執事が主人にするようなお辞儀で、上目づかいで見つめ、口をひらいた。
「では腰砕けのお嬢さん、お呼びにあがりました、よ?」