第四十二章 再会― an image―
今回の話は、ずっと書きたいと思い、頭に描いてきました。
あとがきで、詳しく語りたいと思います(ぇ
そこまで読んでくだされば、幸いです。
では、どうぞ。
第四十二章 再会― an image―
†▼▽▼▽▼▽†
ユーリことアルティニオス王子は、ナイフをウィルの首筋にひたひたと当てながら、ゆっくりとフードを取り外して笑った。そこに現れたガラス玉のような青い瞳は夜空を呑み込むがごとく、月の光のようなブロンドの髪はきらきらと反射して輝いている。
心臓がどくどくと脈打ち、スーは思わず息をとめてその光景を見守る。胸の前に手をあて、じっと彼の動向から目を離すまいとした。
(アルさま……なぜ)
驚くドロテア、レオをよそに、スーはひとり不安に顔を青くし、唇をぎゅっと噛みしめる。彼がアルティニオス王子であるということは秘密にしなければならないのだろう。一国の王子がこんなところにいるなど、だれが思うだろうか。
行方をくらませてから、彼を追ってきた。「もういらない」などと言われてから、夢中で城を抜け出し、悲しみに暮れる間もなく、ただ時を過ごすように生きてきた。なにがどうなっているのか、裏切り者はだれなのか、不穏ななかで本当に信じていいものはなんなのかすら危ういというのに――それでも彼を見つけ出そうと決意したのだ。受け入れようと思えたのだ。その彼が、今、目の前にいる。
驚きの連続に心や頭はついていかず、見つめることで精一杯だ。いつもいつも、アルはスーに『なぜ』を与える。わからないことばかりを投げかけ、そうやって放っておかれる。
ランスロットが以前言っていた言葉がありありと頭によみがえってきた――「あいつはいつも、肝心なことは秘めるだろう?」「真意を秘めて、それでどこか切り離そうとしている……あいつの行為ひとつひとつに、伝えたい気持ちの欠片を散りばめて、さ」
悲しげな鳶色の瞳を思い出し、スーはさらに固く唇を結ぶ。アル王子は気持ちの欠片を落していくのだ。解ってほしいと訴えながら、決して自分の心をさらけ出さない。
今、彼はいったいなにを思っているのだろう?
マントを風にたなびかせ、アルは歪んだ笑みを惜しみなくさらけ出し、ナイフを握る手に力を込めた。はたから見れば、狂喜に酔った犯罪者のようだ。無表情のウィルと並ぶと、いったいどちらが海賊なのかすら危うい。
ウィルはまるで他人事のように、自分に向けられたナイフには関心がなかった。傍観者のごとく、動揺もせずに突っ立っている。アルの眼に異様な光が帯びているだけに、その光景はなんとも奇妙で空恐ろしかった。
「男だったのか、あいつ」
レオはバツが悪そうに顔をしかめる。頷くドロテアの顔は蒼白で、今にも倒れてしまいそうだ。
突如アルは笑みを崩し、ナイフの刃先をウィルの首へ向けたまま、にらむようにドロテアに目を向け、口を開いた。
「おまえがリアだな……俺は知っているんだ。おまえが数年前、王宮にいた歌姫であると」
奥歯を噛みしめ、王子はさらに顔を歪める。
「話してもらおうか。あの日、なにがあったのか。カスパルニアの第一王子フィリップを忘れたわけではないだろう?」
その声は、かすかな震えをもっていた。憎々しげに歪められた表情のなかに、恐れにおののく苦痛を見た気がして、スーは思わず声をあげそうになった。アルはどうして、そこまで苦しんでいるのだろう。
ドロテアの眼が彷徨いながら、アルを見た。王子は再びつづける。
「フィリップは殺されたのか、自殺したのか。おまえは、知っているのだろう?――フィリップのお気に入りであったおまえなら」
(兄さまの――)
スーはハッとして彼女を見つめた。それからアルに視線を戻し、めまいを必死でこらえる。
(これだったんだ……アルさまの目的は、全部、兄さま――)
思えばいつもそうだったではないか。アルの内に潜むのは、いつもフィリップの影であった。
彼は少女の深い緑の眼を見れば狂気に歪み、背負う影をいっそう濃くしていたではないか。その影がフィリップのものであると感じていたからこそ、自分はどうしてもアルを憎めなかったのではないか――スーはそう悟り、ぎゅっと拳をつくった。
アルの目から顔を背けず、ドロテアは苦しそうに声をあげた。
「あたしは――」
「リア」
そのとき、ひとつの声がかかる。今まで無頓着を決め込んでいたような彼が、そのときすべてを動かした。彼女を“リア”と呼んだ男は、藍色の瞳をまっすぐにドロテアへ向けたまま、促すように頷く。それを合図に、ドロテアはさらに表情を悲痛にさせた。
「でも……」
海賊の船長は身動きひとつせず、じっと彼女を見つめる。そしてだれもが注目するなかで、そっと再び声を発した。
「こいつはアルティニオスだ」
†+†+†+†+
ドロテアは数年前、歌姫として王宮へあがっていた。そのときの名は、リアである。
だがしかし、彼女は第一王子の暗殺を命じられた刺客だった。リアは本当は殺しなどしたくはなかったが、生きるため、仕方なく暗殺を決意する。が、いつしか王子に恋をし、逆に暗殺組織を壊滅させようと試みるのだった。
かくしてふたりは結ばれるかに見えた――が、暗殺組織の根は深い。事情を知りすぎたリアを生かしておくためには、王子の死か、組織の根絶やしが必要であった。
そんな折、第一王子フィリップの屋敷で火災がおこり、当人は行方不明。王子は暗殺されたと公表された。
「あたしは、彼が死んでしまったのだと思った。あたしをかばい、自ら死を選んだのだと……あたしは城を出て、海賊と世界を旅することに決めたの。海が様々に変化するとき、あたしはそこでフィリップ王子の瞳に出会えると思ったのよ」
ドロテアはぽつり、ぽつりと言葉を落とす。
たしかに、海にはいろいろな顔がある。荒れたり、穏やかだったり、夕闇色に染まったり、黒々としていたり、明るい緑青だったり。スーは海の変貌を思い出し、ひとり納得した。
ウィルに促され、過去を話し出したドロテア。その場にいた人間は息をする音すら立てず、じっと彼女の話を聞いていた。それがアルの知りたかった真実であり、スーを惹きつけるなにものでもない。
彼女はいったん言葉を切り、ふっと息をはく。どこか苦しそうで、どこか安堵の表情を見せるその不思議な様子に気がつき、スーは目が離せなかった。
「あたしはリアという名を捨てた。ドロテアとして、生きていこうと決めたの……なぜかわかる?」
だれに対して言ったのかは、わからない――ドロテアは下を向きながら、半ば怒りを込めてそう言っているように見えた。だれにともなく、そう問い、口をつぐむ。だが、スーは直感的にわかってしまった。今の問いは、ウィルに向けられていたのだ。
彼も気づいたのだろう。眉をぴくりと動かし、そっと視線をドロテアに向けた。
「追っ手を避けるため?ちがうわ」
今度はキッと目をつりあげ、はっきりとウィルを見て告げる。
「あたしはね、“ウィル”と生きていこうと決めたのよ。“フィリップ”ではなく」
ウィルの表情は無に近い。そこから読み取れる感情などないに等しい。対照的に、彼に刃物を向けているアルの表情は険しく歪み、必死になにかを耐えているように見える。
目に涙をためながら、ドロテアは口をひらいた。
「リアはフィリップとともに死んだの。だから、あたしはドロテアとして、あなたと生きる!」
リアの乗り込んだ海賊船には、おかしな船長がいた。彼は姿を見せることがないのに、船員には非常に好かれていたのだ。なんでも、貴族の息子らしい。昔、盗みをしに屋敷に入った海賊たちを、そっと逃がしてやったのだとか。海賊たちは、ある日その貴族の息子の命が狙われていることを知り、彼を助け、これを機に船長に仕立て上げたのだった。
しかし当の本人にはまったく船長になる気がなく、加えてまだ命を狙われたときの傷が深く、重体で、姿を見せることはかなわなかった。
「彼は死んでもおかしくはない状態だったそうよ。身体中に火傷を負い、眼は矢で射られて失明し、意識もなかったくらい。でもね、海賊船には魔術をつかうドクターが偶然居合わせたの」
これも神の思し召しか――その貴族は助かった。だが、彼にはすでに居場所がなかった。元いた場所へ戻れば、再び命が狙われる。それでも彼は祖国へ帰ろうとした……残された家族を捨て置けない、と。
だが、帰還はすなわち、彼の死を意味する。それに、彼にはもう両目がなかった――だれも彼が彼だとはわかるまい。
海賊たちは苦渋の末、彼に嘘をつき、事件はすべて解決したと言った。もはや彼の家族は命を狙われることもないだろう、と。
「彼は名を変え、ウィルと名乗った。そうやって生き抜いてきたの、彼は。」
ドロテアは自嘲的な笑みを浮かべ、つづける。
「何度も言われたわ。『僕とともにいるべきではない』と。『自由に生きてくれ』と。あたしには、あなたしかいないのに――」
ぼろぼろと涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、彼女は言葉を紡ぐ。子供のように声をあげて、必死に。
ドロテアの先ほどの怒りに似た感情は、きっと悲しみだったのだ。こんなに想っているのに信じてもらえない、悲しみだったのだ――スーはそれを悟り、唇を噛みしめた。
胸は高鳴る。期待と、不安に。希望と、絶望に。
泣きながら、ついに、彼女は言った。
「フィリップ王子は生きているわ。ここに、ウィルとして」
もしかしたら――そういう思いはあった。ずっとあった。でも、望めなかった。
フィリップ王子の死が事実であったとき、受け入れるのが余計につらくなるから。だから生きている可能性などほとんどない希望を、持つことはできなかった。
「兄さま……」
出した声はほとんど消え入りそうだった。藍色の、憂いを含む青年を前にして、震えが止まらない。
夢にまでみた、ずっとその面影を追ってきた彼が、今目の前にいるのだ。
「でも、目の色が――それに、『貴族の息子』は両目を失ったって……」
混乱する頭を押さえながら、スーは回答を求めようとドロテアに向き直る。興奮からくる震えを止めることなどできず、ぎゅっと自身の手をつかみながら問うた。
「たしかに、フィリップ王子の瞳は深い緑……一目でわかったわ。あなたが彼の血族であるってこと」
紫の瞳を細め、ドロテアは涙をぬぐうと、そっと笑う。声には悲しみも怒りもない。穏やかな喜びを聞き取り、スーも自然と気持ちが落ち着いていくのがわかった。
船に居合わせた医者こと魔術師は、フィリップ王子のきれいな両眼がほしいと言った。もちろん視力を失い、矢傷を受けたが、自分ならば治せると言った。だから交換しよう、と。
何日も部屋にこもって、その交換は行われた。うめき声の耐えぬ日々がつづき、数日後、ようやくそれは終わりを告げる。
ドクターは王子から両の眼を奪い、代わりに自分のコレクションのなかから使える眼をひとつ授けた。藍色の瞳を持ち、彼の視力は戻った。
「あの瞳の色を失った彼を、みなフィリップとは認めなかったでしょう。暗殺組織の根がはびこるあの城で――偽物だと言われて無駄死にするのがオチだったわ。だからあたしたちは、彼に嘘をついて、生かした」
ドロテアの言葉に、かすかにウィルの表情が苦悶にくもったのを、スーは見逃さなかった。
「まあ、信じられる話じゃないかもしれないけどさ。俺だってその魔術師には世話になってんだ」
唐突に、レオが口をはさむ。怪訝そうに見やると、彼は肩をすくめ、「俺は病弱な赤ん坊だったんでね」と笑った。レオはきっと、ウィルがフィリップ王子であったと知っていたのだろう。動揺もせず、のんびりと突っ立って、ことの成行きを見守っているようだ。
にわかには信じがたい――だが、スーには信じられた。なにより、自分の耳が、彼の声を覚えていたのだから。
カラン、と音をたてて、ウィルの首すじにあったナイフが落ちる。見れば、アルが力なく、一歩後退していた。
うつむきながらも、その口元には笑みを浮かべて。
「……やっぱり。おまえは、フィリップ王子だったんだ……驚いたよ。死んだはずの兄上が、海賊の船にいるのを見たときは」
その感覚は狂気に似ている。壊れたように声をあげて笑いながら、アルはよろよろとウィルから離れた。
「やけに甲板が騒がしいと思ったら、おまえがいた。瞳の色がちがってたけど、俺にはわかってた」
アルの口元から笑みが消える。そっと声も、低く、聞き取りにくくなる。
「本当は、自殺か他殺かが知りたかった。だから、兄上のお気に入りだった娘のところへ行けば、真実がわかると思った」
アルはほとんどつぶやくようにそう言うと、くず折れて膝をつく。身体に力は入っておらず、壊れた人形のように、ただ、話をつづける。自分に語りかけているような口調で。
「それなのに、生きてた。フィリップ王子は死んでなんかいなかった……自殺なんかじゃ、なかったんだ」
(アルさま……)
言葉が出てこなかった。こんなアルをはじめて見る。
たいして彼と月日をともに過ごしてきたわけではない。それでも、スーには、彼が異常なまでに彼らしくはないということがわかった。取り乱すというわけでもない。喜ぶわけでも、悲しむわけでも。動揺もすることなく、ぽつぽつと自分のことを語っている。
いつも彼は、肝心なことを言わない。曖昧にぼかして、自分のことなど一切語らない。ランスロットもそう言っていた。なのに、今スーの目の前にいる彼は、自分のことを、ぽつぽつとこぼしているではないか。
なにを考え、ここに来たのか。それを彼は、話している。
(混乱、しているんだ――)
泣きたくなった。わけもなく、無性に、泣きたくなった。
「アルー」
声がかかる。ブロンドの髪の少年に向き直ったウィルは、静かに、しかしハッキリした声で言う。彼の顔には、悲痛に歪んだものがありありと浮かんでいた。
「ごめんな、アルー」
それを合図に、ガラス玉のようなきれいな青い瞳から、一粒の涙が落ちた。
「スー」
今度は少女に顔を向け――やはり痛々しい表情のまま、それでも目だけはそらさずに――青年は口をひらく。
この瞬間を、どれほど夢にみただろう。決してかなわぬと思っていた、こんなことを。
「兄さま!」
赤毛の少女は、彼の言葉がふってくるのを待たずに駆け出し、力いっぱいその胸に飛び込んだ。
この時を、どれほど夢みたことだろう。
彼の腕に抱きしめられながら、そっと、少女はあたたかい涙を流した。
やっとここまで書けました。
一応、ここで第二部の前半は終わりかと。
一区切りついた感じがします。^^
タイトルはいろいろ考えましたが、「再会― an image―」に。
「image」という英単語の様々な意味が、ぴったりかな、と思いまして。
お話のこういう流れは、【サイレント・プレア】を書き始めてちょっとしてから思いつきました。
そちらでも語りましたが、フィリップ王子を殺せなくなってしまってから。。
はじめ、ウィルはカインのような性格でした(笑
本当に、そんな奴でした。
ドロテアも、もっと色気むんむんでした(ぁ
でも、【サイレント・プレア】を書き、彼らを幸せにしたいなぁ、なんて思ってしまって。。
ふたりの配役を、当てはめてみました。
これがけっこうしっくりきまして。
また、頂いたイラストから、話を膨らませることもできました。
描いていただいたフィリップの憂い顔を見たり、またナイフを突きつけるアルを見たり……
それから、頂いた感想から、もう一度フィリップについて考えてみたり。
そうやって、こういう状況がふっと頭に浮かんできました。
(イラストは、小説案内ページにリンクをはっていますので、ご覧いただけます)
なぜフィリップは自殺したの?
第一王子を捨てて、国を弟たちに任せて、それで彼は笑っていられるの?
そんな疑問を何度も自分にぶつけながら、書いていました。
本当に『やさしい』とはなんだろう・・・?
アルやスーの過去に、記憶に、強烈なまでに残っているフィリップとは――
彼はどういう人間なんだろう。
今では、彼が生きていたことにして、よかったと思っています。
アルやスーにも、もっと考えてほしいな、と思います。
わたし自身が、登場人物について考えて、様々な人の気持ちや、想いを考えられていければいいと思います。
……長くなりました。
この先にも、たくさんの人の想いを描ければ、と思います。
登場人物が多い分、そういう楽しみはまだまだあるだろうと。
自分だけではなく、読者様にも深く楽しみにしていただけるようにしたいです。
それから逆に、雑にならぬように努めたいです。
読んでくださった方、ありがとうございます。
まだまだフィリップについても解らぬこともありますし、アルやスーについて言えば、私自身、まだ手探り状態かな、と。
そうやって自分もアルたちと成長できればいいな。(←ちょっと言い方恥ずかしいですね。スルーしてください笑)
これからもどうぞ、よろしくお願いします。