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王国の花名  作者: 詠城カンナ
第二部 『海賊編』
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第四十一章 なつかしい声


第四十一章 なつかしい声




†▼▽▼▽▼▽†



 たとえばそれは、春風のごとく。地をあたたかく包み込み、冬の寒さを癒し、夏の兆しを漂わせる。

 たとえばそれは、秋風のように。時折寂しさをかいま見せ、夏の暑さを終わらせ、冬の予兆を知らせる。

 たとえばそれは、限りなくやさしく。そしてそれは、限りなく切なかった。


(――兄さま……)

 耳に、その声は響いた。ささやく声音は大きく、スーの耳に届いた。

 目をあけるのが怖かった。けれどそう思うよりもはやく、胸の高鳴りのほうがはやく、信じられない想いよりも信じたい想いのほうが強く、スーは突き動かされていた。

 聴こえたのは、フィリップの声であった。


「……ち……がう……?」

 ぽろりと口から声がもれた。しかしそれはあまりに小さく、スー本人すらも気づかぬほどだった。

 そこにいたのは、片目に眼帯をしている若者であった。暗くてそれほどわからないが、明るい茶髪をしている。肌は蒼白く、どこか病弱に見えた――だが。

(兄さま……)

 自然に涙がこぼれるのを止められない。それほどまでに、この若者はフィリップの面影を残しているのだ。

 六年という月日が流れた。もし生きていたら、彼の容姿だって変わっているはずだろう。しかし、今目の前にいる若者の目元や、口元、そういったところにフィリップを見ずにはいられない。なにより、スーは直感したのだ。

 声が、フィリップのものであったと。


「ああ、アンタが船長さん?」

 デジルは掴まれた腕を引き剥がそうとしながら、にやっと笑った。

「リアもとことん惚れてたのね。こんなにそっくりな恋人を新しく見つけちゃうなんて」

 若者――おそらく船長であろう――は、しかし反応は示さず、強くデジルの剣を持つ腕をつかんで離さなかった。

 刺客の顔が、苦渋に歪む。

 蹴りを入れようと放った足は易々と押さえられ、デジルは動きをなくす。もはや力の差は歴然としており、デジルは舌うちしながら暴れるのをやめた。

「ウィル!」

 ドロテアが船長、もといウィルに走り寄ってきて、涙を散らした。彼は構わず、小さく頷くと、刺客の腕を捻あげて拘束する。

 スーは心臓に手を押し当て、深く息を吸った。

(――そんなの、嘘だ)

 光の加減で色は変わるのだ。だから、これは見間違いだ……そう、自分に言い聞かせた。


 そうこうするうちに、意識を取り戻したレオがやってきた。腕を押さえてはいるものの、相変わらず笑みを口端に浮かべている。

「これで縛ろうぜ」

 彼は縄を取り出し、器用に刺客の腕を縛りあげた。それから、ごく自然に歩き出す。

「この珍獣は倉庫に鍵かけて入れておけばいいだろう?」

 振り向き様にニヤッと笑って言ったレオに、ドロテアは薄く苦笑しながら頷いた。


 レオが刺客を連れていなくなると、辺りはしんと静まり返り、波の漂う音ばかりが大きく聞こえた。しばしの沈黙が流れる。

「具合は平気なの?」

 ふいにドロテアがウィルの腕を揺するようにしながら尋ねた。心配そうに顔を歪めている。

 ウィルはこくりと頷く。

「目が覚めて、嫌な予感がしたんだ。外が嫌に静かで――」

 そう言うや否や、彼はドロテアを抱きしめた。

「無事でよかった」

「ウィル……」

 スーはぎゅっと口をとじ、息を吸うのをやめた。

 やはり、そういうことなのだろうか。

 海賊船長のウィルという若者は、かつてカスパルニアの第一王子であったフィリップに似ているだけなのだ、と。

 たしかに声はそっくりだ。目元にも顔立ちそのものにも面影はある。しかし、六年という時間が記憶をおぼろげにしたのは事実だし、よく見れば、彼は非常にフィリップらしくなかった。

 そう、スーの予感は重く沈んだ。

(……兄さまじゃないんだ……)

 フィリップの、あの弾けるような、あたたかみを帯た太陽のような笑が、彼にはなかった。どちらかといえば、彫刻のような動かぬ冷たさを秘め、どこか現実みがない。

 そしてなにより――。

(わかってた。兄さまは、もう、いないのに)

 ドロテアに向けられたほほえみ――やさしいのに、どこか疲れたような――を浮かべた若者の横顔を見て、スーは落胆と、それからやはり拭い切れない期待のようなものを抱いた。

 けれど、どうしたって変えられない事実が転がっている。ふいにこちらに顔を向けたウィルと、ばっちり目があった。

 かすかな船内の明かりに浮かびあがる、その憂いを含む眼を、今はっきりと見たのだ。そして、やはり見間違いなどではなかったのだと思い知らされる。

 ウィルとフィリップは似ている。たしかに、似ている。

 だが、どうしたって違う人物であると認めねばなるまい……。


 彼の瞳は――緑色ではなかったのだ。







†+†+†+†+


 寝ている海賊たちを、スーは半ば引きずるようにして船内へ入れた。とりあえず、眠り薬を飲まされた連中が風邪を引かぬよう、それぞれの部屋に寝かすことになったのだ。

 レオとウィルは樽でも担ぐようにして男たちを運んでいき、スーとドロテアは唸りながら引きずって部屋へと入れた。そのため、彼女らの運んだ男たちは、所々にかすり傷を負い、なんだか不憫な状態になってしまったことはいうまでもない。

 赤毛の小サルはウィルの相棒のようだ。ティティとドロテアが呼んでいるのを聞いたので、それが名であろう。

 ティティはスーにもなついたようで、カインを運ぼうと引っ張るスーの肩にのって、励ますように声をあげた。

「君じゃ無理だね」

 ふいにかかった声に振り向く間もなく、手がつかまれる。スーが、なにがなんでも運びきってやろうとしていたカインの巨体を、レオは足で転がす。

「こいつはさすがに担げないね。そこいらに置いとけばいいよ」

 部屋のドア先に投げ出されたカインに、同情のまなざしを送るが、仕方がない。もはや自分にはこれ以上彼を動かすことは無謀に思えたし、なにより彼にかすり傷が増えてしまうのが後ろめたかったのだ。

 甲板に向かおうとさっさと歩き出すレオの後を追い、スーは内心苦笑する。……カインのようながっしりした体格の海賊は他にもいる。それにも関わらず、レオはカインだけを運べないと言ったのだ。このことを知れば、さぞかしカインは憤慨するだろう。

(あとでこっそり教えてしまおうかしら)

 やや悪戯な気持ちになり、スーはそっと含み笑った。

「……なに笑ってんの」

「な、なんでもないですよ!それより――」

 スーはハッと口をとじた。

 甲板には、もう寝ている男たちはいなかった。みな無事に部屋に運び込まれたのだ。

 倒れたテーブルや料理の残骸が広がる、そこで――背後にたゆたう波をもって、ふたつの人影がうごめいていた。

「なーにやってんだぁ、アイツら」

 軽く口笛を吹き、レオもドアの影に隠れたスーの後ろからひょっこり顔を出す。


 ドロテアは、ウィルを見上げていた。その目に涙はなかったものの、今にも泣きそうな状態である。

 茶色の髪を振り、青年はため息を呑み込んで口をひらいた。

「――ちがう。そんなはずはないよ」

 そう答えた彼の声はどこか拒絶を示すように冷たい。にも関わらず、スーはその声音の懐かしさに唇を噛みしめた。

「まちがいないわ。あたしが、見間違えるはずなんてない。――六年間、ずっと瞼に張り付いていたのよ!」

 訴えるように、ドロテアはどんとウィルの肩をたたいた。

「痴話喧嘩か?」

 楽観的意見をのべたレオの声も、スーには届かなかった。目をとじれば、フィリップの声がする。

 のぞき見するつもりなどなかった。ただ、もっと聞いていたかったのだ。

 たとえまったくの別人だとわかっていても、その懐かしい声に浸りたかった。

 だがしかし、彼らの会話は平穏とはいえない。荒々しくなるドロテアの様子と、荒んだまなざしに歪むウィルの表情に、スーは隠れていることに罪悪感を覚えた。


「……あなたは、ウィルだわ。だけど――」

「あのっ」


 思わず、スーはドアの前に出た。このまま盗み聞きするのは、どうしても憚られた。

 ドロテアはぎくっと身を引き、気まずそうに目を泳がせる。背後ではレオが、「おい」とあわててる声がした。

 しかし――。

 スーには、そのとき、その場が、儚くあたたかい、幻の世界のように感じられた。



『スー』

 耳の奥で声がする。柔く笑みを浮かべて、やさしく頭をなでてくれた、大好きな人――。

『僕たちは、家族だよ』



 いつもやさしかった。あたたかで、心地よくて、ずっとこのぬくもりに触れていたいと思っていた。

(フィリップ兄さま……)

 どうして。どうして彼はここまでフィリップを思わせるのだろう。暗いまなざしをしていてもなお、どうして明るいフィリップを思わずにはいられないのだろう。

「……兄さまっ」

 スーは無意識に声を出し、涙に視界を歪めた。

 しかし――かかった声は、ひどく冷え冷えとしていた。


「僕は、君の兄じゃない」


「わ、わたし、スーです!」

 わかっている。彼はフィリップではない。唯一の絆の証であった深い緑の瞳ではない彼を、フィリップだということなどできない。どんなに亡き王子に似ていようと、藍色の瞳をした彼は、海賊の船長でしかなく、ただのそら似以外のなにものでもないのだ。

 わかっていた――それでも。それでも、すがりつきたいのだ。まだ追い求めてやまない面影に、すこしでも似ている彼に、すがりつきたいのだ。



『スー、おいで』



 にっこりと柔く笑って、やさしく頭をなでてくれたフィリップは、もういない。

 見上げた青年の藍色の瞳に、かすかな変化を見い出そうとしたが、彼はただ無表情に近いかたちで、口をひらいた。


「スーなんて、知らない」


(――やめて)

 ぐっと唇を噛みしめ、スーは泣くまいと耐えた。今目の前にいるのはフィリップではない。はじめて会った、海賊の船長であると自身に言い聞かせた。

(やめて……その声で――フィリップ兄さまの声で、そんなことを言わないで!)

 ぎゅっと固くつむった目、その瞼の裏に浮かびあがる、太陽のようにあたたかいフィリップの笑顔が崩れていく。そして同時に、今度はあの、高くも低くもない、ささやくような――胸をそっと震わせる、あの声が響いた。



『おまえ、もう、いらない』



 なぜだろう。どうして今、彼の声が頭に響くのだろう。ウィルの言葉とアルの言葉がリンクして、二重に響き渡っていく。

 知らない、いらない――いなければいい……そんな冷たく鋭い、氷のような言葉がぐっ、ぐっ、と心臓に突き刺さってくる。


(わたしを捨てないで)


 スーは拳を握りしめ、じっとウィルを見つめた。

 物悲しい、その彼の瞳のなかに、悲嘆に暮れた少女が映っている。夜の海を思わせる瞳を見つめているうちに、スーはいいようのない失望と、そして相反する確信をもった。

 やがて、スーの視線を避けるように、ウィルは顔を背けた。


「……おいおい、そりゃないぜスティーナ」

 場違いなほど陽気な声が響いた。肩をすくめ、ウィルとドロテアとスーをぐるりと見ましたレオが、そのギスギスした空気に耐えられないとばかりに微苦笑を浮かべている。

「ウィルが君の兄貴だって?それは確かか?証拠は?」

「そんな……」

「言っておくけど、俺たちは、君の身分も知らないんだ」

 スタスタと歩いてスーの横までくると、レオは軽く咳払いをして、口をひらいた。

「海賊ってのは、ただ冒険に憧れている奴ばかりじゃない。ワケあって平穏に暮らせなくなった連中もいれば、ただ略奪に欲をぶつけている奴もいる……海軍には追われるし、命だって狙われるんだ。わかるよね?」

 スーは小さく頷く。たぶん、そうなのだ。よく考えてみれば、そういうことなのかもしれない……ドロテアもカインもダリーも、みんなみんな、それぞれに理由があって海賊をしているのかもしれない。

「じゃあ、君はなに?もしかして、海軍の犬?」

(えっ)

 スーは思わず、ぎょっとしてレオをまじまじと見つめた。もしや――疑われているのか?

「船にのってから、妙に殺伐とした気配が複数あってさ。一応油断しないよう、気をつけていたんだ」

 彼の目は冷たい。笑っているのに、はっきりと警戒の色が見てとれた。

「ひとりは、先ほど捕まえた女だ。相当な手練だね」


 スーはぞっとした。それにはいくつか理由がある。そしてぞっとした次の瞬間、一気に様々なことが起こったのだ。

 レオはスーから目を離さず、そっと自身の懐に手を忍ばせ、ほぼ同時にカチャっと金属のこぼれる音がし、そして足音がかすかに走った。

 スーはレオの殺気に怯え、同時に漂った一本の緊張の糸を察し、なぜか胸がざわついた。

 そして次の瞬間――すべては、起こったのだ。

 スーの耳には、複数の人間が一気に動き出した音が届いただけだったが、実際はレオが懐から取り出したナイフを投げ、ドロテアが気配に身を構え、だれかが――白っぽいマントの人物が踏み込んだのだった。


「なにをしているの!」


 再び静止した世界で、ドロテアの声が響く。遅れながらにスーも振り返れば、そこには首元にナイフをつきつけられたウィルが、ひどく落ち着き払った様子で立っていた。

 マントの人物はウィルを人質にするようにして一歩下がる。ドロテアは眉をひそめながら、じっとその様子をうかがっている。そして悲痛な面持ちのまま、叫ぶように声を発した。

「……やめて。なにをするつもりなの、ユーリ!」

 ウィルにナイフをつきつけていたのは、ユーリであった。ドロテアがどんなに訴えようと、無言のままマントを被ったままで、表情は見えない。

(ユーリさん……なんで……)

 どうやっても打ち解けようとしなかった彼女の態度が、スーの頭のなかにありありと浮かんできた。

 ウィルはまるで部外者のように、ただ固い表情で、抵抗することすらしなかった。それどころか、スーの横にいるレオに向かって、わずかに眉根を寄せて口をひらいた。


「構うな」


 なにを構わないのか、スーにはさっぱりわからなかったが、それを聞いたレオが懐に伸ばしていた腕を引っ込めたのを目の端にとらえ、彼かまたなにか攻撃を繰り出そうとしていたことを知った。ウィルはよく気がついたものだ――スーは内心、ぎくりとした。

 ウィルは目をつり上げ、よく響く、なぜか聞かずにはいられない声で言った。

「いいから、手を出すな」

(あれは……さっきの……)

 足元に転がるナイフ――おそらく、レオが投げたものであろう――を踏みつけ、ウィルがかすかにこちらを見たような気がした。

 ウィルは、レオがした攻撃からユーリを守ったのだろうか?首に刃物をつきつけられたのに、なぜ?どうやって?

 それにたった今、彼は『手を出すな』と言った。ウィルを守ろうと様子をうかがっていたレオに釘を刺したのは、なぜなのか。

 しかし――スーの驚きは、これで終わりはしなかったのだ。



「――アルさま」


 なぜか、スーは途端に解した。意味も理由もなく、ただ、感覚的に――ユーリという人物が、アル王子であったと。










外伝Ⅲの【リタレンティア】ですが、

ちょっと重要な気もします……

【サイレント・プレア】や、本編【王国の花名】ともリンクするかと。


もしよかったら、是非^^


ではまた、よろしくお願いします。




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