第四章 残酷な憂鬱
第四章 残酷な憂鬱
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「どうです、王子には慣れましたか」
「いえ、まだ……」
スーはあいまいに応じ、苦笑いする。それを見て、クリスは微笑した。
クリスは栗色の軽いくせ髪の少年だった。長い前髪からのぞく目は赤色である。スーと同い年であったが、かなり頭が切れ、アル王子の側近として抜擢されていた。
「アルさまはどうも心を開いてくれませんからね。僕もかなり苦労しますよ」
クリスはにこにこ笑いながら、スーを励ますように言った。
はじめて彼と出会ったのは、城の庭園だった。アル王子からの仕打に衝撃を受けたスーは落ち込み、花々でもながめて気をとり直そうとやってきたのだ。
そこで出会ったクリスは愛想よく、柔らかな様子がフィリップ王子と似ており、スーはどこか安堵を覚えた。彼はスーの話を真剣に聞いてくれ、励ましてくれた。
それからよく落ち込むと庭園へやってきては、クリスと他愛ない話でショックから立ち直っていたのだ。
「もともと、僕は公爵さまに仕え、事務的な仕事をしていたんですよ」
尋ねると、彼は快く自分のことを話してくれる。
「公爵さまは今は亡き国王の遠い血族でして。ある日パーティーを開いたら、ルドルフさまが屋敷にやってきたんですよ。そこで僕を見い出してくださいました」
夜空を仰ぐ。きらきらした星、虫の音が鈴のように聴こえる。ゆったりとした、やさしい時間だ。
「ルドルフさまって、大臣の……?」
「ええ。あの方はすばらしい方です。人の力量を計れるお方」
この人も、こんな目をするのだなぁと、スーはぼんやりと思った。よほど大臣にあこがれを持っているのだろう。瞳からはいつもの柔さは消え失せ、鋭さを増す。
「ああ、そろそろ休みましょう。明日もはやいことですし」
城の鐘が鳴り、時間を告げる。
言われてスーは挨拶し、その場をあとにした。
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「今日は騎士の練習場を見に行く」
朝。王子の部屋に呼ばれて駆けつけたスーに、彼はただ一言そう言った。
「わかりました」
小さく頷く。まだ彼が恐くてたまらなかった。
アルは朝食をとっていた。パンにサラダ、フルーツなどが山盛り盛られた皿が、ベッド脇のテーブルに並べられている。
「どうかしたの」
「いえ」
ふい、と目を伏せる。どうかしたのかと聞かれれば、どうかしたのだ。
アルは上半身裸だった。ただ薄い白い布で隠しているだけで、ベッドに座りながら食事をつづける。
いくら王子の世話係だからといっても、目のやり場に困ってしまう。
そんなスーに気づいたのか、アルは意地悪く笑む。
「おまえも食べるか」
びくりと肩がすくむ。
結構です、と首を振ろうとしたそのとき、強引に腕を引かれた。身体がぐらりとバランスを崩し、そのままアルの胸に倒れ込む。
「あっ、アル王子さま!」
「煩い。黙れ」
声は冷たい。それなのに自分の頬が熱くなる。スーはわけがわからず、ただ恐くて震えた。
(ラベンダーの香り……)
スーはアルの胸に抱かれるようなかたちのまま、そっとその香りに気がついた。その独特な香りに。
アルはかまわずに朝食をつづけ、結局食べ終わるまでスーを離さなかった。嫌がらせのつもりなのだろう。
(アル王子は、兄さまのことがきらいなんだ)
はじめて会った日のことを思い出す。彼は自分のこの瞳がだいきらいなのだと思い知った、あの日を。
信じられなかった。フィリップ王子を好かない人間がいるなど、スーには信じられないことだった。
(なぜ、きらいになったのかしら……わたしには、わからない)
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すさまじい掛け声とともに、練習場では男たちが稽古に励んでいた。
斬り込み、避け、跳ぶ。剣を片手にやりあう人間もいれば、槍をもち振るう人間もいた。
すこし離れた場所で、アルとスーは見物した。
アルは表情ひとつ変えず、ただ黙って剣の稽古をながめていた。その騎士たちの動きひとつひとつを目で追いながら、別のことを考えているようにも見える。
けれどスーはまったく気づかず、ただはじめてみる騎士たちの迫力に興奮して、夢中で見ていた。
キンキン、と金属のぶつかりあう音が響く。それから、弓矢がびゅっと風を切る音が――
(――弓矢?)
ハッとした。殺気を感じ、すぐにアルに声をかけようとする。しかし。
「伏せろ!」
スーよりもはやく、ひとりの人物がアルの前へ飛び出し、まっすぐに向かってくる矢を剣で斬り伏せた。
そのあまりの俊敏さに、スーは動けず、ただ見つめるしかなかった。
黒髪に、鳶色の瞳をした、長身の男だった。濃紺の騎士の制服を着用している。切長の眼で、冷たい印象を受ける青年だった。
「ごくろう、ランスロット」
「気を付けてくださいよ、王子」
ニッと笑うアルに、ランスロットと呼ばれた青年はため息をこぼす。気さくな仲なのか、アルはいつもよりも雰囲気が明るく見える。
「アンタは狙われているんだ。第六王子さま」
「余計なお世話だ。どうせおまえが助けてくれるだろう」
からかうようにケラケラと笑い出すアルに、ランスロットは肩をすくめた。
それから、チラとスーに目をやる。スーはぎょっとして、なるたけ小さくなろうとするかのように、数歩後ずさった。
「ああ、それは俺の奴隷――いや、召使だ」
「召使……」
ランスロットはしばしスーを見つめていたが、やがてなにか納得したのか、軽く頷いた。それからアルに向き直り、口を開く。
「耳がいいな。この娘は、矢に気づいていたようだ」
青い目と鳶色の目が同時にこちらに向き、スーはあわてて顔を伏せる。まっすぐに見つめられることは、どうも苦手だった。
じっと痛いほどの視線がスーを射る。もじもじと身体を揺すってはみるが、その視線が外されることはない。
たまりかねて口を開こうとしたとき、やっとアルが言葉を発した。
「鍛えれば、軍師になれるだろうか」
「はい?」
アルの言葉に、スーは心のなかで、ランスロットは口に出して聞き返した。
「だから、こいつを軍師には育てられないかってことだ」
「この娘を?」
「そうだ」
「女ですよ」
「なにか問題でもあるのか」
「ははは」
乾いた笑いをし、ランスロットは間抜けな声をもらす。この突拍子もない王子さまに、あきれるを通り越して、もはや尊敬すらしていた。
「おまえが言ったんだぞ」
ぶすっと顔を膨らませるアルに、ランスロットは首を振ってため息をもらす。それから慣れた様子で、スーを引っ張ってアルの前につきだし、説明しはじめた。
「よく、考えろ。賢いですか、この女は」
「それなりの教育は受けているはずだ」
「体力はありますか」
「すくなくとも病弱じゃない」
「人に意見を言えますか」
「俺以外になら言えるかもしれない」
「策をめぐらせられますか」
「きっと期待に応えてくれるはずだ」
「では、王子に忠誠を誓っていると、言えますか」
スーは青い目が、一瞬鋭く細められるのを見た。
どきりとした。冷たい、あの不思議な雰囲気をもった眼だったから。
「……そんなもの、必要ない」
アルの声は低く、乾いていた。
「裏切るなら、殺すまで」
そう言い終わるか終わらないかのうちに、さっと踵をかえしてアルは歩き出す。
冷たい刄にいすくめられたように、スーは動けなくなった。あからさまな憎しみのまなざしを、はじめて受けたのだ。
「アンタも大変だな」
ぼそりとランスロットはつぶやくと、そのまま黒髪を振って練習場へ戻っていった。
(なんで、わたしなの)
その場にへたりこみそうになり、スーはぐっと奥歯を噛みしめる。
人からきらわれることは、それなりに堪えることだとはじめて理解した。
今まで、スーは離れのフィリップの屋敷で暮らしてきた。屋敷の人々はとてもやさしく、スーをフィリップ同様に大切にしてきてくれた。
侍女もふたりつき、風呂も食事も部屋も与えられてきた。アルの言うとおり、それなりの教育だって受けさせてもらえたのだ。
けれどその一方、スーはどこか『客人』だった。第一王子の血族として丁重に扱われながら、滅びた王家の家柄もなにもない娘として見られることだってあった。
スーの扱いに、みな戸惑っていたのだ。
されど、すくなくともフィリップの用意してくれた侍女たちはスーを受け入れてくれていた。だからスーも気兼することなく、過ごすことができたのだ。
好奇な目で見られることもあった。戸惑いの目を向けられることもあった。
それでも、あからさまに憎しみの、憎悪の目を向けられたことはなかったのだ。
(あんなに、まっすぐ。わたしの緑だけを見ていた)
ふと、スーはアルの瞳を思い出す。きらきらしていて、とてもきれいだった。その瞳が、憎しみに歪むとき、自分だけを見ていた。
(もし、笑ってくださったら……)
それはどれほどすばらしいことだろう、とスーは思った。せっかくのきれいな瞳なのだ。暗く冷たいだけでは、もったいない気がした。