第三十七章 海賊の宴
第三十七章 海賊の宴
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「ありえません!」
彼女にしては珍しいことなのかもしれない。顔を真っ赤にし、頬をふくらませて腕組みをしながら怒りを露にするのは、希なことだ。
彼女の前には、苦笑いを浮かべたカインと、おいしそうに林檎を頬張るダリーがいた。カインは膝をつき、ほとんど土下座状態であった。
「なにを――勝手に――わたしは――」
カッとなったせいで、言葉がうまくつながらない。スーは深呼吸し、その怒りを鎮めようとした。
この怒り――いや、怒りではないのかもしれない。ほとんど羞恥に近いような気さえする。それが自分でわかっているから、なおさら頭に血がのぼるのだ。
話は数時間前に遡る。
朝はやくに部屋の前でカインと別れてからすぐに、林檎を両手いっぱいにかかえたダリーと遭遇したスー。捜されていたのだと思い出し、どうしたのかと訳を問おうとしたが、ダリーは目にも止まらぬはやさでスーの手に林檎を押し付けると、同情の笑みを浮かべた。そのまま去ろうとするダリーであったが、このふたりの奇怪な行動にとうとう我慢できなく、引き止めてわけを聞き出したのだった。
ダリーによれば、ちょっとしたいさかいが起きたのだとか。もっと問いつめたところ――。
「スティーナの奴、ありゃ、恋してるぜ」
その一言がすべてのはじまりだった。
カインはふふんと鼻を鳴らし、自慢気に言ったのだそうだ。
「毎晩毎晩、あいつは月を見て祈ってんだ。それからしばらくぼんやりしてる――トロンとした顔でさ。切なそうにしてさ。ときどき泣くこともあるんだ」
近くにいた海賊たちはみな集まり、カインの話に聞き入っていた。そして流れは当然のごとく、その乙女の想い人の話になったという。
だれだろうと考えている海賊たちに、カインがぼそりと言葉を落とした。
「こりゃ、いちばん交流のある、レオか俺だな……もっとも、俺のほうが――」
後はもう、一気に話は進んだ。カインの演説を聞く者はなく、みなは少女の恋の相手はレオだと決めた。そして「羨ましいなぁ」、とだれかが声をあげたそのとき、幸か不幸か、当の本人が現れてしまった。
すっかりその気になったレオは、近いうち、悲しみに暮れる乙女を慰めると誓い、意気揚々と船酔いすらも克服していたそうな。
もともとレオは手がはやいと有名だ。ダリーはあわてて、同情や労りを込めて、スーに粗品の林檎を送ったのだった。
これでカインの不可解な行動にも納得がいったが、許すわけがない。急いで呼びつけ、今に至るというわけだ。
「そんなに怒るこたぁねぇよ。俺はちゃんとわかっているからさ」
頬を真っ赤にしてうなだれる少女に、カインは肩をすくめて言った。
「わかってるって。おまえが好いているのはレオなんかじゃないってことくらい。大丈夫さ。俺は勘違いなんかしないから」
ひとり満足気に頷く男に、スーはとうとう眉間に皺を寄せた。シルヴィのように腰に手をあて、自分は怒っているのだと叫びたいほどだったが、その前にダリーがため息まじりに口をひらく。
「たぶん、スティーナの好いてるのは、カインじゃねぇぞ」
「は?まさか!」
スーはうなだれる。彼もそういう、大いなる勘違い野郎なのだ。だれかを思い出さずにはいられない――黒髪の、あの勘違いをしたままでいる騎士を。
もうどう言ったって仕方ないだろう。スーはため息を呑み込み、立ち上がった。とにかく勝手なことは言わないでください、とだけ告げ、さっさと立ち去ることとした。
長居は無用だ――もし、なぜ泣いていたのか、などと聞かれたとて、スーにはよい言い訳が思いつかなかった。
まさか、自分が涙しているところを見られているなど思いもよらない。恥ずかしさで死にそうだ。
……たしかに、スーはいつも、夜になるとぼんやりと空をながめていた。だがそれは決してカインやレオを想ってではない。
(……シルヴィやローザは、無事かしら……)
ため息は尽きない。胸に窮屈なほどの恐怖が日々募っていく。いつも頭のどこかに、やさしかった侍女たちの顔があった。そして、必死で自分を守ってくれたランスロットや、クリス……彼らは今、どうしているのだろう。
考えれば涙は自然とこぼれてくる。心細さは無限の闇のように広がり、もはや逃げ場などなかった。
だから決めたのだ。泣くのは、夜だけにしようと。どうすることもできない今、しばらくは海賊の世話になるしかない。めそめそしていたってどうしようもないのだ。ならば、普段はその恐怖を忘れよう、と。
怒りは、悲しみを隠したものだったのかもしれない。秘密の行為を見られたということは、羞恥とともに、その悲しみをも呼び起こした。
(泣いちゃだめ……わたしは、強くなるんだから)
ぐっと堪え、唇を噛みしめる。ふいに脳裏に、冷たい青の瞳が浮かんだ。
(アルさまは、どこにいらっしゃるの?)
この果てしない旅は、どうなるのだろう?
その結末を考え、スーは言いようのない恐怖にしばらく自身の肩を抱きしめ、そうやって不安をやり過ごした。
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まばゆい光に、スーは顔をしかめた。頭がぐわんぐわんと揺れている。
はじめ、その射すような光は朝日ではないかと思った。朝を迎えたのだ。いつの間にか寝てしまったのだろう。
だがしかし、時はいまだ夕刻であった。日は傾きはじめてはいたものの、夜の訪れには充分時間がある。
「ああ、スティーナ!今日はあなたたちの歓迎会をひらくって言ったじゃない!」
わくわくした響きをはらませた声がした。やっと目をあけると、明るく白い光を放つランプを持ったドロテアがそこにいた。どうやらまぶしさの原因は、これだったらしい。
悶々とした気分のまま、どうにもならない現状を考えてうんざりとし、そのままふて寝してしまったのだと解し、スーはひとり顔を赤らめる。まったく自分はどうかしていたのだ。
「ほら、みんなが待ってるわ。今夜は朝まで飲むわよっ」
「わ、待って、ドロテアさんっ」
にこにこしながら、半ば浮かれるようにはしゃぐ女海賊に腕を引かれ、スーは甲板のほうへ走っていった。
不思議な夢の世界のようであった。
ライトアップされた船体、きらめく海に反射して揺れ、風にはためく髑髏の旗……出されたたくさんのテーブルには、肉汁のしたたる鶏肉や、たっぷり盛られたサラダに果実、パンも酒も、スーの知らない料理まであった。
海賊船の船員たちは、すでに食事にがっついていた。樽いっぱいの酒をがばがばと飲み干し、豪快に笑い、見るからに楽しんでいる。圧倒される。
「見て。これ、あたしが作ったのよ」
ドロテアはふふんと鼻を鳴らし、白い皿にのっかった、赤茶色く、そして甘い香りを漂わせる焼き林檎を手渡した。
すごい、と感嘆の声をもらすスーに、ドロテアはにっこり笑うと、山積みになっていた果実から赤い林檎――もちろんダリー調達の――を取ると、懐から出した果物ナイフで器用に皮をむきはじめる。くるくると彼女の手のなかで回り、赤から白に変わってゆく様は、まるで魔法のようだ。
「はい、お嬢ちゃん」
恐ろしいくらいそっくりなほどダリーに声色を真似て彼女は言った。スーも思わず笑う。
「やっと来たか!機嫌は直ったか」
愉快極まりない笑みで話しかけてきたのは、カインだった。まったくだれのせいだと言ってやりたかったが、せっかくの雰囲気を壊したくはない。怒ることすら馬鹿らしく思えてくる。城のパーティーとはまたちがう、愉快で豪快なこの宴を、スーはすっかり気に入ってしまった。
「ほらほら、こいつはレオが作ったんだぜ」
カインの持ってきた皿には、黄色に近い茶色のものが入っていた。粉っぽく、独特の香りがする。それをパンにつけて恐る恐る食べてみたところ、これがほっぺたが落ちそうなほど、格別に旨かった。
気をよくしたスーは彼女にはめずらしく、食を進めた。
「おお、嬢ちゃん、いい食べっぷりだなぁ」
「これからよろしくな!」
「俺はドンってんだ」
「ノッポって呼んでくれ」
「ほらほら、まだ肉があるぜ!」
海賊たちは驚くほど気さくに話しかけてくる。恐れるべき極悪な海賊の影など、すこしも見えない。スーはなんだかうれしく、そして楽しくなり、心ゆくまで宴を満喫した。
日がすっかり沈み、夜が訪れた。それでも海賊たちの騒ぎは収まることを知らない。
スーはまだ自分から話しかけてゆく勇気はなかったが、尋ねられたことには積極的に答え、または彼らの会話を聞き、そのころにはずいぶん海賊らと打ち解けていった。
ふと、スーは噂の『船長』の姿が見えないことに気がついた。まだ会ったことはなかったので、今日こそはと思っていたのだが……。どうやら彼は身体が弱いらしい。尋ねることも憚られて、スーは口をとざした。
突然、ドロテアがすっくと立ち上がり、スーに笑いかけた。
「スティーナ、あたしの唄を聴いてくれる?」
しかし、スーが応えるより先に、それを耳にした海賊たちが、わっと歓声をあげた。
「よっ、世界一の歌姫!」
「我らがセイレーンのごとき歌姫!」
「聴かせてくれ~!」
盛り上がる歓声、吹かれる口笛、拍手に応えるように、彼女は手をあげて笑った。
「久々にうたうの。聴いてね」
スーに向き直った彼女はそれだけを言うと、さっさと空けた空間の中央に進み出た。
(――この人……)
きれいだ、と、直感にも似た感覚で思った。ドロテアは優雅に礼をし、上品でうつくしく、そして艶やかにほほえんだ。
しん、と静まりかえった船内。ただ揺れる波に弾ける水音だけが、夜の世界に反響していた。
――あとはよくわからない。
ドロテアが口をひらき、うたいはじめると、世界はすっかり変わった。色をもち、漂い、光が弾け、きらきらと反射する。
言葉では言い表せない。その歌声は胸に、頭に、身体中に響いて、しっとりと染み込んでいった。
時間が無限のように、そして一瞬のように感じられた。
うたい終わったドロテアが恭しくお辞儀し、そばに戻ってくるまで、スーはうっとりとして我を忘れていた。まるで宮廷でひらかれる舞踏会のように、彼女の歌や振る舞いには洗礼され、魅了するなにかがあった。
「すごい……!」
感動の余韻に浸りながらも、スーはドロテアの手を両手でぎゅっと握った。この感動を伝えたくてたまらない。
「ありがとう」
ドロテアは心から笑う。
「やっぱり最高だよ!」
「我らがセイレーンは、今も健在だね」
わらわらと歌姫を囲んでアンコールを促す男たち。スーは思わずクスリと笑いながら、再び流れる心地よいメロディーに目をとじて耳をすませた。
(すてき……本当に……)
「どうぞ」
かけられた声で我にかえる。見れば、並々と注がれたワインが差し出されていた。
そういえば、海賊たちがみんなこのワインをうまそうに飲んでいた。今やドロテアも、喉を潤すために赤いワインに口をつけている。
「ありがとうございます」
スーは生まれてこのかた、まだ酒を口にしたことはなかった。酔うということにはすこし恐怖があり、果たして自分はどうなってしまうのか――とりわけ、酔ってデレデレになったカインを見たときは強く思ったのだが――と不安になり、できれば酒は遠慮したいと考えていた。
海賊のことだから、スーの年齢での飲酒は法で禁じられているなど構わないのだろうと思っていたが、意外にもドロテアはそのことを考慮してくれたらしく、スーに酒が回ってくることはなかった。
だが、すすめられて、断われるはずもない。スーはそういう質だ。
グラスを受け取り、曖昧に笑う。ワインを差し出してきた海賊は、やや小柄な少年であった。
前髪が長く、表情はよくつかめなかったが、彼は唇を優雅に引き上げ、お辞儀した。
「いえいえ。それでは、よい時を――」
スーはそのとき、不覚にも、怯えた。