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王国の花名  作者: 詠城カンナ
第二部 『海賊編』
36/150

第三十六章 船酔いのひと


2010年も、よろしくお願いします!(*^ω^*)



第三十六章 船酔いのひと




†▼▽▼▽▼▽†



「まだそんな顔をしているのね」

 朝日がきらきらと反射する。水面は硝子の破片のように輝いている。

「近いうちに歓迎会をするわ。楽しみにしていて」

 ドロテアは言うと、スーの持っていた林檎を取り上げて苦笑を浮かべた。彼女はあっという間にきれいなナイフさばきで、林檎をくるくると剥いていく。皮はひとつに繋がっており、蛇のどぐろのようになってぽたりと落ちた。

「ありがとうございます」

 スーは複雑な面持ちで、手渡された林檎を受け取った。白い果実はうつくしく、食べてと言わんばかりに輝いている。

 肩をすくめたドロテアは、スーの隣に腰かけてともに海をながめた。

 やはり青くうつくしく広がる水面は、心を踊らせずにはいられない。スーだってもちろんそうだったが、しかし、自分ののっている船が海賊船なのだと思うとどうしようもない。

「船長の体調がよくなったら、みんなで騒ぐのよ。スティーナも、楽しんでよね」

 こくりと頷き、スーはダリーから無意味に押し付けられた林檎にかぶりついた。

 海へ出て二日が経った――スーには個室を与えられ、食事も旨く新鮮なものを与えられ、船員たちはみな気兼なく話しかけてくれる。船酔いなどすることもなく、旅は快適といえた。

 ただひとつ、海賊船だということを除けば。

 きらめく太陽の光と風に揺らめきながら浮かぶ旗を見て、スーはため息をこぼさずにはいられない。不気味な髑髏マークからなんとか目をそらす……。

 そう、二日前……。



 とんでもない選択をしてしまった――どうして自分はこうも具図なのだろう。情けないにもほどがある。仮にも王子の召使である自分が、悪党の類とされる海賊の船に乗るなど、彼らから助けを借りようとするなどとんでもないことだ。

 スーは顔を真っ青にして、にこやかなほほえみを浮かべるドロテアから目が離せなかった。それでも、頭のなかでは様々な思いが巡ってゆく。

(どうしよう。もしかして、わたしは騙されてしまったの?まさか、海賊だなんて――)

 そのとき、それまで頭の片隅にもなかったことが、ハッと矢を射抜くように素早く思い出された。

 細い目が一見厳しく冷たく見えるものの、目の下のホクロがそれを緩和している――彼の顔が思い出されたのだ。

『海賊が不穏な動きを見せています』

 そう、たしかに彼はそう言ったのだ。メディルサ大軍帝国第二王子・ウルフォンが、アルにそう告げていた――。

(海賊たちが狙っているのは、カスパルニアの国……)

 どくどくと嫌な感じに心臓が脈打つ。たまらなく、スーは拳を握りしめ、ドロテアに向かって口を切った。

「おろしてください!」

 驚くドロテアに構わず、スーは船から水面をのぞきこむ。夜空よりも濃い黒が広がっている。

「ちょっと、馬鹿なことはしないで」

 あわててドロテアはスーの身体を引き寄せ、半ば苦笑を込めたまなざしを向けた。

「勘違いしているわ。あたしたち、あなたの敵じゃないのよ」

「でも――」

「大丈夫。ここの海賊は、あなたの思っているような悪人じゃない。信じて?」

 にっと口角を引き上げ、ドロテアはスーの手を取る。なめらかで、すこし冷たい指先に触れられ、スーはびくりと肩を縮めた。

 なにを思ったのだろう――そのとき、スーにはこの不思議な女性は自分のことを知っているのだと直感した。以前に会ったことはない。そういう『知る』ではなく、もっと深いところ――感情という面――で、自分はドロテアに悟られているのだと思った。

「なにボサっとしてんのさ。はやく中に入んな」

 出し抜けにランプの明かりが目を射抜く。見れば、レオが片手に明かりを持ちながら、呆れ顔で立っていた。

「今行くわ……ダリー!」

 ドロテアは立ち上がり、両手に赤い果実を持った男に呼びかける。彼はいそいそとやってきて、スーとドロテアの手に林檎を押し付けてから口をひらいた。

「心配すんなよ。ウィルは大丈夫さね」

 ニカッと笑い、ダリーは励ますようにドロテアの肩をたたいた。

「ただ風邪をこじらせてるだけさぁ。ほら、お嬢ちゃんの歌でも聞けば、すぐに元気になるよ」

 ドロテアがダリーとともに船の奥へ入っていくと、取り残されたスーは恐る恐るレオに目を向けた。

「なんだよ。気になるのか」

 レオは悪戯な笑みを見せる。

 別にさほど気になったわけではなかったが、とりあえず頷く。たしか、ウィルとは船長だったはず……具合でも悪いのだろうか。寝込んでいるのだとすれば、舵を執っているのも船長ではあるまい。

 レオは甲板に腰かけるようスーをうながし、夜風に髪をさらす。しばらくして、口を切った。


「……ウィルは、船長になりたくない船長なんだ。君はきっとウィルを好きになれないだろうね」

 え、という間抜けな声を呑み込み、スーは耳を傾けた。好きになれないとは、どういうことだろう。

「君みたいな世間知らずは、ウィルの憂いに嫌気がさすだろうってことさ」

「憂い?」

 世間知らずなどと言われ、一瞬口をつむぐが、すぐに尋ねる。

 すくなくとも、スー自身はよく物を考えるほうだ。考えすぎて落ち込むことだってある。特に他人の気持ちには敏感に察知できるよう、無意識にあらゆる角度から観察するタイプである。

 酷い仕打をしたアルに対してだってなんとか我慢してきたつもりだ。まして、まだ見もしない船長を憂いがあるだけできらいになるはずはない。反発よりむしろ共感を覚えることだろう。

 しかし、レオはそれ以上とやかく言うことはなかった。薄く笑って、ただ海をながめるばかりだった。






†+†+†+†+


「レオさんもなんですか?」

 それは船にのって四日目のこと。スーは腕にタオルや水を抱えて、ある船室へ向かうところであった。

 途中で壁にもたれるようにして立っていたレオの顔は蒼白く、いかにも具合が悪そうだ。足元もおぼつかないのか、終始ふらふらと手を泳がせている。

 思わず声をかけてはみたものの、あまりのハキのなさにいささか出鼻をくじかれたような気分になる。

「ああ、まあ……いつものことだ」

 スーからタオルを受け取り、レオは額に冷や汗をかきながら力なく言う。

「三日までは平気なんだ……なぜか四日目からこの様になる」

(なんておかしな人)

 笑いそうになるのをなんとか堪える。本人は冗談ではないくらい苦しいにちがいないのだ。

「俺の他にも、だれかいるのか」

 再び歩き出すスーに向かってレオは尋ねた。その声音には、海賊のくせに船酔いする奴がいるのか、という嘲りが見えた。

 スーはわずかに口角をあげ、そして微弱ながら皮肉を込めて目を細めた。

「ええ、ひとりだけ。ユーリさんが、今朝から具合が悪いんです」



 レオ――スーの皮肉に苦笑いを浮かべていたが――と別れたあと、ひとり早足に部屋へ向かう。船内にはたくさんの小部屋があり、スーの隣がユーリの部屋であった。

 正直、スーはユーリという女性があまり好きではなかった。というより、いつも顔を隠し、言葉も発しようとせず、話しかけようものなら冷たく拒絶するという彼女の態度にショックを受けていたのだ。

 しかし、この彼女の態度は自分にだけではないらしい。カインにも口をきかず、むしろ彼の顔を見るなり舌打ちをする有り様だった。

 カインは女に冷たくされるたびにうちひしがれて、何故自分に冷たいのかと嘆いていたが、スーにはわかるような気がした。カインは出港初日から、馴れ馴れしくユーリの腰を引き寄せ、口説き文句を連発しはじめたのだ。舌打ちされても仕方がない、とスーは秘かに思った。

(でも、これはユーリさんと仲良くなれるチャンスかもしれない)

 部屋の前までくると、スーは足をとめて深呼吸する。今朝から船酔いのため、具合が悪くこもりきっている彼女の看病を自ら買って出たのには、スーなりの意図があったのだ。

(大丈夫。きっと仲良くなれる)

 もはや自己暗示に近い。それでも、待っているだけではだめだと思う。自ら行動してみようと、そんなふうに考えることができたのだから。

 すくなくとも、彼女はアルほど厄介ではないだろう。それだけは確信が持てた。

 どんなに人と接することに臆病になったとて、アルに比べればみなかわいいものだ。スーはそんなふうに自身を励まし、部屋のドアをノックした。


「失礼します」

 部屋は狭い。天井もあまり高さはなく、ベッドとテーブルが並べられている簡素なもので、スーの部屋とまったく同じつくりだ。それでもベッドの布団は清潔で、思いの外寝心地がいい。

 ユーリはだらんと力なくベッドに身を横たえていた。顔は壁のほうを向いており、表情は見えない。

 しかし、具合の悪いときでさえ彼女はマントをとらないのだと、スーは半ば感心して思った。たしかダリーは、ユーリはきっと顔にひどい傷を負っているにちがいないと言っていたが、あながちそれも嘘ではないかもしれない。

 そんなことを考えながら、スーはベッド脇の椅子に腰をおろし、彼女の具合をうかがった。

「大丈夫ですか――」

 手をのばし、触れようとしたその時。手は叩かれ、虚しく宙に浮いた。ユーリはすばやく身を起こし、スーを押し退ける。

 びっくりして、スーは手を伸ばした格好のまま固まった。いきなりこのような拒絶の仕方に戸惑い、たっぷり時間をかけて目をぱちくりさせた。

(な……なにか気に障ることをしてしまったのかしら)

 もし気づかぬうちに彼女を傷つけていたのだとしたら――スーは顔を青ざめさせ、ひとり身体をこわばらせた。

 そのとき、幸いなことに助けのごとくドロテアが現れた。


「気分はどう?」

 軽く二回ノックをしてから、返事も待たずに彼女は部屋に入ってきた。髪を高くひとつに結い、ズボンにスカーフを巻いた動きやすい格好をしている。

「ああ、スティーナ、こんなところにいたのね。ダリーが探してたわよ」

「わたしを?」

 にっこり笑みを浮かべ、ドロテアは言った。

「たぶん、連絡をするのだと思うわ。あたしたち、これから明日の歓迎会の打ち合わせをするの!」

「歓迎会?」

「そ、だから楽しみにしていてよね」

 ふふ、と口角を引き上げ、彼女は髪を揺らした。そして、いまだむっつりとマントを着込むユーリにも笑顔を向ける。

「今更船酔いなんて、アンタとレオくらいよ。もうそろそろ慣れなさい……ああ、スティーナ、あとをよろしくね」

 それだけ言うと、彼女は来たときと同じく勢いよく部屋を出ていった。と同時に、背後ではユーリが軽く舌うちをしたのを聞き、スーは思わず苦笑いを浮かべた。

 こんな風に、あからさまに他者との交流を嫌がる人間もいるのかもしれないが、どうも苦手だ。付き合い方がわからず、ただ困惑ばかりが大きくなる。

 とにもかくにも、彼女はあまり関わりたくないらしい。ならば無理に自分が関わろうとする必要はないだろう。

 スーは飲み水やタオルの入った籠を残し、なにかあったら言ってくださいとだけ告げて、部屋をあとにした。






†+†+†+†+


「――よお」

「きゃっ」


 翌朝、部屋を出た途端、いきなり声をかけられた。見れば、壁に背をもたせかけて、カインが待ち構えていたかのごとく立っていた。

「驚かさないでくださいよ」

 跳び跳ねてどきどきいう心臓を抑えながら、スーはすこし眉根を寄せて言った。

「どうかしたんですか」

 昨日はダリーに捜されているとは聞いたが、カインにまで捜されていたのだろうか。

 しかし彼はいつもとちがって歯切れが悪い。きょとんとするスーに、カインは曖昧な笑みを浮かべた。

「その、なんだ……悪い」

「え?」

 我が耳を疑う。突然謝罪される身に覚えもない。

 カインはぽりぽりと頭をかき、やがて微苦笑しながらポンポンと少女の肩をたたく。

「まぁ、な。夜は気を付けておけってことだ」

「あの……」

「大丈夫、奴も人間だ。うん、そうさ。いやなら、きっぱり断わるべきだ」

「あの、カインさん、どういう――」

「そうとも、断固拒否!ハハハハッ」


 豪快に笑いながら、カインはスーと目を合わせることなく去っていった。

 去り際に、「部屋には鍵を忘れるな」という不可解な忠告を残して。









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