第三十五章 出港、そして旅立ち
第三十五章 出港、そして旅立ち
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静寂の闇を、張りつめた声が切り裂く。
(なにが起こっているの)
白黒と目を回しながら、スーはただ過ぎゆく景色を漠然と目にしていた。
だがしかし、ややしてスーは自分があられもない姿であることを理解する。腰をがっしりと抱えられ、マントはぶわりとめくれている。スカートではないからいいものの、滑稽な姿に変わりはない。
「わっ、ちょっと、おっ下ろしてください!」
スーは自分を抱えて疾走するカインに訴えるが、彼は気にするふうもない。逆に苛立たしげに叱る。
「黙ってなって!舌噛むぜ」
(そんなことを言ったって……!)
非難がましくスーは思い、内心憤慨するが、カインの行動は正しかった。すくなくとも、スーを抱えて逃げると選択したことは正しい。
カインは物凄い勢いで一目散に逃げ、ドロテアは身軽らしく、すいすい水のなかを泳ぐように駆け抜けていく。マントを着たユーリがその後をつづき、ダリーはそれほどはやくはないもののスーよりはましであろう。
結果、もしスーが自分の足で走ったとしたら、あきらかに足手まといになるのだ。そんなことは明白だった。
「お、みんなおそろいか!」
どこからともなく現れたレオが、抱えられているスーを横目で見ながら馬鹿にするようにちらと笑う。スーはムッとしたものの、それよりもまず聞かなければならないことがあるのだ……。
「あっ!のっ!らっ、ランスロットさんたちは――」
「口の減らないお嬢だな!舌噛むって言ってるだろっ」
目が回る。ああ、たしかに気持ちのいいものではない。
スーは口をとじ、仕方なくこの悪夢が過ぎ去るのを待つこととした。
背後から響いていた怒声が聞こえなくなった。どうやら敵を撒いたらしい。
みなそれぞれ荒く肩で息をつき、汗を拭うなか、スーは取り残されたようにただひとりきょとんとしていた。
「おまえ、楽でよかったな」
ぜぇぜぇ言いながら、カインがどっと腰を下ろす。女性をいきなり担ぐように抱えて走るなど、無礼極まりないのだが、この場合は仕方がない。
スーはしゃがんで彼と視線を合わせると、軽く会釈をして口をひらいた。
「運んでくださって、ありがとうございました」
「いえいえ。どうってことないさ、お嬢ちゃん」
「俺ならごめんだね。重そうだもん」
カインはいい人なのだなぁと思ってほほえんでいたスーの後ろから、意地悪な声があがる。
見れば、にやっと悪戯っぽく笑ったレオが、大きく伸びをして立っていた。
スーは内心多少むっとしたが、ほとんど気持ちはショックに回った。怒りよりも羞恥の念が押し寄せたのだ。
だが、スーがぱっと目を伏せたと同時に、ドロテアの非難めいた声が響く。彼女はレオの頬をつねりながら、眉間にしわを寄せていた。
「それはあんたが非力だからでしょ」
「ひっでぇ。君んとこの船長とそう変わらないだろ」
「うるさいわね」
きらきらと羨望のまなざしを、スーはドロテアに送った。こうもはっきりと物を言い、男性と渡り合える女性はそうそう見たことがない。強いて言えば、恋をしたときのシルヴィくらいだろうか。
やはり彼女はただ者ではない……胸の高鳴りを覚え、スーは清々しい気持ちでレオがドロテアにしてやられるところを見つめていた。
ややあって、レオは逃げ出すようにドロテアからすり抜けると、再びスーに顔を向けて口を切った。
「見つけたぜ、君の捜しモノ」
「本当ですか?!」
途端に安堵の気持ちがあふれてくる。スーは胸の前で手をあわせ、目をつむってため息をこぼした。
とりあえず、彼らは生きていたのだ――盗賊などにやられる人間ではない。
「でも、黒髪の奴は怪我をしたらしくて。クリスって奴が言うには、いったん彼の手当てをしてから、君を迎えにいくってよ」
そうですか、と声を落としながら、スーは顔を歪める。クリスは無傷であるにも関わらず、城の騎士であるランスロットが怪我をした。それはあきらかに、自分のせいだ……自分が足手まといだったからだ。
クリスには敵は二、三人であったが、ランスロットには六人以上ついていたはずだ。
(ランスロットさん……)
「宿屋で待っててくれということだったが、敵襲も食らったし、それも難しい」
しょんぼり肩を落とすスーに構わず、レオは言葉をつづけた。
「ここで提案なんだけど――君もうちの船に乗らないか?」
ぎょっとするスーであったが、レオは引かなかった。交換条件で受けた契約にも関わらず、彼は約束を果たしていないと言い張り、このままでは自分は納得できないと唸った。それでも遠慮するスーに、今度はドロテアが声をかける。
「でもね、よく考えてみて。このままでは、あなたは助からないわよ」
亜麻色の髪を揺らし、彼女は真剣なまなざしになる。その眼には強い説得力があり、逆らう気など起こさせないようななにかがあった。
「だれかわからないけれど、敵がいることはたしか。相手はただの賊じゃないわ」
(追っ手――)
瞬間、スーは自分を抱きしめる。恐怖がふいに降りてきた。
「このままひとりで残って助かる確率は低い……なら、あたしたちと一緒に来て、様子見するのもいいんじゃない?」
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(大丈夫かな)
ぼんやりと歩を進めながらスーはため息を呑み込む。半ば強制的に流されてしまったような気もするものの、彼らについていくのが最善の策に思える。
だいいち、スーには力がない。体力も気力も経済力も決断力も、ありとあらゆるものが不足していると改めて思い知った。
仕方のないことかもしれない。今まで甘やかされているとまではいかないものの、何不自由なく暮らしていたことは事実。中途半端な立場ゆえに、欠乏していることすら自覚が足りなかったのだ。
もちろん、王宮で過ごせる程度の宮廷作用は習ってきた。これはフィリップや屋敷の者たちに感謝すべきことである。
しかし、野生的とでもいうのだろうか……苦しいなかでも、したたかに生きていくという術を知らない自分には、城下で生きていくことは果てしなく無理に思えて仕方がない。
いつかアル王子の召使ではなくなり、亡きフィリップの屋敷からも追い出されたとしたら――ふつうの平民として、暮らしていけるだろうか。
不安に顔をくもらせたスーだったが、声をかけられたため、それ以上いやな考えが広がる前に打ち切られた。
「スティーナ、船酔いには気をつけろよ」
「え?あ、はい」
いまだスティーナという名に違和感を覚えながらも、スーはレオに応える。
一行は港へ向かっていた。
レオによれば、襲ってきた敵に見覚えはなく、どうやらスーを探しているようだったらしい。ということは、レオたちが船を持っているという情報はあちらにはないはずだ。
それでも一応は警戒し、先にカインたちが船で待つ他の仲間に知らせにいった。
夜の港は静かであった。遠くに見える街明かりはあたたかい色に包まれていたが、船の停まり場は一変して物静かで、ただ波のゆったりした寄せ引きがちゃぷんちゃぷんと耳に心地いい。
夜の海は黒い。闇のようだ。
それでも、波は揺れるたびに小さなきらめきを残し、視覚に不思議な感覚を呼ぶ。怖い反面、感嘆してしまいそうな、そんな光景であった。
「ほら、あれがあたしたちの船よ」
ドロテアが示した先には、立派で精鋭な船があった。大きく構えられた船体、天にそびえる帆柱……思わず目を見開く。
港には様々な船が停められている。漁船や商売船、旅行船など、大小それぞれ色とりどりに、船体を波のリズムにのせて漂っては浮かんでいる。
そのなかでも、ドロテアたちの船は比べ物にならないくらい頑丈そうで、とりわけうつくしくもないのに、どこか荘厳で偉大な雰囲気をかもし出しており、目を引いた。
「出港するぞー」
カインの声が響く。走り出したドロテアにつづき、レオとユーリも足をはやめた。あわててスーもつづく。
わくわくした。胸に迫る、偉大な冒険のはじまりのような――たとえそれがまがいものであったとしても――新しい一歩が開けてきたのだ。
ゆっくりと進み出す船。ドロテアが乗り込み、レオたちもつづく。スーもなんとか引っ張りあげられ、無事に乗り込むことができた。
風は微妙な強さでそよいでいる。
(わぁ……)
闇夜に浮かび見える船――目の前に高く太い帆柱がぬっとそびえている。いそいそと動き掛け声をあげているのは船員だ。舵をとっているのは船長だろうか。
「帆をあげろー!」
カインの声が高らかと響く。一斉に男たちの応える声が轟いた。
熱気にあふれる船体の隅で、スーはぺたんと座り込んでその様子をうかがう。風と波を操り、こんなに大きな船を動かせるなんてすごいと、ただ単純にそう思った。
やがて船のトレードともいうべき帆が張られる。風がふぶいて、一気に船を押し進めた。
(――うそ)
船は滑るように海面を走る。港が一気に遠のいていった。 スーはただ、愕然とそれを見やる。
「知らなかったの?」
暗闇に揺れ、不気味に白く浮かび上がる帆を見つめて目と口をひらいて動きを失ったスーに、ドロテアは驚きながらもおかしそうに言う。
夜だからよく見分けはつかない。だからたぶん嘘かもしれない。見間違いかもしれない――まさか帆に髑髏マークが描かれているなんて。
「あの……もしかして、商売仲間って……」
出した声は糸のように細く震えている。
ドロテアはにっこりと笑みをもらし、楽しげに告げた。
「あたしたち、海賊なんだ」
メリークリスマス!
ということで、更新しました!><
次回の更新は、2010年1月1日のめでたい日にしたいと思います!
皆さん、今年は本当にありがとうございました。
こうして、打たれ弱く継続することの苦手な私が書き続けてこれたのも、
読者さま、感想や意見をくださる方、コメントくださる方、イラストくださる方、相談にのってくださる方、いろいろお世話くださる方々のおかげであると思っております。
改めて、ありがとうございました。
年内の更新は、王国の花名はこれが最後かと。
ですので、ここで……。
来年もいっそう、がんばっていきます。
どうかしばし、また私の妄想にお付き合いください(ぁ)
では、また、よろしくお願いします。




