第三十三章 囚われのココロ
ちょっと一話だけ過去編へ。
ではでは、どうぞ。
第三十三章 囚われのココロ
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あたたかなぬくもりのなかで、風はそよいでいる。前髪を揺らし、こもれ日の下、草の匂いが広がっていた。
あまりの気持ちよさに、スーはしばし目をあけることを拒む。遠くから自分を呼ぶ声がするものの、なかなか夢から醒めたくないと思うのだ。
(もうすこし……もうすこしだけ……)
手に、身体に、力が入らない。ただぼんやりとあたたかく、幸せなのだということはわかる。いつまでも、こうしていたいのだ。ずっと、自分は――。
「こら、スー。いつまでも寝たふりをしていると、置いていくよ」
ハッと目をあける。そうだ、自分は置いていかれたくないのだ。ずっとそばにいたいのだ。
ひとりだった。あれは悪夢だった。
目をあけてもとじても、見えるのは闇しかない。細く乾いた侍女の腕、色を失った従僕たちの眼、飼っていた犬の亡骸……ひとりになった。それでも、息は止めようがなかった。
涙を流すことさえできなかった。渇き、苦しみが悪魔の手となり襲ってくる。なにもわからず、ただ胸を締めつける感情だけが残っていた。
そんなとき、彼が見つけてくれたのだ。だれも見えないはずの、近寄りたがらないはずの闇から、自分を救ってくれたのだ。そっと手をさしのべ、光を見せてくれたのだ。
「兄さま」
急いで身を起こし、スーは彼にしがみつく。淡い紫紺の服にシワができるほど身を押しつけ、彼女はその緑の瞳を見つめた。
「ごめんなさい。わたし、ちょっと眠っていたかったの……兄さまと一緒にいたかったの」
スーは顔を伏せる。自分はわがままを言っている……欲張りな娘だと思われてしまうにちがいない。
「そうだね、僕もずっとスーのそばにいたいよ」
離しかけた少女の腕をとり、フィリップは微笑する。彼女の小さな手を包み込み、ゆっくりと歩き出した。
蝶がふわりと飛んでいた。赤や白の薔薇の園を通り過ぎ、ぽかぽかした陽射しのなかを歩いていく。のんびりと、ゆったりと流れる時間は、とても心地よく平穏であった。
屋敷の前までくると、フィリップはしゃがんで少女と視線を合わせた。深い緑の瞳がふたつ、見つめ合う。
いつも思うのは、幼いながら胸にわいてくるのは、誇りであった。ただひとつ、スーがだれよりも誇らしげにできることと言えば、第一王子であるフィリップと差異のない、この深いエメラルドグリーンの瞳である。
どんなに陰でさげすまれようとも、自分に自信をなくそうとも、この緑の瞳である限り、自分は彼のそばにいてもいいのだと思える。まったく同じ瞳が、その一族の証が、スーの唯一の誇りであった。
「じゃ、僕はそろそろ城に戻るけれど……」
「でも、夜には戻ってくるのでしょう?」
ぱちくりと目をしばたかせ、スーは問う。つかんだ腕は、どうしても放したくない。
フィリップは微苦笑を浮かべ、頷く。
「ああ、うん。けれど、遅くなるよ」
それでも、待ってるもん――そう言おうとして、スーは即座に言葉を呑み込む。彼を困らせたくはない。
「先におやすみ。明日はスーが目覚めるまで、屋敷にいるから」
ゆっくりとフィリップは笑みを浮かべた。スーはこくりと頷いて承諾しながらも、できればフィリップが帰ってくるまでは眠りにつくつもりはなかった。
フィリップは茶色の髪を風になびかせ、柔く笑うと、そっと少女の赤毛をなでる。
「では、お嬢さん。しばしの別れを」
彼はわざと大袈裟にお辞儀をし、スーの手の甲にキスを落とした。
スーはくすくすと声をたてて笑う。くすぐったくてたまらない。
他の人間から気を遣われて壊れ物みたいに扱われるのはどうも気が引けたが、フィリップからレディー扱いされるのはうれしい。恭しく自分に接する彼はまさしく王子さまで、スーはまるでおお伽話のお姫さまになったような気分だ。
「はい、王子さま」
スーもわざと声音を大人ぶらせ、ドレススカートの裾をちょこんとつまんで頭を下げた。
(兄さま、大好き)
フィリップはスーにとってすべてだった。彼が世界の中心であった。
父のように母のように……本当の家族のように。
スーの祖国――フィリップの母、エレンディアの祖国でもあるが――は、小国でありながら豊かでうつくしい国と評判であった。穏やかな人柄の人間が多く、街は栄え、民は幸せに暮らしていた。
その国はラベンダーの国と呼ばれるだけのことはあり、他国に比べて花畑の数が異様に多く、特にラベンダーが咲き誇る王宮の庭はうつくしい。あの濃い独特の香りに包まれた空間は、しばし幻想的で心を奪う時間をつくりだす。
ところで、フィリップとスーは本当の兄妹ではないが、同じ王族である。血は遠く繋がっているのだ。
ラベンダーの国は二代政党であった。かつて稀に見るほど仲の良い兄弟ふたりが王位を継ぎ、ふたりで国を治めたのがはじまりとされている。
時は過ぎ、兄・サヌダ王系統と弟・ワグナ王系統に別れて、次第に子孫が増えるに従って、伝統であった二代王政も難しくなってきた。そこでふたつの系統から、それぞれ初代王と同じ緑の瞳を持つ子供が王族とされ、交代で王位に就いたのであった。
フィリップの母はサヌダ王系統の王族で、カスパルニア王に嫁ぎ、フィリップを産んだ。つまり、フィリップはサヌダ王系統である。スーはワグナ王系統であった。よって、血は遠いところで繋がっているものの、そこまで濃いとも言えない。
そんな話をフィリップから聞いたとき、スーはなんだか寂しくなったものだ。けれど彼は、「でも、やっぱり僕はスーの兄でありたいな」とささやいた。やさしく、笑んで。
あのとき、胸が熱くなったのを覚えている。せき出した感情に、目頭が熱くなった。
それからしばらくして、スーはさらに誇らしさを胸に秘めるのだ。それほど血の繋がりはないのかもしれない――それでも、自分と彼との瞳の色はまったく同じだ。これほど強い繋がりがあるだろうか?
(わたしは、兄さまのためなら、なんでもする)
スーは城へと戻るフィリップの背を見つめ、思う。すぐ後ろに護衛らしき人物がどこからともなく現れ、王子の後を歩いている。
(兄さまは、世界でいちばんの人)
にっこりと笑みをつくり、スーはその後ろ姿を目にやきつけた。
侍女のシルヴィとローザに呼ばれるまで、少女はずっとそうしていた。
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その夜、スーはいつものように彼の帰りを待っていた。フィリップに拾われてきて、四年目のことだ。
そっと窓辺へ近づき、夜空に浮かぶ星々をながめる。静寂の暗闇に包まれ、点々と白く浮かび上がる光を目で追いながら、スーはため息をこぼした。
最近はどうも、フィリップの帰りが遅い日が多い。屋敷へ帰ってこない日もある。
王子なのだから、城に寝泊まりするのは普通のことなのだが、フィリップはスーが屋敷へきてからというもの、時間を見つけては会いにきてくれ、帰りはなるべく屋敷にするようにしてくれていたのだ。
ため息をさらにこぼし、スーは眠たげに落ちてくる眼をこすった。
最近は特に忙しそうだった。そうそう自分にかまってもいられないのだろう。
わかっている。フィリップは第一王子だ。この国をいずれは治めていく、王になるのだ。独り占めはできまい。
(兄さま……)
それでも、思う。フィリップのいちばんでありたいと。
ハッと目をあけたとき、先ほどまでの静寂は破られていた。
部屋の外からは激しい怒鳴り声と切迫した叫び声が聞こえた。ばたばたと駆ける足音、悲鳴、鼻をつく煙のにおい……。
ばっと身を奮いたたせ、外を見やる。そこはもはや闇夜の世界ではなかった。
(赤……)
炎がちらちらと揺れている。赤く天まで唸りながら、黒煙が空を黒く染めているように見えた。外はいっそう騒がしい。
(なにか起こったのかな)
どくん、と心ノ臓がいやな感じに脈打つ。胸がざわついた。
「兄さま」
口をついて、声が飛び出す。震える手足を止めることなどできなかった。
フィリップ第一王子が亡くなった――それはまたたく間に、城内外へと広まった。
昨夜、城の離れの使われていない館で火事があったのだ。そして、その火事の現場である館付近で、フィリップ王子を目撃したという情報があり、王子直属の部隊を含め、多数の人間で捜索にあたっている。――が、フィリップ王子は行方不明、王子暗殺組織があったことが暴露されていた以上、彼の死は確実なものになりつつあった。
焼け跡からは無惨な建物の残骸が黒い焦げと煤になって発見された。炎の勢いは凄まじく、フィリップ王子の亡骸さえ消し去ってしまっていた。
国中の人々は王子の無惨な死に――暗殺という結果に――悲しみを隠せず、しばし混沌とした。遺体がないことに希望を見い出す輩もいたが、もはや王子の残像にすがりたいだけで、さらに悲しみを増長するばかりであった。
フィリップ王子はいわゆる、国の光だったのだ。長い歴史のなかには愚王とされる人間がたくさんいる。権力に近づきすぎたがために、その栄光と金に溺れていく者もすくなくない。だが、フィリップ王子にはそんな陰などこれっぽっちもなく、カスパルニアの民はフィリップ王子ほど善き王にふさわしい者はいないと口にしていたほどだ。
もちろん、彼の良い人柄を疑う者もいた。綺麗事だと嘲る者も、その栄光に嫉妬する者もいた。
それでもフィリップ王子の評判や名声がよかったのは、悪い噂や疑惑などものともしない彼の本物の器があったからだ。だれもが気づくのだ――ああ、彼の心は本物だ、と。
国王につづいて第一王子までもが亡くなり、カスパルニアはしばらく暗嘆たる時期を迎えることになる……。
はたして、スーはフィリップが暗殺されたと公表があってから一週間泣きつづけた。そしてまた一週間は部屋から出ようとしなかった。食事も喉を通らない有り様である。
侍女のシルヴィやローザは心配に顔を歪めるばかりで、一向にスーのショックを癒せるものはないかに見えた。
――が。
やはり、彼女のすべてはフィリップだった。彼との繋がりだった。
ある晩、いつものように哀しみに暮れて泣きじゃくるスーは、ふと闇にきらりと浮かんだ鏡を見た。むしゃくしゃする気持ちとどうしようもない寂しさの悲しみを抑えようもなく、少女はその鏡を壊してしまおうという衝動に駆られる。
適当な花瓶をつかみ、花をばらばらと床にばらまいて、さっと持ち上げて鏡へ投げつけようとした。
瞬間、鏡のなかの緑の瞳と目があった。
(――兄さま――!)
スーは動きをなくし、じっとその瞳に見入る。涙に濡れ、赤く腫れた眼。そこには、咎めるような深い緑の瞳がふたつあって、こちらを見つめてくる。
「なぜ、わたしを置いていったのですか」
胸にじわじわとわいてくる想いを吐き出すように、スーは鏡の緑に言った。言葉にした途端、それが怒りであったと悟る。
「兄さまがいない世界で……わたしは生きたくないのに!」
悔しかった。なにもせずに大事なものが奪われてしまう……そんなこと、もう二度と味わいたくないと思っていたのに。
たまらず、スーは花瓶を投げ出して、鏡に向かってすがりつく。声をあげて泣いた。
あたたかい手のぬくもりがほしい。撫でてほしい。笑いかけてほしい。
いつもフィリップの後を追った。いつも彼の後ろに隠れては、勇められた。
けれどもう、彼はいない――。
目に入るのは、涙をこぼす緑の眼。泣いている瞳。
(兄さま、泣かないで)
頼るものが見つからなかった。空っぽになった心は、どうするのだろう?
翌日から、スーはすこしずつ泣くのをやめた。自分が泣けば、フィリップ王子も泣いているように思えてならない。
生きてゆかなくてはならないのだろう。フィリップ王子は自分が死ぬことなど望んでいないはずだと、幼心ながら思う。
少女は王子の面影を求める。その残像を追う。
そうでもしないと、消えてしまいそうだったから。
二大王政……
交代で王位継承権を得ていたスーとフィリップの祖国ですが、
まるでいつぞやの日本のようですね(笑
日本でも、天王を交代で出してました。
両統迭立といって、交互に皇位についたことをいいます。
血統は、持明院統と大覚寺統です。
皆さんも南北朝といえばピンとくるのではないでしょうか?
これも後に統一されてゆくわけですが……
というわけで、ちょっと日本史を思い出してしまった設定でしたw
では、また次回も、よろしくお願いします。