第三十二章 人さがし
第三十二章 人さがし
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目が覚めたとき、しばらく少女は茫然とした。
部屋の窓からそそがれる淡い陽の光はうつくしく、城の自室のカーテンの隙間からこぼれるそれと大差ない。ゆらゆら揺らめき、その光は木の床に吸い込まれるように落ちてゆく。やがて浮かびか上がるように見えてくるほこりの粒をながめて、やっと彼女は我にかえった。
あきらかに寝坊していた。
ランスロットのときは、男女ともにひとつの部屋で寝ることにあれほど騒いだスーであったが、今回はまるで別人のようだった。というのも、どうこう気にする暇などなかったのだ。レオはさっそく準備をすると言って出かけて真夜中を過ぎても宿には戻っていなかったし、へとへとに疲れていたこともあり、スーは彼と相部屋であることも忘れ、昨夜はベッドに倒れ込むように寝たのだった。
そのことに気がつくと、今更ながら顔がほてる。親しいとは言えない間柄の異性を前に、なんの品格も気にすることなく寝入ってしまったのだ。恥ずかしくて仕方がない。
ため息を飲み込み、スーはベッドから這い出す。部屋のテーブルには、朝食らしきパンと林檎、そして手紙が無造作に置かれていた。
『俺は約束を果たす。おまえは今日中にこの女をこの部屋に連れてこい』
捜し人がいるであろう店の場所が書かれた手紙とともに写真が残されていた。昨日見せてもらったものだ。
スーはしばしその美女に見入っていたが、やがて用意された食糧に手をのばす。自分のことすらなにもできない自身が、情けなくて惨めであった。
結局彼女が宿をあとにしたのは、太陽が天に昇りつめてからであった。深く眠り込めたとはいえ、遅れをとったことに代わりはない。スーは足早に目的地へと向かった。
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レオが示した場所は、女や子供限定の店であった。酒を飲むにも男衆のいるところでは気の引ける女性や、むさくるしさにうんざりして上品に食事を楽しみたい人々にうけているらしい。
街からやや離れたところにその店はあった。白く塗られた小さな建物で、店の前には色とりどりの花が植えられている。
じりじりとした歩調でスーはその店に近づき、足をとめた。緊張で心臓はバクバクだ。
いざ行かんと足をあげたそのとき、タイミングよくひとりの女性が店から出てきた。
小太りな、丸々とした女性だった。髪はきっちりと乱れなくひとつにまとめられ、眉はきりりとつり上がっている。動きは非常にてきぱきとしており、店から出るなり彼女は店の看板を立てた。
「お客かい?」
じとっと品定でもするかのように問われ、スーはびくりと肩を縮める。しかし、急いでこくりと頷いた。
「へぇ、そうかい。新入りだね」
なにやら怪しむようなまなざしを投げてくる。スーはしだいに顔が青ざめてくるのが自分でもわかった。――もしかすれば、自分はここに来てはいけない人間なのではないか?
「女将さーん」
スーの頭がめまぐるしく思い悩んでいる最中、店のなかから声がかかった。小太りな女性はキンキンする声でそれに応える。
「はいよー!今いくさね!」
それからスーに向き直り、愛想のない表情で付け加えた。
「じゃ、とっとと入んな」
酔いが回ればすぐ喧嘩やなにかに発展する男とはちがい、女たちはゆったりとした時間のなかで気持ちよく酔っていく。そんななごやかなムードを求める人々で、店はにわかに混雑しているかに見えた。
クリーム色の床に、窓は丸く、ピンクのレースで回りが飾られている。そこいらに花々が植木鉢に植えられており、やや場違いな空気をかもし出していたが、客らは気にするふうもない。ここが酒屋かと聞かれれば、みな間違いなく違うと答えるであろう。
オレンジ色の髪をした女性、腕に星のタトゥーを彫った女性、舞姫のような格好をした女性、頭に布を巻いた女性、頭からすっぽりマントを着込んだ女性……様々にいる。酒を飲んでいる人もいればカウンターに突っ伏して寝ている人も、隅でひとり陰に潜んでいる人もいる。
たしかに女性だらけだ。小さな子供も数人いたが、みな十歳にも満たないだろう歳ころだ。あきらかに自分は――少年になりきっているとしたら――怪しい客であると、スーは思わずにはいられなかった。
「あら、新顔ね」
もじもじ身体を揺すりながら佇むスーを目にし、酒を並々と飲んでいた女性客らしき人物が声をあげた。それにつられるように、他の客もスーに目を向ける。
一気に注目の的となった彼女は、たちまち顔を真っ赤にさせてうつ向く。男装のためにマントを頭からかぶっているとはいえ、彼女の表情は見えるのだ。
「こっち来なさいよ。はじめてなんでしょ」
「そうよ。なんかおごってあげるわ」
だがしかし、スーの心配をよそに、店の客たちは笑顔で彼女を向かえ入れてくれた。ここに集まる人間はみな知り合いなのか、あたたかい空気に包まれている。
スーはほっと胸を撫でおろし、軽くお辞儀をして笑みをもらした。
「ありがとうございます」
スーが勧められた椅子に腰かけると、隣に座った小皺をのぞかせる女性がにやっと口角をあげる。
「あなた、なにかわけありなんでしょ。男の格好なんかして」
ぎくりとして、スーは目を丸くした。まさか、変装がバレていたなどと露にも思っていなかった彼女は、瞬時に恥ずかしさに顔を赤くさせてうつ向く――はじめから無理があったのだ。自分が男に見えるはずなどない。
「ここにはそういう人間も多いのよ。ほら、女ってだけで、賊や酔っ払いなんかには格好の獲物でしょうから」
落ち込んでいると勘違いしたのだろう、女性はにこやかに励ます。スーは曖昧に笑みを浮かべ、さっさと課せられた使命を果たさんと気持ちを改めた。
幸いなことに、店にいる人間はとりわけ話やすい。むやみやたらと挑発してくる輩も、見るからに警戒してくる人間もいない。この穏やかな空間は、比較的世慣れしていない彼女にとっては有難いものであった。
「あの、人捜しをしているのですが……」
椅子をすすめてくれた気のよさそうな女性におずおずと尋ねる。怪しまれぬよう――とはいっても、相手がスーでは警戒しろという方が無謀だが――とりわけ何気ない調子を出す。
「どれどれ……ああ、ドロテアじゃない!」
少女の差し出したしわしわの写真にじっと目を止めるなり、彼女は声を大きくして笑った。はやすぎる発見にぎょっと驚くスーに構わず、彼女は店中に聞こえる声で言った。
「ねぇ、だれかドロテアの居場所わかる?」
「姉サンなら、今朝買い物に出てったよ」
「夕刻には戻るんじゃないかしら」
ぐるぐる目を回し、スーは口もきけずにいた。案外自分に課せられた使命は簡単なものだったのだとわかり、なんだかいたたまれなくなる。スーがレオに交換として出した条件は、あまりにも危険の度合いがちがったのだから。
ドロテアが戻るまで店にいてもよいと許可を得、スーはしばしお喋りの輪に加わった。はじめ気分はのらなかったものの、女たちの話は思わず身を乗り出して聞き込んでしまうものであったのだ。
町のこと、子供のこと、男のこと……なにが流行っているか、どんな人々とどんな出来事があったのか……他愛ない話題や噂ではあったが、スーにはめずらしい。ついつい真剣に耳を傾けてしまう。
そして話はついに、ドロテアのことに及んだ。
レオの捜していた女性、ドロテアは、店に集まる人間からは好かれているらしい。年下の者からは『姉さん』と親しげに呼ばれ、一筋縄ではいかなそうな店の女将さんすらも、彼女の話をするときは穏やかな笑みを浮かべる。
彼女をレオの仲間だと思っていたスーは、拍子抜けしてしまった。てっきり、ドロテアとは怪しく謎めいた女性なのだと思っていたのだが、どうやらちがうらしい。利発で気が利き、心やさしい人物だと、みな口を揃えてそう言った。
「あたしはね、姉さんに救われたんだよ」
腕に魚のタトゥーをした女――ドロテアよりだいぶ年をとっていたが、彼女を敬意を込めて『姉さん』と呼ぶひとり――が、酒をぐびっと飲み干しながら口を切った。
「男に裏切られて、全金奪われちまってさ。路頭に迷って、死ぬしかないと思ってた……」
そんなとき、金を惜しみなく貸してくれ、働き場所まで探してくれたんだ、と彼女は言った。あたしも、と、今度はオレンジの髪を高く結った女が口をひらく。
「あたしもさ、以前は盗人してたんだよね。だけど、姉さんに見つかってさ……叱られた」
ふふ、と悪戯っぽく笑い、彼女はつづける。
「はじめは煩い女だな、くらいしか思わなかったけどね。姉さんはあたしをちゃんと見てくれた……あんな人、他にいないよ」
みな、それぞれ物思いに耽る。過去を思い出し、懐かしんでいるのだろう。スーもしばし、そのドロテアに思いを馳た。
(どんな人なのかな……)
ランスロットやクリスは無事なのだろうか、という不安が頭から離れない。それでも、自分に課せられた約束を果たしてドロテアを見つければ、きっとふたりも無傷で助かる――そんなジンクスをつくり、スーは自身を励ました。
ふいにちらっとスーは写真に目をやり、ながめる。やはりどこからどう見ても美女にまちがいない。レオの商売仲間なのか、それとも……。
にやっとした笑みの、無骨な物言いをする男を思い出し、スーは振り払うように頭を振った。彼はどこか不思議だ。動作の端々に、高貴さが漂っているように思える。異国の人間だからだろうか。
(レオさんは、ふたりを助けてくれたかな……もしかして、また賊に襲われたりしたら……)
ひやりとしたものが背筋を伝う。スーは赤毛をたらし、うなだれた。いやな考えはよそう。
ドロテアに会い、レオと引き合わせ、自分はランスロットとクリスに再会するのだ。それからどうすればいいか決めればいい。だれが敵かなど、そんなのは後だ。
(ドロテアさん、はやく来て……)
彼女は店の人々には女神のような存在なのだろう。スーはしばし、彼女にあこがれを抱いた。
しかし、ややたってから、スーの隣にちょこんと腰かけていた少女が、ぽつりとつぶやく。他の人間には聞こえない声のつぶやきであったが、スーは少女の言葉がなぜか強烈に印象つけられた。
少女はそっと、言ったのだ――でも、ドロテアさんはきっと悲しいんだ。いつもやさしいけど、いつも泣きそうだから。