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王国の花名  作者: 詠城カンナ
第二部 『海賊編』
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第三十一章 砂漠からの旅人



第三十一章 砂漠からの旅人



†▼▽▼▽▼▽†



 ゆらゆら揺れる水面に、光はきらきらと反射してまぶしい……そんなうつくしい海の姿を聞き、スーは心を躍らせた。

 けれど、まだ一度も目にしたことがない。いったい海とは、どういうものなのだろう?



(潮のにおい……?)

 辛いような、しょっぱいような、独特のにおいが鼻をつく。海でとれたての魚や海草と同じような匂いだ。慣れない匂いが漂うばかりか、おまけに身体中がだるく、なかなか動こうとしない。

(……どこ?)

 のろのろ動き出した思考。スーは重たい腕をあげてみたが、なにもつかめない。たしか、吊り橋から落ちたはずだということはわかっていたが、途中で意識を失ってしまったため、どうなったのか覚えていない。

 痛みはなかった。ただ、身体中が重いのだ。どこか足が揺れている気がする。

(目を、あけなきゃ……)

 そうは思うものの、なかなか言うことを聞かない身体。まだはっきりしない意識は、働くことを拒んでいた。

 しかし、やがて億劫そうに瞼をうっすらとあけた少女は衝撃を受ける。一気に覚醒し、ぱっちりと目を見開いた。


「あ、目ぇ覚めた?」

(う、わ)


 ぱちぱちとまばたきをする。口がきけなかった。

 目をあけたスーは、自分に覆い被さるような体勢の男を発見したのだ。

 髪は長く、ややハイエナを思わせる鬣のようになった赤みがかった黒髪で、ひとつの瞳は琥珀色、もう片方はワインレッドといった、不思議な瞳をしている。琥珀色の右目の下にはホクロがあり、唇は薄く、不敵に笑んでいる。

 彼はよもやスーに唇を重ねんばかりに近づいていたのだ。

 あわてて身を起こし、顔を真っ赤にしてスーは後退さる。途端、ばしゃん、と水につかった。

(えっ……わっ、冷たい)

 見れば、スーは全身びしょ濡れだった。身体が重いと感じていたのは、衣服にたっぷりと水を含んでいたからだろう。気持ち悪いほどべっとりと肌に張り付いている。

 ふと見渡せば、砂浜に座り込んでいた。背後には黒く剥き出しの岩肌がのぞき、前にはどこまでも広がる湖が――否、海が広がっていた。

 スーははじめての光景に目をしばたかせる。ザザーッと打ち寄せては引いていく波、しっとりと湿った砂、それから塩辛いにおい……これが海。

「よかったよ、意識を取り戻してくれて」

 我にかえって見上げると、ふたつの色違いの瞳――オッドアイを持つ男は、おもしろそうに唇を引き上げていた。

「もうすこしで、男に人工呼吸しなきゃいけなかったし」

 べっと舌を出して言う男に、スーはさらに顔を赤らめた。なにを勘違いしていたのだろう、彼は助けようとしてくれていただけなのに。恥ずかしくてたまらない。

 目をあげたスーは、しかし、なにかいやな予感が胸をざわつくのを感じた。案の定、彼はニヤリとして口をひらいた。

「息苦しそうだから、緩めてあげるよ?」

 ゆっくりと目を細めると、男は赤面しているスーに視線を合わせてしゃがむ。何事かといぶかる暇なく、彼は言うや否や、スーの衣服の襟元に手をかけた。

「やっやめて!」

 びっくりして身をよじり、男をにらみつける。彼はさらにニコニコしながら、顎に手を当てて口をひらいた。


「君、女の子だよね」


 ぐっと唇を噛み、スーは肯定も否定もしないまま目に力を込める。怪しいことこの上ない人物に、わざわざ話してやることもあるまい。

 今目の前にいるこの男は、マスクをしていた、スーとともに川に落ちた、あの男と同一人物であろう。彼も今やびしょ濡れになっており、顔を隠していたマスクは取ったらしい。

「怖い?」

 男はくすっと含み笑いしながら、そっとスーの頬に触れる。びくっと肩をあげたが、少女はじっと彼をにらみつけている。

 その様子に機嫌をよくしたようで、彼はさらに詰め寄ると、スーの顔を引き寄せた。そしてそのまま恐怖に固まる彼女に構わず、耳元でささやく。

「俺が、助けてやるよ」


 思いの外、男の指先はカサついていた。貴族などの高貴とされる身分の人間の肌は、傷ひとつなく、滑らかだ。アルとちがうその感触に、しばしスーは戸惑う。

 琥珀色とワインレッドの瞳がすっと細まる。まるでふたり別々の人間から見つめられているみたいだ。

「あなたは……何者なんですか」

 濡れた前髪が触れ合い、くすぐったさがわく。スーは彼の表情の変化を見逃すまいとしたが、男はハッと鼻先で笑い、その眼にはおもしろがるような色が浮かんでいるだけだった。

「さぁ?どうだろうね」





†+†+†+†+


 男の名は、レオ。砂漠を旅してこの国へたどり着いた、旅人だと言う。かつてともに生活していた商売仲間と、今日はちょうど落ち合う約束をしていたらしい。

「砂漠の宮殿から三日三晩、寝ずにこの国までラクダにのってやってきたわけ。で、久々に刺激の欲しい仕事がしたくて、昔の商売仲間に頼み込んで、今日のっけってもらうはずだったんだ」

 肩をすくめ、レオは嫌味ったらしく言う。

 なんでも、彼の仲間は海での商売をしているらしい。船乗りになったり、砂漠を横断したり、この人の世界は広いのだな、と、頭の隅でスーは思った。

 マントを脱ぎ捨てた彼の服装は、たしかに異国のものであった。腕を出した黒い服で、裾のきゅっとすぼまったズボンをはいており、腰には瑠璃色の短い布を巻いている。どこか雰囲気も荒々しいところがあったり、しかし口調は穏やかだったりで、なんだかちぐはぐな印象を受けた。

 レオはまた嫌味ったらしく笑みをつくりながら、タオルで頭を拭く少女に言った。

「俺としては災難だったんだよね。もうすこしで死ぬところだったし。商売仲間にも会えなくなったし」

「す、すみません……」

 頭を深々と下げる。怪しい人物に変わりはなかったが、彼の行為はとても親切であったのだ。


 吊り橋から谷川へ落ちたふたりは、そのまま流されていった。スーは気を失ったものの、レオはそんなこともなく、彼女の身体をつかんで浮かんでいた丸太を発見し、なんとか沈むことなく海まで流れ出たらしい。不幸中の幸いであったのは、川の流れが緩やかであったこと、海に出てからすぐに浜に打ち上げられたことだった。

 もちろん、レオが注意してスーの身体を流れにのせ、運んでくれたことも、助かった一因であろう。彼は目を覚ましたスーを、港町の宿屋まで連れてきてくれたのだった。そればかりか、さっさと着替えの服を調達し、食事まで買ってきてくれたのだ。


「ありがとうございます」

 再度深々と頭をさげる。彼は着替えはもちろん、男物を買ってきてくれたのだ。スーをわけありの逃亡者と解しながらも、驚くほど親切に世話してくれる。

 だがしかし、心からよろこべなかったスーは正しかった。レオはただの善人には見えなかったので、やさしさの裏に必ずなにかがあると踏んでいたのだ。そしてそれは正解だった。

「じゃあ、見返りに欲しいものあるんだけど」

 頭を下げたスーにニッコリと言葉を落とすレオ。内心うんざりとしたが、努めて彼女は笑顔を返す。

「なんでしょう?生憎、わたしはお金を持ち合わせていませんし、あなたのお望みになられるものなど……」

「あるんだよ、これが」

 くすりと彼はいやな笑い方をする。眉をひそめるスーの肩をやさしくつかみ、レオはゆったりとした口調で告げた。

「俺はどうしても商売仲間と会わなきゃなんないんだ。そこで君の出番――欲しいものは君の協力。捜して欲しい女性がいるんだ」

 レオは懐から写真を取り出す。濡れてはいたが、映りに問題はない。

 そっとのぞき込むと、長い髪を横にひとつ結った女の人が映っていた。目は大きく、すらりとした身体は魅力的だ。

「この人が今いるのが、女性と子供しか入れない店なんだよね。つまり、たとえ男装していたって、君なら充分子供に含まれるし」

 にっと不敵に笑む男を見、スーはぎくりとした――どことなくその笑い方が、アルに似ていたのだ。


 こういう顔を投げかける人間は、必ずといっていいほどなにか企んでいるものだ。アルが不敵に笑んだときも、スーは必ず困惑し、泣きたくなったものだった。

(この人も、こんなふうに笑うんだ……アルさまみたい)

「ね、じゃ、よろしく」

 にこっと口角をあげて握手を求める男に、少女は仕方なく手を差し出した。断ることなど、できそうにないのだから。

(でも、わたしだって引き下がらないわ)

 スーは彼の手に自分の手を重ね、ごくりと唾を飲み込んだ。緊張で心臓がバクバクしている。はやる気持ちをなんとか抑え、できるだけ慎重に声を発した。

「じゃ、交換条件ですね」

「へ?」

 ぎゅっと手に力を込める少女に、男は思わずおかしな声を出してしまった。あわてて顔を取りつくり、首を傾げてみせた。

「うん。俺が君を助けたから、君は恩返しに俺の条件をのんでくれれば、契約成立ってわけ」

「いいえ。わ、わたしはまだ条件を言ってません。だって、た、助けてくれなんて頼んでませんから」

 男はびっくりして目を見開く。まさか、反撃にくるとは思ってもみなかった。気弱で押しに弱そうに見えた彼女は、しかし内に強情なものを秘めているらしい。

 レオは内心顔をしかめたが、そんな表情は見せずににこりと笑った。柔く拒絶してやればいい――主導権はこちらにあるのだ。

「それは不公平だろ?俺は君を助けたんだ。ちゃんと見返りはもらうよ」

「でも、わたしは、譲れないものがあります」

 少女は緑の目でしっかりと男を見やり、挑むように言った。もはや、一歩も引く気配はない。

 しばしレオは呆然としたが、やがてゆっくりと口をひらく。

「じゃ、言ってみろよ。君の条件ってやつをさ」


 スーの条件とはもちろん、ランスロットたちの救出だった。まだ生きていると、安心したかった。最悪の状況は想像したくもない。

 すぐにでも助けにいきたかったが、自分の無力はいやになるくらい知っている。今ひとりで森に戻ったとて、できることなどないに等しい。

 ならば、頼る他はないではないか。たとえそれがずる賢い方法であったとしても。


「じゃあ、君が俺の代わりに人捜しをして、俺が君の代わりに野郎どもの安否を確認、あわよくば救出ってわけ?」

 肯定の意味を込め、スーは大きく頷いた。どこのだれだか確かな情報もない人物に頼るのも不安だが、彼は自分を助けてくれたことに変わりはない。吊り橋で震えて腰の抜けていた自分を、彼は舌うちしながらも助けに戻ってくれたのだ。

 レオは感情の見えないまなざしを少女へ向ける。だがなんとなく、スーは彼が笑ったような気がした。

 彼は再びマスクをし、マントを頭からすっぽりとかぶる。そして戸に手をかけながら、静かに声を落とした。


「では、明日。必ず約束は果たしてもらうよ」









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