第三十章 疑惑と迷いのつり橋で
第三十章 疑惑と迷いのつり橋で
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マントをどけ、彼は隠していた顔を出した。栗色の髪を風がなぶる。
肩で息をしながら、スーは信じられない思いで彼を見つめる。どうしてここにいるのだろう……?まさか、彼が追っ手なのだろうか。
「危ないところでしたね」
わずかに笑みを浮かべて、クリスはそう言った。額にうっすら浮かんだ汗をぬぐい、ふぅと息をつく。
「どうやら盗賊たちからは逃げ切れたみたいですね……無事でよかった」
(この声!)
スーははっとした。盗賊たちにまぎれて聞こえてきた声は、クリスのものであったにちがいない。彼の微笑を見る限り、どうやら助けにきてくれたらしい。
あわてて、少女は少年に懇願した。
「た、助けて!ランスロットさんが、わたしをかばうために……」
「自業自得さ」
クリスの言葉に耳を疑う。見れば、彼は冷たいまなざしで、顔を憎々しげに歪めていた。
呆然とするスーの肩をつかみ、クリスは乱暴と呼べるくらいの勢いで揺さぶった。
「いいですか、よく聞いてください。あいつは、敵です!」
(――そんな)
信じられない。あんなに必死で自分を守ってくれたランスロットが敵だなんて、信じられるわけがない。
クリスに疑念のまなざしを向けかけてはみたが、彼は揺るぎない眼でキッと見返してきた。
「奴の父親は、アル王子反抗組織のリーダーなんです。探りを入れ、やっと証拠をつかみました……スー、あなたは騙されている!」
スーはふるふると拒絶するように頭を振った。父親がどうであれ、ランスロット自身はアルの第一騎士なのだ。
「ルドルフさまは奴にのせられたんです。奴は――アーサーはあなたを犯人にしたてあげ、アル王子を抹殺する予定でした」
「でもっ」
「よく考えてください!城から逃げ出したことで、あなたが犯人だと疑う者が増えました」
痛いくらいぎゅっと肩をつかまれ、スーは顔をしかめる。しかし、クリスは構うことなく真剣な表情でつづけた。
「きっとアルさまは、ご自分のお命の危険を察して逃げたのでしょう。彼にも刺客がかかっているはずです」
スーは苦しい思いで彼を見上げる。信じがたいが、しかし……。
クリスはそっと少女から手を離し、やや落ち着いた声でつづけた。
「たしかに、ランスロットは昔、アル王子に忠誠を誓っていたかもしれない。けれど今はちがう――人は変わる生き物です。みんながみんな、善良なわけがないんですよ」
彼の赤い瞳がくもる。クリス自身もつらいのだろう。
「奴らはアル王子を亡き者にしたあとで、あなたをどこか人のいない場所で殺す予定だったのでしょう……だからあなたを城から連れ出した。そちらの方が都合がいいですからね」
スーはぎゅっと唇を噛みしめる。やはり、信じられない。
処刑されそうになったのを助けてくれたのは、ランスロットだ。クリスは冷たい目で、大臣と尋問に来たではないか。自分を犯人だと、疑っていたではないか。
「……ちがうわ。ラ、ランスロットさんは、そんな人じゃあ――」
「今城は混乱しています!」
反抗しはじめたスーの言葉を遮り、クリスは声を荒らげる。ドンとそばにあった木をたたき、顔を歪めた。
「この混沌とした最中――ウルフォン王子はカスパルニア王国をのっとるつもりにいます。彼は、アーサーと手を組んでいた!」
(そんな!)
ちがう、とスーは思う。クリスの言うことと、スー自身が見てきて感じたことは、どうもずれている。噛み合っていない。ランスロットのことにしたって、ウルフォンのことにしたって、まるで別人の話をしているようだ。
「クリスさんは、誤解しています。ウルフォン王子は、決して噂通りの人じゃ、ありません」
「あの方は演技がお上手なんですよ。ああ、騙されないでください!」
悲痛な面持ちで、クリスは一歩詰め寄った。スーはひとつ後退さる。
たしかに、クリスはアルの命を救っている――スーを含めて、敵の毒から助けてくれたのは他のだれでもない、クリスだ。
クリスを疑うことも、憚られた。それでも、やはりランスロットやウルフォンを疑う気にはなれない。彼らが裏切るなんて、考えられなかった。
(だれか他に、内部で敵がいるんだ……クリスさんをも丸め込む、だれかが)
そこでスーはピンときた。クリスが崇拝するがごとくあこがれているのはだれだ?
(ルドルフ大臣!)
彼だ。きっと彼が黒幕なのだと、スーはあの下品な笑みを浮かべる大臣を思い出し、顔をしかめた。
「スー、どうか信じてください」
我にかえって顔をあげると、すぐそこにクリスの顔があった。びっくりして身体を引いたが、背は木の幹につき、行き場をなくす。
クリスは切迫した表情から、どこか妖艶な憂い顔になって、さらに近づいてきた。
「あのときは……あの場では、仕方がなかったんです……けれど僕は、ちゃんとあなたを助けだそうとしていました」
牢屋での態度を言っているのだろう。しかし、スーには彼を責める気はない。彼は王子の側近として、当たり前のことをしただけだ。犯人だと疑われたことにショックは受けても、それでクリスを憎むことはない。
彼は両手を少女の顔の横につけ、スーを逃げれないようにする。背後は木、前にはクリスがいて、身動きがとれない。
「クリスさん……は、離して」
身をよじる少女の腕をつかみ、彼は真剣な顔で見つめてくる。赤い瞳が、強く訴えかけるように揺れた。
「僕はあなたを助けにきたんです。スー、僕を信じて」
(わたしは……)
どうすればいいのだろう。疑うことなんてできない。ランスロットもウルフォンもクリスも、スーにとっては大切な人なのだから。
「わ、わたしは……」
「僕を見て」
いきなり顎をとらえられ、くいっと上を向かされる。すぐそこに、赤い瞳があった。
あまりの近さに顔を赤らめ、目をそらす少女に、クリスはさらに言った。
「僕は君のことが好きなんだ」
(えっ――)
唐突だった。驚き、目を見張る。
次の瞬間、赤い瞳がさらに近づいてきた――。
†+†+†+†+
(クリスさんが、わたしを、好き?)
もちろん、スーだって彼が好きだ。大好きだったフィリップのようにやさしい彼に、友人のような、そんな気持ちで慕っていたのは事実だ。
しかし、彼の言う好きとはちがうようだ――近づけられた唇の意味を悟り、スーは驚きに固まった。
(いやだ――)
口づけされそうになった、その瞬間。場違いな声があがった。
「うわっ」
ぎょっとしたのはスーだけではない。クリスも肩をぴくりと動かし、動きをやめ、声のした方を見やった。
木の影から、黒い姿が現れた。そこにいたのは、マントを頭からすっぽりかぶり、顔の半分を黒いマスクで隠した人物だった。盗賊といでたちは異なるものの、怪しいことこの上ない。
「だれだ」
さっと身構えるクリス。スーはとりあえずほっと安堵の息をつき、それから目の前の人物を見やり、緊張した。
「あ~、怪しいもんじゃないよ」
声からして男であろう。低すぎず、軽く響く声音だ。
男は両手をあげ、危害を加えるつもりのないことを示してから、唯一さらけ出している眼を細め、声を発した。
「やだなぁ、誤解だよ。邪魔するつもりも、覗くつもりもないし」
ひらひら腕を振り、なにが楽しいのか彼はさらに目を細める。口元は隠れているものの、笑っていることはわかる。
「どうぞ、つづきをごゆっくり。男色家は俺の趣味じゃないんでね」
にっこりと言う男をまじまじと見つめ、スーは口をあんぐりとあけて固まった。それから自分の装いをながめ、納得する――今のスーは、男装をしているのだ。クリスのように、彼女をよく見知った人物ならば、それがスーだとわかるだろうが、フードで顔立ちを隠している今、他人には少年にしか見えないのだろう。
(つまり……えっと……この人は、わたしを男だと思ってて……つまり……男同士で、キスしようとしてると思われたってこと……?)
スーの思考はぐるぐる駆け巡る。ちがうんです、とあわてて否定したくなったが、それではせっかくの男装の意味がないではないか。
クリスは油断を見せず、警戒したまま男から目を離さない。そんな彼をちらと見やり、男は急に眼光を鋭くさせる。
「ハッ。いつまで牙を剥きつづけるわけ?……あんまり馬鹿だと、いじめたくなるな」
薄く笑いながらも、声には冷ややかさが加わる。スーはぎくりとし、身を縮めた。
「野蛮ですね。用がないなら、さっさとどこかに行ってください」
クリスも冷たいまなざしを向けながら言う。男はマスクの下でクスリと笑った。
「そうしたいのは山々なんだが、そうも言ってられないみたいだ――来るぞ」
三人は後方に目を走らせる。どこからわいてきたのか、盗賊たちが再び奇声をあげながら走ってくる。手には武器を持ち、ニヤニヤ笑みを浮かべて。
不安がスーの胸に響く。ランスロットはどうしたのだろう。無事なのだろうか?
「逃げるぞっ!」
男が叫び走り出すと、クリスがスーの腕をつかんでそれにつづいた。スーはただ、唇を噛みしめて騎士の無事を祈るしかなかった。
息があがる。軽く目眩を覚えながら、一目散に逃げた。
枝を避けながら進むうちに、なにやら木々はすくなくなってきた。やがて見えたのは、大きな谷川にかかる吊り橋であった。
男は揺れる橋に構うことなく足をのせる。一瞬ためらった後、スーもぎしぎし軋む綱に足をかけた。
「逃がさねぇぞ!」
「クッ!」
背後であがった声に、ハッとして振り返る。クリスが追いつかれた盗賊のひとりに切りかかられ、あわてて身を翻しているところだった。
「クリスさんっ!」
「構わないで!はやく、行ってください!」
叫ぶクリスを見て一旦動けなくなったが、彼を越えて襲いかかってくる盗賊が目に入り、スーは仕方なしに走り出した。
ぐらぐら揺れる足場に、泣きそうになる。下を見れば、峡谷。ゴォゴォと轟く河が吠えている。
顔からサーッと血の気が引き、スーは途端足がすくんで動けなくなった。座り込むことも、足を進めることもできない。
「なにしている!」
前方ではマントを翻し、男がマスクの奥から声を荒らげて叫んでいる。しかし、少女にはどうしようもなかった。
後方からは、盗賊たちの声が聞こえる。クリスがどうやら足止めをしてくれているようだが、もはやそれも時間の問題だ。
マスクの男はチッと舌うちすると、急いで逆戻りして、スーの腕を引っ張りあげた。
(わたし……)
――また足手まといになった……そう思ったそのとき、身体がぐらりと大きく揺れる。
「え――あっきゃっ……!!!」
激しく視界が傾いたと感じた瞬間、時間がゆっくりと流れるように――吊り橋がゆらゆらと揺れ、横に倒れるように傾き、身体が不思議な感覚で宙に浮く――。
とらえた目の先で、盗賊のひとりが吊り橋の綱を切っていた。クリスの姿は見えない。ただ、視界が歪んでいく。
(――落ちる)
耳に、ヒューっと風を切る音が入った。
「きゃああああッッッ――!!!」
悲鳴も途中からあげられなくなる。あまりの落ちていくはやさに、その恐ろしさに、目をつぶった。
心臓を置いてきてしまったようだ。気持ち悪く、なにも考えられなくなる。
男装をした少女は、謎の男とともに、暗い谷底へ落ちていった。
い、いろいろごちゃごちゃしていてすみません。。
なんだか展開が急すぎますかね?(汗
いずれ折をみて、修正したいと思います。
とりあえずはこのまま・・・すみませんっ。
いつも読んでくださり、本当にありがとうございます。