第三章 王子と召使
第三章 王子と召使
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豊かな森を抜けたそこに、大きな白い城がそびえたっている。高々とのびるそれは、堂々と城下を見下ろしていた。
カスパルニア王国では、ここ数年奇怪な事件が起こっていた。たてつづけに次期国王候補の王子が殺されていったのだ。
しだいに不吉がられるようになった王宮。そしてとうとう、残された王子はたったひとりになってしまった。
それがアル。アルティニオス・ル・ド・カスパルニア。
彼がただひとりの正式な後継者であり、もし彼が亡くなるようなことがあれば、国は混乱に満ちるだろう。それを恐れ、城の人々は、王子の命を狙う者の正体を突き止めてから戴冠式を行うことに決めた。
「王子が殺されるようなことがあってはならない。身辺警護に力を入れろ」
「だれか有能な側近が必要ですな」
「だが、本当に必要でしょうか。王子は殺されないのでは……」
「アル王子は後継者になるはずなどなかったのに。うまい具合に、彼にいいポジションが回ってきたではありませぬか」
「口を慎め。聞かれてはまずい……」
家臣たちが好き勝手に騒ぎ立てるのを、アルはぼんやりと聞いていた。廊下で口々に耳にする自身の噂は、決していいものとは言い難かった。
金に輝くブロンドの髪に、ガラス玉のような明るい青の瞳は映え、そのうつくしい容姿は人々の注目を集めた。
しかしその一方、彼の雰囲気にはみな手を焼いた。厳しいわけでも無口なわけでもなかったが、どこか冷徹な雰囲気が漂っていた。こうも近づきにくい人間もいるまい。よって悪い噂が出てしまうことも、必然的でさえあった。
ある日、唐突にアルが言った。家臣を呼び寄せ、ただ一言。
「召使がほしい」
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「王宮に、ですか」
スーは顔を引きつらせて、消え入りそうな声でそう言った。
「この、わたしが」
今日で三度目の質問だった。ただ、それほど信じられなかったのだ。
「何度も言わせないでくださいませ。あなたが、行くのです」
スーの侍女であるシルヴィはいかめしい顔付きで腰に手を当てて、じとっと彼女につめよる。茶髪の巻き毛をぶわっとふって、小柄な彼女はスーを見上げた。けれど彼女に迫力があり、遠慮がなかった。
「いいですか、これは命令です。アル王子直々の」
「でも、どうしてわたしが」
スーは目を背け、唇を噛みしめる。
「知りませんよ。ですが、命じられた以上、逆らえませんわ」
「でも、わたしなんかが……」
「アル王子がいいと言ったんです。あの方のご指名ですよ」
「でも、わたし――」
「ステラティーナさま!」
ついに我慢ならなくなったのか、シルヴィは大きな声を出した。そのまま眉根を寄せる。
「その名を、呼ばないで」
奥歯を噛みながら、スーは微弱ながら咎める。かぁっと顔に赤みがさしていた。
「なら、聞き入れてください、スー。大丈夫。わたくしとローザがおともしますゆえ」
にっこりとほほえまれ、スーはつまった。逃げ道を探すように目を泳がせるが、結局どうすることもできない。
アル王子の命令は絶対――なのだから。
スーは顔をしかめながら、ゆっくりと頷いた。
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水色の空。窓から庭園を遠くながめながら、スーはため息をこぼした。
憂鬱になる。以前は王宮にあがりたくて仕方がなかったのに、今ではもう、この場所はただの苦痛でしかなかった。
(兄さまがいた、場所――)
気を抜けば、泣いてしまいそうだった。ただあるやさしすぎる思い出に、胸はひどく締めつけられる。
王宮はとてもきれいだ。どれもこれもが豪華で、大理石の床は鏡のようにぴかぴかしている。そしてひどく広かった。さみしいほどに。
アル王子の世話係として王宮にあがったスー。拾われてから十年、やっと仕事ができたようなものであった。
(がんばって働こう。兄さまができなかったことを、わたしが傍らで支えていけばいい)
フィリップ王子が亡くなって六年――彼の代わりに王になる第六王子。なぜ自分が彼に召されたのかさっぱりわからなかったが、それでも自分にできることはしようとスーは思うのだった。
第六王子・アルティニオスには、まだ会ったことがない。よくない噂も聞くが、自分の目で見るまでは信じるべきではないと、スーは思っていた。
「ここからは、スーさまだけで」
ある一室の前までくると衛兵がそう言った。ついてきていたローザとシルヴィは控えさせられる。
かすかな不安を覚えたが、軽く頷き、スーは部屋に入っていった。
まだだれもいない。緋色を基調とした落ち着いた部屋だった。レースのカーテンやガラスのテーブル、淡い水色の花瓶にはピンクのバラが咲いており、とても上品な雰囲気だ。
「しばらくお待ちください」
そう言って、衛兵は明かりを消す。
(なぜ明かりを消すのかしら)
おかしい、とスーは顔をしかめる。王子に謁見するのに明かりなしでは、薄暗いではないか。ただあるのは、窓からさしこむ日の光だけ。
「王子は、明るいところがあまりお好きではありません」
見かねたように、衛兵が苦笑しながらそう言った。
なぜ、明るいところがおきらいなのですか?――そう尋ねようとしたとき、ふいにコツ、と足音が聞こえた。
「下がれ」
あ、と思う間に、その人物は部屋に入ってきていた。あわてて衛兵は部屋をあとにし、残されたのはスーと彼だけ。
(――きれい)
ただ、スーは思った。そのあまりのうつくしさに見入り、ただ呆然と見つめていた。
ブロンドのきらきらした髪はさらりと流れ、青い瞳は薄暗いなかでうっとりするほど目立つ。彼の明るすぎるその色合いは、なるほど薄暗いなかでも映えるのだと、スーは思った。
「君が、スー?」
低すぎず、高すぎず。落ち着き、やさしい声音だ。
スーははっとしてかしこまる。見とれていた自分に赤面した。
「スーでございます、アルティニオス王子さま。この度は――」
「ステラティーナ、だよね」
スーの言葉を遮り、彼は言った。にっこりと笑みを浮かべ、優雅な動作で椅子に腰かける。
「君の本名が聞きたいな」
一瞬、なにかぶるりとした悪寒を感じた。
彼女は自分の名を名のるとき、スーと言うようにしていた。ステラティーナは、めったに口にしてはいけない気がしていたのだ。
(ステラティーナは、消えた王家の名。カスパルニアという王国で、わたしに王家を名のる資格はない……)
『さま』をつけて呼ばれることは、自分ではない気がしてやめてもらった。ただ何不自由なく暮らしていけるだけでも、大変な幸せだと思っていたからだ。
(この方に、その名を名のっていいのかしら)
チラと彼を見る。青い瞳はただ、彼女の名を待っていた。
スーは唇を舐めると、再び口を開いた。
「ステラティーナ・ヴェニカ・サン・ラベンです」
喉がからからに渇いていた。
「この度は、若君の世話係として――」
「召使だよ」
再びスーの言葉を遮り、彼は言う。
口元には、うっすらと黒い笑みを浮かべて。
(召使……?)
あきらかに、王子の様子は変貌した。
スーはいやな予感がして、そのまま頷いてみせる。
「わ、わたしはあなたさまに仕えに参りました。どんな役職でも、なんなりと」
「そう、よかった。ものわかりがいいんだね、ステラティーナ」
にっこりと深く笑う彼に、スーは戸惑う。もしや怒らせたのではないかとさえ思った。
「アルさま、スーとお呼びください」
「なぜ」
(なぜって……)
今度こそ、スーは完全に動揺した。ステラティーナという名は王家の名であり、それをカスパルニアの王子が口にするのも体裁が悪い。いまだに消えた王族を敬うのかと中傷されたっておかしくないのだ。
ステラティーナという名はめったに口にしない、それが暗黙の了解であると、スーも承諾していたのだ。
「わかった、スーと呼ぶよ。大好きなフィリップ兄さまが命じたことだもの」
おろおろする少女に、アル王子はやさしく言った。その気遣いにスーはほっとする。
(そうだ。この方は兄さまの腹違いの兄弟なんだ)
だからやさしいお方なのだ、そうスーは思っだ。
「兄さ――あ、……フィリップ王子には、とてもよくしていただきました」
もしかすれば、ともにフィリップ王子の話ができるかもしれないと、スーは期待に顔を輝かせる。王子を好きになりはじめていた。がんばって役にたとうと、思った。
居場所は、ここしかないから。
「よく似ているよ、その目」
ふっと柔く笑うと、彼はスーの顔を触る。
冷たい手だ、と思った。かすかに震えている。
「赤い髪はちがうけれど、その深い緑の瞳――まるでフィリップ兄さまみたいだ」
うれしかった。大好きなフィリップに似ていると言われることは、最高級の誉め言葉にさえ思えてくる。
「フィリップ兄さまはとてもやさしい方だったよ。こんな僕にも、やさしくしてくれたんだ。身分の低い母親をもつ、僕にも……」
アル王子の声が震えた。スーは彼がフィリップを想い、泣きそうになっているのだと感じ、さらに彼のことが好きになった。
人を想える、やさしい方なのだと。
「フィリップさまは……ほ、本当にすばらしいお方でした。だからアル王子も、あの方の目指した平和な国を築けるよう、がんばってください」
目頭が熱くなる。フィリップのやさしい笑顔が脳裏をよぎった。
「ああ、僕も努めよう。だからスー、君は僕のそばにいておくれ」
ぎゅっと抱きしめられる。香りがふわりとただよう――ラベンダーだ。
懐かしくなる。自分の忘れ去られたラベンダーの国も、大好きでやまなかったフィリップ王子のことも、すべて切なく胸をしめてやまない。
「フィリップ兄さまの代わりに、そばにいて」
「――はい、わたしが」
支えていこう、ずっと。
スーは固く心に決めた。いつまでもこの王子さまに遣えていこう、と。
王子の肩が震え出した。スーを抱きしめる腕に力がこもる。
泣いている、そう思ったスーであったが、次の瞬間、わけがわからなくなった。
「じゃあ、奴隷になってね。俺のだいきらいなフィリップ王子の代わりに」
泣いていたのではない、肩を震わせて笑っていたのだ。
「あ、アル王子……」
ケタケタと腹を抱えて笑いながら、アルはテーブルにあった焼き菓子をひとつつかむ。
何事かと、まだ彼の変貌ぶりについていけないスーはただ見ているしかなかった。
「ほら、おまえにやるよ」
ニッと笑うと、彼はぽとりとそれを落とす。茶色にこんがり焼けた、甘いにおいが広がる。
戸惑うスーをさらにおかしそうに見やり、彼はあろうことかその焼き菓子を踏み潰した。絶句する彼女にかまわず、さらにいくつか菓子を落としては潰す。
「ほら、拾って食べろ。おまえのためにわざわざとり寄せたんだ」
信じられなかったし、信じたくはなかった。目の前の光景も、王子のことも。
これが一国の主の姿なのか。あの心やさしいフィリップ王子の兄弟なのか。
スーはただなにも言えず、その青い瞳を見つめた――。
自分ではシリアスな感じはないのですが、一章、二章はなんだか重たいですかね?笑
個人的にシリアスで悲しい話はきらいなので(ぁ
というより苦手なので・・・
え、どうなんでしょう?
ああ、でもアル王子には、本当に容赦ない悪人になってもらいたかったから、その想いが出てしまったのかな(わら
今後とも、どうぞよろしくお願いします♪
アドバイス・感想など、心よりお待ちしております!