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王国の花名  作者: 詠城カンナ
第二部 『海賊編』
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第二十八章 逃亡


第二十八章 逃亡





†▼▽▼▽▼▽†



 時は真昼にさしかかろうとしていた。幸いなことに、まだ追っ手はかかっていない――いや、まだ見つかってはいない。


 スーは切株に腰かけ、ふっと息をつく。城からこの森までひたすら走り、もうへとへとだった。

「もうすこし行けば、馬屋がある。そこで馬を借りて、宿までとばそう」

 スーの脱獄を手助けした彼は、やはりにこりともせずに言った。まだ緊張の糸を張り巡らせ、冷たい視線を辺りに投げかける。

「あの、ランスロットさん……もっと詳しく、状況を教えてください」

 すこしでもそのピリピリした空気から逃げたくて、スーは尋ねた。先ほど聞いた話では、自分はなんと丸一日眠っていたらしい。拘束されても、檻に入れられても眠っていたなんて、にわかには信じ難い。

「たぶん睡眠薬かなにかで、眠らせたんだろう……アンタが目覚めぬうちに、王子の召使の仕業だと確信させる必要があったからな」

 ランスロットはスーが犯人であるという疑いをみじんも見せずにそう言った。それがとてつもなくうれしく、自然に顔が安堵に緩んだ。

「……先ほども話したが、おまえは丸一日眠っていた。スーが見つけられたのは王子の寝室で、発見したのは侍女のリアだった」

 ランスロットは固い表情のままつづけた。

「大臣にそれが報告され、やがて王子の姿が見えないという騒動になった。クリスはおまえがなにか事情を知っているのではないかと発言したが、それにたかるように、大臣たちはおまえが犯人だと決めつけた」

 風はない。あたたかな日差しが降りそそいでいるというのに、心は冷たく凍りついていた。

「どうして、こんなことに……」

「たぶん、好都合だったんだ。敵はアルとともにアンタも殺そうと考えていたのだろう……しかし、あの夜自分の部屋に召使はいなかった」

 はっと顔をあげる。そうだ、自分はお忍びでウルフォンに呼び出されていたのだ。ならば、もしあの夜呼び出されていなかったら、いつものように自室で眠っていたとしたら――ゾッとした。


「……スーを寝室に運んだのは、アルだ」

「えっ」

 出し抜けに口をひらいたランスロットに、スーは思わずぎょっとして見つめた。

 ランスロットは鳶色の瞳を少女に向け、にわかに表情を緩める。延びた前髪が風になぶられ、さらにその目元が柔んだ気がした。木々も風に揺すられて、頭上から音をたてている。

「俺はあの夜、アルからアンタのことを命じられた」


 彼の話はこうだ――アルから、部屋にいるスーを自室へ戻しておけと命じられたランスロット。すぐに王子の部屋に向かった彼だったが、一足遅かったらしく、すでにスーをリアが発見した後だった。事は大騒ぎになっており、もはやランスロットがどうこうできる状況ではなかった。そこでクリスやルドルフを説得しようと試みたが、うまくいかなかったらしい。


「だれかが内部で巧く手を回したんだ……俺は取り合ってもらえなかった」

 苦々しげに顔を歪め、彼は目を伏せる。スーはそんな騎士をながめながら、身分というものを否応なしに突き付けられた気がした。王子と騎士と召使……平等なわけがない。

「公開処刑か……敵は強攻手段に出たんだな」

 ランスロットのつぶやきを聞き、スーはただならぬ不安を覚えずにはいられなかった。

「あの……アルさまは、無事なんですよね?」

「え、ああ。たぶん」

 恐る恐る尋ねたスーに、ランスロットは目をそらせて応える。スーは目を見張ったが、彼はつぶやくように声を発した。


「あいつがどう決断したのか……俺も、よくわからないんだ」







†+†+†+†+


 馬にふたりでのり、道を急いだ。スーの後ろに跨ったランスロットが綱を取り、これまた自在に操りながら馬を走らせる。スーは落とされないよう必死にしがみつきながら、はやく宿へ着くことを祈った。

 宿は森の開けた所にあった。ちょうど五年ほど前から開拓された土地らしい。森の深まる空間に宿を設けることで、旅人も安心して道を進めるというものだ。

 こじんまりした宿屋はお世辞にも豪華などとは言えなかったが、それでも寝泊まりできる場所があるのは安心する。宿は一階が食事場になっているらしく、木の丸テーブルがいくつか並べられ、奥のカウンターでは禿げかかった頭の主人があたたかな笑みとともに迎えてくれた。

 だがしかし、宿屋の主人は現れたスーを見るなり、目をぎょっとさせた。一階にはまだ客はひとりもいなかった。そんなに客がめずらしいのかといぶかるスーをよそに、ランスロットはつかつかとカウンターまで近づいた。

「このことは他言無用」

 彼は驚く主人の手にぎゅっとなにかを押し付け、低い声でささやく。スーにはそれが脅しに見えた。

 しかし、宿の主人は押し付けられた手の中身を見るなり、にんまりと笑みを露わにし、承知しましたと頷いた。どうやら金貨を握らされたらしい。

 そんな態度の変化に軽蔑したスーであったが、そんなことはみじんも顔に出さなかった。案内された二階の部屋に入るまで、うつ向き加減に歩いて、口を引き結んでいた。



「疲れた」

 部屋の扉を閉めてすぐ、ランスロットは大きくため息をついてこぼす。首を左右に振り、設置された簡素なベッドに身を投げ出した。

 部屋にはベッドがふたつと、丸テーブルがあるだけで、四角い窓が開け放されていた。景色といっても緑の木々が覆い茂っているだけで、荒々しい幹が剥き出しの光景などしか目に入ってこない。

 スーはふっと息を吐くと、なるべく平気を装って切り出した。

「あの、ふ、ふたりとも同じ部屋なの?」

 ランスロットはちらっと目をあけ、固くなっている少女を見やる。笑い出しそうになるのをこらえ、その通りだと肯定した。

「えっと……そ、そうね……お、追っ手が現れるかもしれないものね」

 そうつぶやいた少女は、半分自分に言い聞かせているようだった。それにやはり、どう考えたってスーは自分ひとりで追っ手から逃げ切る自信はない。そばにランスロットがいた方がいいに決まっている。

「敵は相当な手練だと思う。寝込みを襲われないとも限らないし。それに……」

 身を起こし、邪魔な髪をかきわけ、彼はつづけた。

「それに、相部屋じゃなかったら怪しまれる」

「どういうことですか?」

 思わず顔をしかめるスーに、ランスロットは今度こそ悪戯な笑みを見せた。

「主人は俺たちが駆け落ちしたと思ってる――見ただろ、おまえを見て驚いたあの顔……スー、アンタはすごい格好だから」

「えっ」

 言われてはじめて、自分の服装を見やる。マントはランスロットからもらったものの、通常より短いもので、下半身は剥き出しだ。下に身につけているのは寝巻きの類であり、それも王宮から着てきたのだから、ずいぶんと高価なはずである。農民などがそうそう手に入れられる代物ではない。加えて、ランスロットは古ぼけたマントをはおっているだけだ。

 つまりは平民と貴族の娘の禁断の恋――駆け落ちの結果、ふたりはこの宿屋に逃げおおせた、と。あの頭の禿げかかった主は、きっと若いふたりのために固く口を閉ざしてくれることだろう。

 スーは突如顔に熱が集中した。ぼっと火を吹く勢いで赤くなる。

「ランスロットさん!どうして言ってくれなかったんですか!わたしは――」

「着替える時間や場所などなかった。だからこの宿にきたんだ」

 少女の非難めいた訴えにも動じず、ランスロットはけろりと言ってのける。

「それに、宿の人間には誤解してもらった方がやりやすい。そういうもんだ」


 再びベッドに身を投げる彼に、スーは口を尖らせたくなった。やりきれないような、そんな気分だ。

「ランスロットさんは、アルさまがなぜ城を出られたかご存じなんですか?」

 沈む気持ちを払拭するため、スーは尋ねた。ランスロットは微苦笑し、応じる。

「知っている……つもりだけれど。あいつはいつも、肝心なことは秘めるだろう?」

 彼の笑みが、なぜか悲しげに見える。スーはどきりとし、吸い込まれるように鳶色の目に見入った。

 ランスロットはしばし考え事をするように、顎に指をのせて黙った。まなざしは遠くに投げ、彼方遥かの記憶を思い出しているようだった。

「いつもそうだ。あいつはなにか伝えたくとも、言葉にしない。真意を秘めて、それでどこか切り離そうとしている……あいつの行為ひとつひとつに、伝えたい気持ちの欠片を散りばめて、さ」

 鳶色の瞳にぐっと力が込められる。スーはピンときて、目を丸くした。

 たしかに、ランスロットの言うことは一利あるかもしれないと思ったのだ。アルの行動はときどき、理解できないことがある。彼のつかみどころのなさは、結局それに結びついているのかもしれない。


(アルさまは気持ちの欠片を落としているんだ……)

 ランスロットの言葉を頭のなかで繰り返し、スーは目をつぶった。

 アルの非道に思えた行動にも、なにかわけがあるのだろうか。だとしたら、いったい彼はなにを伝えたかったのだろう。

 彼は簡単には見つけられぬようにその欠片を隠す。自分だけは先を歩き、ぽいぽい落としてはスーやランスロットに拾えと命じている。拾うほうはアルの気持ちの欠片をひとつも取りこぼさぬように努めるが、なかなかうまくはいかない。必死にアルに近づこうとしたって、すぐに欠片を巻き散らしては逃げてしまう……。

(そんなの、理解しろという方が無理だわ)


 目をひらき、スーはため息をこぼす。ランスロットもまた、自分と同じようにアルへの接し方に戸惑っているのだろうか。

(それともランスロットさんは、アルさまのすべてを受け入れているのかな……)


 まだ王宮にあがって間もないころ、スーはランスロットにどれが本当のアルなのかと尋ねたことがあった。王子の態度に困惑し、なにがなんだかわからなくなっていたころだ。

 ランスロットはそのとき、答えらしきものはくれなかった。ただ、「それならどれが本当のおまえなのか」と、逆に問われた。


(わたしは、わからなかった……自分のことなのに)

 結局、答えなどないのかもしれない。自分は何者なのだろうと考えたとき、その問は永久に自分を捕えて放さない。

 ぎゅっと胸にあたるロケットを握りしめ、スーは再び目をつぶる。

 アルのことはやはりよくわからない。それでも、もし彼の行為になにか意味があるのなら……ひねくれていないとは言い切れないが、もし、その心の欠片を端々に隠しているならば――。

(でも、きっとアルさまは無意識だわ)

 鈍い痛みが胸に走った。

(だって彼は、自分のことを理解してもらいたいなんて、思ってないもの)



 しばし無言でそれぞれ物思いに耽っていたが、やがてスーはハッとして口をひらいた。

 王子の第一騎士は、伊達に何年も城にいたわけではない。自分の侍女たちを心配したスーに、彼はすでにシルヴィとローザは逃がしたと伝えた。

「あいつらを城から逃がすことは、アンタの状況を不利にすることになったが……いずれは処分されるだろうと思ってさ」

 やや気まずそうに顔を伏せたランスロットに、スーは急いで首を振る。彼の行為は予想外であったが、とてもありがたい。

 スーを悪人と決めつけ公開処刑にすると言った大臣のことだ。シルヴィやローザも無実の罪に問われるのは時間の問題かもしれない。

 改めてアルの騎士を見つめ、その聡明さや油断のなさに感嘆の思いを抱く。スーは自分の無力さや頭の鈍さを腹立たしく思い、顔を歪めた。


(ちゃんとしなくちゃ。わたしのために、ランスロットさんは動いてくれた……)

 どこまでアルの命令になるのかはわからないが、感謝しないわけにはいかない。スーを助けたことで、ランスロット自身にも反逆の罪が着せられたのだから。

(――ランスロットさんは……)

 ごくりと唾を呑み込む。突然現れた苦しいなにかが、スーを捕えて放さない。

(ランスロットさんのお父さまが……アル王子の……敵……)


 真実か、もし真実ならば、彼はそれをどう思うのか。

 知りたいと思いながらも、スーは口を開けなかった。








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