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王国の花名  作者: 詠城カンナ
第一部 『王宮編』
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第二十五章 憎しみの痕、愛しさの檻



第二十五章 憎しみの痕、愛しさの檻






†▼▽▼▽▼▽†



 いつも唐突だ。アルの変貌には予兆がない。気がつけばいつの間にか彼は表情を変えている。

(ああ……もうっ……なぜ……!)

 スーは奥歯を噛みしめる。


 少女は王子に腕を引かれて、半ば駆けるように部屋をあとにしていた。やはり人払いが為されていたのだろう。明かりの乏しい廊下を進んでゆくなかで、ふたりはだれひとりとして出会わなかった。上半身裸の男に引っ張られて走るのは滑稽な気分だったが、文句は言えそうにもない。

 アルは夜目が利くのだろう。明かりの無いに等しい場所でも、なんなくすいすい足を運んでいく。それとも、何度も訪れていた道を、足が勝手に覚えて進んでいくのだろうか。

 スーにはもはや、自分が城のどこにいるのかすらわからなかった。

 階段を二回駆けあがり、まっすぐな部屋の連なる廊下と曲がり角を何回か通り、それからまた三度階段を下りた。

 不思議なことに、やはり人とは出会わなかった。

 やがてアルの足が緩まりはじめ、やっとスーは自身のいる場所をながめることができた。相変わらず辺りは暗かったが、まるで用意されていたように燭台が壁にかけられているのが目に入った。

 アルはそれを迷うことなく手に取り、燭台から壁へ火を押し付ける。すると、壁が突然左右へ分かれ、入り口が姿を見せた。つづいて入り口からは、点々とした小さな炎が広がりはじめる。

 スーはそれを頼りに明かりを目で追う。そっと見下ろすと、下につづいて小さな明かりがぽつぽつと灯っているのが見えた。

 地下へとつづく、螺旋階段だった。


(ここはどこ)

 城ではあるはずだ。外へ出た記憶はない。しかし、このような地下につづくものがあるなど、スーは知らなかったし、聞いてもいなかった。

 アルは一旦足を止めた。スーを横に並ばせる。

(アルさま……)

 口のなかで彼を呼ぶ。どうしても、声を出すことはためらわれた。


 しばしふたりは、不気味に揺れる明かりと、そこに浮かびあがる螺旋階段をながめていた。

 ヒュー、と、断片的に地下から風を吸い込む音がする。まるで巨大な口を開けた悪魔が、ふたりを待ち構えているように。








†+†+†+†+


 そこは地下室のようだった。

 相変わらず幼子が母親にされるが如くアルに手を引かれ、スーはゆっくりと螺旋階段を下りていき、ついにそこへたどり着いたのだった。コツコツと靴音がうるさいくらい響き渡っていたが、しかし、やはりアルは終始無言であった。

 燭台の灯に浮かびあがり、脆くなりかけた木製の扉があった。中央にどうしても鈎爪でひっかかれた痕に見えてしまう傷がある、黒々とした扉だ。


(……ここには、来てはいけなかった)


 唐突にスーは察した。そして理解した――この部屋は、拷問部屋であると。

 そうでなくとも、拷問部屋の類であることはあきらかだった。ためらうことなく扉を押し開け部屋のなかへ入っていったアルに、当然腕を引かれながら半ば無理矢理スーも足を踏み入れる。そして、現れた光景に顔を背けたくなった。

 寒々とした部屋――床も壁も一面石で造られ、窓はない。床には手錠や鞭、棍棒などが転がっている。それから老いた四角い長テーブルと、その横にひっそりと佇む暖炉、薪の残骸に、散らばった紙――。


「ステラティーナ」


 アルは呪文のように呼んだ。

 彼女の、本当の名を。


(憶えていたんだ……)

 驚きと戸惑いと不安を持って、少女はじっとアルを見つめる。警戒の色が、彼女の緑の瞳に走った。

 王子は口の端だけで笑うと、ぐいと彼女の腕をつかみ、さらに奥の方へと誘う。部屋にあった燭台に火をともし、辺りを照らし出す。

 暗がりになっていたのだろう。明るくなった途端、それが一気にスーの目に飛び込んできた。

 揺れるは金髪。白くうつくしい肌、深い色合いの魚の尾――踊る波、珊瑚、色とりどりに目を奪う赤やオレンジの魚たち……エメラルドグリーンの、水面。

「これは……」

 恐怖を忘れ、スーはしばし突如現れた絵画に見入った。

「海。そして、人魚」

 アルは淡々と言った。

 聞いたことがある。かつてフィリップが感嘆しながら海のすばらしさをスーに話してくれた。それに、人魚の絵画はスーの祖国にもあったのだ……少女の記憶には、もはや明確に残ってはいないけれど。

(きれい……)

 ただただ、うつくしい。この不気味な地下室が、いつの間にか天からの陽の光に照らし出されたような錯覚に包まれる。肌寒いはずの大気が、あたたかで、緩やかになる……。

 しかし、ふいに目を横にそらして見れば、すぐに現実が待ってましたとばかりに舞い戻ってきた。

 絵画のそばに転がるのは、鎖、手錠、そして……。

「どう?これは気に入った?」

 アルはニッとして言う。それに手をかけ、指を滑らせていく。

「とっておきなんだ……これも、この部屋も」

 そこにあったのは、黒い鉄の檻だった。錆びて汚らしい、禍々しい、嫌悪を抱かずにはいられない檻。そしてアルが触れているのは、棒のような、けれど先になにか彫られている鉄の塊だった。

 その鉄に彫られている模様を目にしたとき、スーはぞっとした。

(アルさまの肩にあった痕と同じ形……まさか)


 奴隷の証としておされる、烙印。それだった。


「おまえにも付けてあげようか?お揃いにしてあげよう」

「――いやっ……きゃっ」

 アルはスーの肩を押し倒し、檻へと投げ入れる。そのまま彼は黒光りする手錠を、彼女の細い手首へとつけた。

「や、やだ……アルさま……やめて……やめてください……」

 震える声を絞りだし、スーは懇願する。これから行われるであろうことを考えると、恐ろしくてたまらない。

 はじめて会った日、彼が口にした言葉が、よりいっそう意味深く、恐ろしく思い出される。



 ――奴隷になってね――



 まさか、本当に……。涙が溢れる。信じたくない。夢であって欲しいと、心の底から願う。

「昔話を語る気なんて、ないんだけどね」

 アルは暖炉に火をおこし、薪をくべながら話し出した。

「もう、なにもかも嫌なんだ。うんざりする……あいつの影が、いつまでたっても俺を自由にしない」

 次第にパチパチと跳ねはじめる炎が、恐ろしい。それでも、アルの話はスーをひどく惹きつけた。

「過去がいつもいつも、枷になる……あいつごと消えてくれたはずの過去が」

 彼の言う『あいつ』がフィリップだということは、想像に難くない。スーは震えながら、彼の話に耳を傾ける。

「それならいっそ、そばに置こうとしたけれど……もう、いいや」

(あ)

 瞬間、スーは自分が殺されるのだと思った。


 アルはスーが憎いのだ。好き嫌いの問題ではない。

 絶対に、スーを受け入れたくはないのだ。それはありえないことだ。

(はじめから、わかっていたことじゃない……アルさまは、フィリップ兄さまを……わたしを憎んでる)

 絶望した。ただ、ただ。


「おまえが悪いんだよ、スー。おまえがこの傷を見たから……」

 アルは烙印をおすための道具を、暖炉の火で熱しはじめた。

 恐怖が襲いかかる……はずだった。

(わたしは、おかしい)

 スーはぐっと涙を呑み込んで、思う。

(怖いという気持ちより、悲しみの方が大きいなんて)


 アルはアルだ。本当のアルなど、自分は知らない。そして、本当の自分も、わからない。

 ただ、この胸にわく深い悲しみだけは本当なのだと、思う。

 どこかで期待していた。アルは変わったかもしれない。なにか訳があって、はじめはきつくあたっていただけなのだと。

 だから自分が毒にうなされていたとき、ずっと手を握っていてくれたのだと。

 だから、例え「憎いくらい」でも、「好き」だと言ったのだと。

 だからあの夜、キスをしたのだと。


(全部、わたしの間違いだった。アルさまは最初からずっと、わたしを恨んでいた)

 悲しかった。とても。

 悲しむなんておかしい、と、わかっていながらも。


「好きだなんて、嘘じゃない……」

 ぽつりと溢す。小さな、自分にしか聞こえない声で。

「嘘つき」



 やがて、アルが近づいてきた。片手に赤く、熱くなった鉄を持ちながら。


「スー……助けてよ」

 アルの声に、ハッと顔をあげる。

 彼は笑いながら――泣いていた。

「アルさま――」

「――おまえなんかいなければいい」

 スーの言葉を遮り、彼は檻のなかで彼女の髪をつかんだ。そして、青い瞳が光る。


 目があった。

 離せなかった。


「ステラティーナ」

 王子はそうつぶやくと、鉄の塊を振り上げた――。


 しかし。

 目を閉じたスーに、熱さは感じられなかった。

 代わりに、腹部に鈍痛が走る。


 そして、ラベンダーの香が、散る。



 カランと鉄が床石に落ちる音が響く。

 少女は王子に抱きしめられていた。黒い檻に入っているせいか、まるでふたりは鳥籠に閉じ込められて、支えあっているようだ。


 気を失う、その直前――耳にかかる彼の吐息に混じって、声が聴こえた。



「もう、おまえ――いらない」



(アルさま)


 手から滑り落ちていく砂を握りしめるように、奈落に堕ちながらもがくように、スーは彼の身体をつかもうとした。

 けれど、すでに力は入らず、次の瞬間には、意識を手放していた。



















†+†+†+†+



 悲しみが、冷たく降り積もる。

 押し寄せる波は、ひどく苦しい。


 どうして。なぜ。

 そんな想いもたくさんあった。


 けれど。

 このままではいけない。アルに言わなくては。きちんと彼と向き合わなくては。



(行かないで……アルさま……!)

 呼べど応えはない。



 スーは、暗く冷たい、そんな闇へ落ちて、取り残されていった。




 応えもしない、それを求めながら。


 いつか握った、その手を求めて。


















――第一部『王宮編』 完。
























  ◆~◇~◆~◇~◆~◇~◆~



   数えてみてよ、その部屋を。

   あってないもの、光の数。


   考えてみてよ、その理由。

   どうしてなぜ、源を。


   見つけてみてよ、繋がりを。

   あいつとこいつ、あれとこれ。


   なぞってみてよ、物語。

   人の心を、追いかけて。


   そしてきっと、わかるはず。

   謎も気持ちも、すべて一緒。


   答えてみてよ、影と闇。

   当ててみてよ、光のなかを。


   求めてみてよ、その腕を。

   聴こえてくるはず、その声が。


   そしてきっと、つづいてゆく。

   これから紡ぐ、『ものかたり』の糸。


   その花の名は――?



   【王国の花名】



  ◆~◇~◆~◇~◆~◇~◆~










これにて、第一部・王宮編は終了となりました。

ここまでお付きあいくださり、誠にありがとうございます。m(__)m



いつのまにやら長編になっちゃいました、【王国の花名】ですが、精一杯書いていこうと思います。



第二部を読んでいただくに当たり、お知らせしておきたいことがございます。


まずは、ちょうど第一部終了ということで、番外編なるランスロット少年の外伝を書きました。

アルとの過去話でございます(笑)

どうもこちらの本編では詳しく語れそうもないので(何分かれは秘密主義者ですから笑)、

改めて外伝として書きあたため、本編と平行しながら執筆しておりました。

それほど長くはないので、よかったら是非。



また、第二部を読み進めるに当たって、

改めて【サイレント・プレア〜溺唄の人魚〜】を読んでくださることをおすすめいたします。



長くなりました。

ここまでご愛読くださり、本当にありがとうございました。

引き続き、第二部もよろしくお願いいたします(*^^*)




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