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王国の花名  作者: 詠城カンナ
第一部 『王宮編』
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第二十三章 誘惑ノ香



第二十三章 誘惑ノ香






†▼▽▼▽▼▽†



 薄暗闇のなかで光るのは、月と鏡と、そこに映る自身の青い瞳だけだ。

 アルは身体を起こしてベッドの端に背をあずけて、ぼんやりと物思いに耽っている。春終わりを告げる夜風が窓から入り、そっと髪の先を揺さぶった。

 真正面にある鏡を見つめながら、ふと彼は我にかえる。そこにいる冷たく悲しい顔をした人間が目に入り、とてつもない嫌悪を抱く。静かな夜に唸りをあげる自身の激しい内部に、瞳は無意識のうちに冷たい怒りをたたえていた。

 暗闇に身を沈めて感じるのは、言いようのない空虚な憎しみだ。まるで焼かれているような激痛が肩や背にかけて流れ、眉をひそめる。醜い烙印に、怒りは募る。

 自分がなにをしたいのか、わからない――そういう想いは、いつも彼の胸の内にひそんでいた。しかし、それを認めることはできない。認めてしまえば、自分はどうして生きているのか理由を失ってしまうからだ。


(……あいつがいて、よかった)

 くっくと声をたてて静かに笑い、アルは目をとじる。瞼の裏に浮かんできた深い緑の瞳を、脳裏に深く刻みつける。

(あいつのお陰で、俺は復讐ができるんだ)

 恨む対象がいなくなり、悶々としていた日々。憎しみをだれにぶつけていいのかもわからずに、凍てつくように荒んでいった心……けれど。

(いつまでも、そばにおいてやる)


 目をあけ、アルはニヤリとほくそ笑む。

 大切な少女が壊れないようにしなければ、と思った。――まだまだ、やりたりないのだから。

 あの汚れない緑の瞳が歪むのを見るのが、今のアルの一番の楽しみなのだから。







†+†+†+†+


「失礼いたします」

 夜もふける頃だというのに、王子の寝室を訪ねる者がいた。彼女は王子の了承なしに明かりをつけ、にっこりと微笑する。

「なんだ、おまえは」

 軽くにらみつけながら、アルは失礼極まりない女に言った。本当は口をひらくことも億劫であったのだが、人物が人物なだけに、安心して狸寝入りなどしていられなかった。

 女――リアはくすりと笑うと、小首をちょこんと傾げ、赤い唇を笑みに染める。そしてそのまま、アル王子の腰かけるベッドまでするりと移動した。


「アルさま、おわかりでございましょう?」

「なにを――」


 トン、と思いの外強い力で肩を押され、倒される。疑問や抗議など言う暇も与えられず、アルはベッドへ身を沈められてしまった。

「わたくしなら、あなたの望みを叶えて差し上げられる……わたくしを選んでください、アル王子」

 ふふ、と笑みを浮かべたまま、彼女はアルの身体に自身を重ねはじめた。きつい香水の匂いが鼻をつく。

 軽く舌打ちをし、アルはため息を呑み込む。

(ルドルフの差し金か……)

 たしか彼女はルドルフの命で城へあがったはず。ならば、貪欲な大臣のことだ。彼がリアを使おうとしているという可能性も考えられる。


「退け。悪いがおまえに興味はない」

「あら、ダメですわ」

 起き上がろうとしたが、再び押し返される。男として力負けするのは不服だが、しかし、リアは予想外に力強く、しつこかった。

 彼女はさらに笑みを深めながら、自身の服のボタンをゆっくりとはずしはじめた。妖艶で誘惑的な魅力を放ちながら。

「さあ、アルさま。言ったでしょう?わたくしなら、あなたの力になれる。欲望を満たしてさしあげる。なんでも叶えられる!」

「――ッ、やめっ……」

「我慢なさらないで」

 だれが我慢などするか、と怒鳴りたかった。けれど、なぜか頭がくらくらとする。甘いような苦いような、そんな香水の匂いが濃くなったような気がする。

 リアはほほえんだまま、アルのボタンへも手をかけた。次々にはずされ、肌がさらされる。

 金のロケットが、きらりと揺れた。


「やめろ」


 反射的にアルの身体が動いた。リアの手をはたき、一気に身体を引き剥がす。そして荒い呼吸のまま彼女をにらんだ。

 リアは心外だったのか、やや驚きに目を見開いていたが、やがてにやりと口の端を引き上げると、今度はアルの首へと腕を回して抱きついた。

「アルさま、なにを怯えているのですか」

 途端、きつい香りはさらに増した。鼻を満たし、頭をくらくらさせ、意識を朦朧とさせる。瞼が重くなり、息は荒くなる。なにか激しい感情が沸き上がってきそうだった。

 それでも、アルは必死に呑まれまいとした。誘惑してきたこの女を、野放しにはできない……。


(俺の欲望を満たす?叶えてやるって?)

 失笑ものだ。アルはぼんやりする頭のなかでせせら笑う。

(こんな奴には、無理だよ……)



「素直になってください。欲に忠実になって。わたくしを妃に選んでください、アル王子……」

 うっとりする声音で言うと、彼女は再びアルをベッドへと沈めはじめる。アルは、もうどうにでもなれと思う反面、頭の隅では警鐘が激しく鳴っていた。

 冷たく堅いロケットが、肌の上で揺れた。

「……わかった。だから、ちょっと待って」

 アルの声は努めてやさしかった。女は顔をあげ、にっこりと微笑を浮かべる。

「うれしいですわ、アルさま!わたくし、ずっと愛しております。どうかこのまま――」

「だからね、君の名を教えてよ」

 彼は彼女の言葉を遮り、言う。女は一瞬眉をひそめた。

「お忘れですか?わたくしは、リアです――」

 アルはにっと笑った。思わず彼女が、どきりとしてしまう笑みで。

 次の瞬間、力をぐっと込めて起き上がり、女の身体を反転させ、アルは一気に彼女の腕を上で束ねてしまった。馬乗りされ、腕を抑えられ、女は抵抗と呼べる抵抗もできなくなる。

「な、なにをするのですか?」

「おまえこそ、嘘をついてどうする」

 ぴくり、と彼女の頬が引きつった。焦りと言うよりは苛立ちと不満が、その眼に現れている。

「嘘?わたくしがいつ、嘘をついたのですか。わたくしは――」

「おまえはリアではない」

 女の言葉を押しくるめて、彼はきっぱりとそう言った。確固たる確信を持って。


 冷たい空気がふたりの間に流れた。見えぬ壁がぬっと飛び出し、互いをどこまでも隔ててしまったような、そんな空気が辺りを満たす。緊張の糸がピンと張ったなかで、ただ女は感情を押し隠して王子を見つめていた。

 静かだが、アルには自分でも気づかないほどの怒りがあった。冷ややかなまなざしを女に向けながら、彼は腹がたって仕方がなかったのだ。


 どうしてなのか――本当は、理由だってわかっていた。なぜ、腹が立つのか。けれど、アルはそれに気づかないふりをし、腹を立てていることすら知らぬふりをした。

 そう、しつづけてきた。今まで、ずっと。



 女は突如、口を笑みの形へ変えた。目を細め、せせら笑う。

 不気味で、人を不安に誘い込むには充分な笑みだった。

「さすがは王子さま……けれど、やっぱり愚かね」

「なにが言いたい」

 アルは胸騒ぎを感じたが、それを表情に現すことはせず、淡々とした調子でつづける。

「黒幕はだれだ。だれに雇われた?」

 女はさらにおかしそうに笑みを深める。

「口を割るとでも?間抜けな王子さま」

 カッと頭に血がのぼる。普段なら抑えられた感情が、今はどうもコントロールできない。

 それを見て、女は声をあげてせせら笑った。

「香りって万能なのよ。女の武器……覚えておきなさいよ、坊や」

「貴様――ッ」

 王子の頭に血がのぼって、拘束していた力が離れた一瞬のうちに、女はするりと身をかわし、次にはアルから距離をとっていた。すばやい身のこなしである。

 もはやただの侍女とは思えなかった。

「いいことを教えてあげる」

 女はニヤリと笑う。

「今ごろ愛しの世話係は――冷たくなって土のなかよ」


 抑えることなど、できなかった。

 衝動だった。


 王子は怒りに目を光らせて、女を捕まえると、再びベッドへと押し倒した。彼女は逃げようともせず、なされるがまま、身を横たえている。アルはそれにすら違和感を覚えられなかった。

 ただ、怒った。スーを苦しめるのは自分だ――大好きな玩具を奪われた子供のような、そんな感情に近いものがあった。

(頭がぼうっとする……よく、わからない……)

 むかむかする怒りのなかで、頭の隅では変にしっかりと落ち着いた意識がある。けれど思考はうまく働かない……。

「なにも考えなくて、いいのですよ?」

 女の腕がのび、アルの頬を撫でる。びくっと彼は身を引いたが、女のうっとりする声は耳を侵食し、身体を痺れさせた。

「香りに溺れてしまいなさい……王子さま」

 再びやさしい声音で語りかける女は、ひどく魅力的だった。服のはだけた間からのぞく白い肌も、潤った赤い唇も、魅惑的な瞳も……すべてが男を虜にしようと襲う。

 女の白い、ほっそりとした腕は王子の首へ回る。アルはほとんど無抵抗だった。


(頭が、重い……もう、なにも、考えられない――)


「愛しておりますわ、アル王子さま」

 にっこりと妖艶な笑みを浮かべ、彼女はアルの額へ口づける。王子の瞳はとろんとなり、そこにはもはや、はっきりとした物は映っていなかった。

「わたくしは、リア。わたくしを、愛してください……兄上のように」

(兄さま――?)



 黒い闇が、腕をのばす。そうして逃げられないように、茨の道を作り上げて、蔓で縛り上げる。

 足元から呑み込んで、身体から心を覆い尽す。

 もう、逃げられない。戻れない。



 ぼんやりする頭のなかで、アルはそれをしっかりと悟っていた。









うーん。

そろそろかな笑


書いてて思ったのですが、

アルって色んな意味でアブナイ男ですよね笑

わたしって、変な人間が好きなのかもしれません(ぇ




※第一部(全25章)を2009年9月23日の夜に書き終わりました。

忙しさから抜け出せた暁には、いろいろと修正していこうと思います。


本館でアンケートや企画などやっています。

よかったら、是非^^




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