第二章 過去の破片
第二章 過去の破片
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「ステラティーナ・ヴェニカ・サン・ラベン」
長々とした呪文を唱えるように、少女は言った。
「ステラティーナ・ヴェニカ・サン・ラベン」
驚きに目を見張る人々にかまわず、少女は再度淡々と言葉を落とす。
少女はかつては白かったであろう、薄汚れたミニドレスを着ていた。それはところどころ破れたり、切れたり、泥で汚れたりしており、シーツをはおっただけのようにも見える。赤い髪は土をかぶりボサボサで、白く細い手、裸足には数ヶ所かすり傷を負っていた。
およそ六つくらいであろう。ボロボロの容姿ではあったが、その深い緑瞳だけは、強い光を帯ていた。
人々は、ただ驚愕していた。それもそのはずで、少女の瞳や言葉には、驚くべきことが同時にいくつも含まれていたからだ。
ここはカスパルニア王国から遠く離れた荒れ地。その荒れ地の片隅に、わずかに存在している森。その森のなかで、彼らは少女を見つけたのだ。
およそ一年前――この地には、国があった。小国ではあったが、ラベンダー畑のうつくしい、ラベンダーの国と呼ばれるほどの国が。
しかし一年前、近隣諸国で力を持った国に攻められ、あっというまに落城。兵の侵攻とともに町などは焼かれ、はては廃墟、荒れ地と化し、生き物の気配すらない地になってしまったのだ。
「フィリップ王子、これは……」
少女を取り囲んでいたうちの初老の男が、目を泳がせて茶髪の青年を見やる。
長身ですらりと手足が長い、どこか高貴な雰囲気を漂わせている青年だ。藍色に染まった帽子を目深にかぶっていたが、深くやさしい緑色の瞳がかいま見える。
「ああ、これはまちがいなく、王家の生き残りだ」
彼、フィリップ王子のその言葉に、そこにいた者全員が息を呑んだ。
「まさか、本当にいるなんて。一年前に消えた王家の娘……」
「どうやって生きていたというのだ。もし、この少女が亡国の娘だと言うなら……」
「ほ、本当に血族なのですか。証拠などどこにも――」
「あるではないか。この僕の瞳も、彼女と同じ。エメラルドグリーンの瞳」
騒ぎ出した家臣にぴしゃりと言い放ち、それから彼はにっこりと笑って、警戒していた少女に手をさしのべた。
「はじめまして。僕の名は、フィリップ。かつてあなたの国と友好関係にあったカスパルニア王国の第一王子だ」
そのさしのべられたきれいな手を、少女はじっと見つめる。唇に指をもっていき、爪を噛みながら、まだ失せない警戒の色を目に託して送ってくる。
おやおや、とフィリップは苦笑し、帽子をぬぐと、今度はやや真剣な、けれどやはりやさしい顔で言った。
「僕は、フィリップ・ヴェニカ・ド・カスパルニア」
「ヴェニカ……」
ハッと少女は顔をあげる。そこにはもはや警戒など皆無だった。
フィリップは彼女の手を引き、その緑の瞳を近づける。
「この瞳が証拠さ。君なら、わかるだろう?」
少女は頷くと、やっと泣き出した。はりつめた神経を緩め、赤子のように、わんわんと。
カスパルニア王国の第一王子・フィリップは、彼女の血族であった。深くやさしい緑の瞳は、消えた王族の血筋にしか見られないものだった。
フィリップの母がカスパルニアに嫁ぎ、彼が産まれた。フィリップは人柄もよく、たくさんの国民からの支持もあった。
やがて、攻められ滅ぼされた彼の母の祖国の様子を見にうかがいに行き、そこでスーと出会ったのだ。スーは侍女数名と戦乱から逃げのびていたが、フィリップたちの発見時にはすでに侍女たちは息絶え、スーばかりがなんとか生き残っていたのだ。
フィリップは彼女を王宮からすこし離れた自分の館に住まわせることにした。それとともに、年の近いふたりの侍女も遣えることになった。
滅びたとはいえ、王家の娘。けれど、保証される身分などない娘。
それでもフィリップは、彼女を心あたたかく迎えた。
「フィ、フィリップさ、ま……?」
拾われてから数日後、ステラティーナはフィリップ王子と対面した。
彼は苦笑し、少女の頭を軽くなでる。それから一度柔く笑った。
「よそよそしくする必要はないよ。僕を家族と思ってくれてもいい」
「か、ぞく」
「そうだよ。なんなら、僕を兄さまと呼ぶといい。無論、ふたりだけのときにね」
頭を再度なでられ、少女はぽっと胸が熱くなるのを感じた。やさしい彼の笑顔に、それから緑の瞳に、とても安心できたのだ。
(兄、さま。この人が、家族)
「そうだ。みなにはスーと呼ばせよう。その方がきっと、みんなと仲良くなれる」
「スー?」
「そうだよ。不満かい?」
スーはやや考え深気に眉をひそめたが、すぐに首を横に振った。
「スーがいい」
フィリップは笑顔になる少女を見て、一度深く笑った。
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「寄らないでちょうだい!その髪色も、瞳も、だいきらいなのよ」
少年はただ、怯えたように母親を見上げた。
「お母さま、僕――」
「お母さまなんて呼ばないで。わたくしはあなたなんて、いらない。そんな顔、ほしくはなかった!」
少年の母親は、長い金髪に青い目をしている。肌は透けるように白く、まるで妖精のようだと城でも有名だった。
ただ、あまりにすばらしすぎるその容姿ゆえ、夫である国王からひどい言われをしたのだ。
「ああ、悔しい。わたくしは顔だけですって?ただの財産目当てだろうですって?」
かんしゃくをお越しながら叫ぶ母親を、同じく青い目をした少年は恐々と見つめていた。
「わたくしの愛など、信じられない?ああ、悔しい……それにひきかえ、あの女の子供は!」
彼女は花瓶を投げ、羽毛のクッションを子供にぶつけた。
「第一王子だからって、なにがおやさしい方よ!地位の失われた、ただの汚い子供を拾ってきても許されるなんて」
真っ赤に顔を染め、うつくしかった髪も四方八方に飛び出している母親を見て、少年はただじっと机の影に隠れた。涙がどんどんあふれてくる。
「あの目が、許せない!そんなに美人ではないのに、王の寵愛を一身に受けるあの緑の目!」
彼女は狂ったように何度もつぶやき、そのまま隠れた自分の子供に目をとめる。
苛々した。王から信用されなくなった、金髪と青い目が。それを持つ、自分の息子にすら。
「わたくしの子は、第六王子……もはや王になる望みもない。公爵か、大臣か、いずれもあの憎き女の子供の配下になる」
息も荒く近づき、彼女は少年の髪をつかんだ。痛みに顔を歪める息子を、汚らわしくさえ思えた。
「母さま、僕、がんばるよ。母さまを幸せにしてみせるよ」
必死に訴える少年だったが、母親の耳には届かなかった。
「王から愛されなければ、ただの不要の子――おまえなんか、いなければいい」
第一王子の母・エレンディアと第六王子の母・ナイリスが不慮の事故で亡くなったのは、それから一ヶ月後のことだった。