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王国の花名  作者: 詠城カンナ
第一部 『王宮編』
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第十九章 うたう娘



第十九章 うたう娘





†▼▽▼▽▼▽†



 ――いつもいつも、兄上は柔らかな笑顔だった。





「兄さま!」

 自然に頬が緩むのを感じながら、アルは兄に駆け寄った。

「どうしたんだい?アルーから来てくれるなんて、はじめてじゃないか」

 フィリップはにっこりと微笑しながら、探るように弟の眼をのぞきこんだ。淡いブルーの瞳が、きらっと明るい光を放つ。

 アルはややためらいがちに目を伏せたが、やがて顏をくいとあげると、いつもよりうわずった声音で声を発した。

「兄さまは、あの娘が好きなのですかっ」

 弟の問いに、フィリップは一瞬目を見開いた。ぎょっとした、というほうが適切かもしれない。

 そんな兄にも気づかず、アルはやや興奮して言葉をつづける。

「ずっと不思議でした。兄さまは、あの娘を見ていると、いつもとちがったから……だから思ったんです。兄さまはきっと、あの歌をうたう娘が好きなのだと」

 ここまで夢中で言ってのけ、満足そうにフィリップを見やったアルだったが、兄の顏がいつもの柔らかさを通り越して、脆く見える笑みを浮かべていたので、急いで口をとじ、目を伏せた。

「ご、ごめんなさい……」


 ここ最近、城であるパーティが催され、そこで歌姫が招待されたのだ。はじめて聴くその歌声に魅了されたのは、アルだけではなかった。

 パーティーの最中にふと兄の顔を見やったアルは、どきりとした。その甘くやさしいまなざしを歌姫に向けている兄を見たとき、彼はなにか見てはならぬものを見てしまった気がしたのだ。

 パーティーが終わってからも、そのフィリップのまなざしが忘れられず、あれはなんだったのかと考えた。そして考えた末、あれは恋をする顔なのだと思い至ったのだ。

 ……かつて母が父王に見せていた、そのまなざしと同じだったから。


「ね、アルー。覚えておいて」

 フィリップは弟の頭をくしゃりとなでて口を開いた。

「王族というのは、力を手にするんだ。国を動かせるほど大きな力を。権力を誇示することで、たくさんの人間を思い通りに操れることだってある」

 アルは顔をあげた。兄は遠くを見つめながら、しばし沈黙したが、やがてゆっくりとつづけた。

「けれどね、決して私利私欲のために力を使ってはいけないんだよ。そうすればいずれ、自身の破滅を招いてしまうんだ。アルー、王さまがいちばん考えなくてはならないことはなにか、知っているかい?」

 急に尋ねられてどきりとしたが、アルは唇を舐めてから、恐る恐る答えてみる。

「……家族?」

 アルにとって、この質問は大きかった。また、自身で考えて出した答えは、かけがえのないものだった。

 じっとアルは兄を見つめた。そのまなざしには、もはや緊張も恐れもない。ただ強い想いのこもった、純粋なまなざしであった。

「そう、だね」

 フィリップは驚いていた。この幼い弟が応えた答えは、予想外で、そして儚く尊い。弟がいったいなにを意図して言ったのかはかりかねたが、フィリップは聡い。すぐにやさしく微笑し、弟の頭をかきなでた。

「アルーは本当にやさしい子だね。たしかに家族を大切にするのは大事なことだ。そして、なによりも素晴らしい……」

「でも、ちがうんだね。兄さまの答えは」

 すぐに覆い被せるようにアルはフィリップの言葉を遮って言った。半ば自嘲めいた笑みを浮かべ、アルはため息をもらす。

「ごめん兄さま。知っているよ。王は家族よりも政治を優先しなくちゃならないんでしょ」

 あきらめの笑みをもらすアルの顔は、年にふさわしくはない、どこか大人びた顔であった。しかしそれは決して感心を誘うものではない。

 いつのまに、こんな表情をするようになったのだろう。こんな、世間の汚れを見てきたような表情をするように。――フィリップは愕然とする思いで、しばし弟から目がはなせなくなった。

「……政治というよりは、国の民のために。尽力するのが、国王の努めだと……僕はそう思うんだ」

 やがて再び口を開いたフィリップは、ややアルを伺うような調子だ。それでもうろたえることなく、声はしっかりとしている。

 アルは黙ってフィリップを見つめる。


「だからね、アルー。たぶん僕には、本当の自由なんてないんだ」


 アルはびっくりして青い目を丸くした。兄の言っている意味が一瞬理解できなくて、目の前にいる人物がよく見えなくなった。

 自由がない――そんな言葉を、みなのあこがれであるフィリップ王子その人が口にするなんて思えなかったのだ。

 フィリップは深い緑の目をすっと細め、口元には微笑を浮かべる。

 アルはハッとして息をとめ、ただ兄に見入った。


 たしかに、彼は笑っていた。柔く、そして儚く。

 けれどそれは脆い。今にも崩れて泣き出しそうな、そんな表情に見えてしまう。

 アルは信じられない思いで、兄を見つめていた。笑いながら、その裏では泣いているのだと、ひしひし感じながら。







†+†+†+†+


 その日の夜、アルは暗闇のなかで考えていた。ベッドに身を横たえて、しかし目だけはパッチリとひらき、やけにはっきりとした意識のなかで考えていた。

(兄さまはどうして……どうして、自由なんてないっておっしゃったんだろう)

 わからない。いや、わかってしまった。

 レースのカーテンの隙間から、月光が白々とした光を落としている。ゆらゆらと奇妙に揺れて、その光は忍び足でアルの部屋に入ってくる。

(やっぱり、兄さまはあの歌をうたう娘が好きなんだ……絶対に、そうだ)

 アルは布団をかぶり、目をとじた。

 両手を広げて響く声音でうたい、広間にいる人間たちを圧倒する娘の姿を思い浮かべる。それから、フィリップ王子の彼女を見つめるまなざしも……。

(だからきっと悲しいんだ。娘を好きだと言えないから……)

 アルの年であっても、それだけはわかった。この世界には身分というものがあり、それは力を持っている。

 いちばんの権力者たる王であっても、身分もないに等しい娘を妃にはできない。それは、国の民が許さないのだ。

 自由がない……王たる者は、王たるべく生きなくてはならない。それが民を背負う責任であるのだから。

 フィリップという、この国の第一王子もまた、いずれは国王となる。彼は人一倍やさしく、そして皆のあこがれの的なのだ。彼に寄せられる期待は、はかりしれない。


(兄さまは、みなの期待を裏切れないんだ……)


 アルははじめて、栄光ばかりを手にしていると思っていた兄に、暗い陰りを感じた。彼もまたなにか重たいものを背負っているのだと、複雑な思いで知ったのだった。








†+†+†+†+

 

「ああぁあッ!」


 ――痛い、痛い、痛い……それだけが頭のなかを支配している。

 焼ける痛み、身体の肉が裂けるような錯覚を覚え、強く握った拳に自身の爪を食い込ませて、アルはそれに耐えていた。


(いやだ。だれか助けて……!)

 ぎゅっと握っているせいで、指先は白くなっている。目をひたすらとじ、ただただこの拷問の時が終わりを告げるのを待っていた。

「この悪魔が!思いしれ!フィリップの苦しみを!」

 男――国王は罵り、そして赤くただれた背中の傷をうっとりとながめた。

「おまえにはお似合いな印だな。あやつは母を亡くし……孤独になってしまった……おお、悲しいことよ……」

 国王はゆっくりとアルに近づくと、足の先で彼の顎をくいっと向かせ、転がす。痛みでぼんやりした表情の息子を、王は笑うでもなく、ただ無表情に見ていた。


(僕だけ、どうして……)


 消えない。この痛みだけは。

 殴られても、蹴られても、鞭でうたれても、背や肩に烙印をおされても……この胸に迫る空虚さに似た痛みに敵うものはない。

 涙がおもしろいくらいとめどなく流れていく。


(母……さま……)


 アルはゆっくりと目をとじ、意識を手放した。










†+†+†+†+


 真夜中、アルは自分のうめき声で目を覚ました。

「くぅッ――」

 起き上がった途端、激痛が背に走る。あわてて身体を横向きにして、やっとのことでベッドの端に腰かける形をとれた。

 惨めだ。

 アルは声を押し殺して泣いた。なんの涙なのかもわからず、流れるままに任せて。

 ぽろぽろと目元から溢れて手の甲に落ちる粒をながめて、歯を食いしばって泣いた。


 しばやくして泣きやむと、そっと立ち上がり、アルはベッド脇に置いていた木箱を膝にのせ、なかから金に輝くロケットを取り出す。

 月明かりの届かない暗闇のなかでも、そのロケットだけはきらきらと自ら光を放っていた。

 アルは兄からもらったロケットを、大事に宝箱に隠していたのだ。いつも身につけていたかったが、他の人間――主に父王――に見つかるのを恐れてのことだった。

 天にかざして仰ぎ見ると、ロケットはまるで太陽か月かのように暗闇に浮かびあがる。アルはうっとりとそれを見つめ、しばし物思いに耽った。

(僕はひとりだ。だれも助けてはくれない……兄さま……)

 背中から肩にかけてズキズキと痛む。まだ熱く焼けているような気さえする。

(兄さま)

 すっくと立ち上がり、アルは寝巻きのまま足を忍ばせていきなり駆け出した。突如ひらめいた想いは、とめようがない。

 衝動だ。ただ頭にフィリップの顔が思い浮かび、この頼りない心が泣き叫んだのだ。今すぐに兄のもとへいき、その懐に飛込んで泣きつきたかった。

 ぬくもりがほしかった。

 城の見回りをしている兵士に行き合わなかったのは運のよいことだった。それでも、フィリップ王子の寝室の前には護衛の兵士が片時も離れずにいるはずだった。

(――あれっ)

 幸運なことに、フィリップの部屋の前にはだれもいない。見張りすらいないなどとは不審極まりないが、今のアルにはどうでもいいことだ。すぐさま兄の部屋にノックもなしに飛込んだ。

「――!」

 ベッドに兄の姿はなかった。そよ風がアルの髪を揺らし、頬をさする。

 そちらに目を向けると、ちょうどバルコニーに人影が見えた。薄暗い闇をたたえた部屋に入り込む月光を背に、そのシルエットが浮かびあがる。

 どぎまぎしながら、アルは乾いた唇を舐める。いくら兄弟だからとはいえ、真夜中に勝手に部屋に押し入るなど、無礼極まりない。


「――兄さ……」

「――リア?」


 アルが言葉を発したのと、バルコニーにいる人物が振り向いて口を開いたのはほぼ同時だった。

 いつの間にか緊張で額にうっすらと汗をかきながらも、アルは再度口を開く。

「あの……アルです。アルティニオスです、兄さま」

 フィリップは一瞬言葉を失ったようだったが、やがてひとつ息をついてから、ゆっくりと近づいてきた。やがて互いの顔が見える位置にくると、彼は今度こそ驚きに目を見開いた。

「アルー?」

 途端に気まずさを覚えて、アルはしどろもどろした。なにを馬鹿なことをしたのだろう。護衛の兵士がいないのをいいことに、自分は無礼承知で部屋に上がり込んだのだ。

 ――ただ、国王の血を持つ繋がりがあるというだけで。


 しかし、フィリップはやさしくアルの頭を撫でると、ベッドへ誘った。そしてロケットをいまだ握りしめていたアルの手に自身の手を重ねる。

「一緒に寝るかい?」

「で、でも……兄さまは、だれかを待っていたんじゃないですか?」

 アルは言ってから顔を赤らめた。

 「リア」、と言った兄の声が、耳から離れない。まさしくそれは、あの歌をうたう娘の名だろう。きっと兄はあの娘と待ち合わせをしていたのだ。だから見張りの兵士すらも、今夜はつけなかったのだ……。

 フィリップは苦笑し、弟の頭を再度撫でる。

「いいんだ……ただ、歌が聴こえた気がしただけだから」


 ――本当の自由なんてない……そう言った兄の声が、表情が思い出される。どうして彼はこんなに苦しんでいるのだろう……アルは不思議な、そして悲痛な想いで兄を見上げていた。




 ――リア。


 その名が、何度も頭をめぐる。その名を口にしたフィリップが、たまらなく脆く思えた。






リアネタ・・・

そろそろですね。

当初考えていたより、だいぶ遅れちゃいましたがw



それでは、ここまで読んでいただき、ありがとうございました!

これからも、どうぞよろしくお願いします!



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