第十八章 違和感
第十八章 違和感
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鳥が朝の到来をよろこび、うれしそうに鳴く。太陽の光はまぶしく跳ねて木々や花々にさんさんと当たり、明るく輝いている。
王宮の庭園にある青々とした大木の木陰で、少女はひとり物思いに耽っていた。
(仕事がない)
深緑のエプロンドレスの裾を無意識につまみながら、スーはぼんやりと空を仰ぐ。
(アルさまは、大丈夫かしら)
クリスはいまだ戻ってきてはいない。このままでは、アルの命も危ないのかもしれない。
今、アルの世話は医術にも長ける侍女、リアがしていた。スーには暇が与えられたが、はっきりいって仕事がないのはとても残酷だった。
身体を動かしていないと、すぐに様々なことを考えてしまう。アルの容態や、アルの言葉、フィリップの死――そういったものが絡みあって、不安に陥れる。
(アルさま……苦しそうだったな)
毒によって苦しんでいる王子の姿を思い出し、スーはそれを以前の自分と重ねた。
発熱し、うなされ、悪夢にさいなまれる……あのときの悪夢は、たしか子供のころのものだ。だれもいない、たったひとりきりになってしまった、恐ろしい悪夢だ。
あのとき、アルはスーの手をずっと握っていてくれた。たとえなにか他に意図があったにせよ、スーのそばに彼はいたのだ。
(もし、アルさまがわたしと同じような悪夢をみていたら……)
いきなりバッと立ち上がり、スーは勢いよく駆け出す。いてもたってもいられなかった。
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「あら、スーさん。おはようございます」
部屋に入ると、にっこりとほほえむリアがいた。手にタオルをもち、アルの汗をふいている。
スーは肩で荒く息をしながら、そっと部屋に入り、アルの眠るベッド脇に立った。
アルはひどい状態だった。髪は乱れ、汗が次から次へと流れ出し、顔には血の気がない。
「大丈夫ですわ」
スーの心情を読んだかのように、リアはそっと勇気づけた。
「アル王子はお強い。きっと小さいころから、毒に慣らされていたのでしょう……普通の人間なら三日が限界ですが、アルさまは四日も毒と戦っていらっしゃる」
ぺたんと座り込み、スーはアルの頬に触れた。ひどく熱い。
あとはアル王子の体力がもつかどうかだろう。それまでに、クリスが戻ってきてくれればいい。
スーは泣きたい気持ちをなんとか押しやり、深呼吸した。
「わたしにも、手伝わせてください」
自分ひとりだけのうのうと休んでなどいられなかった。リアはためらったようだったが、スーの強いまなざしに、頷くしかなかった。
「今、お身体をふいて差し上げようと思っておりましたの。スーさんも、手伝ってくださいます?」
「はい」
白くふわふわした柔らかなタオルを受け取り、スーは一回リアにわからないように深呼吸した。かすかな緊張に満たされる。
王子が眠っていたときは、顏などはふいていたが、身体すべてをきれいにしていたわけではない。意識のはっきりしない人間の服を脱がせ裸体を見ることは、どうしても憚られた。
けれどリアはためらうこともなく、慣れた手付きで王子の衣服を脱がせはじめる。金のボタンをはずし、なめらかな肌を外にさらけ出す――。
「あら」
ふいにリアが声をあげ、手をとめた。なんだろうと、つられてのぞき込むと、アルの引き締まった身体のなかで、きらっと金色に光るなにかが見えた。
瞬間、ぶわりと香が広がる。
「きれいなロケットですねぇ。どなたかからの贈り物でしょうか?」
ほう、と、うっとり言うリアの声を聞きながら、スーもじっとそのロケットを見つめた。
以前見た王子の首には、このようなロケットなどかかっていなかった。けれど――。
(この香りだわ。いつもいつも、アルさまから放たれていたのは)
雷に撃たれたような衝撃を受け、スーは手足がびりびりと痺れて動かなくなった気がした。
どうしてアルはこんなロケットを持っているのだろう。スーの祖国の象徴でもある、ラベンダーの香りを放つロケットを。
「はずしてしまった方がいいわ」
リアはそう言って、金にきらめくロケットに手をかけようとした――。
瞬間、びくりと王子の身体が大きく揺れ、彼はバッと勢いよく目を見開いた。
スーはどきりとし、思わず肩を上げる。何日かぶりにはっきりと目を覚ましたアルがそこにいた。
「――だれだ……貴様……」
身体を起こし、息も絶え絶えになりながら、アルはそれでも気丈にリアをにらみつけていた。かすれたような声しか出なかったが、彼のまなざしは冷たく刺すようだ。
アルははだけた服を引っつかみ、肌の上できらめく金のロケットを握りしめる。今にも気を失いそうなのに、それを見せまいとしているようだった。
「申し訳ございません。わたくし、ルドルフ大臣閣下から言いつかって参りました、侍女のリアでございます」
リアは手を引っ込め、すぐにお辞儀をしてそう言った。落ち着き払った彼女の態度は感嘆するもので、王子の冷たい視線をものともせず、冷静にかわしていく。
スーはぽかんとそれを見つめていた。
だが、アル王子の眉がぴくんと怪しげに動いたのを見たとき、スーはどこか違和感を覚えた。なにかとてつもなく、逃してはならない違和感を。
しかし、それがなになのかは掴み損なってしまった。アルがスーに視線を止めたのだ。
「あっ……」
あわてて言葉を発しようとしたが、なにも出てこない。なんと言えばいいのだろう?
恨みか、怒りか、同情か、慰めか――アルにかける言葉は見つからなかった。
「おまえは、俺の、なんだ?」
まっすぐ、アルはスーだけを見つめてそう言った。強い視線をまっすぐに受けて、例のごとくスーは射られたように動けなくなる。こうなると、周りが見えなくなる。どこなのか、他にだれがいるかなんてわからない。ただそこには、自分を見つめる青い瞳があるだけだ。
この部屋は薄暗くはない。アルは眠っていたため薄暗くする必要などなく、リアは当たり前に部屋に朝日を取り入れていた。
太陽の光に反射してきらきら輝くブロンドの髪の下から、光を受けてもなお、底光りする青の眼がある。それがやはり強烈な力をもってこちらに向いているのだ。
「……わたしは……アルさまの――召使です」
空気を押し出すように声を発すると、アルは途端にニコリと笑みをつくった。そのままリアに顔を向けて言う。
「すこし席をはずせ」
「かしこまりました」
さっと立ち上がり、リアは流れるような動作で部屋を後にした。
アル王子は笑みを消し去ると、再び強いまなざしに変えた。しかし、彼の口から出てきたのは、予想外にも事務的な言葉であった。
「では、スー。今までの状況を、報告しろ」
こくりと頷きながらも、スーは気づいていた。知らぬふりをしてこれまでアルが眠っていた期間のことを説明しながらも、気づいていた。
――アルの手はまだ、首にかかるロケットを握りしめているということに。