第十五章 月のなみだ
ちょっとお友達から聞き知った詩を。
ちょっと素敵だったので、拝借しちゃいました笑
◇◆◇◆◇◆
【接吻】
/フランツ・グリルバルツァーより
手の甲へのキスは忠誠の証
額へのキスは友情の証
頬へのキスは厚意の証
唇へのキスは愛情の証
瞼へのキスは憧憬の証
掌へのキスは懇願の証
手首へのキスは欲望の証
――それ以外は、狂気の沙汰。
◆◇◆◇◆◇
いかがでしょう?
なんか好きです。
そして気になるのが、
「髪へのキス」
……どうなんだろう?
というか、アルはきっと考えなしにしているんだろうな(笑)
今度はこの詩を意識して、使ってみます(爆)(´ー`)
第十五章 月のなみだ
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ほっそりと白らんだ月が、黒い雲の隙間からうっすらと輝いている。夜風はやさしく吹き渡り、フクロウが遠くの森で静かに鳴いていた。
彼はそっと部屋のなかの様子をうかがい、ひとり微笑を浮かべる。小さく開け放たれた扉の隙間から見える光景は、彼の望んだ通りであった。
部屋のなかでは、ふたりの人影が見えた。若い男女だ。男が女を床へ押し倒し、見つめあっている――すくなくとも、外からはそう見える。
押し倒されている女は、燃えるような赤毛を振り、わずかながら抵抗しているようだった。しかし、彼女に馬乗りになる形をとっている男――ブロンドのうつくしい髪をもつ男は、気にする様子もなく、彼女の首筋に顔を埋めていた。
笑みが漏れるのを、止めようもない。そのふたりの様子を見ていた彼は声を殺して思う存分笑うと、そっと扉を閉めた。
「嫉妬に狂った召使が王子を殺害――なんとも悲しい悲劇の、できあがり」
くっくっと笑いながらつぶやき、彼はふっと窓から空をながめた。月と呼べる形もなく、細く消えそうな白い線が見える。
「さあ――はじめようか」
長き年月をかけた、陰謀を。
†+†+†+†+
拒絶の言葉など、どれも同じ。ただアルの前では、どんなに拒みつづけたって、無に等しかった。
いつもの恐怖とはちがう感覚に、声はなかなかでない。身体は鈍く、まるで人形みたいだと人事のように思った。
心は必死で拒絶している……そんななかで、どこか気持ちは冷めていた。身体と別のところにあるような、そんな不思議な感覚を覚える。なぜか涙はとまらないし、悔しさにも似た感情に戸惑う。
(わたしはなにをしているの?)
ぼんやりする頭で、スーは自身に問いかけた。
(なにを泣いているの?そんなことをしたって、アルさまは同情などしてくれないのに。どうして、わたしは……)
さわさわと柔らかな彼の髪が、スーの頬をくすぐった。それと同時に、ラベンダーの香りが鼻を満たす。
スーはさらに涙の量が増すのを感じた。
「……ラベンダー……」
ぽつりとつぶやいたスーの言葉に、一瞬アルはぴくりとして動きをやめた。
スーはハッとして、この時とばかりに、アルを力いっぱい押しやる。
思いの外、アルの身体は軽々と離れた。もぞもぞと這い出し、膝をついて、スーは王子を見た。
アルは片膝を立てた形で手を後ろへついて座り、頭はがっくりとうなだれていた。長い前髪によって顔は隠れて表情は読めなかったが、それでも再び覆い被さってくるような気配はない。
安心するのはまだはやいと思いながらも、スーは無意識のうちにほっと張り詰めていた息を吐き出した。ひたひたと忍び寄る恐怖からからくも逃れたような、そんな気分だ。
アルの肩が震えた。スーはすぐに、彼が笑っているのだと悟り、嫌悪に似た感情を覚える。
結局、彼はなにがしたかったのか。
「……なんのつもりですか」
考えるよりもはやく、言葉が口を突いて出た。
「どうして、こんなことをするのですか」
はだけた服を直し、少女はぎゅっと唇を噛みしめて少年を見やる。怒りも恐怖も、このときの彼女にはなかった。
ついに答えないかに見えたが、アルはやがて口を開いた。まだ顔を伏せたままだったが、その口元は横に歪んで笑みの形をつくっている。
「どうしてだって?そんな愚問を」
アルがぱっと顔をあげる。青い瞳に捕えられ、途端、スーは目が離せなくなった。
「そんなの決ってる――君が好きだからだよ、スー」
泥酔した人間のように大袈裟に笑いながら、彼は再度少女を見つめた。
月明かりが、一気に消え去る。
「大好きだよ――憎いくらいに」
†+†+†+†+
月明かりが、カーテンの隙間からのぞき、すっと細い光になって入ってきた。するすると伸びる月光の下には、きらりと明るい輝きを持つブロンドの髪。
人間ではない、なにか不思議な生き物に見え、スーは一瞬その場を忘れて感嘆した。これほど神秘的なうつくしさを持つ人間がいるのだろうか。
「教えてあげるよ。とっておきの秘密」
はっと目をあげると、いつの間にかそばに来ていたアルと目が合った。ぎくりとして身を引こうとしたが、すぐに彼は彼女の顎に手をそえた。
「おまえは、捨てられたんだ――大好きな、フィリップに」
スーの目がぐらりと揺らいだ。あっと思う間もなく、世界が揺れる。
(兄さまが……フィリップ兄さまが、わたしを、捨てた?)
祖国を滅亡へ追いやった人物の名を聞いても揺らがなかったのに、フィリップ王子の名前には敏感に動揺してしまう。揺らいだあとで、スーは自身に舌うちした。
アルは満足そうににやりと笑むと、そのまま顔を近づけてきた。スーは強く顎をつかまれ、動けない。
(嘘だ。アルさまは、嘘をついている。だって、兄さまは殺されたんだから……)
動揺は隠せなかった。地が緩んだように、スーの世界はおもしろいくらい不安に揺らいだ。
「フィリップ兄さまはね、殺されてなんか、いないんだ」
にっこりと、アルは少女の考えを読んだがごとく微笑して言った。やさしいほほえみで、悪魔のささやきを。
「第一王子、フィリップは……自殺したんだ」
そのあとなにが起こったのか理解するのに、たっぷり時間がかかった。
気がつけば、スーは肩で息をして、王子をにらみつけていたのだ。自分の掌がじんと痛い、と感じながらも、ただカッと熱くなった身体に戸惑う間もなく、アルを心底嫌悪していた。
「わたしは、あなたが大嫌いです」
あえぐように言い放ち、少女は立ち上がる。そしてたった今自分がなにをしてしまったのか理解した――スーはアル王子の頬をひっぱたいたのだ。
アルは叩かれた衝撃を受けたままの方向に顔を向け、しばらくなにも言わなかった。ただ横を向き、動きをとめる。
やがて頭が冷めてくると、スーはたちまち不安になった。頬をはたいたことは、後悔していない。彼はそれほどの報いを受けてもいい、しかし――自分のとった行動のせいで、自分と関係のある人たちにまで被害は及ばないだろうか。
どんな経緯があれ、王子に暴力をふるってしまったことにかわりはない。
(だけど、わたしは手を出さずにはいられなかった……だって、兄さまは……)
自殺などするはずがない、とスーには確信があった。フィリップほどの責任の強い人間が、国の将来も考えずに死ぬだろうか。まして、たったひとりになってしまったスーを残していくはずなどない……。
どうなってもいい、とスーはカッと血の上った頭で考えた。王子に手を上げたことで処罰されようとも、たとえシルヴィたちに被害が及ぼうとも、この瞬間にフィリップを侮辱したアルを許すわけにはいかなかったのだから。
肩で息をしたまま、少女は泣くまいと唇を噛みしめて、キッと王子をにらみつけようとした。
しかし、次の瞬間、彼女は思わずあっけにとられて彼を見ていた。
(――アルさま……?)
暗闇にぼんやりと発光して浮かび上がる月のような色の髪を揺らし、彼は首を傾けた。その長い前髪の隙間からのぞいた真っ青な瞳が目に入り、無意識にぞくりと身が震える。
スーは驚きと恐れをもって彼を見つめた。
「アル、さま……」
なんと言えばいいのかわからなかった。どうしてなのかわからなかった――彼の泣いている理由が。
アルの青い瞳からは、ぽろぽろと粒になった涙の雫が宝石のようにこぼれ落ち、上等な衣装を濡らしている。それがあまりにきれいで、スーは見とれてしまう自分に戸惑った。
王子に表情はなかった。口元には笑みの形をつくって浮かべていたが、それは表情と呼ぶには乏しく、まるで人形のような印象を与える。ただ機械的に、なんの理由もなく涙を流しているようで、なぜかそれがスーには悲しかった。
「……なぜ泣くのですか」
少女の声は蚊のなくようなもので、今にも消え入りそうだったが、アルにはきちんと届いていたらしい。虚ろだった眼がぼんやりと彼女をとらえ、ゆっくりと視線を合わせる。
相変わらず三日月型に歪めた唇のまま、アル王子はそこに声をのせて言った。
「やっと本当のことが、知れた気がして」
瞬間、なにかがスーを射た。コルク栓を抜かれたように、なにかがぶわっと溢れ出す。突き刺さったところからじわじわと泉が湧き出し、口から飛び出そうとする――そんな不思議な感覚に襲われた。
しかし、それは言葉になどできなかった。開きかけた口を閉じ、握った拳に力を込める。
(どうしてだろう。どうして今、わたしはアルさまを酷く傷つけたような気がするのだろう)
たった「大嫌い」の一言でアルが傷つくとはとうてい思えない。今までの仕打を考えれば、「だいきらい」という感情はむしろ正当なものであり、アルを苦しめる武器にすらならい。まさかあんな意地悪をしておいて「好き」だなんて言われるとでも思ったのだろうか。そのほうがよっぽどおかしいではないか。
しかし、スーの心は果てしない罪悪感にさいなまれた。どうしようもなく、痛むのだ。
(なぜわたしは、アルさまが助けを求めているように感じてしまうのだろう)
苦い思いで、スーは泣きながら微弱にほほえもうとする王子をながめた。
(なにが彼をそうさせているの……?)
いったい、なにが。
沈黙が流れた。辺りを支配し、ただ暗闇のなかで時間ばかりがゆるゆると流れていく。静かに。
だが。
スーは刹那、その音――金属のすらりと擦れる音――を聞いた。無意識にぐっと足を踏ん張らせ、叫ぶ。
沈黙は破られた。
「アルさま!」
それは一瞬だった。王子もまた、声を上げたスーに反応するのが素早かった。
アルは身を翻し、横に飛ぶように退けた。そして考えるよりもはやく身体が動き、腰にさしてあった剣を引き抜いていた。カシャ、と刃のすれる音が響く。
先程までアルのいた場所には、深々と剣が突き刺さっていた。