第百三十二章 時を経て
第百三十二章 時を経て
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アルティニオス王子が即位してから一年余りが過ぎた――
メディルサ大軍帝国の城に、朝から大きな声が響き渡る。
「父上!母上!レオンが、兄上からの報せを持って参りました!」
両手に上等な羊皮紙を掲げ、ウルフォンが目を輝かせて回廊を駆けてゆく。王と王妃が揃う部屋にそのままの勢いで駆け込み、頬を上気させて高らかに告げた。
「聞こえましたかっ?兄・上・から!」
父王ユーグは、額に手を当てため息をもらす。正式な使者からの報せより、鳥のほうがはやく報せをもってくるのだから仕方がない。対して、彼の妻であるハンナは両手を合わせ、パッと目を少女のようにきらめかせた。さすがはウルフォンの母である。
「まあまぁ!レオちゃんから?なんて?」
「はい!義姉上が…ご懐妊だそうです!」
「なに」
素早く反応したのは、だれであろう、父王ユーグその人だ。父の眉間のしわは深さを増したが、ウルフォンはそっと目を細める。ハンナも気づいたのか、口元に笑みをのせた。
つまり、息子と妻にはバレバレであるが――ユーグはよろこんでいたというわけだ。必死に笑みになってしまう顔を見せるまいとがんばっているようだが。
シラヴィンド国の女王サイラとメディルサ帝国のレオンハルト王子が結婚式をあげたのは、半年ほど前のことである。婚約はすでに済ませていたものの、国同士が正式に同盟を結んでからということで、かなり時間がかかってしまったのだ。
「まぁまぁ、なんて素敵なことかしら!贈り物をしなくっちゃ」
うっとりと少女のように頬をそめるハンナは、ちら、とウルフォンに目をよこした。
「ところで、あなたもそろそろ恋人くらい連れてきなさいな。レオちゃんも結婚したんだし、もう遠慮することはないのよ?」
「えっでっでもっ!」
唐突な話題変換にあわてだすウルフォンなど気にも止めず、ハンナはさらに熱く語る。
「いいかしら?いい女の人はさっさと捕まえなきゃだめよ!デートはロマンチックに演出なさい。花束も花言葉を考えて送りなさい」
「えっええっ?」
「それでさっさとお嫁さんをもらって、王位についちゃいなさい!そしたらわたくしは、ユーグと旅行にでも出かけますわ。ねえ、あなたっ」
矛先がユーグに向く。若干引きつりつつ、夫である彼は尊大に頷いた。
涙目になりそうなウルフォンであるが、ふと、兄からの手紙に添えられていた自分宛の一文に目を止める。
『将来は、俺たちが国の懸け橋になれるだろう』
つまり――兄は、自分に期待しているのだろうか――ウルフォンは脳内でそんな結末にいたり、拳をつくってひとり頷く。その目にはやる気があふれていた。
「ふふ、やっぱり親子ね。口を閉じれば、ウルフォンはあなたそっくりな気迫が出せるんだもの」
「……そうだな」
――この一年後、ウルフォンは父から王位を譲り受けた。のちに彼は、他国から狼のように恐ろしい王だと称えられ、自国からは羊のように癒されるとささやかれたという……。
余談であるが、ユーグは王位を退いたのち、妻のハンナと世界一周旅行に出かけたのだそうな。
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「お久しぶりです、リオルネさま」
「やあ、クリスも」
カスパルニア城の客室で、クリスは久方ぶりにリオルネと会っていた。
成長期に突入したリオルネは、ここ最近ぐんぐん縦に育っていた。勝気な様は持ち前の利発さに作用し、美少年には磨きがかかっている。
出された紅茶で喉を潤し、ふと、リオルネは報告がてらに話し出す。
「そういえば、巷ではとある海賊は大人気らしいよ。ええっとたしか――」
「『モーガシアン海賊団』ですね」
クリスがそれを受け、頷く。幾分か視線が鋭くなったが、リオルネはそれに気づかずにつづけた。
「そう、それ。義賊っぽいらしいよ。海の見張りをしたり、私腹を肥やす領主を戒めたり、港の警備を自主的にしたり……海賊と名乗っているのに、まるで英雄みたいにさ」
たしか船長が美形らしいと侍女が話していた、とリオルネはしめくくる。
クリスは彼にお茶のおかわりを注ぎ、笑みをのせたまま口をひらく。
「悪さをしないなら、放っておいて構わないでしょう。陛下には僕からお伝えしておきますね」
「よろしく頼むよ。今は世界会議の準備中だろう?アルさまのお手を煩わせたくないし……」
世界会議――定期的に、カスパルニアをはじめとする様々な国が参加し、平和に貢献していくための会議である。アルやレオ、ウルフォンたちが中心となり、最近やっと実現にこぎつけたものだ。
「ええ。次の議題では共通の学園都市を築こうだとか……ベルバーニへの使者も送り、陛下は毎日大忙しですよ」
「大臣たちはもう大丈夫なのか?イライジャ殿やアーサー殿が引退してから、随分大変だったようだけど……」
「はい。ルファーネ大臣がなんとか……あとはラーモンドやルアルディのご子息らが」
反逆者であったラーモンド家たちであるが、首謀者以外は罪に問わないこととしたため、その子息であった者らは能力を買われ、現在爵位を与えられたまま城で働いていた。
新たな制度では十貴族をつくり、同じく騎士にも地位を与えている。
「もともと騎士たちは統率がとれていたほうですからね。ランスロット殿がうまくまとめ上げていますし――大臣のほうも、たまに顔を出してくれる悪代官がいますからね。悪さをする者などいないでしょう。呪いをかけると脅されるんです」
意味深につぶやいたクリスに、そうか、とリオルネは頷いた。
「僕もあと数年すれば父から当家を任されるだろう。そうしたら城にもしょっちゅう登城するよ」
「お待ちしておりますよ」
リオルネは残りの紅茶を飲み干し、立ち上がる。
「では、そろそろ帰るよ……陛下には後日、ベロニカと報告にあがる」
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騎士団の食堂にて。
陛下直属の部隊である騎士らが昼食を摂っていた。そのひとつのテーブルに、大慌てで駆け込んできた騎士がいる。
彼はオレンジ頭の上司を見つけると、一呼吸置いてやってきた。同じ席にいる第一騎士らに軽く頭を下げ、すぐに上司の耳元に口を寄せ、告げる。
昼食を口いっぱいに放り込んでいたユリウスは、部下からの報告を聞くなりむせかえった。
「だ、大丈夫か?」
グレイクがあわてて彼の背をさする。
「へ、いきっだ!」
若干涙目のまま、オレンジ頭の青年は盛大に咳き込むと、そのまま立ち上がった。
「ちょっと、行ってくる!」
「えっ?どこへ――」
ロイの問いに答えぬまま、彼はさっそく食堂を後にした。
それまで一言も発せず、もぐもぐとパンを咀嚼していた王の第一騎士は、水を飲んでからゆっくりと口をひらく。
「アルは……スーを――彼女の召使の任を解いたんだ」
「えっ」
「嘘だろ?」
目を見開き驚愕するグレイクとロイ。それも仕方のないことだった。
なぜなら、スーが城を出てからも、アルはずっと彼女を召使の任につけたままであったのだ。きっとすこしでも彼女の欠片が傍にいる証が欲しいのだろうと――騎士らは勝手に解釈していたのだ。
それがいきなり任を解いたなど、どういうことかとランスロットに説明を求める。
「考えてみろ。当たり前のことだ」
実にもったいぶって、黒髪の騎士は告げる。
「彼女はもはや召使ではなくなる――その準備ができた、ということだ」
まさか、とどちらともなく声を呑む。
鳶色の瞳を細め、氷の騎士と呼ばれる彼は微笑した。
「だからユリウスは、確かめにいったんだろう」
――スーがカスパルニアを出てから二年と数か月……
「見つけましたよ、王サマ」
ニヤリ、と笑みをこぼしたひとりの少年。コバルトブルーの瞳を細め、うれしそうにつづける。
「隣町に現れたと情報が入っています。ユリウスが部下から報告を受けたようですよ」
「そうか……」
王は、そっと目を閉じた。
彼女がいなくなってから――戴冠式を無事にすませ、改革を進め、徐々に力をつけてきた。
もう形ばかりの王ではない。
とある男は言った。王になれば、母が幸せであった証明になると。
ずっと思ってきた。王になれば、母は救われるのだと。
けれど今、なんのために王となり、なんのために王でありつづけるのかと問われれば……
「そう、か」
もう一度、王はため息とともに同じ言葉を繰り返す。
母のことは、きっかけにすぎなかった。
たしかに、母の存在はアルにとって大きい。幼少時を生きてこれた糧の一部に、母の願いはあっただろう。
だが、それだけではないのだ。
周囲に支えてくれた存在があったからこそ、ここまでこれた。
王は今一度、ゆっくりと呼吸する。
傍らに控える騎士に目を向ける。
「では――」
準備はすでに、整った。
「彼女を、ここへ」
王は静かに、所望した。




