第百三十章 目醒めてからみる夢は
第百三十章 目醒めてからみる夢は
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傍にいて、ほしかった。
傍らにいて、ほしかった。
ずっと、ずっと、いつまでも――
ぱちりと目をあけた。
ぼんやりした思考と視界。ゆっくりと身体を起こし、息をつく。
朝日の光が開け放たれた窓からこぼれ、薫る風が鼻孔をくすぐる。
(俺は……)
一瞬、記憶を巡らせる。戦が終わり、政務に忙しい日々を過ごし、そして――?
(いまは何日だ?)
片手で顔を覆い、うなだれる。よく頭が働かず、うまく回らない。
(どうしたものか……)
ふと、枕元にある固い感触に気づき、手に取った。ページが開かれたままの本だ。
自分が読んだのか?いや、ちがう。では、だれが置いたのだろう。
なぜか胸の奥から焦燥感が湧き上がる。わけもわからず舌打ちし、アルはとにかくランスロットたちに話を聞こうとベッドから這い出た。
と、同時に、バルコニーから人の気配がして、反射的に警戒態勢をとり、枕元の剣に手をかける。いつでも抜けるように気をつけたところで、剽軽な声がそれを咎めた。
「やめてくださいよー。危ないですねぇ。ワタシですよ!」
「……ヌイスト、か」
声はひどくかすれていた。自分の喉が渇いていることに気づき顔をしかめると、ふいに目の前に水がたっぷり入ったグラスが差し出された。
「どうぞ。ワタシに聞きたいことがあるのでショウ?」
しばしにらみつけるようにアルはヌイストを見、ややあって受け取ると、一気に飲み干す。
干からびていた喉に潤いの水が注がれ、気分も幾らかよくなる。停止していた愚鈍な思考も、次第に動き出す。
濡れた口端を拭い、アルは再度、油断ならぬ男を見すえた。
「たしかに、聞きたいことはある。だが、貴様にも、云いたいことがあるのではないか」
「ふふ、まあ、そうですネ~」
ゆったりと含み笑い、ヌイストは弧を描いた自身の唇を指でなぞる。
「状況を簡単に述べれば、毒に倒れた王子サマに責任を感じ、城を出ていった少女がいる、ということですかねぇー」
「な、なぜっ……?」
一瞬目を見開き、驚愕に震えたアルは、すぐに眉間にしわを寄せて唸った。
どくりと心臓が鈍く悲鳴をあげる。焦燥感は、それこそ毒のように心から身体を蝕んでいく。
「すぐに連れ戻せっ」
アルは感情的に叫んだ。
「なんでも呉れてやる!この眼をやる!だからあいつを……スーを、戻してくれ」
怒気を込めて叫んだ声に、泣きそうな感情が混じる。
しばし、アルの青とヌイストのワインレッドが見つめあった。瞬きすることなく見交わした視線。
ふいに、ヌイストは息をこぼし、視線を外した。
「誘惑しないでくださいよ。それにあの娘を連れ戻すのはワタシの役目ではありませんよ」
アルの目に手をかぶせて諭すように魔術師は言った。
すべてお見通しのような男に、アルは舌打ちしたくなる。
この男が母を愛していたというなら、瓜二つと言われた己の容姿は有利な切り札になると思ったのだ。特にこの青の瞳は、『瞳』をコレクションとしているヌイストには手に入れたい代物だと考えたのに。
咬み付かんばかりの勢いのアルから手を離し、ヌイストは口をひらく。
「まあまあ、落ち着いてくだサイよ。彼の女をこの城に連れ戻して、どうするというのですか?」
「毒を盛ったのはあいつではないのだろう?ならば出ていくことなどない。あれは俺の責苦だ」
「そんなことは、どうだっていいんですよ」
モノクルを、くい、と引き上げ、魔術師は妖艶に嗤う。やけに癇に障る仕草で、アルは拳を握りしめて耐える。己がこれほど癇癪持ちなどとは知らなかった。自分の頭の血管が切れてしまうのではないかと、頭の片隅でアルは変に自嘲的に思った。
ヌイストは構わず、静かな調子でつづける。
「『あなた』がどう思おうと、『彼女』も『周り』も、関係はないのです。そろそろ――」
カッとなったアルの頭を押さえ、ヌイストはふっ、と笑みを消した。
「――己の力なさを認め、『未来』を視野に入れたらいかがですか?」
(未来……だと?)
自分に力がないことくらい、百も承知だ。だから、こうして……
(……虚勢を張り、他は駒にして使うことしかできない、のか……)
力の抜け切ったアルは、そのままふらふらとベッドへ腰かける。手のひらに顔をうずめ、即席の闇を作る。
油断していた。気を抜いて、毒のことなど考えなかった……『彼女』の名を見た瞬間、すべてが頭から吹っ飛び、警戒することなく贈り物を受け取っていたのだ。
(今さら毒にやられるなど……)
自分自身が情けなく腹立たしい限りだ。
(俺の、せいか)
――返事はまだ聞いてないのに――
『もし、もしも待ってくださるなら……それをやり遂げたあとで……お傍に、いたい、です』
そう、云われたのに――
『傍にいてくれ』
そう、云ったのに……
(俺は、なにもできなかった。なにひとつ、言葉を真実にできなかった)
幻想ばかり抱いて、本質が見えていなかったのだ。
「く、そ」
床を思い切り殴りつけてはみたものの、つくった拳はわずかに震えただけだ。力が入らず、己の身体すら満足に支えられない。
もどかしい。
(……ステラティーナ……)
頭に血が巡らず悪心を感じたので、アルは目をとじてやり過ごす。上半身を起こすのが億劫で、すぐに倒れてしまった。
「俺が、」
安心させられるだけの力がなかったから。だから彼女は、城を出た。
彼女が自責の念に駆られる必要などないのに。己がふがいないばかりに、この結末を招いたのだ。
こんなに己がスーに依存していたなんて、思わなかった。彼女を、こんなにも強く欲しいと望んでいたなどとは、思わなかった。
彼女の存在がないというのは、こんなにも愕然とするものだったのか?
(もう、会えないのだろうか……)
泣きたくなるほど、求めているのに。
(俺を見限ったのか……?)
アルはしばし、無気力のまま身体をベッドに投げ打っていた。
手足は動かない。心がすっと冷めてしまったようだ。
ふと、視界の端に映る本に気がつく。そういえば、目が覚めてすぐに手にとってそのままにしていた。
何とはなしに視線をあげていき、文字を追う。
そして。
ハッとして、上半身を起こす。勢いよく、開かれていた本のページに目を走らせた。
(俺を、待ってくれるのか……?いや、俺に、待てと、言うのか)
『そう、その――花言葉、教えたことないよね』
兄の声が頭に響く。
『不信』だとか『疑惑』だとか『沈黙』だとか、あまりよい意味合いがなく、うんざりしたころ。
『でもね――』
つづいた言葉を思い返し、胸が震える。
(おまえは、待てと言うのか。こんなに求めてやまないのに、俺に信じて待てというのか)
アルは本のページに手をあてて、ぼやける視界に首を振る。
「今回はとても珍しい毒を使われたようですねー」
唐突にヌイストが声をかけた。
「あなたは視力を失いかけてましたからねぇ。あ、彼女の依頼で、視力はきちんと戻っているデショー?」
まるで今晩の夕餉のメニューを教えてくれるような調子で指を立ててにっこりしながらヌイストは言う。
「視力などなくとも、生きてゆける……俺は王になれる……」
ぼそり、とアルはぼやいた。
(ヌイストに『依頼』をしてタダで済むはずがない)
きっと大きな代償を払うことになっただろうに。
「……ばかなことを……」
レオンハルト王子を生き返らせる代償を申し出るとき、この男は「幸せは奪うモノだ」と言ったのだ。それをアルは忘れていない。
みっともない声が出そうになるのを呑み込み、アルは言葉を吐く。
「あいつの代償は、代わりに俺が払う」
目に張った涙の膜を隠すように顔を背けていたため、ヌイストの表情は見えない。けれど、小さく笑ったような気がした。
「敵いませんね……イイですよ、今回は特別サービスです。またの機会にあなたから代償を受け取りマス――」
王子がひとつ決心を改めたように、魔術師もなにかを決めたのだろう。
「もうしばし、お付き合いしますよ」
背後から、ヌイストの声がした。いつもより、ずっと柔らかい気がした。
「彼女に価値があるとわからせる必要がありマスね。そうでなければ、周りが認めない。もしくは、あなたが絶対的であればいい」
「わかっている」
目元をぐしぐしと拭い、ぶっきらぼうに、しかしきっぱりとアルは言った。
傍にいてほしいなら、それだけの力を手に入れなければ。
まずは地固めだ。
風に運ばれ、わずかに薫った、豊かな芳香。
アルの指が触れる【ラベンダー】のページが、風に揺れた。
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アル王子が驚異の回復をみせ、三日が経った頃。大国同士の会議を定期的に行おうという呼びかけや、新たな政策、レオンハルトやウルフォンの提案などをまとめ、近々開催される会議の準備に追われていた。
執務室に籠り、書類をまとめる姿は、以前の暗闇の部屋に留まりつづけるアルとはすこしちがっていた。それをだれよりも知っている幼馴染の騎士は、自分も応えようと、騎士団の制度についても改正していこうと、鍛錬のみならず、日々大臣たちへの顔合わせ、また父アーサーからの教えを乞うなどしている。
毒の影響から目が覚め、スーが城を出たとわかった日の夜、アルはランスロットを呼んでいた。
人払いをした自室で、アルは言ったのだ。
「ランスロット、俺は父に学ぶぞ。覇道をゆき、力を得てやる。…そして…僕は兄に学ぶよ。周りは『僕が』黙らせる。……手伝ってくれるよね?」
それは、つまり。
無言のうちに感じ取り、ランスロットは「御意」とその場にひざまづいた。
感情の欠片をこぼし、それなのに他者を拒絶しつづけ、『未来』など無謀な幻想にしか描いていなかった王子が、ひとつ、決意したのだ。
「俺は冷酷な王になろう……父は暴君、兄はやさしい王ならば」
いつか夢見た、「スーとともに」を目指して。
彼女を迎え入れる、準備をしよう。
「アル」
「俺は、応えてみせるよ」
そう言って騎士を振り返った王子の口元は、柔らかだった。
†+†+†+†+
「何度離れようとも、再び見えることができる――それが、あなたたちというモノでしょう」
ワインレッドの瞳を細め、月夜、魔術師である道化師は嗤う。
「どんなに切り離そうとも、あなたたちの運命は交差する……」
予言じみた言葉を、とても愉快そうにつぶやいて。
* * *
昔アルーにあげたロケット、覚えている?
うん、そう、そのラベンダーの花言葉、教えたことないよね。
ん、別にたいした理由じゃないし、ただの気まぐれなんだけどね……
ラベンダーの花言葉はいろいろあるんだよ。
『不信』とか『疑惑』とか『沈黙』とか……
ふふ、そんな顔をしないでよ。
たしかに、ちょっと暗い意味もあるけど……
でもね――
ラベンダーの花言葉には、『期待』、『わたしにこたえて』、『あなたを待っています』という意味もあるんだよ。
僕も好きなんだ。なんだか、スーみたいだろ……?
ああ、けれどこれは、昔の彼女かな。
今の、アルーの傍にいるスーなら……
と、いうわけで最後のはアルとウィルの会話からでした。
こういう経緯があったので、アルはスーからのメッセージをあのように解釈したという……わかりにくくてすみません。
ラベンダーの花言葉は、他にもいろいろあるようですね。
色によって違ったりするっぽいです……たしか(苦
お知らせ
えっと、次回作のアンケートをお願いしたいです。
王国の花名関連だったり、まったく違ったり、とりあえず、お心の優しいお方、お暇な方は、
投票アンケートに答えてくださればうれしいです。
ちょっと小話も用意してあるので^^
URL
http://lyze.jp/kirakirahana/fp/34/
アンケは活動報告一覧からもいけますし、
HPにもご用意しております。
本編はあと数回で終わると思われます。
次回更新予定は、活動報告にて。




