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王国の花名  作者: 詠城カンナ
第一部 『王宮編』
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第十三章 脅迫状



第十三章 脅迫状




†▼▽▼▽▼▽†



 回廊をぽつりとひとりで歩く。賑やかな世界から一変し、静けさの残る空間が広がっている。

 スーはふっとため息をつくと、足を止めて、窓に映る自身の姿を見やった。

 化粧をし、髪を丁寧に整え、きれいに飾られた少女。燃えるような赤毛が際立って、うつくしく白い肌に映える。緑の瞳がさらに深みを出していた。

(今夜は、いつもとちがうわたし。けれど、中身はいつもと一緒……)

 ひとりになると、いつも考えてしまうのは、フィリップ王子のことだった。今までずっと、彼の存在が絶対だったスーにとって、彼に繋がるどんなことでも、大切に感じられていたのだ。


 六年間――フィリップが殺されてから六年間、スーはずっと彼との思い出を支えにして生きてきた。親も祖国も失ったスーにとって、彼こそが自分のすべてだったのだ。

 だから王宮にあがるときは、尻込みをした。フィリップ王子の色濃い思い出に悲しくならない自信がなかったから。それから、自分の遣える第六王子に、すくなからず期待もしていたのだ。

 そして第六王子は、ことごとくスーの期待を裏切った。フィリップ王子の面影もなく、慈悲も愛もない。意地が悪く、国を愛しているとは到底思えないような次期国王……そんな男に遣えるなど、思ってもみなかった。

 アルは、唯一フィリップとの生きた繋がりだと、スーは思っていた。腹違いとはいっても兄弟であり、フィリップ王子の想いを遂げることのできる位置にいるのが、アル王子なのだから。

 それなのに、当の本人はフィリップ王子を憎み、しまいにはスーにまでそれをぶつけてくる。

 だからひとりになると、フィリップ王子を思い出し、どうしようもなく泣きたくなるのだった。


(帰りたいな……)

 ぽつりとスーは心のなかでこぼす。帰る場所と言うには憚られるものの、スーは城で過ごすよりも、フィリップ王子の屋敷で暮らしていたいと思った。

(わたしの居場所は、いったいどこなのだろう)

 わかりっこない問いに、スーは言いようのない悲しみを感じた。



「ああ、ここにいたんですか、スー」

 ふいに声が聞こえ、スーはハッと我にかえった。向こうから、ピシリとした正装のクリスが駆けてくる。

「どうしたんですか」

 なんとなくクリスの雰囲気がいつもとちがう気がして、スーはわずかに眉根を寄せた。

 彼はにこりと笑みをつくったものの、やはりどこかぎこちない。すぐに声を低めて言った。

「ちょっと、耳に入れておいてほしいことがあるんですが……」


 クリスに連れられ、だれも使っていない部屋に入る。後ろ手でクリスは用心深く錠をかけると、真剣な表情で口を開いた。

「僕が今から言うことは、極秘なことなんです。すくなくとも、城のなかでこのことを知っているのは、王子と僕だけでしょう」

 スーはごくりと唾を飲み込み、まじまじと彼を見やる。わずかに顔を歪める。

「どうして、その極秘をわたしに?」

「スーは信頼できる、そして王子のいちばん近くにいるはずの人間だからですよ」


 スーはぴくりと身体を縮めた。めったにないことだが、クリスが苛立っているように見えたのだ。

 王子のそばにいるべき人間――それがなぜ、王子のそばを離れてここにいるのか?……スーにはそんな声が聞こえるような気がした。

「ご、ごめんなさい」

 無言の問いつめに耐えられず、スーはすぐにガバリと頭をさげる。やっぱり自分は王子の召使でしかないのだと、改めて知った気がした。

「いや、ちがうんです。いつも王子とともにいてほしいわけでは……ただ、今だけは、あの方から離れないでほしかっただけです」

 クリスはふるふると頭を振り、いくらか口調をやわらげてつづけた。

「誓ってくれますか、スー?」

 ――なにを?だなんて愚問は口から出すことはできなかった。スーはただ操られたようにこくりと頷いた。

 クリスはそれを見て安心したようにほほえみ、スーの手を軽く握る。びっくりする少女にかまわず、彼は真剣な声音で言った。

「アル王子は今夜、襲われます」

「なっ――?!」

「脅迫状が届いたんです」

 しっ、と指を口にあて、クリスは声を落とす。スーもつられて辺りを気にしながら、驚きを隠せずに眉を寄せた。

 アル王子が命を狙われている――それは知っていた。身をもって、知っていた。

 一度目は矢がとんできたこと、二度目は飲み物に毒が入れられていたこと……すくなくとも、王子が安全だとは言い難いことはよくわかっていた。

 だが、こうもはっきりと、今夜襲われると言われるのも、驚かないほうがおかしい。

「王子は気にするなと言って僕に口止しましたが――どうも、気になって。他にはだれも知らないんです」

 スーはだんだんと心臓がうるさくなってくるのを意識した。クリスの口から飛び出す言葉が、妙にスーを怯えさせる。

(わたしには、なにもできない。そんなこと、わたしに言われたって……)


 どうして自分なのだろう、とスーは苛立ちに似た感情を覚える。

 なぜ大臣ではなく、自分なのだろう。力もなにもない召使に、できることなどないのに。

 王子に近い人間はほかにもいるではないか。ランスロットがいい例だ。彼ならばその腕で必ずやアル王子を守り抜くだろう。

 しかし、自分はどうだ?非力で、なにもできないのに。

(できることは、彼の盾になることくらいよ。あたしにはそうして死んでまで、あの人を守ることなんて、できないけれど)


「これが、王子の寝室にあったんです」

 クリスはそう言って、懐から黄色みを帯た紙を取り出し、スーに押し付けるように渡した。

 紙には細い糸を這わせたような文字で、『今宵王子ノ命ヲ頂ク。』と、ただ一文だけが書かれていた。それがかえってぞっとするような恐怖を誘い、スーは無意識のうちにその紙から目を離した。

「どうして……」

 淡々とした強迫の言葉が気味悪く、スーはできるだけ顔を背けて口を開く。しかし、言葉はつづかなかった。

 どうして……どうしてこんなものが?どうして王子はだれにも言わないの?どうしてわたしにだけ――そんなたくさんの疑問が混ざり、スーは問いを言葉に成すことができなかった。

 クリスはなにか考え深く目を伏せていたが、やがて顔をあげると、ゆっくりと口を開いた。ひとつひとつ、当てはめるように言葉をつむぐ。


「僕がいちばん恐れていることが、真実なのかもしれません……この紙が王子の寝室にあるという事実は、なかなか実現しにくいことなんです」


 スーもハッと顔をあげ、鳥肌が立った腕を抱きしめた。

 王子の寝室は、だれでも知っているわけではないし、常に警備がされている。そんななかで、だれにも気づかれずに紙を残せるだろうか。

 クリスは後はなにも言わなかった。それでも、スーには充分すぎるくらい理解できた。

(王子に近い者……城内部の人間の仕業……?)

 そしてそれは、フィリップ王子の暗殺にも繋がっている人間のはずだ。長い時間をかけて仕組まれた、巧妙な計画ではないか。



(だれが、陰謀を?)

 スーはぎゅっと唇を噛みしめ、くしゃりと黄色の紙を握りつぶした。






 

†+†+†+†+


 踵をかえしてすたすたと歩きながら、スーは無意識に顔を歪めた。

(もし、アルさまが殺されたら……)

 頭をふるふると振る。

(考えちゃいけないことよ。けれど……もし、アルさまが暗殺されたら?わたしは……)

 そうすれば、きっと自分はフィリップ王子の屋敷に戻るのだろう。そうしてまたなんの勤めもないまま、ぼんやりと日々を送るのだ。

 それもいいかもしれない。アル王子に怯えて暮らすより、ずっと穏やかな日々を手に入れられるではないか。

 けれど――と、スーは唇を噛みしめる。

(今のわたしの主は、アルさま。仮にも、フィリップ兄さまのご兄弟……見殺しになんて、できない)

 足をはやめる。心臓がどくどくと唸っていた。

 手のなかで丸まった黄色の脅迫状が、冷ややかにこちらを見ている気がした。


「おいっ」

 いきなり手首をつかまれ、怒鳴られ、はっと我にかえる。すでにスーは大広間へと到着していた。

 見ると、リオルネが手首をつかんでこちらをにらみつけていた。すぐにしまったという言葉が、頭を隅から隅へと駆け抜ける。

「おまえ、どこに行っていたんだ!今夜は僕の侍女だろうっ」

 はやる気持ちをなんとか表に出すまいとしながらも、スーは眉根を寄せて、リオルネの手をやさしく拒んだ。

「申し訳ありません。ですが、今は急用ができまして……」

「言い訳など聞きたくない」

 よほど拒まれたことが気に食わなかったのか、リオルネはカッと頬を赤らめ、目をつり上げた。

「おまえ、僕に逆らうのか?!たかが召使の分際で――」

「申し訳ございません」

 スーは深々と頭をさげる。彼にかまってなどいられなかった。

 リオルネがかんしゃく気味に叫ぶのを後ろで聞きながら、スーはさっさと歩き出した。

 今はただアルを――フィリップの家族と呼べる存在を失うわけにはいかないという想いで、ひたすらだった。



 やがて、広間の中央に人だかりができているのが見えた。赤や黄色の艶やかできらびやかなドレスが、シャンデリアの光に反射してきらきらと目にまぶしい。

(アルさま……)

 呼びかけようと口を開いたものの、そのまま声がでなかった。

 なんと言えばいいのだろう、伝えられるはずなんてない――スーは顔をしかめて、唇をかみしめる。

 そうやってうつ向いたとき、にわかに人々のざわめきが聞こえた。なにごとだろうとぱっと顔をあげると、青い瞳がこちらを見ていた。

 驚くあいだに、アルは人をかきわけてスーの目の前までやってきた。

 スーはまさか自分の心の声が聞こえてしまったのではないかといぶかったが、アルは笑顔の仮面をかぶったまま、手を差し出した。


「遅かったね、心配したよ」

「アルさま……あの、わたし――」

「ほら」

 ぐいっと肩を抱き寄せられる。ぎょっとして目を見張るスーに構わず、アルはにっこりして、周りの人々に聞こえるように言った。



「ねぇ、スー。やはり、君がいちばん僕にふさわしいよ」







†+†+†+†+


(なにを言っているの、この方は)

 スーは唖然として、王子の言葉を聞いた。

 本当に突拍子のない人間だ。なにをいきなりし出すかわかったものではない。

 これ以上振り回されたくはないと何度思ったことか……スーは怒る気にもなれず、ただアル王子のなすがままであった。


「さぁ、僕のかわいいお姫さま。今夜はもう休んだ方がよさそうだ」

 にっこりとほほえまれても、スーにはどうも答えようがなかった。歯の浮きたつようなセリフをささやかれたって、ただ募るのは恐怖ばかりなのだから。

「あ、アルさま?」

「そ、その小娘――お嬢さまは、どなたですの?」

 見ると、さきほどスーにわざわざ文句を言いにきた令嬢らが、ぴくぴくと口を引きつらせていた。みな唖然とし、スーに嫉妬のまなざしを向けている。

 アルはさらにスーを抱く腕に力を込め、やさしい表情で彼女らに向き直った。

「スーは僕の大切な人なんだ……彼女は、きっとどんな僕でも受け入れてくれる。とても心やさしい女性なんだ」

「でも、彼女は――下働きの身分でございましょう?」

「そうですわ!アル王子、あなたは正気なのですか?」

 人々の目が、心なしか非難めいているのに、スーは気がついた。それから、漠然とした不安が彼女を襲った。

 いくら高い地位をもつ王子だと言っても、自分に見向きもしない男は、きっと貴族の娘には興冷めなのかもしれない。彼女たちは高いプライドをもち、自分たちがスーに劣っているなどとはつゆにも思わないのだから。

 やがて、アルはゆっくりと、そしてはっきりとした声音で言い切った。



「……どんな地位であっても、僕が彼女を手放すことはないよ――絶対に」












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