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王国の花名  作者: 詠城カンナ
第三部『花畑編』【Ⅲ Lavender tale―花のおとぎ話―】
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第百二十九章 馨る風


第百二十九章 馨る風


†▼▽▼▽▼▽†



 忙しなく動く、人々。

「容体は?」

「解毒はまだかっ」

「水を、はやく!」

 衛兵がランスロット騎士に報告を述べる。

「オーウェンを手引きしたと思われる下働きは、どうやら金を握らされていたようです」

「毒花を届けた侍女らも家の立場から弱みを握られていたようですが、すでに取り押さえました」

 燻っていた根源をひとまずは一網打尽にでき、ふっと騎士は息をはく。しかし、主の容体は芳しくなく、もっとはやく己が駆け付けていれば……と奥歯を噛みしめ苦汁を嘗める思いでいた。


 アルティニオス王子の部屋。側近として返り咲いたクリスが珍しく顔を険しくして治療にあたっている。傍らに待機したイライジャが解毒薬の調合に精を出していた。

 そして――部屋の片隅にひとり佇むのは、赤毛の少女。血の気のない顔で、小刻みに震えながら突っ立っていることしかできなかった。



 王子の治療は長丁場になった。

 額に玉のような汗を浮かべてうなされているアル。イライジャの解毒薬が効いて、ようやっと容体が落ち着いたのは、日を跨いでからだった。

「峠は越えたのか?」

 ランスロットの問いかけに、クリスは眉をひそめたまま答える。

「イライジャ殿によると、花の香りに毒性が含まれているみたいですから。はじめての毒なので、耐性もないですし……」

「そうか……」

「しばらくは様子見でしょう。付きっきりで看病を――」

「わたしが、看ます」

 そっと、小さな、消え入りそうな声がした。スーだ。

 ぎゅっと己のスカートを握りしめ、唇を噛みしめつつ言う。

「お願いします……わたし、に……やらせてください」

 ランスロットがなにか言いたげに口を動かしたが結局小さく頷き、クリスは一巡したあとでゆっくりと頷いた。

「いいでしょう。なにかあれば、すぐに教えてください」

「は、はいっ!」



 


†+†+†+†+


 意識はなかなか戻らない。

 水を飲ませようとしても、すぐにむせて吐き出してしまう。

「アルさま――」

 すみません、と小声で謝罪し、スーは自分の口に水を含むと、そのまま唇を合わせ、王子の喉に水を流し込んだ。

 アルの容体は落ち着いたものの、油断を許さない状況だ。微熱がつづいており、自分で食事をできないことからも体力の衰えが心配される。スーが必死に看病をしても、嘲笑うかのように一向によくはならない。


(わたしは、なにをやっているの)


 過信していたのだ。

 すこしばかり学んだから、役に立てるのだと自惚れていた。彼の傍にいていいのだと勘違いしていた。

(なにを勘違いしていたのかしら。付け焼き刃の知識をちょっと誉められたからって……調子にのって、浮かれて……毒の香りにも気づかず、アルさまを危機に陥れて……いったいなんのために学びたいと思ったの……!)

 噛みしめた奥歯から声がもれる。堪えても、嗚咽はこぼれ、涙があふれる。

 泣く資格などないとわかっているのに。

(思い上がっていたんだわ。わたしならアルさまの近くにいて、役に立てるだなんて。今のわたしにはなにもできない。こんな中途半端なままで、おそばにいられるはずがない……)

 このままでも、きっとだれも責めないだろう。スー自身以外、だれも。

 香りに気がつかないのは当たり前だと。仕方のないことだ、と。薬師でも医師でもない娘には、なにもできないのだから――

 でも、その己がいちばん赦せなかった。

(なんて、未熟――)

 スーは嗚咽を呑み込んで、アルの額に浮かぶ汗をぬぐう。

(アルさま……わたし、あなたの隣にいたかった。だけど、わたしにはその資格がない――)


「スー」


 はっとして、顔をあげる。熱に浮かされ苦悶の表情を浮かべるアル。しかし彼はたしかに――

「スー……ぃ……な……」

 意識が戻ったわけではない。うわ言をいっているのだろう。

 スーはアルの手を握った。

「アルさま、どうか……どうか、目を醒まして」

「――行くな」

 かすかに、手を握り返される。つづけられる言葉を拾うために顔を近づけた。

 大好きな、声。

 鼓膜を震わせる、大好きな、声が。

「……傍に……いて……」

 そう、言うのだ。


 ぽろぽろと、涙が零れ落ちる。

(あなたは、傍にいろと言うのですね……こんなわたしでも、傍にいていい、と……?)

 ぐっと唇を噛みしめる。

今、もう一度己に問い掛けても、自信をもって頷けるだろうか。彼は国王となる。その人の隣にいられるのだろうか。

 傍にいてもいい、とたしかに彼は言ってくれた。周りのやさしい人たちもきっと支えてくれるだろう。

 だけど。

 自分はどうだ。どんな悪意にも中傷にもめげずに顔をあげていられるか。

 認めてもらうまでにはきっと様々な障害があるだろうことは容易に想像がつく。そのときも自分は、胸をはっていられるだろうか。周りの評価を跳ね返し、認めてもらえる人間になれるだろうか。

 そもそも、己には『王族』という身分がない。彼に身分を捨てろとは言えない。隣にいたいとは言えない。それは彼を苦しめる。

 かといって、一歩下がった位置で彼が他の女に愛をささやき、彼そっくりな子に笑みを向ける姿を黙って見ていられるほど、自分はできた人間じゃない。それは苦しい。


 もし、彼の召使い以上の位置を望むなら……

「わたし、は、」

 いたいのだ。傍に――隣に、いたいのだ。

 アルティニオスという人間の隣には、自分が存在したいのだ。

 トナリにいたい。そして傍にいるなら。


(顔をあげて、彼の隣にいたい。)






†+†+†+†+


 いつまでそうしていたのだろう。ふと顔をあげれば、見知ったワインレッドの瞳がこちらを見ていた。

 びっくりして身を縮めたスーなどお構いなしに、ワインレッドの瞳をした青年はくすりと笑って王子の手を取る。

「もう大丈夫デスよ~」

 ほら、とアルの橈骨動脈に指をあてて脈をはかり、ヌイストは実に明るい調子で言った。

 彼のいつも通りな異様さに調子を崩され、スーは力なく笑おうとした。一応口元は引きつった形で弧を描いたものの、あきらか浮かない顔のままだとわかると、魔術師は肩をすくめてつづける。

「毒は――花粉の微粒子が体内に入り、分解されると毒性を発揮する、という、実に厄介な代物です。気づかなくとも、仕方ありまセんよー」

 スーはそっと顔をあげる。慰めてくれているのだろうか?

 ばっちりと視線のあったヌイストは、愉快そうに目を細めると、指を立ててしゃべり出す。

「さーて、ここでご希望をうかがいます。『甘ったるい虚言の真実』と、『絶望したくなるような真の事実』、どちらがいいですかーぁ?」

 相変わらず、わけのわからない男だ。スーは冷めた頭の片隅で自嘲気味に笑う。

 もし頼めば、彼はアルを救ってくれるだろうか。それとも、己を過信した罰だと甘んじて受け入れることを切々と語るだろうか。

「……どうして、『虚言』なのに『真実』なのですか」

「それはあなたを思うがために生まれた『虚言』は、ある一方においては『真実』となり得るからデす~」

 つまりそれはやさしい嘘。

 スーは身体を彼に向き直らせ、口をひらいた。

「では、真の事実を」

 半ば投げやり気味に答える。それでもヌイストは満足そうに頷いた。

「そうですか。自ら苦しみを選ぶあなたも、嫌いじゃありまセンよ。『甘ったるい虚言の真実』より『絶望したくなるような真の事実』のほうが、あなたに似合う」

 くい、と顎をあげられ、顔を近づけられた。

 ワインレッドの瞳は、レオンハルトと同じ色とは思えずぬほど静寂で、激動を纏っていた。

 マガイモノりの、ように。


「この花毒は強烈でして、後遺症が残る可能性がほぼ確実です」


 それはたしかに、『絶望したくなるような真の事実』だった。

 件の花の毒には、そもそも解毒薬がない。正確には、この国にはない、のだ。たとえ解毒できたと思っていても一時的なものでしかなく、体内には微弱ながら毒が残る。毒はゆっくりと身体を侵すのだ。

「おそらくアルティニオス王子の視力はゼロとなるでしょう」

 歌うように、ヌイストは告げた。

「さて、ここでふたつめの質問です。ワタシなれば彼の視力を残して差し上げられます。あなたは――」

「本当ですかっ!」

 ヌイストの言葉を遮り、スーが声をあげた。

 先ほどまで蒼白になって震えていたのに、今や頬に赤みがさしている。

 ヌイストはやや目を見開きつつ、つづけた。

「では、代わりにその瞳をいただけマスかぁー?」

「この、瞳でいいのなら」

 即答だった。

 今度こそ、ヌイストの瞳は驚愕に揺れる。

 微塵もためらいなく、己の瞳を差し出してでも救えという願いに、その強さに、揺れた。

「……たとえ、王子に視力が戻っても、あなたのものになるという可能性はないのですよ……?」

「わかっています。わたし、城を出ようと思うんです。まだまだ、知らないことばかりだから……」

 わずかに苦笑を浮かべ、スーはきっぱりと言い切る。

「王子が、あなたを待っている確証などないのですよ……」

「ええ。わたしには『待っていて』なんて言えません。でも、『傍にいてくれ』と言われても、今のわたしには返すものがないんです」


 だから、わたしは――自信を持ちたい。アルさまの隣にいたいとわがままをいえるくらい、大きくなりたい。わたしはまだまだ、未熟。広い世界をみてみたい。


「アルさまの隣に、いたいから」


 ほほえんだスーの眼から涙がこぼれる。滲んだ世界で、ヌイストが呆けているのが妙におかしかった。

 やがて、ヌイストがいつもの微笑を浮かべた。

「敵いませんね……イイですよ、今回は特別サービスです。またの機会にあなたから代償を受け取りマスよ」

 きょとんと首を捻るスー。

「緑の瞳はもうもっていマスから……あなたの兄上に感謝するんですね~」

 ようやっと言葉の意味を悟り、スーは泣き笑いの顔で「ありがとうございます!」と頭を下げた。







†+†+†+†+


 アルの呼吸が落ち着き、見るからに顔色がよくなったころ、スーは荷物をまとめた。

 ランスロットやクリスたちには置手紙をし、ひとり城をあとにするつもりである。意外なことにヌイストが協力を申し出てくれたので、混乱はないだろうと思われる。

 ひとまず薬草のことをもっと学びたいというスーの希望通り、海を渡り西に進んだ『竜の国』と呼ばれる国へ旅をする計画であった。これもヌイストがいくつか候補をあげてくれたので、期待以上のことが学べるだろうと踏んでいる。

 時間を止めるヌイストの魔法で時を止め、スーはランスロットたちの部屋へ行き、手紙を残した。そして最後に、アルのもとへ向かう。



「アルさま、わたし、あなたの心の欠片を拾いたいって、思ったんです」

 スーとアル、ふたりだけの空間は緩やかに時が動いていた。

 彼の柔らかな金色の髪は、暗闇のなかで溶けて淡く輝いている。

「あなたはひどくぶっきらぼうで、わかりにく人です。でも、本当はとっても寂しくて、やさしい人――」

 閉じられた瞼の下には、あのうつくしい青がある。目が離せなくなった、宝石のような瞳。

 スーはそっと手を伸ばして、首にかけられていたロケットをとり、己の首にかけた。

「ごめんなさい、これ、お借りします」

 しばしスーは王子に見入った。

 開け放たれた窓から入ってきたほのかな風が、頬を撫でる。

 どれくらいそうしていただろう。やがておもむろに背嚢から一冊の本を取り出し、ページをひらいて枕元に置く。

「ねえ、アルさま――」

 頬に、わずかに触れて。

「大好き、です」


 風は薫り、季節を運ぶ。

 そうして魔術師は、風とともに少女を連れて行く。


 スーは、カスパルニアを後にした。




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