第百二十四章 クラウン~道化師×王冠
第百二十四章 クラウン~道化師×王冠
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「お取込み中のところ、失礼シます~」
場違いなほど陽気な声が響いた。にっこり笑みを浮かべたヌイストが、そのまま口をひらく。
「賭けはワタシの負け。アル王子、あなたの勝ちです」
アルはスーの肩を抱き寄せたまま、顔を歪めてヌイストを見やる。
「それは……」
「なんでも、話しますよ。聞きたいことはなんですか」
出血大サービスです、なんてふざけた調子でつづける魔術師に、アルは怪訝そうな顔を深めた。が、スーはなにやらひとり考え込み、そしてそのまま口を切っていた。
「結局、黒幕はヌイストさんなんですか?」
突然突拍子もなく問い出した少女にアルはぎょっとするが、ヌイストはくすくす笑ったまま「難しいデスね~」と首を傾げる。
「最初に依頼されたのはルドルフ大臣閣下でした。第六王子以外を殺せ、と」
「なぜひとりずつ殺したのですか」
「そのほうがロマンが広がりそうでショウ?呪いか、災いか、原因はなんだ……って」
「……では、なぜ兄さまを助けたんですか」
本当はすべてアルが聞きたいことだったし、聞くべきことだっただろう。しかしスーが臆することなく淡々と尋ね重ねていくので、アルは口を挟めず、半ばぽかんとしながらふたりの会話を聞いていた。
「それは……ヒミツ、です」
「『気まぐれ』じゃあ、ないんですね」
くすりと笑った少女に、ヌイストはめずらしく瞠目した。それから、ああそうか、『気まぐれ』にしておけばよかったのだと遅まきながら気づき、肩をすくめる。
珍しいヌイストの態度に、先ほどまで口を出せずにいたアルも己を取り戻したのか、声を発する。
「おまえは、言ったよな。この戦に勝てば、母さまが幸せだったと証明できる、と。でも、俺は負けはしなかったが、勝ちもしなかった……」
ぐ、と自然に力の入ったアルの拳を、スーは小さく包み込んで握る。
思いつめたような彼の表情に、思わずスーも胸を痛めた。
ヌイストはしばしそんなアルを見つめていたが、やがて顔をうつむかせた。
「では、ここでひとつの物語をしましょう」
語り出した声は、奇妙なほど陽気で、けれどそれが震えているように感じたのはスーだけではなかっただろう。
*
あるところにひとりの若者がおりました。
『いったいワタシはいつまで生きるのだろう』
それが常々、若者の口癖でありました。
そんな若者はあるとき、小さな国の城へ仕えることとなりました。そこで、ひとりの少女と出逢ったのです。
はじめ、彼女がだれなのかわかりませんでしたし、知りたいとも思いませんでした。けれど、時たま耳にする彼女の歌声が、そしてその調べが若者の心に引っかかりました。
彼女と話す機会があり尋ねたところ、その歌は子守唄でありました。
若者にとっては、はじめての感覚が芽生えました。日に日に彼女から目が離せなくなり、心臓が痛く重く唸るようになり、ああ、きっとこれが世に聞く『死期』なのだ、と若者は思いはじめたのです。
その感覚が死期ではなくひとつの感情であると気づいたころには、とうに彼女は他のヒトと愛を育んでおりました。
若者は彼女のそばを離れ、旅をし、そしてあるとき、苦しく生きづらくなった身体に首を傾げ、とうとう身体と魂をわけることにしたのです。痛みを伴う心をもった魂をわけた身体に入れて、若者はまた以前の若者に戻りました。
もともと強大すぎた力でしたから、それほど困難なことではありませんでした。
次に容姿と名を変えた若者が彼女と会ったとき、そこに『闇』が転がっていました。
チャンスでした。
若者は迷うことなく『光』をチラつかせ、彼女へ『闇』を渡したのです。
それでも、彼女は泣くことなく笑っていました。
若者の『闇』により別の男のもとへ嫁いだ彼女でしたが、やはり彼女から『光』は引き離せそうにありませんでした。
これはおかしいことです。なぜ愛されてもいないのに、男を愛することができるのか。笑っていられるのか――不思議でなりませんでした。
やがて彼女は身籠りました。やはり、彼女は笑顔でありました。
若者は頭を抱えます。どうして、どうして、どうして彼女は『闇』に染まらないのか――?
しかし、若者の望みは、まったく違う形で叶うこととなりました。
それは、若者が彼女のまえから姿を消してからしばらくしてのことでした。身体をわけたにも関わらず、とうとう平気であった本体までが彼女の傍にいることを辛いと感じはじめたので、若者はまた唐突にいなくなったのです。それが彼女に大きな『闇』を与えるなど、考えもしませんでした。
若者の知らないところで彼女は狂い、死んでいきました。
まるで奈落の底でした。
なぜ彼女に『闇』を与えようと思ったのか、若者自身わかりません。ただ、彼女が笑っているのがつらかった。他の男と穏やかな顔で語り合い寄り添う彼女を見るのが苦しく、そのたびに胸のあたりが悲鳴をあげていたから、いっそ泣き顔にすれば楽になれるだろうと考えたのかもしれません。
彼女を失った若者は、ふと、きれいな月夜をながめて、彼女の言葉を思い出しました。
『あなたはわたくしから幸せを奪えなかった。だってわたくしは――』
月の女神は、うつくしく、ほほえむ。
『だってわたくしは、この子を授かったから。この月を手に入れたから』
彼女は、手に入れたのだ。光を失いはしなかったのだろう。たとえ、狂っていたとしても。
*
「彼女がどう思っていたのか定かじゃない。けれど、たしかにアナタは望まれて生まれてきた。彼女の幸福になり得たんですよ」
ヌイストはうつむいたままだった顔をあげ、目を細めてアルを見やる。
「だからワタシには、あなたがうらやましく映るのかもしれまセンねー」
はじめて聞いた、物語。アルは言葉なく、ただヌイストを見つめ返していた。
ナイリスが本当に愛したのは、だれであったのか。それはだれにもわからない。ただ。
『あなたは昔からわたくしを避けていた。だからわたくしはあなたをあきらめたのよ。兄を愛し、ソティリオさまを愛しながら、いつだってあなたの影を求めていたのに……ヌイスト、わたくしはもう疲れた』
彼女が自暴自棄になりアルを愛せなかったのは、自分がだれにも見てもらえなくなったから。兄とも引き裂かれ、惹かれたソティリオにすら愛されず、それでも笑顔でいたのは支えとなる若者の存在があったからだ。それなのに、そのヌイストと二度と会えぬと悟ったから――それが引き金となり、彼女を狂わせたことは明白で。
「だから、彼女を殺したのは他のだれでもない――ワタシなのデスよ」
ぽつりとこぼされた声は、スーの耳にしか届かなかったであろう。
だから思わず、スーは疑問をそのまま口にしていた。
「ヌイストさん……まさか……アルさまのお母さまのことを……」
はじかれたように顔をあげたアル。ヌイストはただ無言のまま、沈黙の肯定をした。
しばしして、ふっ、と短く息を吐き、ヌイストは懺悔するように天を仰いで語り出す。
「どうしてこんなにも、胸を締めつけるのか。己という存在を位置づける一部でもあるかのように、欠かせないものになってしまったのか。なぜ、どうして、己は思い通りにいかないのか……」
――ナゼなのか、ワタシにもわからない――
遠くをまぶしそうにながめ、魔術師はぽつりとつぶやく。ワインレッドの瞳が憂いに濡れているような気がして、スーは拳をぎゅっと握った。
「それは」
口を切ったのはアルだった。
「それは、貴方が心をもっているからだろう」
「心……まさか」
はっと皮肉的に笑おうとしたヌイストであったが、アルの真剣な青色の瞳とかちあい、思わず黙る。その瞳に彼女の面影を見たのは明白であった。
と、今度は静かにスーが言葉を紡ぐ。
「セルジュさんは……あなただったんですね」
一瞬ヌイストは目をぱちくりとさせたが、アルも驚いていない様子を見て、降参だとばかりに両手をあげた。
「正解です。けれど、ハズレです」
スーははじめてセルジュと出逢ったときのことを思い出す。中性的な顔立ちで、小悪魔のような性格をしていながら、ピンチのときは助けてくれた彼。そんな彼に抱いた、はじめに感じて拭えなかった違和感。
『セルジュ』と名を呼ぶのがなぜかためらわれ、「ちがう気がする」と思っていたことを思い出す。
そんなスーを知ってか知らずか、ヌイストは「あなたは変に勘がいい。野生児のようデスからね」なんてからかいまじりにのたまった。
「ワタシはだれで、何処からきて、いったいドコへ逝くのでショウ?」
両手を広げ、ヌイストは悲嘆的にほほえんだ。
「永く永く生きすぎました。いつしか自分の本当の顔さえ忘れてしまいそうで……だからワタシは考え、思いついたのです――その瞬間の自分を残しておけばいい、と――」
ちょうど厄介な『感情』を封じ込めておくには絶好の機会であった。セルジュなる者はワタシでありワタシの思い出から創られし者――つまりはそういうことです、と彼はしめくくった。
それは一種の戯曲のように。まるで不思議なおとぎ話のように。
時限がちがう。ヌイストという人物は、すべてにおいて『普通』ではないのだ。
「でも、どうしてセルジュさんはヌイストさんとちがうのですか?」
「言ったでしょう?もともと彼とワタシは同じモノ。強大すぎる力ゆえ、分離していただけとは言っても、わかれた駒はワタシを離れ別のモノになる」
自身の両手を見つめながら、彼はつづけた。
「ワタシがふたりいても仕方がないので、彼には偽の記憶を埋め込みました。セルジュは自我を持ち、ワタシの駒でありながら、ワタシから遠く離れた世界を生きた……とってもおもしろい、でショウ?」
にんまりと満面の笑みをきれいに浮かべ、ヌイストはまるで見えないパペットを操るかのごとく、指を動かしつづける。
「でも、彼がカスパルニアの騎士になったのは想定外だったなぁ。さすがはワタシというのか……『あの女性』の近くへ行きたがる性なのか……」
一瞬だけ、ヌイストから笑みが消えた。いつもの嘘めいた表情ではない、どこか朧ではかなげな表情だった。
「ルドルフ大臣のハナシにのったのも、すべては理由が欲しかったからかもしれまセンね……すこしでも彼女の欠片を求めた……浅はかで、滑稽な道化師だ」
広げた両腕に太陽の光をさんさんと浴びながら、ヌイストは表情を消す。
「彼女が月に王冠を、と望めば、どんな無謀だってやってみせる」
そのままアルへと目を向けて、言葉を落とす。
「それが女神の願いなら、なおさら」
長く、短い沈黙がつづいた。
しっかりとヌイストを見返すアルの目は、どこまでもまっすぐで、きれいな青だ。スーはそれを横目で見やり、小さく微笑する。
「俺は、王になろう」
声はどこまでも、しっかりとしていた。
「この頭にその称号を戴くにふさわしい、王に」
その言葉を最後に、ヌイストははじめて柔らかい笑みを見せた。
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城に戻ってからは慌ただしい毎日がつづいている。政策に追われるアルや部隊の統率を任されたランスロットはもちろんのこと、スーも怪我人の手当などのイライジャの手伝いをしていた。
そんな日々のさなか、ずっと姿を見せていなかった魔術師がスーのまえに現れたのは、満月の輝く真夜中のことであった。
忙しかったにも関わらずなぜか頭が冴え、寝付けずにバルコニーから月をながめていたスーは、ふいに些細な物音をひろい振り返る。と、すぐ近くにワインレッドの瞳を見とめ、ぎょっと身を縮めた。
「ヌイストさん!」
「お静かに」
しーっと指を立てて唇へ寄せ、ヌイストは持ち前のにっこり笑みを浮かべた。相も変わらず読めない男である。
やや落ち着き、スーはキッと眉根をあげてヌイストをにらんだ。
「どこへ行っていたんですか!今は猫の手も借りたいくらい忙しい時期なのに……」
真実を語りつくしたあの日から一向に姿を見せなかったヌイストに憤慨し、目もまわる様な忙しさのなかで、ヌイストがいれば楽だろうなとぼやいたアルの言葉を聞いていたスーは眼力を込める。
そんな少女に一瞬きょとんとしてから、ヌイストはくすくすと声をたてた。
「すみません、やはりあなたは懐かしい」
「え?」
「いえ、こちらの話デス」
お構いなく、とつづけた青年にスーはなにも言えなくなったが、そういえば以前も『なつかしい』と言われた気がする。
「そうデスね~。なら、ワタシもしばしこちらで手伝いましょう。落ち着いたら、また旅に出ますが」
「旅、ですか?」
「ハイ。唄物語を少々」
頭を捻るスーに、ヌイストは笑顔のまま言葉をつづけた。
「魔法使いや獣人など、歴史には残らないお伽話のような出来事の数々は、いつしかヒトの記憶から忘れ去られてゆくのでショウ」
それならば、と彼は笑う。
「ワタシは謡い、語り継いでいきましょう。あなたたちのお伽話を……」
酒の肴の歌物語として、こどもに聴かせる童話として、ひそやかに語り継がれるべきおとぎ話として。
その、花名の物語を。
ヌイストの言葉に、スーはにっこりとほほえんだ。
* * *
「わかってマスよ」
ひとりになったバルコニーで月をながめながら、ヌイストはぽつりとつぶやく。
「見届けましょう……女神の名残を、最後まで」
ぼんやりと浮かんだ満月は、夜の闇にどこまでも冴えた光を広げ、若者の灰色の髪を銀に輝かせていた。
◎あとがき
比喩としまして、月→アル、女神→ナイリスです。
第三部その2はまたの名をヌイストの章と題し、彼の心情をサブメインにしておりました。
第三部その1から2にかけて全体的にちょいちょい入れたのですが、第三部その2自体がものすごく長くなってしまったし、結果的に心情もとびとびだったのでわかりにくかったらすみません……
伏線とかいろいろ入れていたのですが、無事回収できた……でしょうか?
第三部を中心にヌイストのストーリーやらを織り交ぜて、親世代のお話も読みたいとおっしゃってくださる方もいたのでうれしかったです^^
スーについての「懐かしい」発言とかはまた別のお話(笑
気づいてくれた方がいれば拍手ものです、ハイ。
いろいろ推敲とか甘くて文章ぐだぐだですみません。
とりあえず勢いで書かないと更新がストップしちゃう人間なので、生暖かい目で見守ってくだされば幸いです(ぇ
第三部その3はそれほど長くはありません(今度こそ!)
もうすぐ終わりだな~と思うと、わたし自身ちょっと寂しいですが、読者様には最後までおつきあいいただけるよう頑張ります。
では、ひとまずここまでお読みくださりありがとうございました。




