第十二章 烙印とロケット
今回はちょっとだけ虐待的な内容かもしれません。
読んでいて、嫌な雰囲気だな、と思った方はお気をつけ下さいm(__)m
なお、直接痛めな虐待描写はしていないつもりです。
個人的にはオブラートに包んでいると自負しておりますが……(笑
アル王子(または物語)にとっては結構大切な話なので、苦手でない方には読んでもらいたいです……
それでは、どうぞ。
第十二章 烙印とロケット
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アル王子はため息をついた。
舞踏会のあいま、ちょっと休憩に出てきたのだ。とてもではないが、香水の強い女たちに囲まれて過ごすのを我慢することは、できそうになかった。
いったんだれもいない部屋に入り、明かりを消して息をつく。小さく開け放たれた窓からは、かすかに月光が腕を伸ばしていた。
(明るいのは、きらいだ)
そっとその黄色い光をにらみつけて、アルは襟元を緩める。
(けれど、暗闇はもっと――憎い)
上着を脱ぎ、白いシャツも脱ぎ捨て、上半身の肌をさらけだす。ひきしまった身体が、そっと闇のなかに浮かび上がった。首にかけている金色のロケット以外はなにも飾るものがないのに、彼はとてもうつくしく、妖艶だった。
しかし、彼のその背……右肩あたりに、なにか刻印のような――烙印があった。うつくしいはずの後ろ姿に突如現れた、王子とは似つかわしくない、醜い印だ。
(まだ残ってる……)
アルは指でそっとなぞり、目をつむった。
消えることなど、ない。一生残る。たとえこの烙印が消えたとしても、彼の負った心の傷は、消えることなどないのだ。
だれもが見とれるような白い肌に、その印は痣となって、王子を侮辱していた。まるで、アルは王子などではなく、奴隷だ、とでもいうように。
荒くなる息を静め、アルは深く息を吐く。目を閉じたまま、そっと暗闇に身を溶かす。
忘れるつもりなど、ない。アルは口の端だけで笑う。
(俺にはあいつがいる。あいつがいる限り、俺は復讐できる……)
アルは目をあけ、首にかけられていた金色のロケットに触れた。そこから広がる、独特の香り――甘いような、上品な、強い香りが、アルを満たす。
しばらく指先でそのロケットを遊ばせていたが、やがて再び目をとじる。
蘇るのは、遠く深く、濃い記憶――。
†+†+†+†+
暗い闇のなかでも、赤く赤く焼けた鉄は、真っ赤に自身を強調していた。まるで怒りに燃え上がる眼のように、それは熱さをともなってこちらをにらみつけていた。
「いやだ」
少年は、声にならぬようなか細い声でそう言った。うめきにすら聞こえるほど、苦しそうに、何度もその言葉をくりかえす。
「いやだいやだいやだ!やめて」
四角い掌ほどの熱くなった鉄には印が刻まれており、今にもそれは少年におされようとしていた。
「……や……」
少年の瞳に絶望と恐怖が宿る。果てしない恐怖が、少年を襲っていた。
一方、赤い鉄を持った男は、少年のどこにこの焼き印をつけてやろうかと考えていた。
刑罰でやるなら、額などが主流だろう。しかし、それでは人目についてしまう。見えてしまってはいけない。だれにも気づかれない、苦しみを与えなくては。
男は髭をたくわえた、高貴な身なりをしている。指にはいくつもの大きな宝石のはめこまれた指輪をつけ、剣の鞘やベルトにもダイヤが埋め込まれている。
眉は凛々しく、本来ならば威厳に満ちているはずの顔立ちだ。しかし、今はちがう。笑顔は歪み、目は狂喜に血走っていた。
「怖がることはない……当然の罰なのだから」
男は努めてやさしく、ゆっくりとそう言った。じわじわと詰め寄る距離が、楽しくて仕方がない。
「おまえが悪い。あの女め……儂のかわいいエレンディアを道ずれにしおって……」
変に歪んだ笑顔を崩し、男は一瞬憎しみに唸ったが、すぐにまたニタニタと口を横に広げた。
「罪は償わなければ。そうだろ、アルティニオス?」
そこは地下室。冷たい石畳の床に、壁も石作で、空気は常に冷えていた。あるのは木でできた老いぼれたテーブルに、これまた石でできた暖炉、それから拷問用の檻だ。
檻のなかには鎖や鞭があり、闇のなかでも黒く光って笑っている。
窓はない。閉めきった部屋のなかで、悲鳴は木霊するだけ。
「逃げられない……だれも助けにこない……怖いか?」
男はさらに少年に詰め寄ると、やさしく語りかけるように尋ねた。それすらも少年には恐怖でしかない。
「お願い、します……ど、どうか……」
「おお、許しを乞おうと言うのか、愚か者よ!」
少年の頼りない叫びに、男は目をカッと見開いて怒鳴った。
ひぃ、と悲鳴にならない泣き声をあげて、少年は壁際まで下がり、身を縮めて、その明るすぎる眼だけを男へ向けた。それが男をさらによろこばせるとも知らずに。
男は満足そうに喉を鳴らし、少年を上から下まで舐めるように見回す。
少年はまるで触手に絡めとられているような錯覚を抱き、吐気がするほど気持ち悪かった。
「その瞳……ああ、憎らしい」
男の冷たい灰色の目が細められる。少年は身震いした。
「本当にそっくりだ。忌々しい、あの女……儂の財産目当ての、しょうもない極悪女め!」
男は言うなり、少年の金に光るうつくしい髪をつかむと、荒々しく引きずった。
「いっ――やっ、やだッ!!!」
少年はバタバタと手足を必死に振って抵抗するが、それはむなしく空を切るばかり。ずるずると引きずられ、拷問用の黒鉄の檻に入れられる。
「やだ、許して!お願い!」
ついにぽろぽろと涙を流しながら懇願するが、男は一向にやめる気配もない。少年の細い手首に手錠をして鎖で繋ぎ、逃げられないようにする。
「助けて!だれかっ!お母さま!」
「黙れ!」
男は荒々しい声で唸り、少年の頬を殴る。
「ナイリスは死んだんだ。あの汚く醜い心をもった女は、儂の天使を殺したんだ……」
じゅっと音を立てて、鉄が暖炉の火で焼かれる。男はさらに笑みを深めてつづけた。
「かわいそうな我が息子……今おまえの仇をとってやろう。この悪魔の子供に……」
焼き印の鉄が、赤々と唸る。少年は目が離せなくなり、ただ大きく見開いてそれを見つめた。
「さあ、罰を受けるがいい。おまえには、奴隷の印が必要だ」
男は赤くなった焼き印の鉄を少年に近づける。
必死で暴れるが、手錠をかけられていたため、ガジャガジャと鎖がうるさく唸るだけだった。逃げられるはずがない。
「やだ、いやだ!許して……ゆ、許してよ――お父さま……」
背中を向かせられ、服をはぎとられていく。さらけだされた肌に、ひんやりとした冷気と鉄の熱気が伝わってきた。
――残酷に。
ただ死にたくなるほどの焼ける痛みだけが、少年を襲った。
†+†+†+†+
喉が痛くて、アルは目を覚ます。そこはいつもの自分の寝室だった。
まるで夢をみていたよう――しかし、それが現実だったということを彼は知っている。
アルは無造作にベットから這い出し、鏡の前に立って自身をながめた。
きらきらと自ら光を放つように輝くブロンドの髪に、それに覆われた透き通るような白い肌、そして明るいガラス玉のような青の瞳。
まだ十にも満たない歳の少年とも思えぬほど、その美貌は歴然としていた。
(死人みたいだ……)
少年はそっと鏡のなかの自分に触れて、まじまじとその疲れきったような顔を見つめた。
泣きはらしたせいでまぶたは腫れ、悲鳴をあげすぎたせいで喉はカラカラだった。
すっと白い肌が見え、アルは思いきって身体に巻きつけていた衣服をはぎとった。どこかで、昨夜のことが夢であったと思いたかったのかもしれない。
(――奴隷)
変に冷めた思いで、彼は後ろ姿を鏡に映してそう思った。
右の背には、奴隷のマークである、茨と剣の烙印が押されていたのだった。
白い肌には不似合いで、不気味なリアルさのある烙印。アルはしばらくそれを他人事のように見つめていた。
どれくらいそうしていたのだろう。しばらくして、扉をノックするのが聞こえた。
アルはあわてて衣服をきちんと着込み、あたかも今目を覚ましたばかりというように取り繕った。
「おはよう、アルー」
ひょっこりと扉から顔を出したのは、今起きたばかりを装ってベットに身を投げた少年に負けず劣らず端正な顔立ちをした、第一王子だった。
「あ、おはよう、ございます……」
ずき、と胸が痛んだ。それに戸惑いながらも、アルは腹違いの兄に顔を向ける。
「もうお昼だよ。いくら呼んでも目を覚まさないって、侍女たちが心配してた」
にっこりと柔く笑って、第一王子・フィリップはそう言った。
どれくらい深く眠っていたのだろうかと、アルは顔を赤らめながら思った。昨夜はどうやって部屋に戻ったのか記憶もない。たぶん、気を失ったのかもしれない。
「具合でも悪いのかい?明後日は吟遊詩人や歌姫が城に招かれるせっかくの楽しい日なんだから、病気になんてかかってられないよ」
明るい茶色の髪をはらいながら、彼はにっこりとまた笑う。扉を閉めて部屋に入ってくると、そのままアルの寝ているベットに腰かけた。
一瞬びくっと身体が縮まったが、アルはそのまま兄の顔を見上げた。
フィリップは首を傾け、アルをベットに寝かせると、安心させるように頭をなではじめる。ゆっくりと心地よく、アルは春風のなかにいるような、そんな気分で目をつむった。
フィリップ王子とは、それほど深く関わったことはなかった。というのも、アルの母親はフィリップの母親をよく思っておらず、当然息子であるアルは極力フィリップ王子と接する機会はもうけられなかった。
誕生日パーティか、お披露目の宴か、芸術鑑賞の日か……そんな特別な日でなければ、フィリップ王子と顔を合わせることも、めったになかった。もちろん、第一王子としての勤めのあるフィリップが忙しいせいもあったのだが。
しばらくそうやってやさしくなでられていると、アルは次第にぼんやりとしてきた。母親になでられているような錯覚をおこし、心地よい気分でうとうとしだす。
いつも目をつむれば、やさしく微笑を浮かべる母親のナイリスがいた。嫉妬に狂う激しい顔ではなく、あたたかな、けれどどこか寂しそうな顔だ。
(どうしてお母さまは、僕をきらいになったんだろう……どうしてお父さまは、お母さまをきらいになったんだろう……?)
ふとした瞬間に溢れ出す想いは、とめようがない。胸がぎゅっと締めつけられる感情に、アルはただ切なくなった。
(僕が悪いのかな……第六王子だからかな……兄さまみたいな、立派な第一王子だったら、お母さまもお父さまも、僕を愛してくれたのかな……)
ぼろり、と一粒の涙がアルの頬をつたった。しかし、彼自身はそれにすら気づいていないようで、浅い眠りにおちていた。
そんなまどろみの最中――声がした。
心地よい淡いあたたかな気配のなかに、静かに音もなく忍び寄る闇の手。それは異様な響きをもってアルの耳を、頭を支配した。
『おまえなんか、いなければいいのに』
――闇が……。
「……いろいろ苦しいだろうけれど……」
ハッと顔をあげる。夢から覚醒したように、アルは瞬時に現実の世界へ引き戻された。
見ると、フィリップ王子はまだアルの頭をなでてくれていた。アルが目をぱっちりあけると、彼は軽くほほえんで、そっと涙の雫を拭い去ってくれた。
「おまえは強い子だね……決して外では揺らがない。立派な王子だ」
フィリップは深く笑うと、その緑の瞳をアルへと強く向ける。アルは途端、なにも言えなくなってしまった。
(立派なわけ、ないのに)
ただ頭のなかで、ぐるぐると否定の言葉だけが渦巻く。
(僕なんかより、兄さまのほうがすごいんだ。揺らがないのは、兄さまのほうなのに)
「おまえはまだ幼い」
アルの考えを読み取ったかのように、フィリップはゆったりとそう言った。
アルはじっと兄の深い緑の瞳を見つめた。彼がなにを考え、感じているのか知りたかったのだ。
ともに母親を失ってしまった。その悲しみに、年齢は関係ないようにアルは思うのだ。きっと自分と同じくらいフィリップが母親を愛していたなら、自分と同じくらいの悲しみを抱いているにちがいない――だからこそ、彼の心を知りたかった。
「アルー、これをあげる」
フィリップは出し抜けにそんなことを言って、金の鎖で繋がれたロケットを取り出した。独特の香りがほのかに広がる。
「これは……?」
起き上がってそのロケットを受け取り、まじまじとながめる。きらりと手のなかで光るそれは、どんな宝ものよりもうつくしく見えた。
「アルーにあげたいんだ。もらってくれるかい?」
驚いてアルが見上げると、フィリップはいつもの、柔くやさしいほほえみを浮かべていた。
(兄さまからいただいた、はじめての贈り物だ……)
アルはゆっくりと顔を朗らかに崩し、そのロケットを大事そうに胸に押し当てた。
「ありがとう、兄さま」
†+†+†+†+
(――ばかみたいだ)
アルは金のロケットを再度ぎゅっと握りしめた。
(俺は忘れないよ……アンタのこと、一生)
ぱちっと目をあけ、そのままシャツや上着を着る。再び正装し、鏡のまえに立った。
明るすぎる青の眼が、暗闇のなかで異様な輝きを帯てこちらを見返していた。
部屋の外、広間ではきらびやかで賑やかなパーティが催されているというのに、この部屋は暗く、静かだ。まるで別世界の空間にいるような気がしてきて、アルは軽く薄ら笑った。
(もし生きていたら、アンタはどんな顔をする?)
踵をかえし、颯爽と扉へと向かう。
(アンタの大切な人間を、俺が憎しみにまかせて壊すんだ……)
ドアノブにかけた手を一瞬とめ、アルはくすりと声をたてて笑った。
静かだった部屋に、舞踏会の音楽が聴こえてきた。
(――幸せ、だろう?)
ぐいっと強い力で扉をあける。止まっていた時間が動き出すように、世界はがらりと変わる。
コツコツと足音を響かせ、飾りたくった人々の待つ広間へと足を運ぶ。顔には緩やかな笑顔の仮面をはりつけて、素敵な王子を演出してやる。
邪魔にするものなど、もはやなかった。
(俺は死なない。絶対に、王位を継ぐ)
冷めた気分で笑い、アル王子は黒い感情に包まれながら、人々のなかへと溶け込んでいった。
今回登場したフィリップ王子の詳細物語は、サイレント・プレアへ★笑
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