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王国の花名  作者: 詠城カンナ
第三部 『花畑編』 【Ⅱ albus war-白い罪と戦争-】
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第百十九章 裸足の王様


第百十九章 裸足の王様



†▼▽▼▽▼▽†



 芳しくはない戦況に焦る心をひた隠し、アルは仏頂面のまま手のなかの剣を弄んでいた。一見戦場になど興味なく、勝っても負けてもどうでもいい、とさえ思える態度であった。

 クリスから報告が入ったのはつい先日のことだ。捕えていたオーウェンが逃げたらしい。まちがいなくベルバーニの力を借りたのだろうが、おそらく手引きをしたのはカスパルニアの地形を知るラーモンドであろう。オーウェンは捨て駒にされると予想していただけに、警戒も甘かった。

 文面からでも読み取れる、「ゴキブリ並のしぶとさですね」というクリスの冷笑がありありとうかがえた。


(ランスロットを戻すべきか)

 脚を組みかえ、アルは青色の瞳を瞼の裏に隠す。

(それとも、このままメディルサを抑える枷にするか)

 無言のまま行進し攻めてくるベルバーニは、もはや人形の兵隊のようだった。それが空恐ろしく、兵力は劣っていないのに士気はあがらない。

 起爆剤のようななにか、たとえば騎士らから絶対的な信頼を得ているランスロットや、こないはずの援軍があれば話はちがってくるかもしれない。孤立無援のような状態だからこそ、兵士たちはぶれるのだ。

(兄上なら……)

 フィリップ王子なれば、彼こそが起爆剤。みな彼の人を信頼し、護らんと戦うだろう。

 自分のように容姿ばかりが目につき、暗闇を好み、王子の仮面をつけているお飾りだった王子など、得体の知れない男と同じなのだ。


『だから勝って証明してみせてください』


 頭のなかで、耳の奥で、彼の声がこだまする。

 何度も何度も、アルを蝕む見えない枷のように響いている声。囚われの言葉。


『もしもあなたの母君が――ナイリスさまが、幸せだったというなれば』


 悲痛に歪んで見えたのは、自分の顔か、彼の心か。

 そのときの光景は、よく思い出せていない。


(母さまが幸せ……?)

 うつくしき姫としてひとりカスパルニアへ嫁いできた母・ナイリス。ソティリオとの間にこどもを身籠ったが、所詮国の同盟道具でしかなかったのか。母の最期の願いを叶えることさえできない、そんな無能なこどもを産んで終わる女だったのか。

 ぐ、とアルは拳を握りしめる。

(勝てば、勝って王になれば母さまが幸せだと……?)

 そんなふうに思うのは、自分の願望故だと知っている。死人に口なし。痛いくらいわかっている。

 ただ、慰めにすぎない。母へのではない、己への。

(こんな息子を、母さまは認めてくださるだろうか)

 母の最期は悲しかった。悔しかった。

 フィリップの母・エレンディアは悲劇のヒロインとして扱われたのに、ナイリスは嫉妬に狂った小悪な女だとひそかに囁かれる。


(なにを望んだのだ、僕に……)

 手にしていた剣を力の限り土へ突き刺し、アルは奥歯を噛みしめた。

(そして俺は、なにを望んでいるんだ)


 赤毛の少女が、そっと脳裏にちらついた。







†+†+†+†+


 空は王子の機嫌を反映させるがごとく曇天で、ぽつぽつと小降りになった雨模様。先ほどまでのバケツをひっくり返したような土砂降りのおかげで、水軍は一時撤退し、海上の戦いはお預けとなったわけである。

 そんな折、ロイは雄叫びをあげる同僚の口を塞ぐのに四苦八苦した。足を固め、ロープで縛り上げ、食べ物をあるだけ口へ詰め込ませ、ようやっと静かになる。

 切れた息を整え、ロイは細い糸目をグレイクへと向けた。

「落ち着きましたか」

 返事はない。いや、声が出せないので、グレイクは無様にもこくこくと首を縦に振る。そのたびに「ふがふが」と言葉にならない間抜けな声を出していたが、どうやらすこしは落ち着いたらしいと察知したロイは、最後に長いため息をついてから彼を解放してやる。

「……で、本当なのですか」

「ああ!つい先程、伝令がな」

 落ち着け、と言ったものの、ロイ自身気持ちが高ぶっている。本当ならば跳びはね両手モロテをあげて大喜びしたいくらいだ。


「早馬がきた――ランスロットの馬だ」


 ロイへ『戻ってこい』と知らせがきたのは、港にて敵を迎え討ち、ひとまず落ち着いていた最中だった。何事かと急いで戻ってみれば、王子のもとへ行っていたはずのグレイクが両手を挙げて満面の笑みで駆け寄ってきたのである。

 グレイクによれば、黒い毛並みのよい馬が一頭どこからともなくやってきたらしい。一目でランスロットのものと気づいた彼は、あわてて駆け寄り様子をうかがった。すると、手綱の部分に紐がくくりつけられており、そこに小さな字で文字が書かれていたのだとか。

『夕刻、西の森で』

 それだけだが、ランスロットと付き合いの長いグレイクにはぴんときた。これが落ち合う連絡手段だということも、待ち合わせの西の森の場所も。

 ランスロットの馬を休ませ、さっそくロイへ報告にきたというわけである。

「ついに!」

 細い目を精一杯見開いてロイは感極まった。

「さっそく俺は指定場所に向かう。この場は任せていいか」

「もちろんですよ」

 間髪入れずにロイは承諾し、舌なめずりしそうなほど上機嫌でさっさと戦場へ戻っていった。彼はその手腕を惜しみなく発揮してくれることだろう。

 一方、こちらもスキップしそうな勢いで陣をあとにしたグレイクは、体力の残っている馬を適当に選び跨がった。ランスロットの元へ一直線に向かうつもりである。

 油断を許さない戦況であるものの、ランスロットと落ち合えばこっちのものだ、という思いがあったので、構うことなく西の森へと馬を進めた。




 かくして、グレイクは雄叫びをあげかけた。

「ランスッ!」

 懐かしの旧友にばったり会ったときのように、顔をほころばせてグレイクは吠える。そして馬から飛び降り、がしりと抱擁を交わす。

 黒髪の騎士は相変わらず涼やかな顔でグレイクを見やり、わずかに笑みを浮かべた。

「久しぶりに顔を見た気がする」

「ああ、本当に久しぶりさ!てめぇ、遅ぇんだよ!」

 グレイクの砕けた激励に、ランスロットは苦笑まじりに肩をすくめた。

「そう言われても、俺もいろいろあったんだ。なにより、アルの命令がなくて動けなかったし……」

「ん?それなのに今この場にいるということは、王子はおまえをカスパルニアへ戻したってことだろ」

「いや」

 ランスロットの応答は歯切れが悪い。おや、とグレイクが顔をしかめると、とうとう大きな咳払いのあとに告げた。

「無視して、帰ってきてしまった」

「なんだって?」

「だから、勝手に、戻ってきてしまった」

「おまえ――」

 困ったようなランスロットの顔を久々に目の当たりにしたグレイクは、ここぞとばかりに腹が捩れるほど大笑いした。ばしばしと肩をたたかれ、黒髪の騎士はむすりと無表情に戻る。

「だが、仕事はした。メディルサでできることはもうない」

 ひーひーと目に涙をためて笑っていたグレイクであるが、どういうことかと尋ねる。

「ウルフォン王子を自由にしてきた。あとはあちらがなんとかしてくれることを願うしかない。メディルサ王は攻め込む直前だったから、俺はひとりアルに伝えようと思ってだな……」

 けれどどの陣にアルがいるのかわからなかったので、とりあえず馬を飛ばしたという。ランスロットの賢い愛馬ならば、味方で話の通る人間を選び出しきっと伝言を伝えてくれるだろうと踏んでのことだ。

「紅蓮と濃紺の軍服を着た二組がいただろう?王子は濃紺色を率いてる。本拠地からほどよい距離にいるさ。俺たちとしてはもっと離れてほしかったんだけれどな」

「つまり、三番地区か」

 ランスロットの頭のなかで、軍事地図がめまぐるしく動き出す。

「ランスロット、おまえはすぐに王子の元へ向かえ」

「ああ。本当はもっとゆっくりしていたかったんだが――」

 つ、と鳶色の瞳が草陰を見やった。かすかに金属音と複数の足音がする。

「まずい、感づかれたか!」

 グレイクも気づき、チッと舌打ちをする。まさか森にまで敵兵がもぐりこんでいるとは。

「いや、まだこちらに気づいてはいない」

「ひとまず逃げよう。ランスロットは馬を走らせろ」

 まだ距離はあるが、馬を走らせればこちらに気づかれてしまう可能性がある。

 グレイクはさっさと乗れと焦れる騎士を急かした。

「アンタはどうするんだ」

「俺は足がはやいからな、敵さんを撒いてやるんだ。あとで落ち合おう」

 ニヤリと笑って傭兵あがりの男は闇夜へと駆けていく。と、間際に振り返り、さらに笑みを深めた。

「アルさまのご命令だ。紅蓮の部隊の長はな、おまえだ、ランスロット隊長!」

 ランスロットは彼の姿が完全に見えなくなったのを確認すると、表情を改め、手綱を引いた。

「生き残れよ」

 つぶやき、グレイクとは反対方向へと駆け出す。アルのもとへ遠回りになろうが、こちらは馬だ。グレイクが逃げ切る間時間をかせぐ囮くらいにはなれる。グレイク本人は自分が囮になるつもりだったろうが。

 掛け声とともに馬を駆り、いななきが空気を切り裂き、空まで昇る。

 ただ、ただ、曇天が太陽を覆い隠し、すべてを沈黙してながめていた。







†+†+†+†+


(スー?)

 その日は久々に静かな夢をみた。いや、静かすぎる夢だ。

(どこへ行く)

 暗闇のなかに浮かんだ彼女。後ろ姿なのにはっきりとわかった。

 赤毛の少女はアルに目を向けることなく、どんどん遠くへ行ってしまう。

(待て!)

 必死で腕を伸ばすのに届かない。歯がゆさがアルを襲う。

 と、自分が声を出していないことにはたと気づき、急いでアルは声の限り叫んだ。


「ステラティーナ!」


 どこへ行くんだ。ひとりで、そんな遠くまで。

 おまえも、俺を置いて行ってしまうのか。


 ばっ、と彼女が勢いよく振り返った。深いエメラルドを思わせる緑の瞳が、小さく揺らめきこちらを見た。

 そのことに安堵し、アルは手を差し伸べる。

「戻ってこい」

 おまえは、ずっと俺のそばにいればいい――だが、少女は頭を振った。

「なぜ」

 鈍器で頭を横殴りにされたような衝撃が走る。なぜ拒絶されるのか。

(裏切るのか)

 また、痛みにむせび泣くのはいやだ。こんな痛みを知るくらいなら、いっそ憎めばよかった。最後まで。

 アルはスーを見つめる。と、彼女の頬に一筋の涙がこぼれていることに気づき、動転する。

 どうしたんだ、こっちへこい、と再び腕を伸ばすが、彼女は激しく頭を振ったまま泣くのだ。ぱくぱくと口をあけては、声にならぬ声でなにかを叫び訴えている。

(なぜ)

 アルはもどかしさに眉間に力を込めた。

(なぜ俺は、あいつの言葉がわからない)

 あんなに必死に訴えているのに、聞いてやれない自分が憎らしい。


「スー」


 ふいに、足元に剣が落ちていた。血のこびりついた、剣。

 おもむろにそれを手にする。と、身体が勝手に動いた。

 青眼に構え、切っ先を『彼女』へ向ける。

(――なにを――)

 いつの間にか目の前にいた少女。


 赤が、散った。







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