第百十四章 つどいし戦士
第百十四章 つどいし戦士
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カスパルニア王国第六王子・アルティニオスに至急参上するよう呼ばれ、隊長であるグレイクとロイはどぎまぎしながら歩を進めた。
近頃とんと姿を見せなかったアル王子であるが、如何せん放浪癖があることを知っているふたりは、おそらくまた勝手に城を抜け出していたのだろうと憶測していた。その王子から久しぶりにお呼ばれしたのだ。自然に肩に力も入るというものだ。
王子の執務室は殺風景で、必要最低限のものしか置かれていない。しかしグレイクとロイが驚いたことに、部屋は明るかった。常に薄暗い部屋を好んでいた王子にはあるまじき変化である。
それでも表面上は冷静に、ふたりは頭を垂れて主の言葉を待っていた。
「面をあげよ」
淡々と、アルは告げる。
「グレイク・シファンおよびロイ・ユスウェリ、おまえたちに軍を率いることを命ずる」
ぴりりと空気は緊迫に張り詰め、息を呑む騎士ふたりは手に汗握り、王子の言葉を頭に巡らせる。
やがてそれが対ベルバーニへの戦の準備であると、その幹部へと選ばれたのだと理解したとき、ふいに武者震いがふたりを襲った。
長きに渡り戦に明け暮れ他国から暴君といわれはしたが、国を豊かに領土を広げてきた先王ソティリオ。その息子が今、同じ道を歩もうとしているのか。
ふたりの騎士が見上げた先に、冷たく、けれど熱い青の瞳があった。
「承ります」
「御意に」
グレイクとロイは衝動的に膝をついて拝命した。せずにはいられなかった。
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「つまり、オーウェンは隠れ反アル王子組織の一員であったと、そういうわけですな?」
重々しく尋ねたイライジャに、アルはひとつ頷く。しばらくむぅ、と唸ったあとで、クリスへと視線を向けた。
「アーサー殿は?」
「はっ。ただいま登城を命じているしだいでございます」
改まった側近の受け答えに、老翁は穏やかに笑む。
「そう畏まらずともよい。わしはすでに引退の身じゃて。して、アル殿下」
抜け目のないまなざしが、すっと鋭さを帯びてアルを見すえた。それに応えるように、アルも見つめ返し口をひらく。
「察しのとおり、アーサーには貴殿と同様に再び幹部職を命じようと思う。『隠退』したいのは山々であろうが、我慢してほしい。今は猫の手も借りたい時期なのだ」
ついでにニヤリと口元をあげて見せれば、イライジャはあきれたあとで、わざとらしくため息をついた。
「老体にはちと、きついものがありますなぁ」
「やってくれるか?」
問いに、かつての大賢者はにこやかに頷いた。
「王命とあらば、身体に鞭打ち、働きましょうぞ」
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ひとり、宵闇のなかに佇む。アルは忙しなく動いた今日一日のことを繰り返し思い出していた。
アルはすぐに行動を開始した。
まずはグレイクとロイを正式な軍のトップに置き、権限を与える。ランスロットが戻ってきた暁には彼をすべての騎士の頂に置いて軍を任せるつもりだが、統括するには幹部の手もいるだろうと決めたことだ。
次に書状をふたりの人物へ送り、城へ戻るよう呼び寄せた。ランスロットの父・アーサーとイライジャである。
今回の戦は、被害の免れ得ぬものとなるだろう。なれば最小限にとどめるためにも、国の『最高』を集めねばならないのだ。そして戦が終わった暁には、正式に人材を育成していかねばならないと、改めてアルは考える。
使える手駒は多いほど、そして優秀なほどよいのであるから。
やがて急遽大臣たちを収集し、会議を開いた。
こぞって大臣たちはオーウェンのいないことに疑問と不満をもっており、しかし真っ向からそれをアルへ問う根性もなく、会議室は息のつまる空気に満たされていた。
しばらくして怖ず怖ずとこれからの対策を口にしたルファーネ大臣でさえ、ちらちらと王子の顔色をうかがい、思うように話し合いは展開せず、進まなかった。
会議も時間ばかりがかかり、中盤にさしかかったところで、部屋の扉をノックする音が響いた。議会の皆が一様に黙り込み、扉のほうへ戸惑いのまなざしを向ける。
と、アルがおもむろに立ち上がった。
現れたのは、『氷の騎士護衛部隊三人衆』であったうちのふたりだ。ひとりは『誘惑の声をもつ詐欺師』と呼ばれる第六王子の騎士団団長・グレイク。もうひとりは、その『野獣を鎮める優男』と呼ばれる第六王子騎士団副団長兼第一部隊長・ロイ。
今やカスパルニアの軍の主だった騎士団を率いる、その頂点に限りなく近い位置にいるふたりが突然現れたことに、大臣たちは戸惑いを隠せない。
先王の時代は文官も武官も勤め上げた強者――賢者と謳われ王室付き魔道師とまで言わしめたイライジャがいたし、なにより護衛官としても、騎士をまとめあげるアーサーとも旧知の仲であったため、それほど派閥もなかった。そのままふたりは第一王子・フィリップに召され、城で尽力するはずであったのだが……。
ともかく、ルドルフの前例もあることから、現在はあまり良好とはいえない文官と武官の関係である。オーウェンの失脚と重ねるように、グレイクとロイを軍事に携わる権限を強める位置に任命したことを告げれば、たちまち大臣たちの顔色は変わり、目をむく者まで現れた。
だが、ここで引き下がるわけにはいかない。アルはそのまま、淡々とつづける。
「それからもうふたり、登城させる」
何事だ、いったいだれだと耳をそばだてる古狸よろしく大臣たちに、王子はにっこりとほほえんだ。
「アーサー・イナーグ・トゥラスおよびイライジャ・シヴ・オズウェルを」
その名を聞いた瞬間、場は割れんばかりのどよめきと熱気に満たされた。彼らは、騎士たちばかりか、大臣たちにとっても影響の大きい人材であるのだから。
どこからともなく、「あの方が!」や「左右の翼竜!」と声があがる。
ルドルフに手を組まされていたアーサーはいざしらず、イライジャは大臣たちにもあこがれの的、人気のようだ。城を退いたとはいえ、その人脈は計り知れない。
アルはひそかに、各々の反応に満足げに笑んだ。
その後、ひとり自室へ戻り、小休憩をとっているわけである。
そばに控えていたクリスを下がらせ、ふ、と息をつく。めまぐるしい。忙しい。だが、なにもかもこれからだ。さらに馬車馬のごとく働かなければ。
しかし同時に、楽しい、とさえ思える。
目的がある。母のため、証明してやろう――暗く歪んだ気持ちでそう思う反面、あいつのため、穏やかな国を治めようという、琴線に柔らかに触れるものもある。
(いや、『あいつのため』なんかじゃない……)
窓辺に近づき、そっと見上げる。薄く雲のかかった月が、色濃く輝いて顔をのぞかせていた。
(『あいつのため』にしたいという、『俺のため』だ)
よろこびが、湧き上がる。
あの瞳に自分を映す。なんて甘美で、心地よい思いだろう。
アルはひっそりと笑みを深めた――ここ数年見せていないような、笑み……まるでフィリップ兄王子のような、柔らかな笑みで。
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それから数日後、アルは執務室でイライジャから報告を受けていた。
「小手先の罠で通じる相手ではあるまい」
厳かな雰囲気に包まれたまま、老師はつづける。
「一方、引くに引けないラーモンドは躍起になっているかもしれまい。幸運なことに、我が国の大臣陣は なんとも愚鈍。オーウェンがもらした事実を突き付けたところ、家来らは捨て置きあわてて姿を消しましたよ」
書類に目を通しつつ、アルはため息をついた。
「それでみすみす逃がしたのか、うちの兵士は……」
「どうやら買収されていたようですな」
その言葉に、アルは低く唸る。
腐り切るまえに一掃しなければ、国はこちらの首もろとも熟れた果実のごとく落ちてしまう。根は深い。どうにかしなければ。
いつから、闇は深く根付いたのか。いや、昔から蔓延っていたのだ。ただ、それを抑える枷が弱くなってきたのだ。
(それが俺の器か)
父のような絶対的恐怖支配も、兄のような様々な人々からの絶対的な支持もない、中途半端な自分を改めて自覚し、アルは再度深いため息をこぼしたのだった。
「アーサーたちのほうは?」
「グレイクらとともに警護や国境の守備について対策を練っているようです。騎士らは今のところ統率がとれております」
控えていたクリスがよどみなく答える。ランスロットの抜けていた穴をアーサーたちで補い、なんとか軍はまとまりそうである。
「武器は充分か?」
「先代のものがまだございます。それに……ルドルフの私腹を肥やした金が見つかりまして、それをあてがっております」
「なるほど。で、各国の動きはどうだ」
アルの指示に従い、クリスはさっと地図を広げ、イライジャにも見えるよう配置した。
「南はメディルサですが、今のところ動きはつかめていません。沈黙を守っております。……それより南下した西のシラヴィンド国にも大きな動きはありませんが、兵をひそかに集めている模様です。ベルバーニですが、周辺諸国と結託し、大掛かりな大軍を収集しているようです」
しばしじっとそれらを聞き、やがて地図上に決戦となるだろう場をいくつか想定する。土地勘からすれば、向こうは海軍で攻めてくるかもしれない。そのとき援軍は間に合うのか、はたして本当にくるのか……。
軽く頭を振り、思考を雲散させる。こなければこないで、手を打たなければ。
「追っ手を手配し、ラーモンドの居場所を突き止めろ。それぞれ爵位をもつ者らも収集し、対策を練る。グレイクたちは引きつづき軍事にあたらせよ」
「御意に」
すっとお辞儀し、さっそくクリスは行動を開始すべく部屋をあとにした。その後ろ姿を、イライジャはニヤニヤと見やる。
「ほぅ、あいつがおまえさまの側近かな?」
「表面上は元、な。いずれ戻すつもりだが……」
「ふむ。外野が煩いのであろうが、仕方あるまいよ。殿下は人を切って捨てるのがお得意じゃろうからのぅ」
ふぉっふぉっと独特の笑い方をし、きらりと目を光らせ、イライジャはアルを見た。一見森に住まう妖精のような邪気のない表情なのに、目を合わせればぴりりと肩に力が入る。
「我が愚息も大いに使ってくだされ」
愚息がユリウスを指していることを、アルはすぐに悟る。
すこしバツの悪そうに眉間にしわを寄せたが、ややあってため息まじりに頷いた。もとより、そのつもりであったから。
「もちろんだ」
どうやら自分の過去は簡単には清算させてくれないらしい――無表情を努めたが、なんでも見抜いてしまうような目の前の恐ろしい好々爺には無駄なあがきであろうと、再度ため息をつきたくなりながらアルは思うのだった。




