第百六章 投獄
第百六章 投獄
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「まずはアルちゃんを見つからないようにしなくっちゃ」
声高に、それこそ少女のごとき笑みを浮かべてそう言ったのは、正真正銘ウルフォンの母親・ハンナである。とても二十歳を越えているようには見えない。
そしてかわいらしい笑顔とは裏腹に、彼女は悪巧みを楽しんでいた。
どうしましょうか、と目をぱちぱちさせて尋ねてきた彼女であるが、なにやら考えは決まっているらしい。
「そうね、やっぱりここは変装しかないわね。どうかしら、わたくしのドレスを着て女装を――」
「お断りいたします」
皆まで言わせず、アルはきっぱりと言い切った。この女性にあいまいに、オブラートに包んで断るなどまどろっこしいことは不要であると瞬時に判断する。
我を保っていなくては、いつ何時いいようにされるかわかったものではない。彼女はすべて善意とわずかばかりの好奇心で発言し行動するのだから、なおさらたちが悪いというものである。
ごほん、とひとつ咳払いをしてから、アルは改めて口火を切った。
「先に改めて確認したいのだが……そちらに戦争の意志はないと?」
「ありません」
じっと反応を逃すまいと見つめるアルの視線にも真っ向から応じてウルフォンは答える。
「父はともかく、僕には……それより、アル王子はいかがなのですか」
気まずげに問われたが、アルもバツが悪そうに顔をしかめる。
以前、最後にウルフォンと見えたときは、状況が芳しくなかった。聞けばウルフォンも「王位を継ぐのはおまえだ、兄を道具と見よ」だとか「できぬならレオンハルトを捨て駒にするだけだ」だとか、父・ユーグから様々なことを一度に言われたらしく、混乱していたのだろう。
同時に、アル自身もあの油断ならない魔術師から『条件』を突き付けられ揺さぶられており、気が立っていたのも事実。端から見れば一触即発、宣戦布告と取られても仕方がなかったかもしれない。
「俺自身は」
そこで言葉を切り、アルはあえて辛辣とも取れる言い方をした。
「カスパルニアは、逃げも隠れもしない――屈するつもりは、ない」
いくらウルフォンが争うつもりがなかろうが、最終的に国の行方を決するのは頂点に君臨する王である。だから争うつもりはない、とは言わなかった。
ウルフォンもわかっているのだろう、顔をしかめ黙り込む。自身の意見を通すには父を説得するか、あるいは排除し自ら王位を手にしなければならないのだから。
「……だが、すくなくとも被害は最小限に留めたい」
「そ、それはもちろんっ!」
とりあえず全面的に信頼はできないかもしれないが、信用はできる。アルは客観的にそう決断し、話題を変えて気になっていたいたことを問うた。
「ところで貴公はレオンハルト殿と連絡がつかないといっていたが……」
待ってましたとばかりにウルフォンはさっそく熱弁しはじめる。
「そうなんだ!きっと父上が邪魔しているんです!」
「なにを根拠に、とお疑いになられるやもしれませんが、こう見えて息子はレオちゃんとの連絡手段に抜かりはありませんわ。邪魔だてできるのも、夫くらいかと……」
「つまり、妨害は確実である、ということか……」
ウルフォンの母・ハンナの口添えには確信の色がうかがえ、アルも頷く。
普段は気弱で一見愚鈍に見えるウルフォンであるが、メディルサの王子というだけのことはあるのだろう。否、もしかすればただ単に、兄との連絡手段を確保することに全力で身を削り力を注いでいるだけなのかもしれない――兄を慕う、それゆえに。
(……まあ、いい……)
若干遠い目をしながら、アルは高い確率であたっているだろう事実に気づかなかったふりをする。いわば、臭いものには蓋をする、である。
「僕も兄の動向、行方、意向には常々気をつけていますからね。漏れはないと自負しております」
さらに苦虫を噛み潰したような――予想はあたっていたのだ――表情のアルに気づかないウルフォンは、はっきりと声高につづけた。
「どういうことかレオンを兄上へ飛ばそうとすると撹乱されるようで。きっとなにかツテがあるのでしょう」
ぎっと音がするのではと思われるほど眉間にシワを寄せ、「あんの狸親父!」と彼に似合わず忌ま忌ましげにつぶやいたウルフォン。その横でしきりに頷いては、「証拠をつかんだ暁にはたっぷり懲らしめてやりましょう」とにこやかに毒を吐く母。似た者親子である。
「それで、結局のところはなにが目的なんだい」
気持ちを切り替え、ウルフォンが「ドンと僕に任せて」とばかりに胸を張って尋ねてきた。
「考えがあってメディルサへ入国してきたのでしょう?まさか父上を説得するおつもりで……?」
そのまま恐る恐るつづける。彼の母も同様に興味津々でアルを見つめた。
しかし、当の本人は答えに窮するというのが本音だ。
本当に、自分はなにがしたかったのだろう。
母の兄を見てみたいという気持ちもたしかにあったし、本気で戦を仕掛けてくるつもりなのかたしかめたかったということもある。カスパルニアと手を組むのではなく、叩き潰そうとするその理由も知りたかった。
だが、わざわざ我が身の危険を冒してまで、今この時期にするべき行動でもなかったはずだ。国の統率者、国王という立場からすればありえないことで、現在は王子という呼称でありながら実質王と大差ない存在になりつつあるアルがとるべき行動ではなかった。
それでも自分は、この国にきたのだ。
(自棄を起こしたのかもしれないな)
ただ城のなかで燻っているのに飽き飽きしたのだ。自分の目で見てたしかめたかったのだ。
王になる前に。
沈黙したアルを、メディルサの母子は心配そうに見守っていたが、やがてウルフォンはきょとんとし、まるで歪なパズルのピースをなんとか組み込めないかと首を捻っていた。ややあってひらめいたのだろう。ぱぁっと顔を輝かせ、勢いよく口を切った。
「わかった!スーが原因なのでしょう!」
「はっ?」
あまりの突拍子のなさに、アルは思わずぽかんとほうけてしまった。
「なるほど、あなたは彼女がいなくとも不安定になるのですね!」
意味がわからない――はずだった。しかし、アルはなぜかぎくりと身を強張らせる。
自覚はあったのかもしれない。でも、気づきたくなかったのだろう。
あの赤毛の少女を手放したのは自分なのに、惜しいと思うのだ。いや、いつかまた手元に戻したいと願う自分すらいるのだ。
気づきたくはなかったのに、すでに理解していた、自分の心――彼女の緑の瞳に兄・フィリップの影を見なくなってから、自分が彼女を彼女として認識してから、その瞳に己を映したいと思った。
抱いてはならぬ欲望だ。彼女の緑を、自分だけにしたいと願った。そう、望んだ。
いつから、だろう。
フィリップと重ねながら、スー自身を見ていたのは。
独占したいと、希ったのは。
まるで妄執のように囚われる。
アルはしばし、自己嫌悪、苛立ち、絶望感、それから不思議な高揚感の渦にさいなまれた。
ややあってなんとか自分を取り戻し、口をひらきかけた、そのとき。
「おやおや皆さんおそろいで!」
愉快な声が響く。されどそれは同時にぞっとするような声だった。
ドクターであったり、魔術師であったり、奇妙な道化師のような男――ヌイストである。
「ご機嫌いかがですかぁ。皆さん、おそろいで!」
ひょろりと背が高く、細身の青年である。灰色の髪を尾のようにゆるくひとつに束ね、モノクルをかけた魔術師。見た目はまだ若いように見えるが、実は数年前からその姿が年老いていないことをアルも聞き知っていた。加え、レオンハルト曰く、『骨格も顔かたちも声も、その時々でちがうことがある』らしい。
彼の登場にその場は騒然とした。
ウルフォンが母親をかばうように、アルを隠すように一歩前へ出る。
「父上に報告するのか?」
「そんなに牙を剥き出しにしなくとも、ワタシはなにも言いませんよお」
ケタケタと笑いながら、ヌイストはくいとモノクルをかけ直した。緊迫した場にふさわしくない陽気さである。
ふいに不安げに、ウルフォンは眉根を下げる。ヌイストが部屋の扉から一歩離れ、示した。
「だって――」
同時に、廊下から足音が響く。そのまま、部屋の扉はひらかれた。
ヌイストの口元が愉快そうに歪められたのを見たとき、アルは鳥肌の立つ思いで、改めて目の前の男の異様さを悟ったのだった。
「――ユーグ陛下はすでに、ご存知ですから」
メディルサの衛兵とともに部屋に現れたのは、つい先程対峙したばかりの、しかしもう二度と見たくなかった男・ユーグ王その人であった。
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抵抗するも空しく、大軍帝国と言わしめるだけの屈強な兵士に両脇を固められ、そのままアルはひとり、湿っぽい牢屋へと投げ込まれた。
牢は石壁と鉄格子に覆われているようだ。窓はなく、空気がすくなくて息苦しい。
わずかばかり、気持ち程度にあけられた穴は看守がのぞくためのもので、アルは石の箱につめられたような気分になった。
「しくじったか」
これからどうなるのか。体のいい人質となってしまった。
クリスの激怒した顔が頭に浮かぶ。いっそ自分を切り捨てて、それこそリオルネを王に仕立てればいいのかもしれない。
助けはないに等しいだろう。ランスロットとて、こんな所業を犯した王子には呆れ果てるにちがいない。
薄暗い牢屋は、過去の悪夢を彷彿とさせ、無意識に起こる震えに、アルは舌打ちする。
憎しみを忘れぬために、生きている、生きてゆくための意味を自身へ知らしめるためにあえて闇へ身を置いた。その暗い闇が今更恐いなど馬鹿げている。
目をつむり、深く深く長い息を吐き出す。
(闇はきらいだ。けれど光はもっと――)
闇は常に隣でアルを苦しめた。父に愛されなかった傷をさらに色濃くさせ、刻み付けた。されど同時に、深い深い傷痕により、自分は生きていて王になってやろうと思えた。
そうすれば、父王は悔しいがるだろう。そしてきっと、母はよろこぶ。今度こそ、『いらないこども』ではなくなるのだから。
だからあえて闇を選んだ。選んでいたのに。
(光はなんて、まぶしい)
明かりを受け入れてみようとする自分。それは傷口を癒す行為に似ていて、吐き気がするほど嫌悪し、目眩がするほど焦がれた。
光はたしかにあたたかい。けれど同時に、思い出したくない記憶まで甦らせる。
闇よりもっと残酷な記憶。今のアルを打ち砕く記憶。
――あたたかい、手。わずかばかりの笑みをのせた口元。低い、心地よい、父親の声――
じくり、じくり、と胸を痛みが侵食していく。とじた瞼の裏で、緑色の瞳がこちらを見つめていた。
(燃える光は、赤だ)
目をつむっても、瞼の奥からちらちら浮かんでは消えてくれぬ光。
アルはただひたすら耐えるように、膝を抱え時が過ぎ去るのをじっと待つのだった。




