第百四章 あやまちの兄弟
第百四章 あやまちの兄弟
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「どう思う」
ウルフォンは、父王に問われた。
「愛し合うふたりの間に、しかし望まれぬ禁忌として生まれてきたこどもと、望まれ義務的につくられたうつくしいこども――どちらが不幸である?」
皮肉的な笑みを見せる父王をじっと見つめていたが、彼はやがて淡々と答えた。その姿は、噂に聞く冷徹の狼にふさわしい。
「僕にはわかりかねますが、ひとつだけはっきりしていることがございます。一番不幸なのは、そんなくだらない問いかけしかくださらない男を父にもったこどもということです」
挑戦的なまなざしで、ウルフォンは言い切る。メディルサ国王はしばし、にらむように息子を王座から見下ろしていた。
ややあって、声をあげて哄笑する。
「おまえはわかっておらん。我は、きちんと息子を愛しておるぞ。おまえも、そしてレオンハルトも」
「ならば、なぜ――」
「しかし、世間体というものがある。国を背負う義務がある。そして、あ奴はそれに向かない」
かっとなって言いかえそうとしたウルフォンを遮り、国王はぴしゃりと言い放つ。
「レオンハルトにはチャンスをやった。何度も。そしてあ奴は何度も、そのチャンスを返上してきた。いらぬと申してきた。なれば、おまえが心を決めるときだ」
冷たいともとれる視線を受け、ウルフォンは奥歯を噛みしめる。本当は今すぐにでも逃げ出したい。心は悲鳴をあげている。
元来、弱虫な性質なのだ。威厳のある父親に立ち向かうことさえ、勇気のいることだった。
そして、これ以上の本音は、口にできる雰囲気ではなかった。
父は、わかっていないのだ――ウルフォンは王室を退出し、早足で歩いていく。
「ちがうんだ……兄上に遠慮なんて、してない……」
はじめは遠慮だったのかもしれない。大好きな兄が自分の前を歩き進んでくれることが望みであった。けれど、当のレオはそれを望んでいないのだと知ってから、いずれメディルサの王座は自分が腰を下ろさねばならないとわかっていた。口では「兄上が王さまになればいい」なんて叶わぬ理想を言いながら、心のなかではきちんと理解し弁えていた。
だが、今、ウルフォンの心をしめるのは、『今のメディルサの王になどなりたくない』ということだ。というよりも、父の望む方法で手に入れる王になどなりたくなかった。
「僕は、兄上の捨てた王座なんかいらない!」
今更になって、やはり言ってしまえばよかったと後悔し、思わずつぶやく。
兄はきっと、メディルサに見切りをつけるだろう。周りと手を組み広く強くなろうとするより、背後から襲いかかり自らの血肉を得ようとするようなやり方を選んだメディルサには。
だれがなんと言おうが、ウルフォンは和平こそ強靭な護りであり攻めだと思っていた。カスパルニアと親密になり、そしていずれシラヴィンドとも国交を行うことができれば、大きな国々が手を取りあえれば――そんな、夢物語だと揶揄されるような考えこそが、本来望まれるべき国の姿ではあるまいか、と思っているのだ。
今や、メディルサはベルバーニ側へとつき、カスパルニアへ刃を、無慈悲な牙を突きたてようとしている。
以前兵を率いて応援へかけつけたとき、父王は「カスパルニアへ恩義を売った」と言っていたがそれはちがう。なにより、アル王子には「兄上を助けてもらった恩義」があるのだ。もう二度とレオンハルトが目を覚ますことはないと絶望していたとき、彼はヌイストとなにやら交渉をして、兄の命を救ってくれたのだ。
カスパルニアと関係をもったとき、父王はいつにもまして押し黙っていたような気がする。もちろん、『アル王子』という存在は、父にとって複雑なのかもしれない。いや、きっとそうだ。愛した妹の容姿を引き継いだ、けれどその妹が嫁いだ男とのこどもなのだから……。
「僕がどうのこうの言える問題じゃないな……」
息を長く吐き出し、ウルフォンは足をとめる。過去に絡まれもがき苦しんでいるような、そんな錯覚を覚えた。
……と、ふいに城内がなにやら騒がしいことに、彼はようやっと気づく。
いつもはつつましやかで足音すら立てない使用人がばたばたと、可能な限りのはやさで廊下を疾走しているのだ。みな表情は驚愕と困惑に彩られ、見るからにあわてている雰囲気をかもし出している。
ウルフォンは眉間にしわを寄せると、たまたま目にとまった使用人を引きとめた。
「あ、あのっ……な、なにかあったのか」
開口いちばんは、声にならぬ声であったが、あとからなんとか威厳のこもった声を絞り出す。意識しなければ隠れない怯え癖であった。
けれど使用人はそんな王子に構うことなく、手をもみしだき応じた。
「ははぁ、それが……なんとも……その……」
目を泳がせ、言葉を探しているような仕草に、ウルフォンはさらに眉間を厳しくさせる。もともと冷たく固い印象を与える顔の彼がそんな表情をするのだ。目の前の人間はにらみつけられたようなもので、使用人はあわてて口走る。
「きゃ、客人が参りまして!ど、どうやらお忍びのようで――アルさま、だとかなんだとか……」
今は謁見の間にて国王と対面しております――そんな使用人の言葉を最後に、ウルフォンは駆け出していた。
なんというタイミングで、現れたことか!
先ほどまでなら、自分もその場にいたのに、わずかな時間差でアル王子と父王をふたりで対面させることになってしまった。
それよりも、どうしてアル王子がメディルサに現れたのか……。
尋常ではない出来事に、ウルフォンは目眩すら覚える。もはや、羊のように怯え、人の影に隠れている暇などないくらい、事は早々に、様々に動き出しているようだ。
風のように走るウルフォン。ただ、緊迫した雰囲気が、いっそう辺りを、メディルサ城を覆っていった。
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アルティニオスは、人好きのする表情で目の前のメディルサ国王を見すえた。今ほど『笑顔の仮面をつける』のが得意であったことをよろこんだことはない。
印象は初見から最悪だった。
急な申し出にもすいすいと希望は通り、メディルサに到着するなりなんの障害もなく国王へ謁見できたことは驚くべき幸運だ。だれかの手引ではあるまいかと勘くぐりたくもなる。
一応、身分は伏せておくことも考慮したが、結局アルは堂々と会うことを選んだ。もちろん、周囲には知れ渡らぬようメディルサ国王と内密に見えるように配慮してもらったのだが。
敵陣に単身乗り込むような無謀なこと。暴挙だと笑われても仕方のない行為を、しかしアル王子はなんのためらいもなく、むしろ清々しいほどの堂々さでやってのけたのである。
はじめて会う母の兄――叔父という存在。一目で、アルはすっと心が最低の位置まで冷え切るのを感じた。
なにかを期待していれば、絶望の淵に叩きこまれそうなほどの冷めたまなざしを向けられたから。
国の王というものは、みな眉間にしわのできる生き物なのだろうか。メディルサ国王もまた、ひどく厳しい表情をしていた。
だが、元来はもっと飄々としている性質なのかもしれない。レオに似て愉快に笑う様がよく似合いそうな顔つきだ。
男としてはやや華奢なほうかもしれない。しかし、アルの母・ナイリスのような艶やかなうつくしさというよりは、むしろ勇ましさのほうが強い印象を与える。
「遠路はるばる大義であったな。何用か」
開口いちばん、気だる気に、それでも眼だけは冷たくこちらを見すえてメディルサ王は言った。
アルは一応の形とばかりにお辞儀し、顔をあげて笑みを見せる。
「お初にお目にかかります、我が名はアルティニオス・ル・ド・カスパルニア」
そのまま、アルはじっと国王を見かえした。質問には一切答えず、向こうにも名乗らせようと言うのだ。
メディルサ国王はしばし無言でじととアルを見つめていたが、やがてため息まじりにぼそりとこぼした。
「ユーグ――我が名はユーグ・ディシャ・ル・メディルサ」
これで満足かとでも言わん気に王座から見下ろす国王に、アルはさらに笑みを深めた。相手からしてみれば、小癪なと言わんばかりの憎たらしさを込めて。
「人様の敷地へ忍び込む上手さはさすがカスパルニアというべきか……貴殿は変装がお得意なようだ」
「貴公さまのふてぶてしさには敵いますまい」
メディルサ国王が冷ややかに口をひらけば、それに反発するようにアルも白々と言い返す。妹を嫁がせた国にも容赦なく攻め込もうとするユーグ王の神経を『ふてぶてしい』と言ってみたが、彼にはなんの打撃にもなるまい。
とにもかくにも話を進めようと、アルは再び口をひらく。
「お話があります」
「我にはない」
努めて声だけは柔らかく発したつもりのアルだったが、メディルサ国王は一瞥もすることなく吐き捨てるようにそれを拒絶した。思わず目を見開く。
歓迎されないとは思っていたが、ここまで冷めた、虫けらを見るようなまなざしで見られるとは思っていなかった。だからその意趣返しのつもりだったが、どうやらメディルサ国王からしてみれば、アルの存在自体がいやでいやでたまらないくらいの仕打ちらしい。
それでも引くことなく、アルはにこやかな笑みを絶やさずじっとユーグを見つめる。やがて、大袈裟なため息混じりに国王は再び口をひらいた。
「では正直に言おう。二度とおまえの面など見たくはない。失せろ」
そして、ぴくりとアルが顔をしかめると同時に、二の句をつがせぬ勢いで言い放つ。
「二度は言わんぞ。去れ」
愕然とした。
取り付く島もない。本当に、心からの拒絶をまなざしに込めて、メディルサの王はアルを排除する。
いや、アルではない――知っているまなざしだ。これは、かつて父から受けたまなざしと似ている。アルを通り越し、その姿と重ねて『彼女』を見ているときのまなざしとそっくりだ。
(この男が?)
アルはいったんうつむき、拳を握った。
(母はこの男を愛したのか。この男が、母を愛した……この『顔』を拒絶する、この男が……?)
カッとなってアルは叫ぶ。
「この顔を、あなたは見たくないと言うのか!……母にうりふたつと言われたこの顔を!」
――嫌悪の対象とするのか、拒むのか、愛したのではなかったのか!
もはや抑えようはない。ただ感情をぶつけるように声を荒らげた。
しかし、ユーグはなんの感慨も見せず、相変わらずの冷めた表情でアルを見下す。
「なにか勘違いをしているようだ」
ユーグ国王は厭味たらしく、顎に手をかけたまま声を発する。眼には冷笑が浮かび、片端だけ引き上げられた薄い唇が皮肉気に見えた。
「貴殿はなにをしに我が領土へ足を踏み入れたのだ?まさか、わずかばりの血の繋がりを頼りに情けでもかけてもらいに参ったのか?」
「なにを――」
「我がおまえを快く迎え入れると思うてか。勘違いも甚だしい」
あまりの言いように言葉をなくしたアルに目もくれず、メディルサの王はぴしゃりと言い切った。冷笑も皮肉的な笑みもかなぐり捨てたような、剥き出しの嫌悪をありありとまなざしへのせて。
途端、アルは口をとざす。言葉など見つからなかった。
(この男は、母を忘れてしまったのだ……母を愛した記憶も、『家族』という繋がりも)
そうして、そんな『家族』にわずかながら固執していた自分に気づき、泣き笑いしたくなった。
もはや興味を失ったのか、うつむいたアルに視線を向けることもせず、ユーグが衛兵へ「客人がご退場だ」と告げる。
足の指先からす、と身体が冷たくゆらめくのがわかった。
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メディルサ城の廊下を、ただ、歩いた。
心は深く沈んでいるようだし、一方では激しい怒りに胸がもやもやし、焼き尽くされそうな気もした。
メディルサ国王・ユーグとの謁見は、はっりいえば失敗だった。
(あいつは、母を愛していたのではなかったのか。禁忌を犯してでも手に入れたかった女性ではなかったのか?)
それとも、妹の美に目が眩んだだけだというのだろうか。兄という立場にありながら妹に恋をするという禁断のスリルを味わいたかっただけなのか?
気まぐれにすぎなかったというのか。なれば禁忌のこどもとなって生を受けたレオンハルトはどうなる。
(もしちがうというならば――)
ユーグはアルにだれの面影を見たというのだ。容姿はナイリスそっくりのアルに、カスパルニア国王・ソティリオを見たのではあるまい……
(まさか)
ぞっとする考えに頭を振る。今までずっと母にそっくりだと言われたことはあれど、父親に似ていると言われたためしはない。たった一度、ヌイストに指摘されたことを除いては。
(認めない。あいつの血が混じっていると思うだけで虫唾が走るのに……)
頭に血が上りすぎたせいか、くらくらと目眩がした。歩く速度を遅め、アルは小さく深呼吸する。
(あのタヌキめ)
「案内を変わろう」
アルはハッとして顔をあげる。意識せずにメディルサの衛兵に囲まれ、案内係のあとをついてきたが、自分がどこへ案内されているのかも頭には入っていなかったのだ。
突如聞こえた鮮明な声に我にかえる。声の主は、周囲の衛兵もすべて下がらせてしまった。
アルは驚きをもって、その声の主を見つめた。
「ウルフォン――」
きつい目つきの、一見冷徹な狼のような男・ウルフォン王子がそこにいた。




