第百二章 行方不明の
第百二章 行方不明の
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「花はいかがします?」
問えば、彼女は逆に尋ねてきた。だからヌイストは、ゆっくりと笑って答える。
「手折るまでもなく散るでしょう」
――色褪せた花になど目もくれず、蜂は甘い蜜を求めるでしょう……と。
言葉にしてから、果たしてそうだろうかと自問自答する。世界に絶対などありえない。だから、綿密に計画を立てる策士もいるし、神経をすり減らして不安と常に隣り合わせの生活を送る輩もいるのだ。ニンゲンとは、そういうイキモノだから。
でも、自分はちがう、とヌイストは思う。自分はただ、気まぐれにこの物語の行く末を見届けるのだと。これまでのストーリーは若干の差異はあれど、思い描いたものとまったくの別物ではなかったから。
役者はそろった。舞台もある。あとは操り師が人形を動かすだけ。
花はきっと壊れない。なれば先に蜜を欲している蜜蜂に餌を与えるに限る。
「もう、見失わない。結末を知るのは、ワタシの特権デスよね……」
見上げた空には満月。煌々と光を降り注ぎ、ヌイストの影を伸ばした。
花は蜜蜂に見向きもされなければ、いずれ自ら朽ち果てるだろう。こちらからその細い茎を手折るまでもない。
蜂は不安定で、自分がどの蜜を求めているのかもわかっていない様子。なれば、どんな蜜であっても食いつくだろう。
「蜜蜂は、いかがします?」
ヌイストは再び月へ問いかけた。金色の光は無言のまま、やはり同じ問いを繰り返す。
「……わかってマスよ」
物言わぬ月は、けれどヌイストにだけ聴こえる声で何度も言うのだ。何度も、何度も。
――それで、結局、あなたはどう思うの?
だから彼は、ただ思うように気まぐれを遂行するのだ。とても愉快で残酷なおとぎ話になるように。この物語にうつくしい終焉を、終止符をうつために。
だって、全部が遅かったから。すべて、気づいたときには、手のなかにはなにもなかった。
――ああ、世界はたったひとつの願いさえ打ち砕く。
切望していると実感したのは、世界が終わったとき――アナタの亡骸を目にしたときだった。
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「おかえりなさい、ヴォルド!」
「ただいま帰りました、姫」
目の前で熱い抱擁を交わす男女を、スーはぽかんと見つめた。
「それで、今回はどのような任務を?」
「はい、冷静沈着なスパイ役であります」
「まぁ、素敵!カッコいいわ!」
「姫はかわいいですね」
「んもぅ!ソフィアって呼んでよ」
思わず顔を背けたくなる光景に、親切なサイラが半眼のまま解説をしてくれた。
「アレがわらわの妹のソフィアだ。ヴォルドは優秀な騎士……というより、密偵を得意とする。今回はベロニカに貸している。あ奴は今、カスパルニアの密偵なのよ」
「えっと……つまり……どういうことですか?」
怪訝そうに顔をしかめるスーはもっともだ。今度はベロニカが助け船をくれた。
「スーさまはリオルネさまをご存じでしたよね。わたくし、公爵さまには多大な恩がありますので、このたびサイラさまから優秀な駒をお借りしました。ほら、先日『例の裏切り者』の件をお話ししたでしょう?」
つまり、だ。互いに信頼している公爵とベロニカで連絡を取り合い、ヴォルドは密偵として『カスパルニアの裏切り者』を探っていたらしい。しかし、『未知の土地といってもいいシラヴィンドへカスパルニアの人間をよこすより、地元に通ずる信頼できる人間を使ったほうがいい』と考えた公爵は大胆である。ベロニカが裏切ればすべてがひっくり返るというのに。愚策と言われても仕方のないことだが、今回は成功したようである。
「ベロニカさんは信頼されているのですね……公爵さまも、決断力のあるお方です」
「いや、今回わたくしに依頼してきたのは公爵さまご自身ではありませんよ。あの方は御身体を壊されているらしく……代わりに、リオルネさまと――クリス、が」
「クリスさん?」
スーはさらに目を見開いた。投獄されていたはずのクリスが、カスパルニアのために動いている。彼は許され釈放されたのだろうか。いったいぜんたい、どうしてそのような荒技ができるのか。きっとネチネチ文句を言うであろう、あの小うるさい大臣らを黙らせ、かつ謀反を起こしたクリスを味方につけるなどただ事ではない。
ベロニカは柔く目を細め、肩をすくめた。
「わたくしは、彼とも顔見知りですから。弟みたいな存在なんです」
ですから、向こうもわたくしも裏切りませんよ、と言い切るベロニカ。スーは圧倒され、しばし彼女に見入った。
……それにしても。
「ねーえ、いい加減にしてくれない?」
とうとう、レオが吠えた。頭を抱え、うなだれるように。
それもそのはず、密偵からの報告会と称して集められたのに、一向に報告らしい報告を受けていないのだ。突如部屋に現れた密偵は、これまた唐突に入場してきた姫さまに取られる始末。惚気はじめるふたりに、サイラもレオを飽き飽きし、ベロニカは苦笑まじりだ。
カスパルニアからの使者としてやってきたオーウェン大臣が、扮装したランスロットらによってコテンパンに追い払われたのは一昨日のこと。同日、ウィルは海賊を率いてシラヴィンドの地をあとにしている。
スーはランスロットとともに残り、とりあえずは現状把握と周辺諸国の動きを聞こうと、こうして集められたわけであるが。
「これはレオンハルトさま。いらっしゃったのですか。ですが、あまり我が姫を見ないでください。姫が減ります」
ぺこり、とお辞儀し、ヴォルドと呼ばれた密偵はレオへ視線を向ける。
よくつかめない人物である。なんでも、いろいろな役を完璧に演じこなせるのが売りなのだとか。
ソフィアはどこかシルヴィを思わせるほどの熱烈さをもっているようで、彼に陶酔し、いわゆるぞっこんらしいが、ヴォルドのほうもどうやらソレらしい。レオに向ける威嚇は凄まじいものだ。
「そうね。とりあえず、報告だけして」
ため息とともに命じたサイラに、ヴォルドは頷いて、懐から数枚の紙を取り出した。
「とりあえず、報告書としてまとめましたので詳しくはこちらをご覧ください」
「さすがヴォルド!仕事がはやいのね」
「いえいえ、姫と過ごしたいばかりに、がんばってしまいました」
「きゃっ、ヴォルドってばあ!」
「……もう、よい。そなたらは退出せよ」
報告書をもぎ取るように受け取ると、サイラは追い払うがごとく手を振った。それにソフィア姫が食いつく。
「姉さま!もうヴォルドは返していただけるの?」
「ええ、そなたのものだ。思う存分構い倒すがよい……しばらく離宮でふたりとも過ごせ」
「いやーん、姉さまありがとう!」
さ、行きましょうと、嬉々としてヴォルドの手を引き、彼女は部屋を出ていった。嵐が去ったような、そんな気分に苛まれるのはスーだけではあるまい。
ソフィア姫はすでに王位継承権を放棄しており、本来ならば城から追い出されてもおかしくない立場らしいが、何分、あのような性格の娘である。姉のサイラとはして心配が尽きず、加え、優秀なヴォルドまでもが彼女を追ってシラヴィンドの中枢よりいなくなるのは惜しい。
かつて駆け落ち騒動に巻き込まれたサイラは、レオの協力のもと、なんとか城に彼女たちをとどめることに成功し、こうして時たま重大な任務を依頼しているのだとか。
「複雑なんですね」
「言うな。どこの国も、そんなもんだろ」
感慨深げに、もはや深く考えることを放置して述べたスー。レオがため息まじりに応えてくれた。
「大変なことになったわ」
唐突なサイラの声がその場に響いた。報告書をぱらぱらとめくって速読していた彼女は、徐々に顔をしかめ、次にレオへと手渡す。
レオもまた読み進めていくうちに苦い顔になり、天を仰ぐ。
「まったく、世話のかかる」
「どういうことですか」
我慢できずにスーが尋ねると、サイラが簡単に報告内容を説明しはじめる。
「率直にいえば、王子さま行方不明」
「なんだって?」
その言葉にすばやく反応したのはランスロットである。前のめりになる勢いで声をあげた騎士の切迫した雰囲気に、スーもやっと、アル王子と連絡の取れない状況なのだと悟る。
「さすがあなたと血のつながりがあるわけだわ。自分の身分だとか考えなしに、ふらふらして……」
「俺の場合はウルフォンがいるからいいの!」
サイラのじと目に耐えかねたレオは逃げるように顔を背けた。
報告書には、どうやらアル王子がカスパルニア城に不在らしいという旨が書かれていた。カスパルニアの密偵としてヴォルドは働き、ランスロットが裏切り者ではないということを公爵家を通して伝えた。公爵家およびクリスはすぐにアル王子へその事実を伝えたが、これ以降連絡が途絶えているらしい。
どうやらクリスがうまく立ち回って、あたかも『アル王子は城へ引きこもっている』という状況を演出しており、内外部ともに王子の不在は知れ渡ってはいない。
「これはクリスからの依頼でしょうね。言外に、『アル王子を捜してください』っていうことだと思います」
「たしかに、こちらに第一騎士がいるとなっては、そう動かざる負えまい……まったく、クリスという男も大概いい性格しているよ」
ベロニカの冷静な判断に、レオも頷く。ランスロットの性質をよく理解しているクリスが、こちら側へ意図的に『王子不在』の情報を流したと考えるのが妥当であろう。第一騎士が裏切り者ではないというのが真実ならば、彼は忠実なアル王子の部下なのだから、すぐさま王子探索へ乗り出そうとするのは明白である。
「君も性格読まれているよね。その王子大好き性格、なんとかしたら?」
「お言葉そのまま、貴殿の弟君にお返しします」
レオがにやにやと意地悪く言えば、すぐさまランスロットがしらっとした表情で返す。
「ウルフォンさまの熱愛ぶりには、だれも敵いますまい」
してやったりな顔の彼に、まんまと言い返されたレオは舌打ちまじりに肩をすくめた。からかおうとしたのになぜか負けたようで、ちょっぴり悔しそうである。
「それで、行方の目処はついているのですか?」
「だいたいはついているわ。公爵家は城のフォローで動けないでしょうし、あなたが行くのね」
真剣な表情で頷くランスロット。腰に携える剣の柄に手をかけ、つぶやくように言った。
「俺は、アルのそばで、あいつの剣になるよ」
サイラは満足そうにそれをながめ、そのままスーへ目を向けた。
「あなたも……行きたそうね」
その場にいた者の目が、みなスーへ向く。
「わたしは……」
胸のあたりで手を握りしめ、スーは生唾を飲み込んだ。
頭をよぎるのは、『夢』で逢ったアルの姿。抱きしめたぬくもりは、たしかにある。
彼が泣いているならば、すぐに慰めに馳せ参じたい。いや、どんな顔をしていたって、そばにいたい。
(ただ、アルさまの隣にいたい)
単純だ。素直になれば、気持ちは、心はただまっすぐに訴えている。
(アルさまに、会いたいなぁ)
スーは顔をあげ、口をひらいた。
「わたしも、アルさまをお捜しします!」