第百一章 結束
第百一章 結束
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朝食を済ませ客間に呼ばれたスーは、その日いちばんの衝撃を受けることとなる。
窓辺に立つサイラに手招きされ、一緒になって外の様子をうかがえば、騎士であろう人物ふたりが、互いに剣を交えている姿が見えた。
ふたりともキレがあってすばやい。闘っているというよりは舞を舞っているように見えてしまうほどうつくしく整い、乱れなく均整のとれた剣の動きは線になって鋭い煌めきを描く。
スーはその剣に、そしてそれを操るふたりから目が離せなくなった。
剣を交えているのが知った人物だったから。
(ベロニカさんと……あれは……)
片腕を器用に操りながら衝きのような剣さばきを見せる彼女はさすがだ。そして、そんな彼女に劣らずの勢いを殺さないうつくしい剣筋――
(ランスロットさん!)
びったりと窓に張りつき、スーは周りに構わず食い入るように彼の人を見つめた。
まちがいない。あれはたしかに、ランスロットである。
肩や胴、肘、膝だけを保護する簡便な鎧を纏い、流れる黒髪を晴れやかに振って、剣を舞うように振るっている。銀のきらめきとなり、刃はベロニカの刃とぶつかり、はじきあい、溶け込み、朝の光を受けている。
変わっていない。はじめて見たときから、ランスロットという人物は見とれるほどきれいに剣を振るうのだ。
そしてそのうつくしさは、形ばかりではないのだと、スーは唐突に知った。
「……彼、いい筋をしているよ」
スーとともにふたりの騎士をながめながらサイラがつぶやく。
「切磋琢磨しあって、さらに腕に磨きをかけた……だれのため、なんのため、なんだろうね……?」
くすり、と女王は笑い、スーの肩をぽんと叩いた。
「そなたといい、あの騎士といい、カスパルニアの王子はよい主従関係を築いているようね」
(ランスロットさん……)
彼の剣はうつくしい。それは、彼が主のために振るう剣だから。
目的を持ち鞘から抜き放たれた刃は、何物にも砕かれぬ輝きとなって纏われるだろう。障害物を打ち崩し、切り裂く糧となるのだろう。
そんな剣を、あの男は手にしているのだ。
(アルさま、やっぱりランスロットさんは裏切り者なんかじゃないです)
単純に剣が好きで、それをだれかのために使うことに戸惑いのない彼は、うつくしい剣を振るえるのだ。
スーは熱くなる目頭に我にかえり、あわてて泣くまいと唇を噛みしめた。
「とりあえず、狼藉者がランスロットではないということは向こうの王子にも知れるでしょうね」
ベロニカを通し密書を送ってやったのだとサイラは告げる。
「すぐに反応があったわ。公爵家から密偵がきたもの」
くすりと笑みをもらし、女王は意地悪そうに自身の唇へ指を立てる。
どうやら、彼女には広い好友関係があるらしい。敵に回したくない人である。
「アル王子はよくも悪くもまっすぐね。まぁ、フィリップ王子を見てきたならそうなっても仕方がないけど……」
サイラのつぶやきに、スーはかつてドロテアがもらした「フィリップは王にはむかない」という言葉を思い出す。為政者となるならば、綺麗事だけではうまくいかないということだろうか。
(わたしにはわからない。だけど、アルさまひとりに背負わせたりなんかしない)
ランスロットもいる。アルは、決してひとりなんかじゃないから。
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その後、サイラは部屋にウィルやレオ、ランスロットを呼び寄せ、「作戦会議だ!」と意気揚々と告げた。そんなわけでスーはランスロットと無事再会を果たした。
彼に変わりはなく、むしろ以前よりもさっぱりとした表情をしていた。悩みが払拭されたのか、その眼に迷いはない。
「話は聞いた。……ユリウスは……あいつは、元気にしていたか?」
「は、い……ラ、ランスロットさんも……ご無事で、なによりです」
ランスロットの精悍な顔立ちを前に、つい声が震えた。涙もろい自分を叱責し、笑みを見せる。以前も城から追われたときに彼には世話になった。こうして再会を果たすのは二度目だと思うとおかしな気分になる。
聞きたいことは多々ある。そして、言わなければならないこと――セルジュのことも。
けれど、セルジュの最期が脳裏にかすんだ瞬間、スーは意識的に首を振り、その残像をかき消した。今は、まだ言わなくていい。
「どうして、ここに?」
とりあえずいちばんに問うと、ランスロットはわずかに眉間にしわをよせた。
「城に、不穏な空気があった。それにアルが……どこか荒れはじめている気がして……」
言うや、めずらしいことに黒髪の騎士は涼やかな顔に、小さく笑みをのぞかせた。
「城を実質追放された形になったから、いっそ自由に動いてしまおうと考えたんだ。それで、どこの国の手にも落ちていない、ベルバーニやメディルサとは縁のなさそうなシラヴィンドへ向かったんだが」
「俺も、それからなつかしの女騎士さんもいたしで、想定外。結局、ここで現状把握をかねて動けずじまいってワケ、だろ?」
ランスロットの言葉を引き継ぎ、レオが説明した。それにしても、王子の第一騎士である彼が勝手に動くなどめったなことだ。
そんな思考を察知したのか、黒髪の騎士は「たまには、俺も拗ねる」なんて似合わない冗談を生真面目な顔で言ったものだから、スーはすこしばかり苦笑いをこぼした。
しかしランスロットと再会したのもつかの間、連絡を携えて部屋にやってきたベロニカの言葉とともに、再びあわただしい気配がその場を支配した。
「サイラさま、カスパルニアの使いなる者が謁見を希望されております」
「そう。ついに来おったか」
くすり、と声をもらし、サイラはつぶやく。ウィルもランスロットも身構えるように顔をしかめた。
「はい。ですが……武装を解くことなく、国境にも軍を備えているから無駄な抵抗はやめろ、などと世迷言を申しておりますが」
「なんと、阿呆を送り込んできたのかしら。オーウェン大臣は?」
「姿は見えません。おそらく、後方で待機しているものと思われます」
「ひとりのうのうと行方を見るというのね」
「カスパルニア大臣は、わざわざシラヴィンドごときにあいさつに出向く必要なし、というわけだ。随分なめられたものだね」
レオもひくり、と口端を歪めて笑う。
「まあ、よい。使者は謁見の間へ通しておけ」
女王は動じることなく淡々とベロニカに命じ、面白がるような視線をスーとウィル、ランスロットへ向ける。
「……で、そなたらはどうする。大好きなアル王子のピンチぞ」
「どうせ大臣とやらの進言は『配下へ下れ』だのの戯言だろう。聞く意味もない……アルーがそんなことを望むはずはないだろ?」
「そうですね。たしかに、アル王子ならばわざわざこんな姑息な手など使わない」
背後から不穏なオーラを漂わせ、ふたりの男は頷き合う。
さらに目を細め、サイラは問うた。
「では、わらわは『カスパルニア』の使者を追い返してもよいのか?手荒な歓迎になりそうだが」
「なんなら、俺がオーウェンごとかわいがってあげようか?」
女王とレオの言葉に、ウィルはにっこりと皮肉的な笑みを見せた。
「構わないよ。思う存分、知らしめてあげて」
そして、第一騎士・ランスロットは腰にさした剣の柄に手をかけ、無言のまま踵をかえす。やれやれ、とベロニカは苦笑し、彼につづいた。
「サイラさま、わたくしも彼にお付き合いしても?」
「許す。ともにカスパルニアの下郎を蹴散らしてやれ」
どんどん事は進行してゆく。レオも嬉々としてベロニカたちにつづき部屋を出ていった。
スーはあれよあれよという間に取り残されたような気分になり、不安げにウィルを見上げる。
「スー、僕はいったん海に戻るよ」
屈み、視線をあわせてウィルは告げた。
「ドロテアのもとにデジルからの報せもあるかもしれない……彼女はなにか知っているのかもしれないしね」
スーを庇って怪我を追ったデジル。たしかに彼女は「はめられた」と言っていたし、なによりスーの危機にいちはやく気づいていたのだから、なにか情報を握っているのやもしれない。
スーはまじまじと、ウィルを見つめる。眼帯に隠された瞳に、自分と同じ色が宿っている気がした。
「アルーひとりに重荷は背負わせない。ともに闘う」
「兄さま……」
動き出した。みな、ひとつの想いを抱えて。
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(わたしにできることって、なんだろう)
本当に、すくない。小さな、だれにだってできるようなことしかできない。
とりあえず思いついたのは、動けぬ自分は知識をためようということだった。
さっそくサイラに頼み込み、スーはシラヴィンドの図書室へと通わせてもらえることになった。書物の宝庫とも言えるそこは、他国の本まで様々に揃えられている。なんでも、前々の王が本の虫だったらしく、多種多様な書物が集められたのだそうだ。
「でも結局、内乱が大きくなったりで、だれも本なんて興味なかったわけだから……かなり埃をかぶっているわ」
肩をすくめ宣うサイラ。彼女の言うとおり、図書室というよりは忘れ去られた書物庫である。
それでも、薬草の本まで揃えられているところを見ると、前々国王はかなりの範囲に手を伸ばしたと思える。
ベロニカから譲り受けた本も片手に携え、スーは日々徹夜する勢いで知識をつめ込んでいった。
付け焼き刃に過ぎないのかもしれない。それでもなにもせずにいるよりはマシに思えたのだ。
それになにより、楽しかった。
特にイライジャからの餞別とあってか、ベロニカからのおさがりはおもしろい内容にあふれている。
件の本にあった『花と猛毒花のちがい』という項目に目を走らせる。毒をもつ花との見分け方が詳しく書いてあるのだが、これをシラヴィンドの図書室にあった薬草の調合の基礎とあわせて読むとさらによくわかる。加え、図書室には身体のつくりを記す本まであるものだから、どのような成分がどこにどんな作用を示すのかまで事細かに知ることができた。
他には『珍しい花』のページがある。昆虫を食す花だとか、気温によって色を変える植物、なかなか見つからないが大変よい香りで癒し効果がある花だとか。
(これ、いつかアルさまに見つけてあげたいな)
眉間のしわをとって、安らかになれる時間を提供できればいいな、とぼんやりスーは思った。つづいて、本の文字を追う。
(ううんと、『お湯に浸すとなおよい。効果が持続する。……だが花弁の先が赤紫になっているものは香りが有害で猛毒を含んでいるので注意せよ』か)
カスパルニアにも、この花はあるだろうか。……この得られた知識が、彼の役にたてる日はくるだろうか。
文字にうめつくされた世界で、スーはただひたすら読み耽っていったのだった。