表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
王国の花名  作者: 詠城カンナ
第三部 『花畑編』 【Ⅱ albus war-白い罪と戦争-】
100/150

第百章 ほしのせかい

記念すべき(?)、第百章目になります。


今回のお話のイメージには、とある和歌があります。

以前から大好きなウタで、いつかこんなものをベースに書ければなぁと常々思っていました。笑


「天の海に 雲の波立ち 月の船 星の林に 漕ぎ隠る見ゆ」

万葉集巻/柿本人麻呂


以上、ご紹介いたしました!

この比喩といい、イメージのしやすさといい、すごく好きなんです。

特に、『音』が最高です。


「あめのうみに くものなみたち つきのふね ほしのはやしに こぎかくるみゆ」


日本の「うた」は、『雅』があって素敵だと思うのです。

では、本編どうぞ。



第百章 ほしのせかい



†▼▽▼▽▼▽†



 昔、まどろみに思い描いた夢がある。それはたしかに夢であり、他のなにものにも変わらず幻となって消え失せたのだけれど。


 人は、いちばん昔の記憶はなにかと問われ、思い出せるのはいつの出来事なのだろう。人とは忘れる生き物だから、印象的な記憶しか深く刻まれない。

 たしかにふと思い出すことはあろうが、日常の些細な出来事など色あせ、なかったことのように忘れ去る。なにかに触発されでもしない限り、戸棚の奥底へしまわれたままだ。

 けれどアルの場合、いちばん昔の古い記憶はと問われて思いつくのは、『日常』というありふれた光景だった。だからもしかすれば人のいちばん古い記憶とは、とりとめもない些細な出来事なのかもしれない。

 『日常』とはいっても、アルの記憶の『日常』はもはや夢か現か区別のできないものだ。あれはもしかしたら夢だったのかもしれないし、現実に起こったことなのかもしれない。それが記憶としてアルに刻まれているだけ。

 どんな記憶なのか――それは、両親の笑いあう姿だ。

 だからきっとこれは夢の記憶なのだろうとアルは思っている。幼い時分に脳がみせた、マボロシゲンジツなのだ。

 昔から、夢は心と裏腹に物語を紡ぐ。

 きらいで邪魔で、けれど手放せないだろう、夢であった。



 最近の夢には、業火に焼かれるカスパルニアと、アルを責め立てるフィリップ王子が出てくる。フィリップは深い緑の瞳を憎しみに染め、「おまえに王となる資格はない」と言い張るのだ。

 すると、陰からうっすらとランスロットの姿が浮かび上がり、「もう友情ごっこも終わりだ」と言い放つ。

 そんななかで、アルは笑っていた。

 以前言われたような気がする。ああ、そうかと思い出すと同時に、今度はユリウスがこちらをにらみつけているのが見えた。彼は剣を鞘から引き抜き、刃をアルへ向けて、「絶対に許さない」と声高に言うのだ。そうして踵を返し、去っていく。

 グレイクもロイもリオルネもクリスもみんな背を向け遠退いていく。最後に血で染まった手をアルに絡ませ、セルジュが微笑する。

 しかし、やがて彼もアルへ見切りをつける。

 突如セルジュはどろどろに溶けて、残ったのは闇だけ。

 背後で啜り泣くのが聞こえ振り返れば、父に鞭で打たれる幼い自分が、母から拒絶される自分がいた。

 もうたくさんだ、と顔を背ける。と、カスパルニアの国旗を燃やし尽くした炎が赤いゆらぎとなってアルへ纏わりついてきた。

 ここ最近みる夢は、このままアルを焼き殺していた――が、今回ばかりはどうやらちがうようだ。突如、炎はゆらゆらと穏やかになる。

「アルさま」

 聞き覚えのある声だった。

「アルさま、あなたがわかりません」

 炎の赤はたっぷりとした赤毛となり、そこから白い手足と緑の眼を産んで、それらはひとりの少女を形作る。


 夢は、奇妙に終わりを告げた。


 ステラティーナはそっと戸惑いながら手を伸ばす。アルは誘われるように、その儚げな指先に触れた。

 緑の瞳が、深い色をもってアルの青を見つめる。その眼に込められた感情を、いまだ確かめられずにいる。

 それ以前に、自分自身のキモチさえわからない。わからないのだ。だから、相手を推し量ることすらできないでいた。

 はじめて赤毛の少女を見たとき、その瞳を見たとき、心は鷲掴みにされ、以来戻ってくることはない。兄への罪悪感からか寂しさからか執着し、決別できずにいたけれど、件のわだかまりは消えたのだ。もはやの瞳に固執する必要などないのに、いまだアルは彼女の緑を求めて止まない。

 仮面舞踏会で再会したとき、彼女と踊った時間は不思議と心が落ち着いた。と同時にざわめいたのは、なぜだろう。

 好きな花を「ラベンダー」と答えた彼女。なれば、自分の好む花はなんだ?

 血で濡れた手を、彼女は果たして受け入れるだろうか。拒まれたとき、自分は自分を保てているだろうか――終わりのない問いかけに、アルは吐き気を覚える。

 身を砕き、自身の『なにか』を護ってきた。暗闇を好んだのは、悪夢を忘れないため。父を恨み、母の憎しみを感じ、王への揺るぎない道をひたすら目指そうと決めたから。


「アルティニオス王子」


 気がつけば、アルは夜空の海を渡っていた。三日月の舟は、ゆっくりとふたりを乗せて進む。

 霞みがかった雲の波が、ゆら、ゆらりと船体をいたずらに揺さ振るが、月の舟は目もくれず、星の林を目指して滑ってゆくのだ。

「ここは……?」

「あなたの世界です」

 にっこりと、フィリップそっくりの柔らかい笑みを見せてスーは言った。相変わらずアルの手を握ったままだ。

 不思議と、苛立ちはなかった。

「……憶えていますか……わたしが毒にうなされていた夜、こうしてあなたは手を握っていてくださった」

 ちゃぷ、ちゃぷ、と舟が底知れない黒さの海を進むたびに音を立てる。ソラの奥にはなにも見えない。

「あなたはとても意地悪。とても頑固で、秘密主義で、ひねくれ者……そして、とっても繊細で壊れそうな人なのね」

「なに……?」

 スーは目を細めたままつづける。アルは眉をひそめたが、彼女の言葉を遮ることはしなかった。

 いつまでも、声を聞いていたい。手をつないだままでいたかったから。

「寂しいなら、寂しいと言えばいい。泣きたいなら、涙を流せばいい。手を伸ばせば差し伸べてくれる光もある。それなのに、あなたはいつだって天邪鬼で、逆のほうを向いて意地を張るのですね……」

 真摯な彼女の言葉に、アルは胸を突かれる思いで聞いていた。否定しなければと頭は急くのに、心は見抜いてくれたことに歓喜し震える。

 強い視線を受け止めきれず、アルは顔を背け、空の海に目を落とした。どろどろに溶けた闇の海水は、アルの無表情を映している。

「……俺は、人を殺したことがある。この手を血で染めたんだ……」

 ぽつりと、無意識のうちに口走っていた。気がついても、止まらない。

「暗闇にいると、いつも憎しみに包まれる。父上が俺を嬲り、憎んだ証が疼く……兄上の母君を奪ったのは、俺の母上だ。それなのに、兄上は俺を責めない……俺が逆恨みまがいのことをしていたのに、すべて許してしまうんだ……」

 器がちがうのだ。王としての、人としての器が。

「俺の心はいつだって暗く淀んでいる。きれいじゃない。汚れている」

 だれかを求めちゃいけない。不幸を呼ぶから。

「卑しい身体なんだ。この容姿も、瞳も、心も、すべて――」

 ふさわしくない。

「すがっちゃだめなんだ……そう……僕は弱くないもの」

 黒の海に、青い瞳が揺れた。母親そっくりの容姿。疎ましいと父から罵られた容姿。

「アルさまは、なにがしたいんですか。なんのために王となるのですか」

 唐突に、スーは問いかけた。

 アルの思考は再び方向を変える。


 なんのため?

 母さまがなれと言ったから?求めたから?兄さまの代わりに?

 なんのために。

 民のためだという偽善もない。権力を己が手に納めたいという野心もない。まして、夢や希望があるわけではない。

 ただ、思ったのだ。義務があると。

 そして願ったのだ――もし、叶うなら……


「……どうして、忘れていたのだろう」

「アルさま?」

 つぶやきとともに、アルは空いているほうの手で自身の顔を覆った。

 声を殺し、泣く。



 漠然とした夢は、夢でしかなく。幻でしかなく。

 されど、ゆめとて、まぼろしとて、消えることなく。

 たしかに望めばそこにあるし、願えば形を思い描くこともできる。

 消え去るのではない。捨てるのは自分。拾うのも自分。目指すのも自分。



 昔、夢をみた。願望なのか現実なのか定かではない、ユメを。

 それは幻となりて、消え失せたけれど。けれど、たしかにマボロシとなって、心に深く深く染み込んでいた。

 ふと、思ったのだ。

 兄と再会し、過去と決別し、新たな道を決めたあの日常で。穏やかな日々のなかで。たった数日の短い期間のなかで、ふいに願ったのだ。

 こんな日が、ずっとつづけばいい。


「ステラティーナ」


 にわかに香った、あまったるい匂い。鼻孔をくすぐるのは、ラベンダーの香り。

 金色のロケットを首から下げた少女が、アルのすぐそばにいた。衝動的に、彼女の腕を取り、引き寄せる。

 自分の胸に抱き、ぬくもりを感じた。絡めた指先から、熱が生まれる。


「アルさま」


 首にまわされた腕。心地よくて、泣きたくなった。


(どうして、おまえはそんなに、俺を惑わすのだ)


 哀しくて、淋しくて、切なくて、愛しい。


 月の舟は、夜空の海を滑り渡り、雲の波間を抜けて、星の林へとたどり着く。


 一面に広がる輝きは、ふたりの影をいっそう際立たせ、そして覆い尽くした。










†+†+†+†+


 目をあけたとき、見なれぬ天井があった。かすむ視界に、夢のなかの出来事がありありと浮かんでくる。

 ゆっくりと身体を起こし、スーは首から下げていたロケットを取り出して、両手で包み込み握りしめる。

 奥歯を噛みしめ、声を押し殺して泣いていたアル。彼のカンバセに香った匂いをイダくように、スーはロケットを握ったままの手を額へもっていき、強く力を込めた。

(アルさま。わたしは、あなたの欠片をちゃんと集めるから)



 しばらくそうやっていたが、スーはやがて顔をあげた。シラヴィンドへ来て、二日目の朝。

 昨日はいろいろあり、疲れ果てていたせいかすぐにぐっすりと眠りについたのだが、久々に余韻の残る夢をみたものだ。変に現実味を帯びているようで、余計心を引かれてしまう。

 これではだめだと頭を振り、スーは昨日の出来事を脳内で整理した。

 ウィルとともにシラヴィンド女王と謁見し、試された。女王の恋人はレオンハルト王子で、またややこしいことにカスパルニアには内部に裏切り者がいるのだとか。その後サイラ王女に城を案内され、そして彼女の護衛兼侍女・ベロニカを紹介された。

 そう、ベロニカは以前カスパルニアで騎士を務めていた女性だ。様子のおかしくなったセルジュに片腕を落とされ職を追われた人物その人である。

 仰天するスーに、ベロニカとサイラはいきさつを簡単に説明してくれた。なんでも、彼女はカスパルニアの城を出てからユリウスやイライジャとともに過ごしていたのだとか。和やかに暮らすのもよかったが、やはり剣が恋しくなったベロニカは、その後執念の思いで再び剣を握れるようになったのだとか。

 カスパルニアへ戻ることも考えたが、事が事だったために、一からやり直そうと、どの国の干渉もない砂漠の国・シラヴィンドへ赴き、そこで偶然出会ったサイラに見込まれ、護衛官となったらしい。

 ベロニカは今も、アルの記憶、ユリウスの記憶のなかで見たとき同様利発的で、きらきらと輝いて見えた。

 彼女とはそれからイライジャやユリウスのとりとめもない話で盛り上がり、スーが彼らのもとで薬草学を学んでいたというくだりのあと、一冊の本を譲り受けた。イライジャが餞別にとくれた植物の本らしいが、生憎ベロニカには手が余る。なのでもらってほしいと言うのだ。

 枕元に置いておいた例の本に目をとめ、スーは栞をはさんでいたページをひらく。

 【ラベンダー】の項目。そこには様々な情報とともに、花言葉も記されていた。

 幾度となく、スーはその文字を指でなぞる。何度も、何度も。

(あなたの本当の欠片を、わたしは拾うわ。目をそらさないで、わたしの思うアルさまをちゃんと信じてみせるから)

 だから、いつか。

(そのマナザシで、わたしを見て)

 切なる想いは胸に秘めて。


 夢のなかでおぼろげにきらめいた星の散りばめられた世界を、きっとずっと忘れない。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ